四話【四日目:脱出ゲーム最終日】
四日目の朝の目覚めは重かった。
スクレの栞はまだ長いが、これ以上自分たちの本体をゲームの外に置いておくわけにもいかない。それに、カップルの条件はいまだにわからない。選択を誤れば即座にゲームオーバー。そのプレッシャーがロズを今までにないほど憔悴させていた。
「――とりあえず、リヴに言われたことをするか」
ロズは扉に耳をくっつけ、まだ誰も起きていないことを確認して、そっと部屋を出た。
四日目は家の中に諦めムードが漂っていた。
ダンは足を投げ出しながらソファーに座り、テレビのザッピングを繰り返していた。アンナは瑠璃と一緒に部屋にこもり、リビングに置いてあった本を読んでいるらしい。
ロズとスクレは、リヴとフミを探していた。いつもなら起床している時間に彼らがいない。気になって部屋を訪ねてみると、二人の部屋に鍵はかかっておらず、入ってみればもぬけの殻になっていた。ダンとアンナに訊いてみても、見ていないとそっけない返事が返ってくるだけだ。
浴室にトイレ、押し入れの中まで探し終えた時だった。
「おい、みんな! 早くリビングに来い!」
ダンの呼ぶ声が聞こえ、全員がリビングに集結する。
何が起きていたのかすぐにわかった。リビングに備え付けられていたテレビに、初日以降姿を見せなかった管理人が映し出されていたのだ。
「――さて、全員集まったようですね。それでは、ワタシから一点ご報告があります」
「報告だあ?」
全員が固唾を飲んで見守る中、管理人は淡々と事実を告げた。
「昨日二十三時、リヴ様がフミ様に告白し、この家を脱出されました。このカップルはワタシが設定したペアと一致するため、引き続きゲームを続行していただきます」
管理人の報告とは、リヴのゲームクリアだった。つまり彼は、謎だったカップルの条件を解き明かした可能性が非常に高い。
「ただし、リヴ様の脱出はまだ仮の状態です。残る二ペアが成立しなかった場合、リヴ様は再びゲーム内に囚われることとなります。それでは、引き続きゲームクリアを目指してください」
すべてを言い終えると管理人の姿は消え、画面にはダンが見ていたであろう音楽番組にチャンネルが戻された。静まり返る五人の前でハイテンションなロックミュージックが流れる。
「……おいおいおい! あのガキ、涼しい顔してちゃっかりクリアしてんじゃねえか! 慌てふためく俺たちのこと、ずっと馬鹿にしてやがったな!?」
「そんなの今更いいじゃない! それより、結局カップルの条件って何だったの!? 自分だけ抜け駆けしても意味無いんだから、何か手掛かりを残してるんじゃない!?」
突然の出来事と光明に、ダンとアンナは興奮を隠しきれない。
そんな二人を横目に、ロズはおもむろに立ち上がり、テーブルの上に二枚の紙を広げた。
「アンナさんの言う通り、リヴは手掛かりを残していきました。いや、これは手掛かりと言うより……」
広げた紙を全員が覗き込む。
一枚はリヴがロズ宛に残した手紙。これが間違いなく自分が書き記したものであること。そして、もう一枚の紙に書いてある通りにカップルを成立させてほしいという旨が書かれていた。
肝心のもう一枚の紙には、カップルの組み合わせ表が書かれていた。
・リヴ(人間)=フミ(NPC)
・アンナ(人間)=ダン(NPC)
・ロズ(人間)=瑠璃(NPC)
・外れ=スクレ(NPC)
「……どういうことなんですか、これは?」
スクレが慌てた様子で詰め寄る。
「……昨日リヴが部屋に来ただろう? あの時頼まれたんだ。『翌朝、早めに起きて下駄箱に隠したメモを取りに来てほしい。そして時期を見計らって、内容を公開してほしい』って。
きっと、あいつはメモが誰かに盗まれるのを避けたくて、俺を信用して任せてくれたんだな」
「……ねえ、そんなことどうでもいいじゃない」紙を見つめながらアンナがつぶやく。「正解がわかったのよ? だったら、後はここに書いてある通り私とロズ君が告白すればゲームクリアじゃない!」
「おいおい、ちょっと待てよ!」次はダンがつかみかかりながら話を遮る。「肝心のカップルの条件が書いてないのに鵜呑みにするのか? ひょっとしたらNPCや管理人が用意した罠かもしれないんだぞ!?」
「うるさいわね! 自分がNPCだから、私たちを騙そうとしてるんでしょ!? あなたが人間なら、誰でもいいから愛の告白をしてみなさいよ!」
取っ組み合いのけんかが始まり手を出せない。
何も言わなかったが、ロズはどちらかといえばダンの意見に賛成だった。リヴが人間であり、味方であるのは疑いようがないが、それならなぜカップルの条件を書き残さなかったのか? それとも、何も考えずに残る二組を成立させればいいのか?
「うわあぁぁ~~!!」
瑠璃が過去最大の声量で大泣きを始めた。他の面々は水を打ったように静まり返り、リビングにはわんわんと瑠璃の泣き声が響き続けた。
「とにかく、今日はもう話し合いはやめにしませんか? よく考え直して、それでも答えがわからなかったら書き置きのとおりにすればいいんですから」
自分が取り出した書き置きで場を混乱させた後ろめたさから、この場はロズがお開きにした。
「ほら、スクレも来いよ」
「う、うん……」
うなだれながら彼女はついてくるが、三人はリビングに残ったままだ。
若干の不安を残しながらも、ロズとスクレは推理を続けた。最大の手掛かりと思われるリヴとフミの部屋をもう一度調べてみるが、それらしいものは何も見つからない。
そして日が暮れてきたころ、一階から再び瑠璃の泣き声が聞こえ始めた。
「……泣き止まないな。アンナさんはトイレにでも行ってるのか?」
仕方なく二人は一階に戻るが、そこには瑠璃一人がソファーに寝ているだけで、アンナとダンの姿は見えなかった。
「まさか……」二人が呆然としていると、テレビに管理人が映し出された。その内容はおおよそ想像どおりのものだった。
「本日十六時十五分、アンナ様がダン様に告白し、この家を脱出されました。このカップルはワタシが設定したペアと一致するため、引き続きゲームを続行していただきます」
やはり、アンナは紙に書かれたとおりにダンに告白し、そして正解していた。短絡的ではあったが、彼女の精神状態では仕方がなかったのかもしれない。しかしこれで、リヴの書き置きの信ぴょう性が増したことになる。
ロズがふと視線をスクレに向けると、彼女は体を震わせた。
「な、なんですか、その目は? あたしよりも、あんな紙切れを信じるというんですか!?」
「……なあ、スクレ」
「ち、近寄らないでください!」
彼女の命令を無視して、その細い両肩に手を置く。
「お前が偽者だっていうことは、実は最初から知ってたんだ」
「……え?」スクレが唖然とする。
「いくら俺が馬鹿でも、自分の主人が偽者にすり替わっていたら警戒する。ここまでお前と付き合ってきたのも、何か情報を引き出せないかって魂胆があったからだ。結果的に有益な情報は何も得られなかったが、逆にそれがNPCっていう証拠なのかもな」
「…………」
スクレは何も言わない。悔しそうに口を結ぶだけだった。
「ただ、結局重要なのはそこじゃない」ロズはソファーに腰を下ろし、自分なりに瑠璃をあやし始めた。「重要なのはカップルの条件だ。きっと俺にとっての相手はこの子なんだろうが、この問題は解決しないといけない……そんな気がする」
瑠璃をあやしながら考えるが、何日もかけて考えていた答えがすぐに見つかるわけもない。
眉間にしわを寄せながら考える目の前で、瑠璃は延々と泣き続けていた。
「……それにしても泣き止まないな。アンナさんはどうやってたんだ?」
「……ちょっと貸して」
立ち尽くしていたスクレが手を差し伸べる。
彼女に瑠璃を渡すと、スクレは抱き方を変えてみたり、面白い顔を見せたり、おしめが汚れていないか脱がしてみたりしてみた。
「……もしかして、お腹が空いてるのかしら」
一旦ロズに返すと、スクレはダイニングに移動し、棚に仕舞われていた離乳食のストックを皿に開けた。
「ほら、ご飯でちゅよ~」
スプーンで口元に近づけてみると、瑠璃は途端に泣き止んで口を大きく開けた。
「どうやら正解みたいね」スプーンを近づけるたび、瑠璃はパクパクと勢いよくがっつき始めた。
「よくわかったな。偽者とはいえ、お前のベースはスクレなんだろ? ビブリアに赤ん坊なんて産まれないんだから、あやし方なんて知らないはずだ」
「実践するのは初めてですけど、知識はありますよ。異世界を巡る中で様々な珍しいものを見ますけど、中でも人間の赤ん坊は興味深いですからね。女性の白本は特にその傾向が強いですから」
「そうか。そういえば、お前も昔は別の装者とも異世界を回ってたんだよな――」
その時、頭の中を電流が走った。この数日間の出来事が一瞬でフラッシュバックし、必要な場面のみが一本のひもでつながったような感覚。
正確には、まだ残された謎はある。しかしゲームクリアの条件は満たした。
「俺、行くよ」
瑠璃を胸に抱き、玄関に足を向ける。スクレも静かにその後をついてきた。
玄関の扉の向こうには夜の闇がある。この先が現実世界につながっているはずだ。
「それにしても、こんな赤ん坊に愛の告白ってのも変な気分だな。えっと……『俺は瑠璃ちゃんのことが好きだ。付き合ってほしい』これでいいのか?」
彼の言葉が伝わったのか、ただ満腹で機嫌がいいのか、瑠璃はきゃっきゃと笑うだけだ。
「一つだけ訊いていいですか?」靴を履き替えるロズを見ながら、家に残るスクレが話しかける。「なぜ、あたしがNPCだと最初から気付いていたんですか?」
その言葉に、ロズは表情を変えずに答えた。
「そりゃわかるだろ。俺はあいつの従者なんだから」
扉を開き、一歩踏み出す。そこでロズの意識は闇に溶けた。




