一話【一日目:ゲーム開始】
「これから一体、どうなるんだろうな……」
ベッドの上で寝そべりながら、ロズは頭をがしがしと掻いた。
隣ではスクレが静かな寝息を立てている。自分が最後まで守ると誓った主人だが、今回ばかりは厳しいかもしれないと考えてしまう。なぜなら、自慢の腕っぷしが今回ばかりは役に立ちそうにないからだ。
「頭の中がぐちゃぐちゃだ……。整理すれば眠気も来るかな」
ロズは目を閉じ、その日の出来事を振り返ってみた。
ロズとスクレが降り立った異世界には、巨大なテーマパークがあった。笑顔の老若男女がごった返し、ロズに至っては「俺たちは、人間にとっての天国にでもやってきたのか?」と本気で勘違いをしたほどだった。
天を衝くほど巨大な観覧車、乗っている人間が吹き飛ぶのでは思えるほど激しい走りを見せるジェットコースター、食べたら体を壊しそうな蛍光色のお菓子を売る屋台の数々……ロズの興味は尽きなかったが、スクレが興味を示したのはそのどれでもなかった。
「ねえ、ロズさん。あれやってみません?」
そこは少し大きいだけの、普通の一軒家に見えた。門柱には大きく『VR脱出ゲーム~鈴木家からの脱出~』と書かれている。
「VR? 脱出ゲーム? なんだそりゃ?」
「あたしもよくわかりませんけど、ちょうど空いてるし入ってみましょう」
「……まあ、お前がそう言うなら」
彼女もテンションが上がっているのか、ロズの腕をぐいぐい引っ張る。
仕方なく入ってみると、玄関はホテルの受付のようになっており、天井からは軽やかな音楽が流れている。
受付の女性に、ここがどんなアトラクションなのか尋ねてみると丁寧に解説してくれた。
ここではプレイヤーたちがVR《仮想現実》の世界に集まり、協力して一軒家から脱出を試みるのだとか。ロズには何が面白いのか理解できなかったが、スクレは一層興味を引かれたようで、二人の参加を申し込んだ。
「それでは、こちらにどうぞ」
別の係員に案内されて奥に進むと、そこにはカプセルホテルのように小型の個室が壁一面にずらりと並んでいた。ほかのプレイヤーたちは頭部に機械を装着して横になっている。
「それでは、こちらのカプセルをご利用ください」
係員が二部屋分の窓を開けるので、スクレは下の段、ロズは上の段に入り、VRマシンの使い方を教わる。初めてのロズでも簡単なもので、ヘッドギアを装着して寝転び、スイッチを入れ、あとはメンバーが集まるのを待つだけだという。
「スクレ―。そっちは大丈夫そうかー?」
真下にいるルクレに呼びかけるが、ヘッドギアと壁に遮られて何も聞こえない。おそらくこちらの声も聞こえていない。一時的とはいえ彼女と離れ離れになったことに不安を覚えるが、すぐに耳元からアナウンスが流れ始めた。
「プレイヤーがそろいました。ただいまよりバーチャル空間へのログインを開始しますので、目を閉じて仰向けになってください」
もう始まってしまう。ロズが指示に従い目を閉じると、急激な眠気がやってくる。眠気に身を任せると、深い闇の中にゆっくり落ちていく感覚。
しばらくすると希薄になっていた体の感覚が解凍されるように戻ってきて、まぶたの向こうから光を感じ始める。
「ん……」
目を覚ますと、そこはダイニングだった。白を基調とした清潔感のある一室のほぼ中央にダイニングテーブルが一台置かれ、テーブルを囲むように七脚の椅子が並ぶ。ロズを含め、そのうちの六脚に人が座っている。まだ突っ伏して眠っている者もいれば、先に目覚めたらしい者もいる。
「やあ、君も起きたのか」
斜向かいに座る男が声をかけてくる。髪に白いものがちらほら見えるが、ラフなシャツによく日焼けした肌は遊び人らしさも感じる。
「ええ、たった今。初めてこのゲームを遊ぶんですが、さっそくゲームスタートですか?」
「いや……」男の顔が曇る。「俺は何度か遊んだことがあるが、こんなのは初めてだ。普通はプレイヤー一人一人に与えられた個室で目覚めるんだが……」
男と話していると、残るプレイヤーも全員目を覚ました。
まだ寝ぼけ眼のスクレ。
赤髪でオッドアイの少年。
若く美しい大人の女。
しわくちゃでかなり高齢の老婆。
この六人が脱出ゲームのプレイヤーということか。
「おい、あれを見ろ!」
男が指す先には壁掛けテレビがあり、真っ黒だった画面にうっすらと人影が浮かんだ。全員の視線が集まる中、テレビから声が発せられた。
「皆様、ごきげんよう。気分はいかがでしょうか。ワタシはこの脱出ゲームを司るプログラムです。皆様の中には、既にゲーム内の異変に気付いた方がいらっしゃると存じます。そしてお察しのとおり、今から始まるのはただのゲームではありません」
ただのゲームじゃない?
何を言ってるの?
動揺が広がるも、気にせず人影は話を続ける。
「本来このゲームはプレイヤーが助け合い、脱出を目指すというものですが、ワタシは脱出を許しません。皆様は、これからワタシの家族として、肉体が朽ちるまで共に過ごしていただきます」
「な、何言ってんのよ!?」女がテレビ画面に食って掛かるが、日焼けの男が止める。
「ちょっと待て! こいつの話はまだ終わってないらしい」彼の言う通り、人影はまだ話を続ける。
「ワタシはこの家を出ていく人間たちを見てきて『寂しい』と感じました。そのため、誠に勝手ではありますが、人間たちと共に長い時間を過ごしたくなったのです。
しかし、このままではフェアではありません。よって、皆様には別の脱出ゲームに挑戦していただき、成功した暁には解放をお約束いたします」
別の脱出ゲーム?
成功すれば解放……か。
プレイヤーたちは一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐに不安に覆われる。助かる可能性が出てきたとはいえ、話が本当ならば命がけのゲームになる。
「そこの男性」人影が日焼けの男を指差す。
「何だ?」
「ワタシの知識によると、人間というのは家族同士で恋人関係になることはないのですね?」
突然の質問に男は顔をしかめたが、「普通はそうだな」と答えた。
「つまり、そういうことです。ワタシとの家族関係を拒否するのであれば、皆様で先に恋人としての関係を築いてください。
実はこのメンバーは、ワタシの基準で“恋人となるのにふさわしい”メンバーを選んでいます。ワタシがあらかじめ決めたカップル三組が成立した時点で皆様の勝利、そして解放とします」
全員が顔を見合わせる。ほとんど初対面のプレイヤー同士で、どうやってカップルになればいいのか?
困惑する人間たちを意に介さず、人影は淡々とゲームの詳細の説明を進める。日焼けの男は慌ててサイドボードのメモ用紙とペンを持ってきてメモを始めたが、この動画は後で見直すことができると人影は一言添えた。
「――以上でルール説明は終わりです。それでは、七名協力してゲームに挑んでください」
最後にそう告げると、人影は消え、画面は真っ黒に戻った。ツルツルした画面に不安げな六人の姿が映る。
「……最初から気になっていましたが、やはりもう一人いるんですか?」スクレの質問に男が答える。
「みたいだな。いるとしたら自分の部屋の可能性がある。二階にはプレイヤー一人一人に与えられた部屋があるんだ。みんなで見に行ってみよう」
全員で二階に向かうと、廊下を挟むように扉が並んでいる。扉にはネームプレートが掛けられており、各自自室の場所を確認したが、『瑠璃』と書かれた部屋は誰のものでもなかった。
「ここに七人目がいるのか」率先してロズが扉を開けるが、誰も見当たらない。代わりに見つけたのは、他の部屋には無い小さなベッドだった。
「これは何だ?」
「何って、ベビーベッドに決まってるじゃない……え、まさか」
おそるおそる部屋の中をのぞいていた女が、ロズの横を抜けてベビーベッドに近づく。彼女が身を乗り出すと、その腕には一人の赤ん坊が抱かれていた。
こうして、七人のプレイヤーがそろった。
「上は百歳くらいのおばあちゃん。下は乳離れもしてなさそうな赤ん坊。このメンバーで、どうやってカップルが成立するんだ?」
考え込んでいるうちに、徐々に眠気がやってきた。
そしてロズには、もう一つ気がかりなことがあった。
「最近、ビブリアに帰ってこない白本と装者が増えているなんてな。師匠たちは人為的な犯行だと推測してたけど、だとしたら、誰がなぜそんなことを?」
師匠たち先輩の装者は、犯人を便宜上“シゾー《鋏》”と呼んでいた。半分紙でできている白本にとって刃物は脅威だからだ。
突如始まった命がけの脱出ゲーム。そしてシゾーの存在。
「……ま、俺の頭で考えても仕方ない。なるようになるさ」
明日、みんなで知恵を出し合えば解決策も見えてくるはずだ。
楽観的な結論を出し、ロズはようやく眠りにつくことができた。




