【老人を捨てる国】
「ねえ、あれ何かしら?」
ロズとスクレが海岸線を歩いていると、前を歩くスクレが前方を指差した。
「どれどれ?」ロズが同じ方向を見ると、港があった。港には一隻の船が停泊しており、その手前に多くの人々が集まっている。数百人はいるようだ。
「ここからじゃよく見えないな。他にやることもないし、行ってみるか」
「そうですね」
しばらく歩いて到着すると、その光景が少々異様なものだとわかった。
続々と船に乗り込んでいるのは、皆老人だった。顔に深い皺を刻んだ老爺、すっかり白髪だけになった老婆、職員と思われるスーツ姿の若者に車椅子を押される者。最も若い者でも六十代というところか。
遠くから船内の様子を伺うと、既に百人ほどシートに座っている、まだ港にいる老人を含めれば三百人は乗り込むということか。
「どうやら、人間の老人ばかりが船に乗っているみたいですね。どういうことでしょう?」
「どこか暇そうな人でもいればいいが、みんな別れを惜しんでいる感じだしな――おっ。あの人なんかどうだ?」
多くの人たちは目に涙を浮かべて抱き合ったり、嗚咽を漏らしたりしている。しかし少し離れたところに、ただ一人でその様子を眺めている男がいた。年齢は五十代ほど。どこか寂しげな目をしているが、他の人と比べれば落ち着いているため話はしやすそうだ。
「あの、すみません。彼らは何をしているんでしょうか?」
二人は歩み寄って尋ねる。男は一瞬虚を突かれたように目を開いたが、すぐに元の目つきに戻った。
「ああ、外国から来られたのかな? それならご存じないかもしれないな。あれは『姥捨て』だよ」
「ウバステ?」
「姥というのはおばあさんのことだが、ここでは老人全般と思ってもらえばいい」
「……ということは、老人を船にまとめて乗せて、どこかに捨てに行っている。そういうことですか」
「ああ。あそこにある『姥捨て島』だよ。見えるかい?」
男が指差す方向、水平線におぼろげに島が見える。距離があるのでわかりづらいが、なかなか大きそうな島だ。
「人間が人間を捨てに行くんですか。それって、結構残酷なことなんじゃないですか?」
スクレが尋ねると、まるで自分が人間じゃないみたいだねと男が笑い、質問に答えてくれる。
「もちろん、倫理的には家族を捨てるなんてとんでもない話だ。しかし、仕方がないことなんだ」男の声が詰まり始める。
「仕方がないって?」
「この国はね、少子高齢化が長く続いたんだ。寿命が延びるのは悪いことではないが、それに対して出生率が低いものだから、高齢者の生活を支えるのが難しくなる。このままでは老人も若者も共倒れになるのは時間の問題なんだ」
「それで、邪魔な老人を捨ててしまおうと?」
「はっきり言われると辛いが、その通りだ。昔はごく一部の地域で行われていたらしいが、今では国の政策の一環として行われている。年に一回、姥捨てを望む家族がこの港に集まり、あの島へ送り出す。だからこの港も通称『姥捨て港』なんて呼ばれる始末だ」
「でも、捨てられるほうも黙っていないのでは?」
「そこは人によりけりだね。家族に迷惑をかけたくないがために、自分から捨てられることを望む老人もいる。逆に、家族から何度も説得された場合もあれば、既に判断能力を失っている場合もある。
それまでの経緯は関係なく、あの島に送られれば出てくることなんてない。誰かが出てきたって話も聞いたことがないからね」
話しを続けているうちに、男の目に涙が溜まっているのが見えた。
「ひょっとして、あなたも親を?」尋ねると、男は首を縦に振った。
「三年前に、両親を船に乗せたよ。親父は認知症で、お袋は足を悪くしていた。私はそれでも最後まで面倒を見るつもりだったが、妻の負担が大きくてね。それを察していたのか、ある日テレビで姥捨ての是非を問う番組を観ていたら『私らは、子供を苦しめてまで長生きしたくないよ』なんてお袋に言われてしまったよ」
男の涙が頬を伝う。かけていた眼鏡を外し、袖で乱暴に目をこすった。
彼の呼吸が落ち着いたところで、ロズは気になっていたことを尋ねた。
「会いに行かないんですか?」
「それはできないんだ。行き来が許されているのは、政府公認のあの船だけだ。聞いた話によれば、姥捨て島にも職員が常駐して見張りをしているらしい。関係ない船が近づけばすぐにわかるはずだ」
「ふーん。そうですか」
ロズが気のない返事をすると、男が微笑みを向けてきた。
「――でも、もしも君たちがあの島に行く機会があって、私の両親に会うことがあれば、『ダイジュは元気にやっている』と伝えてほしい。二人とも目元に大きなホクロがあるから、見ればわかるはずだ」
そうは言っても、そんなことはあり得ないと高をくくっているのか、懇願している様子では全くない。
遠くでワアッと声が上がった。船が出港したのだ。残された人々を見れば、号泣して涙と鼻水を流す者もいれば、ようやく肩の荷が下りたと安堵している者もいる。三年前、ダイジュも彼らと同じように泣きはらしていたということか。
「それで、どうするんですか?」
遠くなる船の姿を見送りながらスクレが尋ねる。
ロズは浜辺に打ち捨てられていた小さいボートを見つめていた。
星空の下、漆黒の海を一艘の小さなボートが突き進んでいた。前方に座るスクレが方向を指示し、ロズはその指示に従ってひたすらオールを漕ぐ。装者の全力で漕ぐとオールが壊れてしまうので、ある程度力をセーブしているが、それでもモーターボートに迫るスピードを叩き出している。
「ロズさん、そろそろスピードを落としてください。ここからはなるべく音を立てずに行きましょう」
「よし、わかった」
オールを緩やかに繰り、島にいるであろう職員に見つからないように接近する。他人の存在にはロズ以上に敏感なスクレの感覚を頼りに、見張りの死角になりそうな場所を探す。
「――よし。ここからなら大丈夫そうです」
「なるほど。ここは盲点だろうな」
スクレが選んだのは、普通の人間では上陸できない断崖絶壁だった。ロズは手の平から装者の糸を出すと、手ごろな岩にボートを結び付け、スクレを背負って崖を上った。崖の上は木々が生い茂っていて、姿を隠しながら進むにはうってつけだった。
「――とはいえ、職員以外はみんな眠ってる時間帯だな。俺もちょっと疲れたし、とりあえずここで一晩過ごすか」
「そうしましょうか」
翌朝。張っていたテントを片付けて刺青に収納すると、二人は行動を再開した。
森を抜けると島の姿が一望できた。起伏の小さい島の中央から港にかけて町並みが広がっている。二階建て以上の建物が少ないのは、老人の体のことを考えてか。
港を見れば、職員の住居兼事務所と思われる四階建ての白い建物が見えるが、それ以外はのどかな港町といった様子だ。ざっと見渡せば、何人かの老人たちが道を歩いたり、ご近所同士でおしゃべりをしていたりするのが見える。
「あたりまえですけど、若者はいないみたいですね。あたしたちも姿を隠したほうがいいかも」
「それはいいが、これからどうする? 適当に街を見回って終わりにするか?」
「それでもいいですけど、せっかくですし、ダイジュさんのご両親を探してみませんか?」
「オーケー。俺も同じことを考えてた」
さっそくロズは刺青から望遠鏡を実体化させると、外出している老人たちの顔を確認した。しかし、ダイジュが言っていた「目元に大きなホクロがある二人」は見つからない。
「まあ、簡単には見つからないよな。家の中にいるかもしれないし、最悪、既に亡くなっているかもしれない。姥捨てというだけあって、まともな医療機関どころか店すら見当たらないしな」
「そのことについて話があるんですが」スクレが下を指差す。「この島に上陸した時から感じていたんですが、地下から気配を感じます。それも、かなり多い」
「……そりゃあ、確かめないわけにはいかないな」
スクレに誘導されながら町に降り、人に見つからないように地下への道を探す。
「ここから行けそう」スクレがマンホールを指差すので、外して中に潜り込む。
ここまで来ると、ロズも違和感を覚えるようになった。梯子を下って行っても異臭などはなく、代わりに人々の声が聞こえてくる。しかも明かりが灯っている。梯子は広い空間に直結していた。
「身を隠すことはできそうにないな。とりあえず俺が飛び降りるから、お前はそこで待っていてくれ」
「わかりました。あまり乱暴はしないでくださいね」
「老人相手にそんなことしないさ」
梯子から跳び、下方の明かりに飛び込むように着地する。
「おおっ!?」
「きゃあっ!?」
「な、なんだぁ!?」
その空間にいた老人たちが驚きの声を上げる。しかしロズも、その空間を見て驚きを隠せなかった。
一言で言えば、そこはディスコだった。薄暗い空間の中、ミラーボールが月のように煌めき、色とりどりの光線が空間を駆け巡っている。やかましいほどの音楽が鳴り響き、ロズの登場に気付かない老人たちは音楽に乗って踊り狂っている。その動きは若さを取り戻したかのようだ。
「どうなってんだ……? あっ!」
ディスコの奥、お立ち台の上で何人かの老人が気持ちよさそうに踊っているが、そのうちの二人の目元に大きなホクロがあった。
あれがダイジュさんの両親か。驚く人々をかき分け、お立ち台に上る。突然の乱入者に場は騒然としたが、ロズが大声でこれまでのいきさつを説明したことで混乱は収まった。
「しかし、はあ……。まさか、ここにあなた方のような若者がいらっしゃるなんて」
ロズとダイジュの両親、頃合いを見て合流したスクレはディスコから出て、隣の休憩室に移動した。畳敷きの純和風の空間にディスコの騒音が流れ込んでくるのは異様な状況だったが、そもそも地下にこのような空間があること自体大きな疑問だった。
二人の疑問を既に察していたのか、ダイジュの父親が説明をしてくれる。
「姥捨て政策が始まったのは儂が働き始めた頃だから、五十年ほど前か。当初はただただ、老人が死ぬだけの悲惨な島だったらしい。しかし、これは古株の島民から聞いた話だが、老人たちの抵抗が始まったわけさ」
「抵抗……とは?」疑問符が浮かぶ二人に笑いかける。
「年寄りの知識と経験をなめちゃいかんということだ。姥捨てされる中には、かつて政府機関の要職に就いていた者、とある研究施設の所長を務めていた者、莫大な資産を隠し持つ者……様々な者がいたらしい。
力を持った老人たちは一部の職員と裏取引をして、島に物資や労働者を運び込ませた。その結果、表向きは寂れた漁村のようでありながら、地下には本土にも劣らない生活水準の街を作り上げた。まだ小さいが、ゆくゆくは何万人という老人たちが暮らせるようにするつもりだ」
一通り説明を終えると、彼はグラスに注がれたワインを一気にあおった。やはりアンバランスな光景だ。
「ずっと気になっていましたが、あなたは認知症で、奥さんは足を悪くしていたとか。でも、今はとても健康そうに見える」
「それは、かつて医師だった先達が治療方法を見つけたからさ。本土でも根本的な治療法は見つかっていないはずだが、先に姥捨て島で見つけてしまったわけよ」
「……何というか、信じられない。年の功とはいえ、話ができすぎている」
困惑するロズから視線を外し、どこか遠くを見つめる。
「先ほど『抵抗』と言ったが、正確には『復讐』かもしれんな。ここに運ばれた多くは、家族のためにと納得して捨てられたようで、心の奥底では『なぜこんな場所で死ななければ……』と無念に思っている。その感情を糧に、儂らはここに、老人だけの楽園を築こうとしているんだ。
だから、この島の実態は決して外に漏らさんし、生み出した技術も本土に渡さん。知るのは一部の職員だが、彼らも自身の老後を考えれば、この島を潰すような真似はするまい。何十年か後に、自ら喜んで捨てられるだろうな」
「そして、知ってしまったあたしたちを逃がすこともしない」
ロズもスクレも、部屋の前に武装した老人たちが詰めかけていることに気付いていた。ロズの力なら突破するのはたやすいし、この場でビブリアに帰るという選択肢もあったが、その前にダイジュの両親が提案した。
「儂らを人質にして逃げなさい」
言われたとおりに二人を盾にして、ロズとスクレはボートを泊めている崖に逃げてきた。
「先ほど言った通り、この島のことを外に漏らさないでほしい。だが、一つだけ」ロズとスクレの手が、皺だらけの手に握られる。「あの子に……ダイジュに『元気でやっている』とだけ伝えてほしい。あの子の奥さんにも、迷惑をかけてすまなかったと」
彼らの想いに、二人は手を強く握り返して応えると、崖を下りてボートに乗り込む。
「この世界での滞在時間はあとどれくらいだ?」
「一日半ってところかしら」
「了解。ちょっと急がないとな」
遠くなっていく崖の上、捨てられてもなお我が子を愛する二人の老人が見守っている。




