【牛タンの国】
「ほらほら、お二人さん! じゃんじゃん食いな!」
新たに訪れた世界で、ロズとスクレは知り合って間もない女性に料理をご馳走になっていた。
ことの発端は、ロズが彼女を助けたことにあった。この世界に降り立ち、適当に街中を散策していたところ、女性が複数の男性に連れていかれそうになっていたのをロズが助けたのだ。
女性は宮子と名乗り、ぜひお礼をさせてほしいというので、ロズとスクレは相談した結果「このあたりの名物を食べたい」という結論に至った。異世界で何をするのかは人によるが、この世界のようにある程度文明が発達した街があれば、そこでしか手に入らない装飾品や料理を楽しむことが多い。主人のスクレいわく「この手の街はあまり珍しくないから、無難に料理にしましょう」ということだった。
「それにしても美味いっすね! これ、なんていう肉ですか!?」
「何って、普通の牛肉だけど。変な奴ねー」
「すみません。この人、とてつもない世間知らずですから」
基本的に、ビブリア出身の者は混乱を避けるために、異世界で「自分は異世界から来た」と明かすことはしない。二人は無難に“外国から来た旅行者”という設定にした。もっとも、外見のわりに人生経験が少ないロズは正真正銘の世間知らずだが。
スクレは牛肉は初めてではなかったが、あまり口にする機会は無く、味付けも悪くなかったため遠慮なく箸をつけていた。それを二人が微笑ましく見守っているのも気づいていそうにない。
「それにしても、この薄い肉を推しますよね。他の肉と見た目も食感もだいぶ違いますけど、どんな肉なんです?」
「ああ、牛タン? そりゃあ、この辺で“肉”といったら“牛タン”だからねー。あっ、牛タンってのは牛の舌のことね」
「へえ~、舌なんて食べるんですか!」
ロズは目の前でペラペラと牛タンを観察すると、塩だれに付けて口に運ぶ。よく噛み、飲み込んで「……舌って感じは無いなあ」と感想を述べると、宮子は大笑いした。
「舌感はともかく、みんな牛タンは大好きだよ。こんな風に薄く切って焼いてもいいし、分厚く切ってステーキ感覚で贅沢に食べるのもいいし。ほら、周りのテーブルも見てみなよ」
促されて見回すと、ほぼ例外なく、他のテーブルや焼き網の上には牛タンが乗っていた。牛タンとその他の肉との比率が1対1のように見えるほどだ。
宮子が追加で牛タンを三皿注文するが、それも問題なく平らげた。お腹がいっぱいになってきたところで、黙々と食べていたスクレが出し抜けに質問を投げかけた。
「牛タンって、舌なんですから、牛一頭からとれる量は少ないですよね」
「そりゃそうだね」
「みんな牛タンばかり食べてますけど、他の部位は余っちゃうんじゃないですか? そのあたりどうしてるんでしょう?」
「えっ?」
宮子は「他の県に送ってるのかな」「牛タンだけ仕入れてるのかな」と歯切れの悪い答えを繰り返していたが、最終的にこう結論付けた。
「よし、分かった! あたしが調べといてあげる!」
ロズたちの滞在期間はおおよそ四日間で、携帯電話などの連絡手段は持っていない。それを伝えると、宮子は「三日後の午前八時にこの場所で」と約束をした。
そして約束の日時、焼き肉店の前で二人が待っていると、目の前に真っ赤な軽自動車が停まった。言うまでもなく運転手は宮子で、指で「後ろに乗りな」と合図した。
「どこに行くんですか?」
「まあ、任せなさい。ちょっと時間かかるから、そこのお菓子でも食べててー」
後部座席に置かれたスナック菓子をサクサク食べながら、車窓の外を流れる景色を眺める。雑多な町並みからビジネス街。そこを抜けると高速道路に乗り、一時間ほど走って一般道路に降りて、さらに数十分。
「結構かかるんですね」お菓子にも景色にも飽きてきた二人が尋ねる。
「もうちょい待ってねー」それから五分後、宮子が斜め前方を指差した。「ほら、あそこよ!」
「へー」
「あんなものがあるんですね」
緑豊かでなだらかな山の上に、唐突に不釣り合いな純白の四角い建物が姿を見せた。建物に続く道の途中には「この先、リッチェルカ牧場」という看板が立っていた。
さらに進むと、敷地入り口の受付で手続きを済ませ、広々とした駐車場の片隅に駐車する。一角には、おそらくここで働いている人たちの車が固まって駐車してあり、別の一角には団体客を乗せてきたと思われる観光バスも停まっている。
「結構人が来てるんですね」三人は車から降り、建物の入り口に向かう。
「あたしもネットで調べて知ったんだけど、何十年も前からある研究施設で、今日みたいな休日になるとそこそこ観光客がやってくるみたい。入場料も無料だから、地元の人なんかは散歩がてらにやってくることもあるんだとか」
「ネット……はよくわかりませんけど、何を研究してるんですか?」
「それは見てのお楽しみ! もちろん、牛タンの疑問も解決するよ」
中に入り、案内板の順路に従って歩いていく。
まず目に入ったのは、広大な牧場だ。ガラスの向こうには一面の牧草が生えており、数十頭の牛たちが草を食んだり、居眠りしたり、ぼーっとしたり、自由気ままに過ごしている。どこからか牛の臭いも漂ってくる。
「ここから見えるのは普通の牧場ね。研究対象ではあるけれどちゃんと飼育しているみたいで、施設内の喫茶店では搾りたての牛乳を使ったソフトクリームが人気なんだって」パンフレットを片手に宮子が解説する。
「へえ~、それも食べてみたいですね」
施設の前半は、牛の姿を見つつその生態が学べるようになっている。小さな子供たちが書いた牛たちの絵も飾られており、研究施設らしくないのどかさがある。
しばらく歩くと順路が壁で挟まれ、牧場は見えなくなってしまった。壁には等間隔に大きなガラスがはめ込まれ、中の様子が見える。牛舎ということだ。
「さて、本題はここからね。詳しい説明を見る前に、中の様子を見るのがおすすめだよ」
促されてガラスの向こうを除くと、白い壁に囲まれた一室の中で二頭の牛が向かい合っていた。何やらせわしなく首を動かしている。
「うおっ!?」
「えぇっ!?」
二頭の牛は前足で紙を押さえ、くわえた筆で文字らしきものを書いていた。紙が墨でほぼ真っ黒になると、横に積まれた新しい紙を目の前に広げて、筆に墨を付けてまた何かを書き始めた。お互い何度もそれを繰り返している。
「スクレ、あれなんて書いてあるかわかるか?」
白本は異世界の文字も即座に理解できるが、さすがに今回は「わかるわけないじゃないですか」と返事が返ってくる。
「見てのとおり、あの牛たちは文字で意思疎通を図っているわけ。もちろん、舌はとっくに切断されて出荷されてるわ」
宮子がパンフレットを読みながら、なぜか偉ぶって解説する。
「牛は鳴き声で簡単なコミュニケーションが取れるけど、舌を切断されると鳴くこともできなくなるわけ。普通は屠殺して他の部位も出荷されるけど、興味本位でそのまま育てた人がいたみたいね」
「その牛が文字を書き始めたってことですか?」
「というより、あの手この手で意思疎通を試みたんだって。暴れたり、相手の体を叩いたり、うめき声を上げたり。そしてある日、その牛が餌の枯れ草を組み合わせているのを牧場主が見つけたとか」
「つまり、文字を作ろうとしていたわけですか」
「そういうこと。研究によると、文字を書く牛は知能が高くなるうえに、その子供にも遺伝するみたい。もっと研究が進めば、舌を切らなくても知能が高い牛が生まれて、人間みたいに言葉を話すようになるかもね」
じっと二頭の牛を観察していると、小さな子供たちの集団がやってきた。子供たちはガラスにへばりつくと「すげー! 本当に書いてる」「ぼくの犬より頭いいぞ!」「しゃべってみてー!」と思い思いに騒いでいる。
その中の一人が「早く人間みたいになってね!」と言うのを聞いて、ロズは「それはやめといたほうがいい」とつぶやいた。
「え? なんで?」耳ざとく聞きつけた宮子が眉をひそめる。
「それは……」ロズとスクレが顔を見合わせる。「きっと、人間に牙をむくからですよ。最悪、動物たちに国を乗っ取られそうになって、長い戦いが始まっちゃうかも」
「何よ、それ!」宮子は笑いながらロズの肩をばしばし叩く。「そんな真剣な顔して! まるで見てきたみたいじゃない!」




