十一話【去る者、知る者、追う者】
スクレとロズは狼人たちの群れに戻ってきた。群れと言っても、二人の手引きで忍び寄った人間たちに襲われ、二十人近くの遺体が土の上で転がっているだけだ。苦悶の表情を浮かべる者、憤怒の表情を残す者、何が起きたか理解できないまま死んだ者。彼らはもう動かない。
「向こうにもいるな」
本隊から少し離れた場所にも数体の遺体がある。おそらく人間に反撃を試みた者たちだろう。爪に付いた血は彼らの反撃の証だ。
スクレが狼人の遺品を見て回っている間に、ロズは一人で大きな穴を掘り、全ての遺体をそこに埋葬した。
「悪いな。本当は洞窟の二人も一緒に入れてやるべきだったが、人間たちの手前そこまでできなかった」
「ひょっとしたら、狼王はそれで良かったと思ってるかもしれませんよ。あの性格のボスが、誰かに負けた姿なんて見せたくないでしょうから」
「たとえそうでも、ちょっと離れたところに大きい墓を作ってやるとか、それぐらいはしてやりたかったな。奥さんと一緒に」
二人は手を合わせて黙とうを捧げた。
彼らがこれで浮かばれるとは思わない。むしろ、自分たちを裏切り、人間に手を貸した輩に安らかな眠りを祈ってもらうなど神経を逆なでする行為かもしれない。それでも、彼らの無念を無視してこの世界を発つということはできなかった。
「スクレ。本当にこれで良かったんだな?」
目を開け、横目でスクレを見る。
スクレは泣いていた。嗚咽を漏らすことなく、ただ静かに涙を流している。
もう一度声をかけようとして、やめた。このまま気付かないふりをしてあげたほうが彼女のプライドを守れるはずだ。
そう考えていたが、気付いているのかいないのか、スクレは自分から話しかけた。
「故郷を守るためなら、多少の犠牲は仕方ない。そう思いますか?」
「え?」突飛な質問に言葉が詰まる。「なんだ。やっぱり人間の手助けをしたことを後悔しているのか?」
「質問に答えてください」
ロズは悩んだ。
彼女が言う“犠牲”が狼人だけを指していないのは察していた。思い出すのは「自分は故郷を滅ぼす存在」という言葉だ。ここで「犠牲はやむなし」と答えれば、「ビブリア存続のためにはスクレを犠牲にしなければならない」という意味に捉えられるかもしれない。
だからロズはこう答えるしかなかった。
「故郷は大事だ。だが、犠牲は無いに越したことはない。理想論だが、みんなが幸せになるか、最低でも納得できる結果にはするべきじゃないかな」
「……本当に理想論ですね」
「別にいいだろ」ムッとして言い返す。「理想があるから、それに向かって頑張れるんだ。お前も引きこもってないで、もっと良い未来を探してみないか?」
「良い未来を?」
「もしくは、納得できる未来だ。今までは消極的な方法で“納得できる未来”を目指していたみたいだけど、今は俺がいる。他の誰かに相談しづらいなら、せめて俺だけには言ってくれ」
「あなたに……?」
スクレは口元に手を当てて何か考えるそぶりを見せると、おもむろにその場を後にした。
二人がたどり着いたのは、最初に降り立ったビルだった。太陽は高く昇っているが、背の高いビルがちょうどその姿を隠してしまっている。
「あの獣のような姿は、結局何だったんですか?」ビルを見上げながらスクレが尋ねた。
「――さっきも言ったけど、ヌエの第三の型“虎の爪”だ」彼女の横顔を見ながら答える。「師匠の言葉も借りると、ヌエに封じ込められた力を一時的に解放して、自分の体を強化する形態だ。ヌエを二本に割ることで変幻自在の攻撃と防御を繰り出せるのが強みだけど、お前も見ていた通り、力の解放に従って正気を失っていくのがデメリットだ」
「だから『切り札』とか『できれば使いたくない』って言ってたんですね」
「一応、特訓はしてたんだけどな。師匠は俺が暴走しても止めてくれるし、使いこなせば大きな武器になる。もっとも、使いこなせるようになる前にお前の従者になったわけだが」
「『己を知るための型』というのは?」
「自分で言っててなんだけど、俺にもよくわからないんだ。要は師匠の受け売りだよ。『この型と向き合うのは、自分と向き合うことだ』と言われたけど、さっぱり。それを知るのも、俺の旅の目的なんだ」
「そうなんですか。やりたいことが多くて羨ましいですね」
「…………なあ、スクレ。こっち向いてくれ」
彼女が顔を向けると、ロズは首にかけていたスクレの指輪を握っていた。
「俺は未熟者だ。あんな不完全な姿に頼らないとお前を守り切れないし、逆にお前を傷つけてしまうかもしれない。だから」
ぎゅっと握る力が強くなる。
「いざとなったら、俺はこいつをお前に返す。第三の型を使うとしても、完全に正気を失う前に絶対に返す。そして、俺を置いてビブリアに帰れ。これは俺の決意であって、お前が責任を感じる必要は全くない」
ロズにとって、今できる精いっぱいの決意表明だった。彼女と異世界に行くのは二回目。その二回とも彼女を危険にさらし、そして二回とも信頼関係を築けていない。心情としては、今すぐにでも指輪を返してしまいたいほどだった。
というより実際に「指輪を返せ」と言われるものと思っていたが、スクレの言葉は違った。
「……本当に、信じてもいいんですか?」
その言葉に思わず胸が詰まりそうになる。「もちろん。だけど、急にどうした?」
「……先ほどの戦いを見て、ようやくあなたという装者を知ることができたと思います。
あなたは、本当にまっすぐなんですね。あたしのためなら、自分を獣にすることすら厭わない。あたしが狼人を滅ぼすことに内心反対だったとしても、やり遂げてくれた。少々乱暴な所はあるけれど、あたしを守り、尊重するという決心を見せつけられてしまいました。その想いをこれ以上無下にするのは、一人の白本として失礼に当たりますよね」
スクレがもう一度ビルを見上げる。
「あ……」ビルの陰から姿を見せた太陽が、まっすぐ見上げるスクレの顔を照らした。いつも無表情か不機嫌面で、どこか陰気を漂わせる彼女の姿を、ロズは初めて明瞭に見えた気がした。
「“納得できる未来“ですか。それなら、あたしにも見つかるかもしれません。こんな不器用なあたしでも」
「それはちょっと違う」ロズが横に並ぶ。「『あたしたち』だ。不器用でも、二つ合わせればプラスになるさ」
「マイナスとマイナスで、もっとマイナスになるかもしれませんよ?」
「いやいや。マイナスとマイナスを掛け合わせて、でかいプラスになるかもしれないぞ?」
二人が顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれる。
この国の在り様と同じように、自分たちにはかけているもの、歪んでいるものがある。それでも、バッドエンドでも、ハッピーエンドでもない、トゥルーエンドを迎えることができるはずだ。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「ああ。そろそろ故郷の空気を吸いたい」
手をつなぐと、スクレの栞が激しく発火し、二人を白い炎が包む。
パチパチと体中が弾けるような感覚の中、繋いだ右手は温かかった。
「う……あ…………」
狼王の傍で倒れていた狼人が目を覚ました。致命傷を受け、もはや命は風前の灯だったが、最後の狼人としての意地が彼女を目覚めさせた。
「ああ、よかっ――。ちょうど目を覚ま――て助――よ」
誰かが目の前でしゃがみ、こちらを見下ろしていた。頭を思い切り打ち付けたせいか、姿も声もおぼろげにしか感じられない。
「これの持ち主――知らない? 今、どこ――る?」
目の前の人間が指で青い糸をつまんでいる。どこかで見たなと思えば、それはあの少女の髪に結び付けられていたものに似ている。
「あ……そ……あの……」しかし言葉を紡げず、伝えられない。そもそも、この人間からは不思議な臭いがする。信用できない。
人間はため息をつき「やっぱりだめか」とつぶやくと、手を差し出してきた。
「ヒッ……」
鈍い意識に鋭い痛みが差し込まれる。そして体が熱い。燃えている。悲鳴を上げることすらできず、最後の狼人は完全に燃え尽きた。
「この世界で探すのはもう無理だな。だけど、手掛かりは手に入れた」
つまんでいた糸を握りしめると、口元を歪める。
「次はお前たちだ」白い炎に包まれながら吐き出された言葉は冷たい。




