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黒髪に秘めたスクレ=ヴェリッタ  作者: 望月 幸
第二章【獣たちの国】
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九話【狼王の力】

挿絵(By みてみん)

 狼王ロウワンとスクレの姿はすぐに見えなくなってしまったが、二人の臭いはすでに覚えていたので、それを頼りに追跡することができた。


「――あそこに隠れたか」


 しばらく走っていると、前方に巨大な岩場が見えてきた。ひび割れた岸壁は手足をかければ上れなくもないが、臭いは上から感じられない。

 岸壁を観察しながら歩いていると、ちょうど人が入れそうなサイズの穴が開いている。間違いなくこの先だ。確信したロズは武器ヌエを構え、目を凝らしながら慎重に進む。

 先に進むにつれ、道は縦に広がっていく。上から幾筋もの光が差し込むため、照明が無くても歩くのに苦労しない。


「適度に狭いし暗い。きっと狼王が事前に見つけていた隠れ家だったんだろうな」


 この道幅では一度に何人も進入できない。襲撃した人間たちの人数がわからない狼王は、敵に囲まれないようにとこの場所を選んだのだろう。ここなら一対多の戦いにもつれ込むのを防げるし、いざとなったら洞窟の天井を崩して進入を拒むこともできる。


「それにしても、ただ逃げるではなくこんなところに隠れて、一体何をするつもりなんだ?」


 疑問に思いながら進んでいると、急に開けた場所に出た。

 四十から五十人は余裕で入れそうな空間の中央に狼王が、端の方に狼王の側近とスクレがいた。スクレは手足を縛られ、すがるような目でロズを見ている。

 傍から見れば、狼人を滅ぼそうとした報いだと捉えられるかもしれない。しかし彼女の従者として守ると誓いを立てたロズからすれば、一瞬で頭を沸騰させるのには十分な光景だった。


「スクレを解放しろ!」


 思わず叫ぶが、当然その願いは却下される。


「そういうわけにはいかん。狼人の再起、そして隆盛のためには、この娘に犠牲になってもらわねばならん」

「どういうことだ? ただ仕返しをしたいだけじゃないのか?」

「そんなもったいないことをするわけがないだろう。人間は敵ではあるが、同時に我々に力を与える恵みでもある」


 人間が恵み。その言葉を聞いて、ふと一昨日の光景が思いだされた。


「食べるのか? 人間も」


 尋ねると、狼王はさも当然というようにうなずいた。


「人間たちから聞いたんだろう? 俺は元々ただの狼だったが、人間の労働力の代わりにと体をいじくりまわされ、この体になった。連中は“狼王ロウワン”などという大層な名前を付けたが、俺にとっては“人間の所有物”という首輪を着けられた気分だった。

 だから、他の実験動物らと結託して逃げ出し、ようやく自由を手に入れた。その代わりに、今度は野生動物としての生存競争と、人間たちとの長い戦いに突入したわけだがね。自分のため、一族のため、俺は負けるわけにはいかなかった」


 狼王が隅の暗がりを指差す。数人分の骸骨が転がっていた。


「だから、俺は人間を食うことにした。復讐の面もあるが、人間の力を少しでも手に入れたいというのが最大の目的だった。時には仲間たちにも食べさせた。すると不思議なもので、だんだん人間らしい知恵がつくようになってな。この時ばかりは、こんな特異な体に変えた人間に少しだけ感謝したものだ」

「だから、スクレも食べようというのか?」

「そうだ。初めて見た時からわかっていたが、お前たちは普通の人間とは違う。食べればきっと、俺は新たな力を手に入れられる。この国の新たな王として君臨するのも夢物語ではなくなるだろう。

 もちろんロズ、お前の肉も残さず食わせてもらう。ここがお前の墓場であり、屠殺場となるのだ!」


 ロズは自分の認識が若干甘かったことを後悔した。狼王は身を守るためではなく、戦うためにこの場所を選んだのだ。

 狼王が、ずっと身に纏っていた似合わないワイシャツを脱ぎ捨てる。きっと、あれが彼の理性を象徴する衣服だったのだろう。脱いだ瞬間に筋肉が隆起し、目に映りそうなほどの殺気を放ち始める。

 ロズは周囲の状況を確認した。天井は低く、空間の端から端までの距離は最長でも二十メートル程度。ヌエを弓に変形させる第二の型“蛇の道”は、この狭さでは隙が大きすぎる。そうなると、選択肢は棒術で戦う第一の型“猿の顎”か、もしくは――。


「行くぞ! 我が血肉になれ!」


 狼王の叫びで意識を戻す。

 狼王の初手は、右腕を大きく振りかぶっての突進。狼人のボスとしては平凡な攻撃だなと感じるも、目の前の巨体から繰り出されるパワーは身をもって味わったばかりだ。ヌエを構えながら距離を取る。


「つっ!?」


 顔面に何かが当たる。小石だ。振り上げた腕に気を取られている隙に、狼王は足元の小石を蹴り上げていた。

 まずい! 咄嗟にヌエを掲げて本命の振り下ろしを防ぐが、森で受けた攻撃とは重みが違う。意表を突かれたロズは攻撃を受けきれず、肩から腰に掛けて深い爪痕が刻まれる。


「あっぐ!」


 熱い痛みに体が痺れる。

 苦しむ間もなく狼王の猛攻が続く。ほんの少し手を伸ばせば触れ合う距離で、刃物のような鋭さを持つ爪が左右から襲い掛かる。森でぶつかった時とはまるで違う。本当の力を隠していた。

 師匠マグテスとの修行で懐に入られた場合の対処法も身に着けたが、それらが全く通用しないほどに速く、強い。

「フンッ!」ヌエをつかまれ防御が遅れる。相手は片手、こちらは両手だというのに力が拮抗している。

 ほんの一秒程度の隙に顔面を三発殴られる。それでもヌエを離さないでいると、次は腹に膝蹴りを入れられる。血反吐を吐いてでも唯一の武器を手放すわけにはいかなかった――が、このままでは体のいいサンドバッグだ。

 仮に武器を取り戻せたとしても、相手は自分より体が強く、おまけに知恵もある。自分より強い敵に出会ったことが無いロズの胸に焦りが広がる。


「彼を放せ、ケダモノ!!」


 意識が朦朧とし始めたロズの耳に誰かの声が届いた。次に銃の発砲音が鳴り響き、狼王は大きく飛び退く。

「大丈夫か!?」声の主の姿をよく見れば、リュウだった。おそらく向こう側が片付いたので、援護に来てくれたのだろう。

 狼王は予想以上に手強いが、銃火器を装備した劉と連携すれば倒せないことは無い。ヌエを構え直し、勝機を見逃さないようにと狼王を睨む。


 パァン! パァン!


 発砲音。先に劉が攻撃を仕掛けたのかと思ったが、それは間違いだった。銃声が違う。

 銃を撃ったのは狼王だった。ズボンの後ろにでも隠していたのか、小型の拳銃を抜いていた。決して良好ではない視界にもかかわらず、正確かつスピーディーに二人を撃ち抜いた。たまらずロズと劉は血を流しながらその場にくずおれる。


「人間から奪ったのは知恵だけではない。武器もだ。もっとも、お前たちのような死にかけには銃弾がもったいないので、これ以上は使ってやらんがな」


 遠くから勝ち誇る声が聞こえるが、おぼろげな視界で姿がよく見えない。横を見れば劉が同じように倒れており、その顔からは血の気が引き始めている。彼は腹を撃たれたようだが、このまま手当てしなければ命が危ない。


「まだ死なぬか。フフ……頑丈な体をしておるわ。これは食うのに苦労しそうだ」


 嘲笑混じりの声が降ってくる。

「う……あぁ…………」その声に向かって這いずるが、腕に力が入らない。


「大人しくそのまま眠っていたほうがいいぞ。俺はお前たちを恨んではいるが、見下すことも油断もしない。わずかな力を振り絞ったところで、お前が勝つということはもうありえない」


 それでも這いずり続けるロズに、狼王はため息をつく。


「仮に俺を倒せたとしてもだ。俺の側近であり最初の妻が、食料スクレの身柄を確保している。彼女には戦う術を叩きこんであり、その実力は群れの中でも俺に次ぐ。お前がその棒切れを振り回したところで、俺たちの大事な食い物を奪い返すことなどできないぞ」


 その言葉を聞いて、ロズの腕が止まる。


「……そうか。その狼人まで強いのか」

「そういうわけだ。そのまま大人しくしていれば、俺が楽にしてやる。諦め――」


 ロズが諦めたと思った狼王が歩み寄ろうとして、動きを止めた。ロズがヌエを杖にして起き上がったからだ。


「俺は、ずっと迷ってたんだ。これをやると正気を保つのが難しいから」

「何?」

「そこの狼人。スクレが大事な餌になるなら、きちんと守ってくれ」

「何だと訊いているんだ!」

「なあ、スクレ」狼王の怒号を無視して話しかける。「お前が見たがっていたもの、見せてやるよ」


 主人スクレのためにも、師匠マグテスのためにも、こんなところで負けるわけにはいかない。

 覚悟を決め、ヌエを握る両手に力をこめる。


「ヌエ第三の型“虎の爪”」

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