八話【捲土重来】
その日の深夜、ロズとスクレはビルの屋上にいた。狼人たち同様、人間たちのグループも交代で夜間の見張りを立てており、その役目を任されたのだ。
「おい、あんたら」
後ろから声を掛けられる。低く威圧感のある声の主の名は劉という。人間たちとの接触を図った際、真っ先に銃口を突き付けてきた男だ。つまり、ロズとスクレは獣人の接近を見張ると同時に、劉に見張られている立場というわけだ。
「なんですか?」
「昼間に言っていたこと、あの言葉を信じていいのか?」
ここで「信じてほしい」と言っても「あんなのは嘘だ」と言っても何も変わらないのは彼も承知のはずだが、スクレは素直に答えた。
「はい。あたしも、ロズも、あなたたち人間の味方をさせていただきます」
やっぱりそう答えるよな。心の中でつぶやきながら、昼間の出来事を思い出さずにはいられなかった。
楊の話を聞いた後で、ロズとスクレは選択を迫られた。すなわち、人間の味方をするか、獣人の味方をするか、どちらの味方にもならずビブリアに帰るか、その三択だ。
考えるまでもなく三つ目の選択肢だ。ロズはそう思っていた。
ロズ自身は、できるなら獣人――というより狼人たちの味方をしたいと考えていた。この世界を誰が支配しても構わないが、狼人たちには寝床と食事を提供してくれた礼があるというのが理由だ。
それでも、優先すべきは主人の意志だ。とはいえ、半ば引きこもり状態にあったスクレが人間の味方をするなんて危険を冒すはずがない。かといって獣人の味方の素振りを見せれば目の前の人間たちを敵に回す。つまり、さっさと栞を燃やしてこの場を離れるのが彼女にとってのベスト。
「お話を聞いて心を決めました。やはりあたしは、あなたたちの力になりたい」
……ん? 予想外の答えにロズは彼女の横顔を二度見した。
「理由を聞かせてもらってもいいか?」楊の言葉だったが、ロズも同意見だった。
「そうですね。一言で言えば……あなたたちの郷土愛に共感したからです」
「ふむ?」
「あたしにも故郷があります。これまでに素晴らしい国、荒んだ国、様々な国を巡ってきましたが、いつも心にあるのは自分の故郷でした。
あたしは純粋な人間ではないので、あなたたち人間の心を完全に理解することはできません。でも、この気持ちはきっと同じ。その一点で、あなたたちの味方になりたいのです」
「……俺たち人間が、この惨状の元凶だとしても?」
「だとしてもです」
「……そうか。君はどうだ」ロズに話が振られる。
「俺は彼女に従うだけなので」
「なるほどな」楊は立ち上がり、その場を後にしようとする。「俺は少し休む。一人一人の紹介、それと俺たちの詳しい現状については済ませておいてくれ。全部終わったら、君たちの情報を基に今後の作戦を練りたい」
スクレの誠意が伝わったのか、二人は仲間に迎え入れられた。もちろん完全に信用されたわけではなかったが、狼人たちの人数、群れの場所、豚人たちに襲撃されたばかりだということを伝えると、次第に場の雰囲気が変わっていった。
楊が戻り、会議と夕食が済んだ頃には、すっかり二人は人間たちと打ち解けていた。唯一例外だったのは、疑り深い劉くらいなものだった。
「疑いたくもなるだろう? 明日の俺たちの作戦は、お前たちの情報を基に立てられたんだ。お前たちが奴らのスパイだったら、俺たち全員明日の昼にはお陀仏だ」
「そんなことには絶対させません」スクレが毅然とした態度で反論する。
「お前も、今日の朝まで世話になっていた人たちに、よく戦いを挑めるな。恩とかないのか?」
「ないわけじゃありません。ただ、結局彼らは侵略者で、あたしは人間が国を取り戻す手助けをしたい。それだけです――何か異論でも?」
「――いや。ぶっちゃけ俺はどこの味方でも構わない。ビブリアじゃお前を振り回してるんだから、せめてこっちじゃお前の意志を尊重するさ」
「そう。それでいいんです」
やはり、スクレは「故郷」「祖国」といった言葉に弱い。ロズは確信し始めていた。
以前、スクレが守護霊の中に引きこもった際も、自分が故郷を滅ぼす存在なのだと自分を責めていた。それが関係しているのは間違いない。
ただ、ビブリア出身の者ならほぼ例外なく愛国心を持っている。それと比較すると、スクレの“それ”は少し極端というか、異質なものを感じる。
彼女のことがわかってきたようで、まだわからないことが多い。この暗闇の景色のように、彼女の心の闇は広く、深いのかもしれない。
この世界に来て四日目。異世界の滞在最終日、そして人間たちが狼人に戦いを挑む日の朝だ。
「全員、準備は良いな?」
「はい!」
楊が最後に、装備と覚悟を確認する。
人間たちは全身泥だらけになっていた。装備を整えた後、全員で体を水で洗い、泥を全身に塗りたくったのだ。豚人たちが果実の汁で自分の臭いをごまかしたのをヒントに、スクレが人間の臭いを消すために考えた作戦だ。森の中なら迷彩効果も期待できる。
作戦はこうだ。
移動する狼人の群れにロズとスクレが合流しようとする。しかし無理やり彼らの集落を抜け、見張りを一人昏倒させているので、間違いなく敵対することになる。
しかし、二人の役目は彼らの注意を引き付ける囮だ。その背後で人間たちが射線を確保し、無数の銃弾を浴びせる。
人間たちの主な武器は銃だ。広い場所で戦えば圧倒的に有利。しかし獣人たちの移動は森の中が中心で、射線が確保できない。もたもたしていれば、複雑な地形での機動力に優れる獣人になすすべなくやられてしまう。人間が攻めあぐねていた理由だ。
「さあ、行こうか。まずは狼人を滅ぼす」
決意を胸に、異世界の二人と泥だらけの人間たちが森に歩を進める。
昨日スクレが情報収集していたおかげで、狼人の群れが今現在どの位置にいるのか、大まかな位置は特定できていた。そのため、群れの先頭に先回りすることも容易だった。
「まさか、このような形で戻ってくるとはな」
先頭を歩くのは狼人のボス“狼王”だ。昨日の楊の話からして、王の名を冠する彼が名実ともに狼人の頂点と言うことになる。
「すみませんね。個人的には気が進まないんですが、うちのお嬢様がわがままを言いまして……」
「それで、目的は何だ? 忘れ物でも取りに来たのか? それとも、俺たちの食料になりに来たのか?」
狼王の横に控える二人が構える。もはや敵対心を隠そうともしないので、ロズも堂々と悪人面をしてみせる。普段は気にしている目つきの悪さが皮肉にも活きる場面だ。
「あなたたちの境遇には多少の同情も覚えますよ。ただ、だからといって人間の国を奪おうというのは間違いでしたね。人間だっていざというときは獣のごとく戦いますし、何より、俺たちまで敵に回してしまった。獣は獣らしく、静かに大自然の中で生きるべきでしたね。
なあ、狼王!」
狼王の目が吊り上がる。“狼王”という自分の名を呼ばれるのを嫌うという情報は本当だったようだ。
「貴様、その名を口に――」今まさに飛び掛かろうとする瞬間、彼は踏みとどまった。「なぜ、この国の事情を知っている? あの時代のことなど、俺以外は誰も知らぬはず――」
その直後、銃声が森の中に響き渡った。
タタタタタンという小気味のいい音が弾けると同時に、狼人たちは体を小刻みに震わせながら血を噴き出した。それぞれ配置についた人間たちが発砲を開始したのだ。
「貴様、やはり人間たちと!」
狼王と側近の計三人が襲い掛かる。すでに武器の実体化は済ませており、突き出される鋭い爪を受け止める。
「くっ!」三人がかりというのもあるが、攻撃が重い。巨大な岩を正面から受け止めたように錯覚する。とくに狼王の力は強く、少しでも気を緩めれば一瞬でガードを弾かれそうだ。
「やはりただの人間ではなかったな! しかし、我らを倒すことはできんぞ!」
巻き込まれないようにスクレを離し、三人の怒涛の攻撃をしのぎ続ける。彼らの実力はロズの予想以上で、狼王の言葉のとおり自力で倒すのはほぼ不可能だとわかった。
タタンタン
新たな発砲音。側近の一人が肩から血を噴き出した。
ロズは狼人の力を過小評価していなかった。そのため、人間たちとの作戦会議において「可能なら俺が狼王を倒しますが、それができないと判断した場合、あなたたちの援護が車で時間を稼ぐ戦い方をします」と話していた。
つまり、ロズの援護に手が回ったということは、狼人の群れは目の前の三人を残してほぼ壊滅したということだった。狼王も察したのか、表情から狼狽が見て取れる。
「動かないほうがいいですよ。俺の武器だと、どうしたって苦しみますから。その点、人間の銃ならあなただって即死できるはずです」
いまだに乗り気ではないロズは、せめて苦しまないようにと諦めるように諭した。
しかし、それが災いした。
「誰が人間なんぞに!!」
傷を負った狼人を先頭に三人が突っ込む。
「わからずやが……!」先頭の狼人の胸をヌエで突く。絶命しないでも、呼吸が止まって卒倒する一撃を与えた。
「オォッ……オオォォォォーーーーッッ!!」
「止まらない!?」血の混じった唾を吐き出しながら突進をやめない。しかし狼人は、ロズに攻撃するのではなく抱き着いた。
「ボスッ! 狼人の未来をッ! 頼みますッ!!」
「任せておけ!」部下の声に応える狼王は勢いを緩めない。身構えるロズだったが、狼王は彼の頭上を飛び越えていった。
「――しまった!」狼王の思惑に気付いた時には、既にスクレの体が抱きかかえられていた。
「キャアッ! 放しなさい!」
「そうはいかん! お前には役に立ってもらう!」
人質にでもするのか? 恨みを晴らすために八つ裂きにでもするのか?
「くそっ、放せ!」しがみつく狼人を引きはがそうとする間に、スクレたちの姿は森の奥に消えていく。
「彼を放せ!」
駆け付けた人間の一人が後ろから銃で殴りつけ、ようやくロズの体が解放される。よく見ればそれは楊だった。ここに来るまでに狼人と組み合ったのか、剥がれた泥の隙間から生傷が見えている。
「――ゆっくり話している時間もなさそうだな。お前は早く彼女の所へ行け!」
「わかりました。また後で」
人間たちの被害はどの程度か。シェンをはじめとした狼人たちはどのような最期を遂げたのか。この計画に加担した以上気にならないはずが無い。
しかし今は一刻を争う。主人の身に何かあれば装者失格だから。
「……いや、二度も攫われた時点で失格かもな」
自分の不甲斐なさに歯をかみしめながら、ロズも獣のように森を駆け抜けた。




