七話【接触】
街に出たがっていたスクレ。それをやめるように諭したシェン。
その結果どうなったか?
「まさか本当に行くとはな」
ロズとスクレは最初に降り立ったビルの前に立っていた。ここを訪れるのは三度目だからか、自分の家に帰ってきたような安心感がかすかに湧き上がる。
「どうせ、昨日のあたしの手紙を読んでいたんでしょう? だったら、行かないのは失礼じゃないですか」
「それはそうだが、もう引き返せないぞ。本当、俺も含めて、一体何考えてんだか……」
そう吐き捨てると、ロズは振り返った。一人の狼人が気絶している。
「たぶん、狼王が送り込んだ見張りだろうな。お前の指示で気絶してもらったが、もう狼人の集落に戻ることはできなくなったんじゃないか?」
「その時はビブリアに帰るだけです。あたしは別に、狼人が好きなわけではありませんし、自分の疑問を解決しておきたいだけですから」
「まあ、お前がそれで満足なら、従者として従うだけなんだが」
「さあ、そろそろ入りましょう。待たせてるかもしれません」
寒々としたビルのエントランスを通り、非常階段を上る。今日向かうのも三十三階……ではなく、五階。そこが約束の場所だからだ。
到着すると、「いる」とスクレがつぶやく。ロズ自身も何者かがいる気配を感じていた。
通路に並んだドアを一つ一つ開けて中を確認し、四つ目のドアを開いた時だった。
「動くな」
ドアの陰から突き出した銃口がロズの胸に向けられる。反射的にその銃を弾こうとするが、ここには戦いに来たわけではないと思い出し、すぐに動きを止める。
大人しくしていると、部屋の隅から一人の男が現れる。狼人や豚人とは違い、見た限り普通の人間だった。見た目の年齢は四十歳ほどでたくましい体つきだが、ひげは伸び放題、肌はくすみ、顔には疲れが見て取れる。
何より、彼の目つきは獣たちに引けを取らないほど鋭い。
「この手紙は、お前たちが置いたものだな?」
右手には銃を構え、左手には一枚の紙が握られている。
――明日、日が昇りきる前に、このビルの五階でお会いしたいです。あたしたちは、あなた方の味方です。――
それはまさしく、昨日ロズが置いてきた紙の文面だ。ロズとスクレはうなずくが、男は警戒を解かない。
「見たところ獣人とは違うようだが、お前たちが我々の味方と言う確証はない。何の目的で接触を図った?」
「その質問にはあたしがお答えします」
そう言ってスクレが部屋の中に踏み入る。男の銃口が彼女に向けられると、ビクッと体を震わせたが、堂々とした口調で話し始めた。
「まず、あなたたちの味方という点については、一昨日のことを思い出してみてください。あたしたちが駆け付けるのがもう少し遅ければ、あなたたちは狼人たちに見つかり、戦いになっていたでしょう。それを無傷で切り抜けられたのは、あたしたちが狼人を痛い目に遭わせて、さらに取り入ったおかげじゃありませんか?」
ここでようやくロズは合点がいった。
あの時スクレは何者かの気配を感じていた。あれは狼人たちのことだと思っていたが、本当はどこかに隠れていた人間たちのことだったのか。
ひょっとしたら、狼人たちも人間の気配を感じていたのかもしれないが、結果的にロズとスクレの気配だと勘違いしていたのかもしれない。そうだとしたら、たしかに人間たちの危機を救ったともいえる。
「次に目的ですが、ただあなたたちのことを知りたかっただけです。もちろん、狼人たちに話すことはしません。むしろ、あの群れに戻ること自体危険な状況になっているんですが」
説明を終えたスクレを、男がじっと睨み続ける。その目はあの狼王の眼差しに似ている。
「――楊だ」
依然として銃は握られているが、とりあえず銃口は降ろしてくれた。二人も自分の名を名乗る。
「スクレにロズか。この辺では聞かない名前だが、まあいい。お前たちを完全に信用したわけじゃないが、話が聞きたいというのなら聞かせてやろう」
「それでしたら、向こうにいる人たちも呼ぶか、下げてもらってもいいですか?」
部屋の中には二人の人間がいるが、通路の端からも銃で狙われていることはロズも察していた。落ち着いて話ができる状況ではない。
楊が口元を歪める。
「どうやら只者じゃないらしい。ここは狭いから、場所を変えよう」
ロズとスクレ、そして楊を含めた十人の人間が三十三階に移動した。エレベーターの内部には彼らが設置した携帯可能な昇降機があり、足場に乗ってスイッチを押せば自動的に上へ巻き上げてくれる。
「ここだ。妙な真似はするなよ」
このフロアの端にある大会議室の鍵を開け、全員が中に入る。
部屋の中には、荷物が満載された人数分のリュックサック。机の上には手入れされた銃が何丁も並び、出番が来るのを待っているようでもあった。
端の方には使えるかどうかもわからないコンピュータが積んであり、いくつかはバラバラに分解されている。
「ここは俺たちの拠点だ。もっとも、頻繁に移動しているから一時的なものだが」訊かれる前に楊が答えた。「もしもあの日、お前たちか狼人たちがこの部屋に入ろうとしたら、罠が作動して蜂の巣にしていたところだ。今となっては、罠にかかるほど間抜けな相手じゃないとわかっちまったがな」
そう自嘲気味に言って、奥の椅子に座る。楊と向き合うように座ると、その周囲を人間たちに囲まれる。人間たちの中には若い女もいれば、六十を過ぎていそうな老人もいる。共通するのは、薄汚れた肌とギラつく瞳だ。
「あたしたちは別の世界から来ました」
開口一番、スクレは予想外のことを口走った。
「お、おい! それはなるべく口外しないのがビブリアのルールだろ!?」
「なるべくであって、絶対ではありませんよ。だって、あたしたちも腹を割らないと、この人たちも腹を割って話をしてくれそうにないじゃないですか」
「それはそうだけどなあ……」
人間たちの顔を見ると、案の定呆気にとられていた。
楊も同じ表情かと思いきや、笑いをこらえていた。
「いや、失礼。その慌て方からして、たぶん本当なんだろうな。こんな滅茶苦茶な世界だが、こんなに驚かされる出来事がまだあったなんてな……ククク」
スクレの作戦通りか、ロズの反応のおかげか、とりあえず楊との距離感が縮まったようだ。
「そういうわけで、あたしたちはこの国のこと、この世界のことをよく知りません。色々教えてほしいんですが」
「そうだな……どこから話すべきか。とりあえず、獣人と人間の関係あたりでいいかな?」
「はい。それでお願いします」
「わかった。そもそも獣人というのはだな」楊が窓の外の遠くへ視線を向ける。「俺の祖父たちが生み出した怪物なんだ」
数十年前から、この国では深刻な人口減少と、それに伴う少子高齢化が進んでいた。労働力の衰退は他国との競争力も低下させ、将来有望な若者たちは海外に逃げ出し、加速度的に国は崩壊に進んでいった。
「人間が減るのなら、人間に代わる労働力を生み出すのはどうだ?」
そう提唱したのが楊の祖父だった。
世界ではロボット工学が進み、人間の良きパートナーとして無数のロボットやアンドロイドが活躍していた。しかしこの国では、ロボットの開発技術については出遅れていた。
その代わりとして、独自の生物工学については世界に認められていた。加えて独特な倫理観があり、それが「動物人間を作ろう」という試みを引き起こしてしまった。
動物たちに高度な知能を与える。道具を扱えるよう、体の構造を人間に近づける。人間の子供たちにするように教育も施す。
それらの試みは短期間で目覚ましい結果を見せ、ようやく実用段階に至った獣人たちには“王”の名を与えられた。
最大の誤算は、人間たちの想像以上に実験が成功していたことと、獣人たちには人間たちに服従する気が全く無かったことだった。
“王”の名を持つ獣人たちは結託して研究所を脱走し、野に散っていった。王たちは旺盛な繁殖力で次々と同類の獣人たちを増やし、もはや獣人が何体存在するのかも把握できなくなった。
完全にコントロールを失った獣人たちは、少しずつ人間の生活圏を侵し始め、やがて街一つが獣人の手に落ちる事態に陥った。
もともと衰退していた国は、もはや首都圏を守ることしかできず、獣人たちもそれを悟って無理に攻め込むことはしなかった。
次に始まったのは、獣人同士での争いだった。王たちは同じ種族たちの王でいることに満足できず、人間も、その他の獣人たちも支配下に置こうと行動を開始した。
そして彼らが目を付けたのが、人間の技術と知識だった。獣人たちは決して人間を侮ったりせず、自分たちのさらなる進化のためには人間の文明の存在は不可欠だと知っていた。
だから、獣人たちは見捨てられた街に集まり、今の自分たちの知能に見合った物資を集めていく。その際、他の獣人や人間と遭遇すれば、戦うなり捕まえるなりする。
獣人は増減を繰り返しながらも一定の勢力を保ち、小競り合いを繰り返しながら今でも少しずつ進化している。
「俺の祖父は、最初の獣人の脱走で殺された。それがなかったとしても、責任を取って死刑同然の罰を受けていただろうな」そう言って、仲間から投げ渡されたペットボトルに口を付ける。
「――じゃあ、楊さんはお祖父様の仇を取るために、仲間と共に戦っているというわけですか? こんな見捨てられた街で」
一言も口を挟まずに聞いていたスクレが、ようやく口を開く。
「ああ、その通りだ」という答えをロズは、おそらくスクレも期待していたが、楊はすぐに首を横に振った。
「恨みが無いわけじゃない。だが、それだけじゃない。そもそも、俺の個人的な敵討ちにみんなが付いてくるはずがないだろう」
「それでは、皆さんは何のために獣人たちと戦っているのですか?」
尋ねると、楊は仲間たちの顔を見回した。まるで彼が、仲間たちの総意をかき集めているようでもあった。
「一言で言えば、俺たちは自分の国を、せめて故郷の街だけでも取り戻したいんだ。
獣人を生み出したのは、俺たち人間の勝手だ。それはわかっているし、この現状がその報いなのかもしれない。しかし、たとえ神様にわがままだと嘲笑されても、俺たちは戦い続ける。それだけだ」
そう言う彼の目に迷いは見えなかった。人間の罪を受け入れ、それでも貪欲かつ謙虚に理想を求めている。その姿に「これが人間というものか」と、彼が人類代表という存在に感じられた。
スクレはまっすぐ彼を見つめるままだ。その顔からは、内心どんな感情が芽生えているのか垣間見ることはできなかった。




