五話【スクレの秘密の頼み】
ボスの許可が下りたことで、ロズとスクレはシェンたち第二班と行動を共にすることになった。
「我々は班ごとに役割を分担しています。第一、第二、第三班は“探査班”となっています。我々の群れは定期的に移動するのですが、移動先の土地に危険はないのか、獲物などはいないのかと確認するのが主な仕事です。基本的にはボスに報告するだけですが、怪しいものが見つかればその場で対処することもあります」
狼人の集落から街に向かう道すがら、リーダーのシェンは先頭を歩きながら説明してくれる。
「ということは、あなたたちがあの場所に拠点を構えたのはつい最近ということですか」
「ええ。正確には一昨日ですね」
「それで、昨日怪しげな俺たちを見つけて、襲い掛かってきたと」
「申し訳ありませんでした……」
「いや、別に責めるつもりじゃ。俺たちこそ失礼なことを……」
後ろを歩く二人の狼人からのプレッシャーを強く感じる。彼らのリーダーのプライドを傷つけたことか、一方的にのしてしまったことか、その両方か。何にせよ、共に行動する以上は表面的でも上手く付き合うしかない。
「それで、シェンさん。ひとつはっきりさせておきたいんですが……」スクレがおそるおそる尋ねる。「狼人にとって、人間は敵ということですか?」
シェンが答えるまでの数秒間、まるで時間が止まったかのような静寂に包まれた。
「はい。残念ながら、そうなりますね。部下の二人があなた方を襲ったのも、そういった理由からなのです」
「でも、あなたたちは俺たちによくしてくれている」ロズも口を挟む。
「あなたたちは、今までに出会った人間たちと臭いが違いましたから。私たちは視力こそ弱いですが、嗅覚や聴覚は優れていますからね」そう言って自慢げに自分の鼻を指差す。
そういえば、ボスも初対面の時は妙に臭いを嗅いでいたなと思いだす。時に白本は「紙のような臭いがする」と言われるが、どうやら装者の自分も普通の人間とは別種の臭いを放っているらしい。
「ただ、祖先と比べるとかなり鈍くなっているらしいんですが――おっ、森を抜けますよ」
話をしているうちにだいぶ歩いていたようだ。木々の密度が小さくなり、青い空と傾いたビル群が姿を現す。昨日自分たちが降り立ったビルは街の中心部にあり、比較的きれいな状態を保っている。
「それで、これからどうするんですか?」スクレが尋ねる。
「第一班と第三班は別の方角から街に入っているはずです。一日目は住宅街を見ることしかできなかったので、今日は中心部のビジネス街を見ていきたいと考えています」
「それなら、あたしたちも同じ方向に行きたいです」
「もちろん、そのつもりでしたよ。この近くには何が潜んでいるのか、まだわかりませんからね。あなた方を放っておくなんてことしませんよ」
五人は街の中心に向かって歩き続ける。
その途中で、部下の狼人二人はシェンに一声掛けた後で列から離れ始める。何度も振り返り、シェンとロズたちを交互に見つめていた。よほど気がかりなのだろう。
「ご覧のとおり広い街なので、このような場合は三人とも分かれて行動することにしています。建物内や地下など、閉鎖的な場所に踏み込む際は安全のために仲間を呼ぶこともありますが。
ちなみに、仲間を呼ぶ方法はただの遠吠えです。お二人も、何か危険なことがあれば大声で知らせてください。もっとも、私と一緒に行動していればそんな必要もないと思いますが」
ハッハッハと大きな口を開けて笑う。
「さあ、おしゃべりはこのあたりにして行きましょうか。私の予想ですと、まだこの街には人間用の物資が数多く残されているはずです。よろしければお手伝いください」
「ええ、わかりました」
それから数時間は地道な作業が続いた。
建物は無数と言えるほど多く、状態の良い建物だけでも数日で回りきるのは不可能に思えた。
それでもシェンを先頭に一つ一つ回っていき、手にしているメモ帳に探査結果をまとめていく。途中からはロズとスクレもメモ帳とペンを分けてもらい、隣接する建物の探査を任されたりもした。
そうしてわかったのは、かなり多くのものがすでに持ち去られた後だったということだ。大きくて持ち運べそうにないもの以外はすっからかんと言ってもいい。しいて言えば、昨日見たようなコンピュータ類は残されていることが多いか。
「ここもダメそうだな。シェンさんの予想もあてにならない」メモ帳にバツ印を付けながら悪態をつく。「おい、スクレ。そっちは何か見つかったか?」
彼女の方を向くと、椅子に座ってメモ帳に何かを書き込んでいた。すでに飽き始めていたロズとは違い、その表情は真剣そのものだ。
「……おい、スクレ?」
「ちょっと待ってください……はい、もう大丈夫です。何の用ですか?」
「いや、そっちの調子を訊きたかっただけなんだけど。何を書いてたんだ?」
「……あなたは口が軽そうだから、今は話しません」
そっぽを向いてメモ帳を閉じ、さっさと外に出てしまう。
「なんだよ、そりゃ」もやもやした気持ちを抱えたまま彼女の背中を追った。
徐々に日が落ち始めた頃、三人は街の中心部を歩いていた。真ん中を歩くスクレは右手でビルの壁面を撫でている。最初に降り立った例のビルだ。
「さて、今日はこのあたりで帰ることにしましょうか。あと二日もあれば、この街の調査もあらかた終わると思います」
先頭のシェンが若干疲れた声で言う。
「お二人はどうでしたか? あまり楽しい作業でもなかったと思いますが」
「いえ、そんなことはありませんでしたよ。廃れてしまったとはいえ、知らない街を見て回るのは勉強になりますから」
彼の問いに答えたのはスクレだった。そんな彼女は、手にしていたペンとメモ帳を後ろ手に回した。ロズが何とはなしに彼女の手元を見ると、左手に開いたメモ帳を、右手のペンで指していることに気付いた。
「このページを破って、シェンさんに気付かれないように三十三階に置いてきてください」
そのページには、そう書かれていた。
どういうことだ? そう訝しみつつ、とりあえずページを破る。
そして前を歩くシェンとスクレがビルの角を曲がり、「そういえばシェンさん!」とわざとらしい大きな声が聞こえてきた。つい足が止まる。
「どうしましたか、スクレさん?」
「街を回っているときにいろいろ気になるところをメモしておいたんですが、ちょっと見てもらえますか?」
「ほう、いいですよ。どのあたりですか?」
二人の足音が止まり、代わりにスクレがいつもの倍近い口数でしゃべり続けている。あからさまな時間稼ぎだ。
よくわからないが、とりあえず置いてくればいいんだな。
ロズは静かに後ずさりすると、真上に思い切り跳んだ。一気に五階分の高さを稼ぎ、割れた窓の枠に飛び乗る。
「三十三階……というと、初めて狼人と会った階だよな。間違えないように上らないと」
スクレがどれだけ時間を稼げるのかわからない。ロズは上を確認すると、一度に四、五階分跳ぶ。これを繰り返し、一分も経たないうちに三十三階の窓までたどり着いた。中に入るが、他の階との違いは感じられない。
なぜスクレはこの階を指定したのか? 疑問に思い、ここでようやくロズはメモの裏側を見た。
「……あいつ、そんなことに気付いていたのか? それにしても、結局どういうつもりなんだ」
しかし考えている時間は無い。風で飛ばされないように、メモに重しを乗せて置いておく。
「ここに置いておくぞ」
ロズは誰もいない空間に呼びかけると、窓から窓へと飛び降りていった。
地上に戻るまでの所要時間は約一分半。スクレとシェンは同じ場所で話を続けていた。こちらに気付いた様子はない。
「そろそろ帰りませんか。お腹減っちゃいましたよ」
ずっと後ろにいた体で二人に声をかける。実際お腹も空いてきたところだ。
「それもそうですね。あたしも疲れましたから」ホッとした表情でスクレが同意する。時間を稼ぐのもそろそろ限界だったんだろう。
「ハッハッハ! 素直なのはいいことです! 部下の二人と合流したら森に戻りましょうか」
そう言った矢先だった。道の向こう側から、例の部下二人組が走り寄ってきた。わかりづらいが、彼らの表情には焦りが見て取れる。
「シェンさん! 大変です! 聞こえませんでしたか!?」
「お前たち、どうした!? 何が聞こえたというんだ!?」
肩で息をする二人は、若干充血した目でシェンを見つめて報告した。
「群れが攻撃を受けています!」




