三話【ロウレンの集落】
三人の狼人間と共に階段を下りていく。リーダーの狼人間を先頭に、シュンと大人しくなった二人、最後にロズとスクレが続く。前の三人に置いていかれるわけにもいかないので、しぶしぶスクレはロズに抱っこしてもらう形になっている。
「なあ。あんたたちは一体何者なんだ?」
無言で十階ほど降りたところで、暇を持て余したロズが尋ねた。
三人の狼人間はきょとんとした目で振り返った。何かまずいことを訊いたかと不安になったが、少し間をおいてリーダーが答えた。
「我々は“ロウレン”と呼ばれる存在です」
「ロウレン?」
「“狼”と“人”を合わせて“狼人”と読みます。単純でしょう?」
そう言って口角が上がる。笑顔というのはわかるが、鋭い牙が覗くので威圧感が出てしまう。
「しかし、おかしな方々だ。狼人を知らない人間がいるとは思いもしませんでした」
「ええと、それは……」
「ああ、いいんですよ。何か事情がおありなんでしょう。お話は我々の集落でゆっくりお聞きしますよ」
ロズが視線を落とすと、不安げに見上げるスクレと目が合う。彼女の言いたいことはわかる。「この狼人という連中は本当に信用できるのか?」ということだ。
その点についてロズはあまり心配していなかった。狼人の実力は先ほどの騒動でおおよそ測れた。スクレを守りながらでも同時に五人は相手にできる。逃げに徹すれば何人だろうと関係ない。ビブリアに戻るための数秒を稼げばいいだけだ。
そのことをこっそり耳打ちしたが、スクレは変わらず不安げだ。彼女が何をそんなに気にしているのか、ロズには予想もつかなかった。
仕方ないか。所詮俺は、スクレを無理に連れ出した憎い相手だ。
俺はただ、スクレにごく普通に旅をさせて、立派な本にしてやりたいだけなのに……。助けを求めるように天を仰いでも、さび付いた階段の裏側が見えるだけだった。
長い長い階段を下りて、ようやく地上に降り立つ。屋上から見ていた以上に街の荒れ具合は進んでおり、人が住んでいた気配は完全に失われている。夜になれば幽霊たちの群れが闊歩し始めるのではないか。それはそれで賑やかで面白そうだ。
「ロズさん? こちらですよ」
想像は膨らむが、今は狼人が優先だ。ひび割れた地面に躓かないように気を付けつつ、前を歩く三人の後を追う。
街の中心部を離れるにしたがって緑の密度が上がっていく。狼人たちにとっては庭も同然なのか、街中にいたころと変わらずスムーズに歩き続ける。
……同時に相手できるのは、五人から四人に訂正だな。冷静に判断しながらスクレの手を引く。彼女は彼女で覚悟を決めたのか、不安げな表情の中に好奇心も伺える。
警戒心のせいで気にも留めなかったが、よくよく見れば森の中にはビブリアでは目にすることのない珍しい木の実や花々が無数に取り囲んでいる。自分が装者でなければ、無邪気に異世界の景色を楽しんでいただろう。
深く息を吸い込むと、濃厚な自然の香りが鼻を抜ける。体の中まで自然と同化していく気分だ。
その香りの中に獣臭さが混ざっていた。前方の三人の臭いもあるが、より複雑な臭いにも感じる。焦げた臭い。糞尿の臭い。肉の臭い。血の臭い。
「お疲れ様です。そろそろ我々の集落です」
リーダー狼人が若干弾んだ声で教えてくれる。
さて、どんな歓迎が待っているのか。結局ロズも、異世界の出会いに胸を躍らせる一人だった。
狼人たちの集落は想像していた以上にアバウトなものだった。おそらく家であろう、木材をくみ上げた上に大きな葉っぱをかぶせただけのものが五軒ほど。家というよりはむしろテントに近いか。ちょうど食事時だったのか、テントの下では女性らしき狼人が包丁を手に調理をしている。その傍らには数kgはありそうな肉の塊がドンと置かれている。
「おーい、第二班帰ったぞお!」
リーダー狼人が手を振りながら大声を出す。
集落の入り口――そもそも入り口と呼べるものも無いのだが――近くにいた五人ほどの狼人が笑顔で顔を向ける。その直後、後ろからついてくる人間二人を目に留めて顔をしかめる。
なるほど、好意的な歓迎は期待できないぞ。そう覚悟したが、不穏な空気が漂うのを予想していたのか、すぐさまリーダー狼人が彼らに説明に向かう。具体的にどのようなやり取りが行われたのかはわからないが、彼らの表情はすっかり柔らかくなっていた。
「やあ、すみません! お二人には不快な思いをさせて……!」
「いや、別に気にしてないんで頭を上げてくださいって!」
「狼人の集落に人間が立ち入るなんて初めてのことなもので……。よろしければ、このまま群れのボスにご紹介したいのですが」
「へえ。ボスなんているんですか」
先ほど「第二班」と言ったからには、この三人のような班がいくつもあるのだろう。それらをまとめるのが“ボス”というわけか。群れを作る野生動物にはボスがいることは珍しくないが、狼人も例に漏れないとういわけだ。
「どうする、スクレ?」
「あたしは構いませんよ。むしろ、ここで断ったら失礼だと思いませんか?」
「それもそうか」
獣の群れを相手に失礼な行為をすればどうなるか。言うまでもない。
ロズはリーダーに笑顔で答えた。
「ぜひ、喜んで」
「そうかそうか! 我らは喜んでお主ら二人を迎え入れようぞ!」
狼人たちのボスは、一言で表すなら豪快な男だった。
くすんだ灰褐色の毛並みに体は大きく、リーダーの1.5倍はあるか。他の狼人たちが裸に近い格好をしている中、彼はゆったりとした特大サイズのワイシャツに、ダボダボのスラックスを履いている。だらしないオヤジみたいとスクレがつぶやいたのが、彼の耳に入らなかったことをロズは願った。
「なあ、お前たちもたまには派手に騒ぎたいだろう?」
「はい! もちろん!」
「嬉しいです~!」
ボスは葉っぱを敷き詰めた岩の椅子にふんぞり返り、その傍らには四人の女の狼人をはべらせている。狼は一夫一妻だと記憶していたロズだったが、やはりもろもろの習性が普通の狼とは違うということか。
しかし、人間のような服装だとか、群れのシステムだとか、そんなのはさほど気にならない。不愉快なのは、顔を合わせた時からずっと値踏みするような目で見られていることだ。群れのボスたるもの、よそ者を警戒するのは当然ということか。それとも……。
「それにしてもお主ら、随分変わった臭いをしておるな」わざとらしく鼻を鳴らしながら問う。「普通の人間たちとは違う。よその国からやってきたのかな?」
「ええ。初めての海外旅行なんですの」笑顔でスクレが嘘をつく。
「ほほう、それはまた興味深い」
ボスの視線のねばついた感じが一層強く感じる。
この狼人は強い。しかし、それだけではない。気を付けなければならないとロズは気を引き締めた。




