一話【次の旅へ】
ここはビブリアの西にある本の虫たちの村。変人、奇人、その他もろもろの個性的な者たちがひっそりと暮らすこの村に、今日もロズの大声が響き渡った。
「おーっす、スクレのお嬢ちゃん! お兄さんと一緒に異世界に行こうぜー!」
ロズの大音声がスクレの小さな函を揺らす。連日の出来事に、ちょうど近くを通りがかっていたヴルムたちは急いで耳を塞いでいた。
「おい、いるんだろ? せめて話だけでも――おっ?」
この一週間開かなかった扉がようやく開いた。
扉の隙間からは、彼の主人であるスクレの顔が覗く。整った顔立ちだが、上目づかいでにらみつける視線が痛い。さらに室内用の帽子をかぶっており、彼女の上半分の黒髪部分をいくらか隠している。
さっそくロズが中に入ろうとすると、逆にスクレが彼の手を引っ張り、強引に函の中に引き込んだ。
「いーかげんにしてくださいっ!!」
開口一番そう言われてしまった。
「……えーっと?」
「自覚が無いんですか!? あなたが毎日騒いでくれるおかげで、あたしまで白い目で見られるようになってきたんですよ!? あたしの平穏な日常を壊さないでください!」
「……そう言われてもさ、仕方ないじゃん? 一緒に異世界に行けるようになったと思ったら、また引きこもるんだからな。俺が守ってやるって言った約束、そんなに信用できないかなあ」
「口では何とでも言えますからねっ。あたしもその場の空気であなたを信じそうになっちゃいましたけど、冷静になれば、やっぱりあたしはここで静かに暮らしているのが一番なんです!」
「ほーん。それじゃあ、これがどうなってもいいのかな?」
そう言いながら、ロズは自分の首にかけた指輪を彼女の眼前に掲げる。どういうわけかスクレが大事にしている薄汚れた指輪で、今はロズがネックレスにして肌身離さず身に着けている。いわば、スクレに勝手な行動をさせないための人質のようなものである。
「ひ……卑怯者!」
「俺だってこんなことはしたくないし、できれば早く返したい。でも、今の俺たちの関係じゃ、そうするわけにもいかないだろう?」
「く~~~~っ!!」
スクレもそれは重々承知しているので、ロズの隙を見ては何度も取り返そうとするが、身体能力に差がありすぎてかすりもしない。
そうこうしているうちに怒りが込み上げてきたのか、げしげしと遠慮なくロズに蹴りをくらわし、函の外に追いやってしまった。
「とにかく! 二度とあたしの函の前で騒がないでくださいっ!!」
バタンと拒絶の音を立てて扉が閉まる。
ロズは物陰から見ているヴルムたちを無視しながら、自分の家に戻るしかなかった。
「つまり、今日も進展なし――ということですか」
「面目ないです……」
ロズは、その日何があったのかをなるべく師匠に報告するようにしている。しかし、ここ最近は「スクレに追い返されている」としか報告できないので心苦しかった。
「うーん。本当に、まだ打ち解けていなかったんですね。確かにロズ君は、ちょっと目つきは怖いですが、心根は優しい青年だというのに」
「いや、それほどでもないんですが……。師匠、涙ぐまないでくださいってば」
「ああ、うん、すみません。それなら、やはりアレを使うべきでは?」
マグテスの視線が横に滑る。その先にはロズの部屋があり、その中にはネイサからのプレゼントが入った赤い箱がある。
「……やっぱりですか? できれば、アレは俺の宝物にしたかったんですが」
「そういうわけにはいかないでしょう。なぜ、ネイサ様がアレを贈ったのか、その意図を汲み取りなさい」
ロズは内心舌打ちしながら、師匠の指示に従うことにした。
「――確かに、あたしの函の前で騒がないでって言いましたし、あなたはそれを守っています。でも、朝から何時間も函の前で居座られるのも迷惑なんですけれど!」
翌日、ロズは早朝からスクレの函の前に陣取っていた。脇にはプレゼントの函を抱えている。
当然道を行く人々の好奇の視線を浴びることになったので、スクレは仕方なくこの日も彼を函の中に招くことにしたのだ。
時間をかけるほど機嫌が悪くなるだろうな。そう思い、ロズはプレゼントの箱をさっさとスクレに突き出した。
「何ですか、これ?」
一目でプレゼントとわかるきれいなラッピングに、スクレは訝りながらも、興味深そうに見つめている。
「ネイサ様からのプレゼントだよ。俺も中を見たんだけど、これはどちらかと言えば、スクレに渡すべきものなんだと思う。遠慮せず開けてくれよ」
「ネイサ様から……?」
この世界の女王からのプレゼント。引きこもりのスクレといえども無下にはできず、言われるがままに開けてみる。
「わあっ」
驚きと喜びの声が漏れた。
中に入っていたのは、色とりどりの栞の束だった。
多くの白本は、異世界への移動に必要な栞を自分で作ることができる。しかし街には“栞職人”とも呼べるヴルムも住んでおり、より高品質な栞を求める白本の御用達となっている。職人が仕立てた栞は色つやが良く、噂では、特殊な機能を付与した栞も開発中らしい。
「な、なんだ。ただの栞じゃないですか。こんなもので機嫌を取ろうったって、そうはいきませんから! だいたい、あたしだって自分で作れるんですし。いや、今は作る気も起きないんですが……」
栞は白本にとって最も重要な道具であり、プレゼントの鉄板でもある。スクレも例に漏れず、加えてネイサからの贈り物となれば、喜びを隠しきれないようだ。こわばっていた顔が次第に緩んでいく。
「な? これを付けて、旅に出てみたいと思わないか? こんな高級品、なかなか手に入るものじゃないぞ? どうしてもいらないっていうなら、別の白本に譲っちゃおうかな~?」
「う……そ、それは……」
明らかにスクレの心は揺らいでいる。特性の栞に手を伸ばしては引っ込めてを何度も繰り返す。
しかし、ロズは割と気が短かった。
「あーもー、じれったい! さっさと出発するぞ!」
言うが早いか、ロズは最初の旅の繰り返しとばかりに、無理やりスクレを着替えさえ、荷物をまとめ、栞を結び付け、攫うように函の外に出た。
「乱暴者! 変態! 性悪ゴリラ!」
「ああ、もう! 結局こうなるのかよ!?」
すれ違う人たちを弾き飛ばす勢いで駆け抜け、あっという間に混沌の炎の前にたどり着く。彼女を抱えて走っている間に随分蹴られたり引っかかれたりしたが、ここに到着した時にはすっかり落ち着いていた。「スクレを守る」という約束が効いているのか、それとも、反論しても無駄だと観念したのか。ロズは前者であってほしいなと願っていた。
「はあ。それじゃ、行きましょうか。やっぱり気は進まないけど」
「な、なーに。きっと今回も楽しい旅になるさ」
「前回も、それほど楽しい旅じゃなかったですが」
「…………」
無言になってしまったロズの手を引いて、スクレは力強く足を踏み出す。
気を許してくれるまでは長そうだなと思いながら、ロズはとりあえず二回目の旅に出られることに安堵した。




