十三話【ロズの旅の目的】
ビブリアを象徴する巨大な白い炎“混沌の炎”。ビブリアと異世界とをつなぐ門の役割を担い、毎日何組もの白本と装者が行き来する。今日もまた、異世界から一組戻ってきた。
一人は白本の少女。髪は長く、生え際に近づくにつれて銀色の髪が黒く変色している。その髪をつばの広い帽子をかぶって隠している。
もう一人は装者の青年。鋼のような屈強な体に、桃色のショートヘアというアンバランスな容姿。シャツのわき腹の部分には赤黒い染みが付いている。すでに傷は塞がり、出血も止まっていた。
「――帰ってきたのね」
「――ああ」
「帰ってきちゃったのね」
「そんなこと言うなよ」
「……ごめんなさい」
「……いや、いいよ」
混沌の炎と街とをつなぐ道を二人並んで歩く。夜の帳が落ち始めたためか、他に道を歩む者はいない。わずかばかりの風の音と、規則正しい足音が耳に届くだけだ。
この小さな世界に、自分たち二人だけしかいない感覚。そのせいか、自然と口が開いた。
「信じていいんですか?」
「何を?」
「決まってるじゃないですか。あの時、あなたが言った、あの言葉ですよ」
俺は何があってもお前を守る。何があってもお前を裏切ることはしない。
巨人の体内で、ロズはスクレの目を見据えてそう約束した。
「あー、何て言ったっけなー。腹を刺された痛みで、よく覚えてないなー」
「あら、そうですか? なら、一言一句違わず復唱してあげましょうか。白本の記憶力を甘く見ないでくださいよ」
「やめろ、やめてくれ。本当はちゃんと覚えてるから」
「それは良かった。あたしも、あんな歯の浮くセリフを自分の口で言いたくないですから」
「このやろ……実はお前、結構性格悪いな?」
「それはそうでしょう? あたしは死にたがりの引きこもりなんですから」
「お前の性格はともかく、その辺はおいおい改善していかないとな」
「――ええ、そうですね。前向きに検討しておきます」
本当に前向きに検討してもらえるかはさておき、ロズは内心安堵していた。旅に出る前のスクレなら、一も二もなく拒否していただろう。
スクレを守るのも裏切らないのも、ロズにしてみれば当然のことで、今更口に出す必要もないことだった。それがスクレの心を動かせるとは、実はあまり期待していなかった。
しかし、今ならその理由が少しだけわかる。きっとスクレは、よりどころが欲しかったのだ。以前は小さな家の中だったが、その何割かがロズに移った。
彼女は強がっているが、それだけ内心は傷だらけなのだ。一人でいたくないし、死にたくだってない。その気持ちをぶつけたいはずだ。
「――ねえ、ロズさん。聞いてますか?」
「え? ああ、聞いてなかった。何か言ってたのか?」
「ひどいっ。あたしの従者のくせに。あたしが旅に出たくない理由を話したんだから、逆にロズさんは、どうして旅に出たいのか訊いてたんですよ。もっと言えば、なんであんな大変な目に遭っても、あたしとの関係を解消しないのかを訊きたいんです」
「そういうことか。確かに、いい機会だし、一度話しておくべきだよな」
ロズは自分の身の上話を始めた。
そもそも装者とは、白本を守ったり世話したりするための存在だ。そのため、この世界に産み落とされた時点で家事全般と基本的な戦闘術は身についている。まずは自分の家を建てるのが最初の仕事で、鍛錬を積みながらネイサからの指令を待つ。
しかしロズは少々事情が違った。並の装者より屈強な肉体を持つ以外、これといって取り柄もなかった。加えて酷い目つきの悪さから人々に嫌われ、子供などは彼の顔を見ただけで泣き出すこともあった。
つまりは独りぼっちの落ちこぼれだったが、そんな彼の面倒を見ると申し出たのが師匠だった。装者として長く生きるマグテスの信頼はネイサからも厚く、その申し出は受理された。かくして二人は師弟という関係になった。
「俺が旅をする最大の目的は、一言で言えば師匠への恩返しだ。こんな出来損ないの俺を育ててくれた師匠は間違っていなかったと証明もしたい」
「マグテスさんのことなら、あたしも聞いたことがあります。とても優れた装者で、特に刺青の技術ではあらゆる装者の中でも最高だったとか」
「もっとも、今の師匠は左腕を失っていて、かつての技術は失われてしまったそうだけどな」
「じゃあ、あなたが頑張るのは全部師匠のためなんですね。顔のわりに、ちょっと意外」
「いや、実はもう一つ目的がある。こいつに関することだ」
ロズは左腕の刺青を見せた。ヌエを収納している刺青だ。
「師匠曰く、ヌエには四つの型がある。第一の型“猿の顎”は相手を打ち砕く。第二の型“蛇の道”は相手を貫く。この二つの型は日和国で見せたとおりだ」
「残りの二つは?」
「第三の型は、言ってしまえば切り札だ。俺もなるべく使いたくはない。問題は第四の型なんだが、実のところ、俺は使ったことが無い。むしろ、そんなものがあるのかどうかもわからないんだ」
「何それ? マグテスさんにからかわれたんじゃないの?」
「師匠がそんな嘘をつくはずがない。それに、言っていたんだ。『君が君を取り戻す時、第四の型は自然と解放される』って。俺は旅を通して、第四の型の正体を見たいんだ。ただ、これに関してはあまり前向きじゃない」
「どうして?」
「この話をするとき、師匠は悲しそうだったから。弟子が一人前になるのは、師匠にとっては寂しいってことかな」
「さあ、それはわかりませんけど……あっ」
話し込んでいるうちに西の村に着いていた。あと二、三分も歩けばスクレの函に到着する。
「――って、なんでついてくるんですか?」
「いや、当然だろ? 普通、ペアになった白本と装者は一緒に暮らすか、すぐ近くで暮らすもんだ。俺と師匠の家は東の街にあるんだから、いちいちそこから通うのは面倒だろう? どうしても函の中に入れたくないなら、庭で野宿でも構わないが」
「……悪いけど、まだあなたのことをそこまで信頼しているわけじゃありませんから。結局、指輪だって返してもらっていませんし。あたしを裏切らないのなら、まず真っ先に返すべきじゃありません?」
「い、いや。これは保険というか……」
「あたしを信頼しない人を信頼なんてできませんっ。じゃあ、ロズさんはさっさと自分の家に帰ってください」
「お、おいっ!」
ロズが止める間もなく、スクレはさっさと立ち去ってしまった。立ち尽くすロズを、村人たちが遠巻きに見ている。
「――前途多難なのは続いているみたいだな」
ハアァと大きくため息をつくと、踵を返して東に足を向ける。
帰ったら師匠が褒めてくれるかな。ああ、でも服を一枚駄目にしちゃったなあ。そんなことをぐるぐる考えながら帰路につく。
二人の旅は問題を抱えつつ始まったばかりだが、彼の胸は充実感で満たされていた。
「ねえ、おじさん。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」
“光の巨人事件”から一週間後、夜回りを続けていた五十嵐を一人の少年が呼び止めた。彼の容姿や言葉のイントネーションから、その子が外国人だということはすぐにわかった。
「なんだい、坊主。こんな時間に出歩いてちゃ駄目じゃないか。親御さんの所まで送ってってやろうか?」
「ああ、その点は大丈夫です。ご心配なく。それより、先ほどの質問の続きですが、人を探しているんです。二人組なんですが」
「ふうん。どんな人たちだい?」
「一人は、体中に刺青が彫られた人です。ついでに言うと、すごく運動神経がいいのも特徴なんですが」
「……どうだったかな。どこかで見た気もするが。もう一人は?」
「もう一人は、髪に変わったエクステを付けている人です。ほら、ちょうどこんな感じで、先っぽが白く発光しているのが特徴なんですが」
少年が背を向けると、彼の後ろ髪に一房のエクステが結び付けられていた。それは紛れもなく、あの帽子をかぶった少女が付けていたものと同じ種類のものだった。
「悪いが、やっぱり知らねえなあ。そんな目立つもんなら覚えてるはずなんだが……」
「……そうですか。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
この少年は、どこか奇妙な陰がある。その直感に従い、五十嵐は真実を語るのを思いとどまった。
「それじゃあ、僕は家に帰ります。これ以上は無駄足みたいですから」
そう言うと、少年の体は白い炎に包まれた。唐突な発火に五十嵐が顔を背け、戻した頃には少年の姿が消えていた。




