十二話【ロズの約束】
ひんやりとした夜空を鵺と、その背にまたがるロズが行く。鵺がどのようにして飛んでいるのかは不明だが、乗り心地はすこぶる快適で、ロズが思った通りの方向に飛んでくれる。守護霊《分身》というだけあって、意思がダイレクトに伝わるようだ。
約三百メートルの高さに浮かぶスクレの守護霊《巨人》に接近する。巨人は今も涙を流し続け、その雫を地面に垂らしている。早くしなければこの街が、あるいは国全体が崩壊するかもしれない。ロズは手にしたヌエを強く握りしめた。
「鵺! 上へ!」
ロズが指示するよりも速く鵺が真上に飛ぶ。
その真下を、巨人の右手が横に振られた。目の前に飛ぶロズたちを払い落とそうとしたのだ。
巨人の一振りを回避したロズたちを、次は左手がつかみにかかる。鵺は後方へ引き、巨人の手が届かない距離まで遠ざかった。
「おいおい! 人が助けに来てるっていうのに、なんで攻撃してくるんだ!?」
仕方なく巨人の手足が届かない距離で周囲を旋回する。巨人は手を引っ込めたものの、首を回して常にロズたちを視界に捉える。その視線だけでも大きなプレッシャーを感じずにいられない。
「どうやら、主人と守護霊は意思がつながってるみたいだからな。俺はスクレに嫌われてるから、こんな仕打ちも当然というわけか……。
とはいえ、このままでもいかないんだよ。人に迷惑をかけるわがままなお嬢様は、力づくでも引っ張り出さないとな!」
意を決し、鵺の背中を叩く。喝を入れられた鵺は「ヒョオォッ!」と鳴くと、巨人の体内に隠れるスクレに突進した。
巨人の両手が動く。右手はいっぱいに開かれ、斜め上から振り下ろされる。左手はスクレを守るように胸元に置かれた。
「構わない! 突っ込めえ!」
鵺が加速する。振り落とされぬよう、足でしっかりと鵺の体を挟み、空いた手で背中の体毛をつかむ。服が、髪が、皮膚が、すべてが後ろに吹き飛んでいきそうな勢いだ。
ブオォン!
背後で風の音が轟く。右手による攻撃を紙一重で回避できた。そしてこの加速は、ただ右手の攻撃を避けるだけの行動ではない。
「このまま突っ込め!」
弾丸と化した一人と一匹はスピードを落とさず突っ込む。
まずは左手をどかさなければならない。鵺は虎の前足を上げると、左手に衝突する寸前に振り下ろした。
ブチブチブチ!
透明なシリコンのような巨人の指が、まとめて三本切り裂かれた。巨人の体は決して軟ではないが、鵺はそれを容易く切り裂くほどの怪力を持ち合わせていたということだ。
「よくやった、相棒! あとは任せろ!」
切り裂かれた指をヌエで払いのけ、巨人の胸元に突き立てる。グリグリとえぐるように内部を掘り進み、胴体の中央に位置するスクレの元まで接近する。当然巨人も阻止しようとするが、鵺が注意を引いてくれるおかげで構わず掘り進むことができる。
巨人の体は内側に進むほど柔らかくなり、とうとうスクレの体に手が届くところまで来た時には、自分の周囲はねっとりとした液体に包まれていた。それでも不思議と呼吸ができるし、試しに口を開けば声も出せる。
「スクレ、顔を上げろ! 早くこの巨人を止めるんだ! じゃないと、この世界の人間が大勢死ぬぞ!!」
声は聞こえているはずなのに、スクレはうずくまったまま顔を上げない。否が応でも焦らされる。
「なあ、スクレ。頼むから何とかしてくれ。こんなことしてる間にも――」
「……だから」
「え?」
「だから言ったじゃないですか。あたしは、異世界に行く気なんてないって。それなのに、あなたは指輪を奪って無理やり連れてきて。たとえこの世界が滅んでも、その原因はロズさん、あなたのせいでしょう?」
「それは……そうかもしれない。ただ、俺はどうしても装者として一人前にならないといけないんだ。
それに、原因が俺にあったとしても、この事態を収拾できるのはお前だけなんだ。頼む。俺を恨むにしても、まずはこの巨人を消してくれ」
「……そうですね。そうでしたよね。ロズさんには、ちゃんと生きる目標があるんでしたよね」
「……おい、スクレ。急にどうした?」
あたしを殺してください。
ロズにはそう聞こえた。
「……おい。変な冗談はよしてくれよ。それとも、俺の空耳か?」
「空耳なんかじゃありません。あたしの守護霊を消したいなら、あたしを消すのが手っ取り早いじゃありませんか。
心配しなくても、ロズさんはビブリアに帰します。本来は白本と装者が一緒でなければなりませんが、過去にはとある装者が一人でビブリアに戻れたという記録があります。彼女は記憶障害が起こったらしいですが、あたしのような面倒な女の記憶が消えるなら、あなたにはむしろ好都合でしょう?」
「おいおいおい、勝手に話を進めるな。俺が主人を、いや、主人じゃなくてもお前を殺せるわけないだろ?」
「あたしがこの世界だけじゃなく、ビブリアも滅ぼす存在だとしても?」
「……は?」
「ロズさんも、自分の守護霊と触れ合ってわかったんじゃないですか? 守護霊には、主人であるあたしたちの心や体が影響して、表出するんだって。
この巨人は、まさに“あたしそのもの”です。放っておけば世界を壊す。あなたは当然知らないでしょうけど、あたしはあの家で、ひっそり死にたかったんですよ。それをあなたが、無理やり……」
ロズには何の話か全くわからなかった。
世界を滅ぼす? こんな女の子一人が? どうやって? しかも死にたいって?
それらを理解するには、残念ながらロズには知識も経験も足りなかった。
「……すまん。説明されても、やっぱりわけがわからん。お前の話は後でゆっくり聞くから、何はともあれ、この場所から出るぞ」
「嫌……。こんなことになって、今更どんな顔をして外に出ればいいの? もう一度命令するわ、ロズ。あたしを殺して」
「いい加減にしろ! 俺も一緒に叱られてやるから、さっさと出て来いって。この強情娘が!」
業を煮やしたロズはスクレの腕をつかみ、無理やり引っ張り上げようとする。
「さあ、来い!」
「やめて!」
スクレの華奢な体がロズに寄り掛かると、わき腹に何かがぶつかる感触を受けた。
「――えっ?」
自分の体を見下ろすと、わき腹にハサミが刺さっていた。焼けるような痛みと共に血が流れ出し、二人を包む粘性の液体を赤く濁らせる。
「もう嫌――の。あたしをここで終わ――せて。あ――たが死――後、あたしも――から」
スクレの声が次第に遠のいていく。断片的にしか聞き取れない。
実際の所、装者の中でも特別屈強な肉体を持つロズには、この程度の傷は致命傷には程遠かった。所詮、凶器は非力な女の子が握るハサミである。
だから、ロズが彼女の言葉を聴きとれなくなっていたのは精神的な理由だった。
「――ロズっ?」
意識する間もなく体が動いていた。体にハサミが突き刺さったまま、彼女の体を抱きしめていた。
「ごめんな……。俺、頭の方はあまり良くないから、お前を慰める言葉なんて思いつかないんだ。それに、俺はお前を追い詰めた張本人だからな。俺の拙い言葉じゃ、何時間かかってもお前を説得したり慰めたりすることはできそうにない」
「…………」
「だから、俺は、過去を謝るんじゃなくて、未来を約束するよ。お前の居場所がないなら、俺が作ってやる。お前が死にたいと言うのなら、生きたくなる希望を持たせてやる。お前が世界を滅ぼすというのなら、滅びない方法を探す。それで、どうだ?」
「『どうだ?』って言われても……無責任としか思えない。ただ体が頑丈なだけの男が、どんな根拠があってのたまうのよ」
「それは……正直わからない。その代わり、一つだけ、今ここで約束したい」
「……言ってみて」
ロズはハサミを引き抜いて捨て、スクレの両肩に手を置く。二人の視線が合わさり、互いの姿以外のものが視界から消える。
「俺は――」
数分後、対守護霊の特別チームが現場に到着した時には、巨人の姿は跡形もなく消え去っていた。
一部始終を見ていた五十嵐は現場の状況を警官たちに伝えたが、ロズとスクレのことだけは話さなかった。二人の姿は、とっくにこの世界から消えていたからだ。
街中に張り巡らされた光の筋も消滅し、崩壊の危機が去った街には次第に夜の静けさが戻っていった。




