十一話【都会の夜空に鵺が鳴く】
「お、おい……ロズ君。正気か?」
「そんなこと訊かないでくださいよ。俺だって、半分無茶だとわかったうえでの作戦なんですから」
地上から約三百メートルの高さに浮く巨人と、その体内でうずくまっているスクレ。
彼女の元に跳んでいくためにロズが考えた作戦は、五十嵐の守護霊であるゴリさんに投げ飛ばしてもらうというシンプルなものだった。
「見てのとおり、ゴリさんは普通のゴリラよりでかいし、力だって何倍もある。だからといって、人間一人をあの高さまで投げ飛ばすなんて不可能じゃぞ」
「もちろんわかってます。だから、俺もタイミングを合わせて自分の足で跳びます」
「……やはり、ロズ君は人間ではないのだな? おそらく、スクレ嬢ちゃんも」
「……隠しててすみません」
「まあ、いいよ。お二人さんが宇宙人だろうが何だろうが、悪人ではないんだからな。儂からすれば、自分の息子の方が理解できんくらいだ。
正直成功する気がせんのだが、どうにか無事に帰ってきておくれよ」
「ありがとうございます。五十嵐さん」
話はまとまった。
ゴリさんは砲丸投げのポーズを取り、宙に浮く巨人に背を向ける。その手の中に納まっているのは、砲丸ではなくロズだ。
「……届かなかったらどうする気だ?」
「俺は頑丈ですから、とりあえず死ぬことは無いと思います。だから、思いっきりぶん投げさせてください」
「……わかった。大げさかもしれんが、この国の運命を託すぞ」
「はい。ちょっとだけ、待っててくださいね」
五十嵐が目くばせすると、ゴリさんの手に力が入る。グオンと体を半回転させ、砲弾のようにロズを巨人に向けて放り投げる。ロズは自分の体が手から離れる直前、両足に渾身の力を込めてゴリさんの手のひらを蹴る。強靭なゴリさんの腕が砕ける音が聞こえた。
タイミングは完璧。二つの力が合わさり、ロズの体は宙を裂いて巨人に直行する。
七十メートル――八十メートル――九十メートル――
飛距離はぐんぐん伸びる。目を開けると一瞬で表面の水分が飛ぶ。
百メートル――百五十メートル――百八十メートル――
まだ行ける。まだ行けるだろ? 祈りながら、少しでも空気抵抗を減らせるようにと全身を一本の棒のように伸ばす。
二百五十メートル――二百七十メートル――二百八十メートル――
はっきりと勢いが弱くなってきたのを感じる。下を見れば、破壊の光に覆われた街の姿。
二百九十メートル――三百メートル――三百五メートル――
もはや止まる寸前。しかし、手を伸ばしても全く届かない。
五十嵐には「落ちても死なない」と言ったが、さすがにこの高さから落ちれば助かる確率はほぼゼロだ。それでもロズは飛ぶしかなかった。
三百八メートル――三百九メートル――三百九メートル――三百八メートル――
ロズの最高到達点は、巨人の足の裏の下一メートル、三百九メートルの高さだった。その後は、もう落下するしかない。
「そうもいかないっての!」
ロズは左腕からヌエを、右足から矢を実体化させる。
「ヌエ第二の型“蛇の道”! プラス、装者の糸!」
ロズは弓状にしたヌエに矢をつがえ、その矢に装者の糸を結び付けた。
バァン! 射られた矢は装者の糸を揺らめかせながら直進し、巨人の足の裏に突き刺さる。強弓によって射られた矢は深々と突き刺さり、抜けなくなった。
「よし、上手くいったな」
装者の糸はロズの手のひらから伸びている。巨人の真下で宙づりになったロズは糸を手繰り寄せながら、少しずつ上へ上へと上がっていく。
三百八メートル――三百九メートル――三百十メートル。
ようやくたどり着いた。ロズが安堵した――その時だった。
彼の体と巨人をつなぐ一本の矢。そのシャフトの表面に、もはや見慣れた光の筋が走っている。
「嘘だろ」口を突いて出た頃には、矢は粉々に砕け散り、再びロズを奈落へと突き落とす。
落ちるわけにはいかない。ロズは再び矢を実体化させ、同様に巨人の足に射る。しかし巨人の意識がこちらに向いているのか、二本目はわずか一秒ほどで砕け散る。三本――四本――何度矢を突き刺しても、自分の体を持ち上げる前に矢が破壊されてしまう。
ロズの右足に彫られた矢の刺青は、全部で十二本。つまり矢の本数は十二本ということだが、その全てを使い切ってしまった。
「嘘だろ? こんな所で――まだ何もやっていないのに――」
落ちていく。スクレの小さな体が、さらに小さくなっていく。
これは失敗だ。主人を失望させ、自分は死に直面し、挙句の果てにこの世界に危機をもたらしている。装者として、これほどの失敗はあるだろうか? いや、絶対に無いと思った。なんなら泣きたいと思った。
「…………でも」
あがけるものなら、あがきたい。そう思った。
こんな所で終われるわけがない。それは、ここまで面倒を見てくれた師匠の顔に泥を塗る行為だ。自分が屈辱を受けるよりも、何倍も辛いことだ。
それに、こうして旅に出て気付いた。自分は他の装者より優れているものと思っていたが、それは思い上がりだった。何一つ満足に仕事できない、ただの自惚れが過ぎた馬鹿な男だ。
せめて翼が欲しい。足りないものはいくつもあるが、まずは翼が欲しい。このままじゃ地面に落ちて、二度とやり直しなんてできないのだから。
ボウッ
突如、背中に奇妙な肌触りを感じる。芝生に寝転がったような、積み上げた藁に背中から飛び込んだような。
よく見れば、それは芝生でも藁でもなく、動物の背中だった。チクチクとした剛毛の奥から、獣の筋肉のうねりを感じる。
奇妙な獣だった。体格はかなり大きく、先日戦った巨大イノシシと同程度。水中を泳ぐように優雅に飛んでいるが、獣の背中にもどこにも翼が生えていない。
「これは、この世界の動物? いや、まさか――」
獣の体に触れていると、不思議と実感が湧く。
この獣は、自分の守護霊だ。
五十嵐が「外人さんも、日和国に滞在していると守護霊が憑く」という旨の説明をしていたことを思い出した。
暗がりで細部は良く見えないが、思いがけず頼りになる仲間ができた。翼が手に入った。
「よし、相棒。時間は無いが、一旦態勢を立て直すぞ」
ビルの屋上で五十嵐が手を振っている。
獣はロズの意志を感じ取ってか、五十嵐のすぐ横に降り立った。
「……いや、驚いた。ロズ君が落とされた時はどうなるかと思ったが、まさか、タイミングよく守護霊が来てくれるとはな」
「俺も、空中で自分の人生を悔やんでいましたよ。それにしても、これはどういう動物なんですか? あまり詳しくは無いんですが、こんな動物は初めて見るんですが」
「それが、儂も驚いたんだがな。これは“鵺”というものだ。動物というより妖怪じゃな」
街の明かりに照らされて、ロズの守護霊の姿がくっきりと浮かび上がっている。
猿の顔、虎の体、蛇の尾。五十嵐いわく、日和国に古くから伝わる妖怪だという。しかし実際に妖怪を目にすることなど皆無で、現代では漫画やゲームのキャラクターのモチーフにされるのが関の山だという。
「本来は不吉な妖怪なんだがな。さすがは守護霊ってことか」
「確かに、見た目はちょっと不気味ですけど」ロズは猿の頭を撫でた。「俺は嫌いじゃないです、こいつのこと。それになんだか、他人な感じがしないんです」
「そうかい? 確かに守護霊は主人の影響を受けるもんだが」
ロズは鵺の姿を見ながら、自分の武器の“ヌエ”のことを考えていた。“ヌエ”という名前も、その特性も、共通する点が多い。武器のヌエを作ったのは師匠だが、その着想はこの妖怪から得たものなのだろうか。
「それで、もう一度行くのかい?」
「もちろんリベンジしますよ。スクレのことは、俺が責任もって止めてきます」
「……無責任なようだが、頼むぞ。ラジオを聴いたが、光は隣の県まで広がってるらしいからな」
「まかせてください。小娘相手に二度も負ける俺じゃありません」
ロズはヌエを片手に、鵺の背中にまたがる。先ほどまで感じていた親近感は、触れ合うことで一体感に昇華する。
「さあ、行くぞ。相棒」
ヒョオオオオオォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーー
呼応するように、見た目に反して甲高く寂しげな声で鳴く。
鵺の体がふわりと浮かんだ。




