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夏休みの終わりに

 別所ゆきが初めて本郷暁彦を見たのは、テニス部の新歓試合でのことだった。

 日焼けした肌に汗の粒を浮かべて球を追いかける彼を、ゆきは目で追った。

 試合は彼の勝ちだった。

 コートを離れる彼に、すかさずタオルを差し出す女性がいた。テニス部のマネージャーだろうか。だとすれば自分と一つ二つしか年齢は違わないはずだが――と考えながら、ゆきは彼女をまじまじと見つめた。その整った横顔は「少女」という言葉がそぐわないように感じさせた。

 彼女の形の良い唇が動き、「おつかれ」という言葉を紡いだのが分かった。

「お似合いだよねぇ、あの二人」

 急に話しかけられて、ゆきは一瞬相手が誰だか分からずに困惑した。

 誰だっただろう、この子供っぽい少女は……?

 ――ああ、そうか。あたしをここに誘った友達だった。

 辛うじて思い出し、ゆきは返事をするまでに空いてしまった間をごまかすように、

「あの二人って?」と訊いた。

「本郷先輩と、マネージャーの伊藤陽子先輩だよ!」

 友達――名前は忘れた――は、両手を縦にぶんぶん振りながら叫んだ。やはり子供っぽい。

「伊藤……ようこ」

 ゆきは、笑顔で言葉を交わす二人に視線を戻した。

 二人でいることが、ごく自然に見える。誰も、二人の間に割って入ることはできないと思わせるほど……完成、されている。

 ――でも。

 ゆきは、ふっ、と微笑んで、言った。

「あたし、テニス部のマネージャーになる」



「本郷先輩……。あたし、先輩のことが好きです。あたしと、付き合ってもらえませんか?」

 突然、マネージャーの別所ゆきからそう言われ、暁彦はうろたえた。

 彼は中学時代から女子に人気があったが、幼馴染みの伊藤陽子と付き合っていると周囲からは思われていたので、実のところ告白をされたのはこれが初めてだったのだ。

 なぜ、今になって、と思う。

 ゆきがマネージャーになったのは、四月だ。今はもう七月の半ば。もうすぐ夏休みに入ろうかという時期だというのに。

 しかし、理由はどうあれ、答えは同じだ。

「……悪いけど」

「あの!」ゆきは暁彦の言葉を遮った。

「ずっとじゃなくていいんです。せめて……、そう、夏休みが終わるまで。それまで付き合ってみて、それでもあたしのことが気に入らなければ、そう言ってください。それ以上はあたしも、無理を言いませんから」

「でも」

「本郷先輩、陽子先輩と付き合っているわけじゃないんでしょ?」ゆきは暁彦を上目遣いに見つめた。

「ただの幼馴染みだって、聞きました」

 ああ、それが、今になって告白してきた理由か。と、暁彦は納得した。誰に聞いたのか知らないが、そいつも余計なことを言ったものだ。

「だからって、俺は別に――」

「好きなんですか?」

「は?」

「陽子先輩のこと」

 暁彦は、だんだん腹が立ってきた。こいつはさっきから俺の言葉を遮ってばかりいる。その上、人のプライバシーを完全に侵害していないか?

「そんなこと、おまえに」

「どうして告白しないんですか?」

 ゆきは、なおもこちらのセリフを遮って訊いてきた。真剣な瞳で、じっとこちらを見つめている。

「……関係ないだろ」

 暁彦は投げやりに言うと、もう話は終わったとばかりに彼女に背を向け、その場を去った。

 ゆきは追いかけてはこなかった。



「なあ、どうすればいいと思う?」

 幼馴染みの本郷暁彦から、好きでもない子に告白されたと相談され、陽子は困惑した。

「どうすれば…って、嫌なら断ればいいでしょ」

 なぜそんなことをいちいち自分に訊いてくるのか、陽子には分からない。

「いや、そんなことは分かってる。もちろん、断ったよ」

 そう言いながら、暁彦はこちらの反応を窺うような顔をした。

「だったら、私に相談する必要なんてないじゃない」

 なおさら訳が分からなくなって、陽子の困惑はさらに度を増した。

 陽子の表情を見て、暁彦は失望したようだった。

「俺は……おまえのことが好きなんだ」

 ぽつりと、呟くように彼は言った。

「え?」

「好きだ」

 もう一度そう言われ、困惑は頂点に達した。

「ちょ、ちょっと待って。それ、どういう意味?」

「どういうって……そのままの意味だよ。他にどんな意味があるんだ?」

「だって――」

 陽子にとって、暁彦は大切な幼馴染みであり、そして性別など関係ない対等な友達だった。

 周りの人間からはよく誤解されたが、そういう視線は鬱陶しいだけだった。

 男と女が一緒にいたら、それはカップルでないといけないのか、と文句を言いたくなる。

 それは暁彦も同じなのだと、ついさっきまで陽子は思っていた。

 それなのに。

「……ごめん」

 陽子は、暁彦に対して謝らなければならなくなってしまった。

「私、そういうつもり、ないから」

 暁彦の表情を見て、陽子はもう、今までのような距離感で彼と接することが不可能になったことを悟った。

 暁彦が自分を好きで、自分は暁彦を振ったのだと思いながらも、対等な友達でい続けるなどという器用な芸当は、陽子にはできないし、暁彦にもできないだろう。

 陽子は、別所ゆきという少女を恨んだ。

 ゆきが、陽子と暁彦の間に割り込んで無理矢理三角関係を作り出し、トライアングルの頂点に二人を立たせてしまった。

 近いと思っていた二人の間の距離が、いまはもう果てしなく遠く思えた。



「ねえ、知ってる? あの二人、別れちゃったんだってぇ」

 友達に言われ、ゆきはにっこりと微笑んだ。

「あの二人って?」

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