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07:「声」

作者: 郡山リオ

 星が落ちてくる訳でもないのに、どうして私は空を見上げるのだろう。

 

 蝉の脱け殻を見つけた。それを恐る恐るつまんだ私に降りしきるのは、蝉時雨を掻き消すほどの豪雨だった。

 校庭でびしょ濡れになった制服に、私は校舎に戻るのをあきらめ、広い校庭の真ん中に置いてあるものへと歩いていった。一度濡れてしまえば、いったい何を恐れると言うのだろう。濡れて、水を滴らせることにはもう慣れた。だからこそ、自分から浴びにいったのだ。校庭の真ん中置かれた、なくなっていた上履きを拾い、空を見上げる。雨の糸が私に当たり、ほつれる。空の涙は、あまりにも軽い。

 校舎には見向きもせず歩き始める。聞こえる声、指される指なんて気にならない。滴をしたたらせながら私は、校舎と体育館の間に伸びる通路へと向かう。その途中、手前の木の前で立ち止まっていた。木の幹にくっついたそれを指でつまんだのだ。固い、蝉の脱け殻を手のひらに載せる。どこかへ羽ばたいていった蝉を考えたとき、自分に置き換えて考えてみると、私が蝉だとしたら、この抜け殻は、道端に伸びる影と同じなのかとすんなり納得していた。

 守ってくれるような固い殻が私にもあれば良いのに、と思ってしまう。保健室に行って、まだ続きそうな気まぐれから雨宿り。窓際の隅のベットで、膝を抱えて座り込む。図書室、保健室、校庭の隅は私のお気に入りの場所。窓に映る私から目をそらし、ポケットにしまっていた蝉の脱け殻をそっと出す。破れた背中を指でなぞる。私は、まだ殻を破れていない。

 窓に映る私を見る。周りの目を気にして生きてきた。仮面のように笑顔を作って。望まれる生き方に息苦しさを感じても、自分を偽って。そのたびにひび割れていくこの感じは何なのだろう。大切に両手で抱える花瓶にひびが入っていくような苦しさは。蝉も、同じ思いをするのだろうか。私は目を伏せた。

 

 蝶や鳥に憧れた。図鑑を開いては、そのページばかり見ていた。でも私は知っている。私はきっと蝶のように、綺麗にはなれない。鳥のように凛々しくも。だから、蝉でいいから、遠いどこかへ飛んで行きたい。本当の私はそこにいるはずだから。蝉は、5年間も土の中でじっと、その時を待つ。真っ暗な暗闇の中で木の根にかじりつき、青空の中に羽ばたいていく日を待つのだ。手の中に感じる爪の痛みに、そうか、と私は思っていた。蝉か。私は蝉なのかもしれない。

 

 日が沈んだある夏の日、土の中から蝉たちは外へと出ようとする。

 静かな夜かもしれないし、風の強い夜かもしれない。カエルの鳴き声が響くよるか、蛍がたくさん舞う夜なのか。

 土から這い出てきた蝉の幼虫は、高いところを目指してひたすら地面を進んでいく。

 不慣れで危険がある中、真っ暗な土の上を迷いも無くまっすぐに。木やブロック塀にたどり着いたら、爪を引っかけながらのぼっていく。高く高く、広い場所へ。居場所を見つけたら、脱皮を始める。背中を破り、頭とお腹を出して、自分の殻に掴まり、小さく縮んでいる羽をゆっくりと伸ばしていく。透明に透けるまで、伸ばし、乾かす。そして、明け方の夜空へと消えていく。

 鳴き声は響く。校庭に、窓を開けっぱなしにした教室に。扇風機の振動する音でも、この音は消えない。教師の黒板にこするチョークの音でも、グランドに響き渡る掛け声でも。

 夏の強い陽射しが、容赦なく教室に居ない私を照らす。熱されたコンクリートに立つ私の足元に揺れる影は揺らめき、ろうそくの炎を思わせる。なんて儚いのだろう、と。うるさい蝉たちに囲まれ、つつかれ、いたぶられる私は、なんて無力なのだろう、とも。

 蝉は、幼虫から大人になってしまえば、命が一週間になる。たったそのためだけに、と考えるかもしれないし、その一週間があるから蝉は、と考えるかもしれない。でも、私は、違うと思うんだ。本当は大人になんてなりたくなかったんだって。心地のいい真っ暗な世界で安心して過ごしていた幼虫は、残りの命の短さに気がついて、大人になるために、あわてて光の世界に出て行くんだって。屋上の片隅で立ち上がる私は、乱れたリボンを直す。スカートをはたいて見えたのは、転がった蝉のなきがら。砂埃にまみれたカバンを取りに行こうとして、片方の靴が無いことに気がついた。乱れた髪、酷い顔の子が開けようとした階段につながるドアのガラスに映り込む。この子の大切そうに抱える花瓶は、細かいヒビがたくさん入って水がもれている。それでも大切に大切に、抱えている。

 もっと別な生き方はあるはず。でも、私には、こんな生き方しかできない。ほかを選びたくてもこんな生き方しか、知らないのだ。胸を突くような苦しさに奥歯を噛み締め、空を見上げる。手の届かない向こうに何かあるわけでもない。空っぽの夢を抱く私の持つその花瓶からこぼれものは何?

遠くの空に誰かの手から離れた風船が飛んでいった。鳥は大きく羽ばたき、太陽は高い。水に濡れるのにはなれた、でも、心から染みてくる、この痛みにはとても慣れられない。

土から出た蝉の幼虫は木を登っていく。少しでも運が悪かったり、たった一つの過ちで、蝉は飛べなくなり死んでしまう。土の中でじっと、先を恐れて土から出られず、蝉になれない私の頬に何かが流れる。自然と出てきた声を止めることもできずに、私は……。

 私は、ガラスの向こうの私のようには、強くなれない。泣くのを必死に歯を食いしばって我慢するガラスの向こうの私は、ひび割れた花瓶を大切に抱きしめながら、じっと私を見つめ続けている。見られながら、私は泣いている。

 強い日差しの中、蝉時雨が私の声をかき消す。私が、まるでここに居ないかのように、何もかもかき消してしまう。影が揺れる。水が、染みる。

 蝉になりたい。蝉になりたい。私は、いくら泣いても、平気でいられる蝉に。強く、強く望む私は、臆病な私は、蝉にすらなれない。


おまけ的あとがき「気が向いたら書きますので、しばしお待ちを!」

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