東風
「結婚を、申し込まれちゃったの」
はにかんだ笑みを浮かべながら、彼女はそう告げた。
それは、ぼくにとってはまさに青天の霹靂。
考えてみれば、彼女は現在二十二歳。この秋には二十三歳になる。この年齢で「異性とのお付き合い」のひとつやふたつ、無い方がおかしい。それぐらいは、解っている。
ぼくが驚いた理由は。
彼女が、今までにそういう素振りを、見せなかったせいだ。
クラッシックコンサートや様々な展覧会など、興味を持ちそうなイベントに誘うと、彼女はほとんど断ることは無かったし、楽しく一日を過ごしていた。
彼女から呼び出される事だって、多い。たいていは生活費がピンチの時の昼食や、ちょっと遠出をしたい時の運転手代わりだったりするが、「本当に、ありがとう。助かっちゃった」と笑顔で頭を下げられると、たいした事をしたわけでもないのに得をしたような気分になった。
だからと言って、ぼくらは別に特別なお付き合いをしているわけではない。そんな事も、解っている。
いや、解っている筈だった。
だが、実際に「結婚」の二文字を彼女の口から聞くまで、ぼくは想像する事さえ、していなかった事に気づく。
彼女が、他の誰かと付き合っており、その相手から正式に結婚を申し込まれたのだと。
だから、「そうなんだ。おめでとう」と、普通の答えが返せるはずもなく。
「いつから?」
思わず、聞いてしまう。
そんなこと、聞いてどうするんだよ。自分で自分に突っ込みながら。
「正式にお付き合いを始めたのは、一年ぐらい前。大学の先輩で」
そこまで言われて、初めて思い出す。
彼女の話題に、たまに上がる男の存在。
「もしかして、フットサルサークルの?」
「あ、覚えていた? そう。中島さん」
覚えていると言えば、覚えている。スポーツマンで、特にサッカーファンで。聞いた話では、日本代表の応援に、海外に行くほどのサッカー馬鹿。ぼくには、とうてい真似が出来ないと呆れていた筈だ。
彼女がその人の名を口にする度、ぼくの中に浮かび上がる絵は「ゴリラ」以外の何物でもなく。会ったこともない相手に対して、どれほど失礼な事かぐらいは解っているが、勿論その中島氏と会う機会もある筈がなく。
今もなお、彼女に結婚を申し込んだ相手の名前を聞いて、想像されるのは「ゴリラ」なのだ。
そう。とても大切な彼女は、ぼくが顔も知らない「ゴリラ」と、結婚しようとしているのだと。
ぼく、こと雪村将太と彼女――藤崎友香とは親戚同士。従兄妹の関係にある。ぼくの母親が友香の母親の姉で、姉妹というものは互いに結婚していても仲が良く、それでいて相手の歳が近ければ近いほど張り合うのが当たり前の事らしく。
埼玉に住む友香の家と、東京郊外に住むぼくの家は、「近い」と言えば近いかもしれない微妙な距離だったのだけれど、仲が良いのか悪いのかよく解らない年子の姉妹は、常に行き来を繰り返していた。
だから、ぼくと友香は幼馴染のように、お休みごとに一緒に遊んだりしていた。
でも、ぼくらが年を重ねる間に、それが月に一度になり、年に数度になり。
盆や正月すらも、顔を合わせる事が少なくなって。
多分、ぼくが「自覚」しなければ、彼女はいつまでたっても幼い頃に一緒にやんちゃしていた「従妹」で終わっていただろう。
ぼくが彼女をひとりの女の子だと自覚をしたのは、確か高校生の時。
ぼくたちの事をとても可愛がってくれていた祖母が、亡くなった。
生まれて初めて、人の死と向かい合った日。ぼくたちは冷たくなった祖母と対面した。
良い匂いのする花に囲まれ、まるで眠っているような、きれいな顔で横たわっていた、祖母。その人は、もう息を吹き返さないのだと。いつものように、満面の笑顔で「しょうちゃん、よう来たね」って、二度と言ってくれないのだと。
そう思うと、何故か怖くて。震えが、止まらなくて。
背後で、すすり泣きが聞こえなければ、きっとぼくは何かを叫びながら部屋を飛び出していただろう。
振り返った先で、ハンカチを握りしめながら、あいつは泣いていた。
がくがくと震える手が、棺にかかって。ただ、「おばあちゃん」と。呂律の回らない言葉で、多分「もっと早く、会いに来られなくてごめんなさい」みたいな言葉を叫んでいたのだろう。
そっと、その手を握れば、あいつはぼくにすがりついて来た。
「将ちゃ、しょう……」
やっぱり、呂律が回らない言葉で、何を言っているのかよく解らない。
ぼくより低い場所にある頭をそっと撫でると、少しは落ち着いたのだろう。しゃくりあげが治まっていった。
そして、ぼくは気づいたのだ。
いつの間にか、ふっくらと柔らかみを帯びていた、友香の身体。細く、たよりない腕。
一度、泣きだしてしまえばなかなか泣き止まないのは、昔から変わりない。でも、一緒にやんちゃをしていた「いとこ」は、ぼくが気が付かない間に、一人前の「女性」に近づいていたのだと。
一歳年下の従妹は、大人には受けが良くて。
卑怯にも「あなたは、お兄ちゃんでしょう?」という母親の言葉を味方につけて、いつも得をしていた。
負けず嫌いで、行動的で、足手纏いで。
小学校五年生の時、海水浴に行った砂浜で、砂まみれになりながらインディアンの砦を作った。
流木の欠片を櫓に見立てて、波で洗われたガラスを集めて宝物庫を作った。ふたりとも凝り性だったので、出来上がった作品はとても見事なもので。でも、写真に収めてもらう前に波に持って行かれてしまった。あの時も友香は大泣きをして、だから仕方なくまたいちから作り直したのだった。今度は流されないように、しっかりバリケードを作って。
そんな思い出がフラッシュバックして。
あの頃から、お前がのバリケードになろうって、思っていたのかも知れないね。などと……。
だから、ぼくは。
お前が東京の大学に合格した、あの時から。
ずっと、お前を支えるって。そう決めた。
そこから、始まるのだと思っていた。いや、そこから始めようと、勝手に決めていたんだ。
大学生になって、卒業して、就職して。自分に似合う服を着て化粧を覚えた友香は、とてもあか抜けた雰囲気を醸し出すようになっていたが、ぼくに言わせればまだまだ危なっかしい。
人なつこい友香は、逆に言えばすぐに人を信じる危うさを持っているように見えたから。
彼女の母親――叔母さんの意見もぼくと同じで。だから、ぼくは叔母さんから直々に「相談役」を頼まれた。
(本当に、世間知らずだから)
と、二十歳を越えた娘に対して、その言葉は使われた。
友香は、簡単に打ち解ける。そして、打ち解けると弱みを見せる。
本当に、あぶなっかしい。
これは確かに、お目付け役が必要だろうと思っていた。
だから、暇な時にはこまめに連絡を取るようにしていた。困った事があれば、自分に相談するようにと言った。
友香は、まるで兄のように慕って来る。
「ねえねえ、将ちゃん」
すっかり大人びた仕草を覚えながらも、友香の口調は相変わらず。
「お前さ、そろそろその呼び方はやめろよ」
「えー。だったらどう呼べって?」
「年上なんだから、せめて『さん』付けにするとか」
「はいはい。じゃあ、しょうさん。なんだか、小三みたい」
何がおかしいんだか、けらけらと笑う、友香。
「将太さんだろ? そこは」
「じゃあ、私からも。女の子に対して『お前』は無いと思うけれど」
それもそうだ。ぼくだって普通は、女の子を『お前』とは呼ばない。
「だったら、友香?」
「いやん。改まって名前で呼ばれると、照れちゃーう」
相変わらず、けらけらと笑い続ける、友香。
こういうの、何と言うのだったか……そう。「箸が転んでも可笑しい年頃」か。
今日のランチは、創作フレンチ。
友香は綺麗に盛り付けられた料理たちを幸せそうに平らげて行く。
「さっき言おうとしていたことだけど。ね、将太さん」
そう言って、ぷっと吹き出す。どうやら、かなりツボに入ってしまったようだ。
「お前なあ」
「また、『お前』って呼んだ。私はちゃんと『将太さん』って呼んでいるのに」
「はいはい。ぼくが悪かった」
面倒くさい展開に、少々うんざりとしているぼくに構わず、友香は店の内装や料理の内容をいちいちチェックし、満足そうにしている。
「将太さんって、女の子が喜びそうなお店、いっぱい知ってるけど。もしかして」
「まあ。女友達からリサーチはされているけど?」
「ふーん。おばさんに言いつけようかな」
「友達だよ。ただの、友達」
「どうだか」
ふふんと笑う、その笑顔がどきりとするほど魅力的な事に、友香は気づいているのだろうか?
なあ、友香。
お前は、誰にでもそんな無防備な顔を見せているのか?
そんなんじゃ、いつ「お持ち帰り」されちゃうのか、ぼくとしては複雑なんだけど。
お前にとって、ぼくはどういう存在なんだろう? いつまで、ぼくはお前の「保護者」なんだろう?
自分で「どうしようもない」と思った時、必ずぼくを頼ってくれる、お前。
そんなお前のこと、ずっと可愛いと思っていた。
だから。
「結婚を、申し込まれちゃったの」
そこから始まり、展開していく友香の言葉に、まともな返事さえ返す事が出来ない。
どうやら、話そのものはかなり具体的に進んでいるらしく、「それぞれの両親に承認を得た上で、挙式は秋を考えている」という言葉まで飛び出す。
その段になって、やっとぼくの思考はまとまりを見せはじめていた。
「秋って、今秋?」
「ええ、そう。今年の秋。私が誕生日を迎えてからにしようって」
何故、聞き返されたのか解らないように、きょとんとした顔で友香が繰り返す。
それが、ひどく腹立たしかった。
「何? どうかした?」
どうかしたどころの話ではない。友香は、就職したばかり。
「仕事は、どうするんだ?」
「え?」
「新卒で、就職が決まって。秋に結婚って。どういう覚悟で就職したんだよ」
「仕事は、続けるよ。彼も、仕事は続けて欲しいって言っているし」
当然のように答える、友香。考えなしにも程がある。
「今はそうかもしれないけど、子供とか出来たら……」
「何、言い出すの? 出産休暇も育児休暇もあるじゃない」
おかしそうに受け流す、友香。
「お前、甘いよ」
ぼくの声は、自分の事ながら、えらく不機嫌に聞こえた。
もちろん友香もそれを感じとったのだろう。むっとしたように、眉を寄せて唇をすぼませる。
顔全体で、不快を示す。その癖すらも昔のままで。
感情を素直に顔に出す。それは彼女の利点であるが、欠点でもある事にすら、友香は気づいていない。
「結婚が決まっているから、育児休暇制度がある会社に、わざわざ就職したのかと、ぼくがお前の上司だったら聞く」
「だって、会社説明の時に、そういう制度が完備されているって説明されたもの」
会社が求めるのは、即戦力。
長期休暇を取る事は、すなわち二軍に落ちるという事だ。
上司の不快を買うと、社会保障制度なんか何の意味も持たなくなる。「当然の権利」を主張するには「一軍」で居続ける必要がある筈だ。
「そういう安易な考えで居たら、簡単に飛ばされる。それが、企業ってもんだろ?」
「なんでそんな意地悪言うのよ」
「現実を見ろよ。会社にとって友香は、まだ何の実績もない。なんで、今のタイミングで結婚を言い出すんだよ。ぼくが社長だったら、そんな社員は要らないって……」
ぼくを見上げる友香の眼は少し涙ぐんでいて。だから、ぼくは言葉を続ける事が出来なくなってしまった。
「将ちゃんも、そうなんだ。女は結婚したら仕事なんか出来ないって。妊娠して、子供が生まれたら、簡単に仕事なんか辞めてしまうって。やってみる前から、そう決めつけるのね」
悔しげに告げる、友香。
どうやら、同じ意見で反対をしたのは、ぼくだけじゃなかったらしい。当然と言えば当然の反応だと思うが、いざそうと知ると少し悔しい。
ありきたりの反応しか出来なかった事に。ぼくは、誰よりも友香の事を解っていた筈なのに。
「そう考える人間が大多数を占めると思うから、あえて言うんだ。そういう色眼鏡で見られる事に、友香が我慢できるとは思えないから」
「当然の権利」を「当然の権利」と主張する。その事で陰口を叩かれたり嫌がらせをされたりすることも、覚悟の上で。
ぼくが知る友香は、そんな事よりも上手に人と付き合い、人を引きつける魅力を持つ女性。
「決めつけて、ごめん。でも、仕事と結婚。両方を手に入れて、どちらも同じぐらい大事に出来るほど、器用な人間じゃないんじゃないかな」
「解ってる。でも、仕事、面白くなってきたばかりで。彼の事も大好きだし。今は、どっちも手放せないの」
そう、ぼくは友香が自分本位で人を困らせる事が出来る人間じゃないことを、知っている。
人を大切にするあまり、時に損をする。いじらしくて、可愛い女性。
友香が友香である限り、必ず自分で解決する筈。ぼくが口をはさむ問題ではなかったと、後悔する。
「とりあえず、友香が思うようにやってみたら良いと思うよ。いつか、選ぶ時は来るかもしれないけど」
そう。ぼくが友香に説いて聞かせたのは、ただの「取らぬ狸の皮算用」。自分が考える社会人の有り方を、押し付けてしまっただけだ。
「うん。ありがとう。将太さんにそう言ってもらえたら、なんだか安心出来た」
ほっとしたように、食後の紅茶に口をつける、友香。その言葉に、戸惑う。
「なんだよ。大げさだな」
「だって、知っているもの。将太さんは、いつも私の為に意見をしてくれているんだって事」
……そうだった。こいつは、こういう奴だった。
ストレートな発言に、ぼくはやはり完敗した。
こいつが選んだ男なら、きっとこいつを幸せにしてくれるだろうな、そんな事を思った。
行きつけのカフェに呼び出されたのは、十月も中旬を迎えた頃。
結婚式を目前に控えた友香は、以前よりずっと綺麗に見えて。綺麗だけど、どこか憂いを帯びているように見えて、気になった。
「実はね、私、ちょっと不安なの」
彼女の言葉は沈んでいて。何か問題があったのかと、心のどこかで期待している最低な男が居た。
「不安? 相手は、いい奴なんだろう?」
「そうなんだけど。私、あの人の事、知らない事の方が多いの」
これって、もしかしたら。
「ご実家、福岡なの。それで、ご挨拶に行く前に下調べをしたの」
「それで?」
「お土産のランキング第一位が『梅ケ枝餅』。二位が『博多通りもん』っていうお菓子だったんだけど」
「だから?」
なんだか、くだらない話に落ち着きそうなのは、気のせいだろうか?
「調べるまで、大宰府とか博多が福岡県にあるってこと、知らなかったの。私って、もしかして、かなり馬鹿だったりしない?」
「知る事が出来たんだから、良いんじゃないか?」
この上なく、くだらない。そのうえ、面倒くさい。
今までは、友香のこういう面も可愛いと思っていたのだけど……他人のものだと思うと、どうにも面倒くさい。
「お勉強して、ひとつ賢くなりました。今まではそれで良かったのだけど、これからは、ちゃんとしないと隆文さんに迷惑をかけちゃうし。だから」
「だから?」
「私、結婚とかしても、大丈夫なのかなって」
ああ、もう。
「そんなもの、大丈夫に決まってるだろう?」
何故、お前はぼくの前で、そういう弱い所をさらけ出すのだろう。
はっきり言えばいいのか? お前のそれは、ただのマリッジブルーだと。
きっと、ほおっておけば良いのだろう。だが、ほおっておけないのが、ぼくの保護者たる所だ。
「誰でも、不安なんだ」
「え?」
「だれだって、不安なんだよ。将来の事を考えると。お前が、やっとそれに気づいたんだって、ぼくとしては拍手したい」
今まで、流されるようにやりたい道を選び、その道に沿って歩いて来たのだろう。
だから、これからが不安なんだ。
「だって今までは、家族や、将太さんも支えてくれていたから……」
やっぱり、面倒くさい。
それなのに。
「友香は、何かを失うわけじゃない。そうだろ?」
そう。籍を抜けて家族と離れて、新しい自分を始める事に、戸惑っているだけ。
でも、ぼくは知っている。友香は、ぼくにだって簡単に相談を持ちかけて来るような奴。そう、彼女は信頼している誰かに頼る事を知っている。
だから。
ぼくは、彼女の背中を押す。
「これからも、友香に出来ることをすればいいんだし、それ以上の事をする必要があれば……」
「必要があれば?」
「がんばればいい」
きょとんとした後で、友香が吹き出す。
「何よ、それ。単純明快」
「でも、ありがとう」と、彼女が小さく頭を下げる。
「気が楽になったみたい」
「それは、良かった」
そして。この時、ぼくが彼女の背中を押した事を後悔したのは、それから一週間後。
友香とゴリラ男との、結婚式の前々日の事だった。
電話があったのは、更に前日の夕刻。こちらの予定が無い事をあらかじめ確認してから、絶対に予定を入れるなと釘を刺されて。結婚直前の姪の来訪に、腕によりをかけて夕食の準備をする母親。何となくだか、嫌な予感がしてならない、ぼく。
定刻を七分遅れて到着した友香は、左手に大きな紙袋。右手にはオレンジ色の花束が抱えられていた。
「決めたの。がんばる事に」
そう言って、彼女は花束をぼくに突き付けた。
そうして、ぼくは――いつの間にか、花の茎を切って延命液に浸したのち、茎にワイヤーを十字に通して紙テープで巻くという地味な作業をさせられていた。
がんばって――ブーケトスの時に使うトスブーケを作る事にしたという、友香の勢いに押されて。
「全部がお仕着せってのは、良くないと思うの。少しは気合を入れないと」
「それは良いけど、なんでこれをうちで?」
わけが解らない。
「だって私、明日には実家に戻って両親にご挨拶をしなきゃいけないでしょ? だから、おばさんにお願いしたの。野菜室にブーケを預かってって」
いつの間に、手をまわしたのだろう。というかそれは、ぼくが手伝う理由にはなっていない。
「じゃあ、このブーケは当日に母さんが会場に持って行くんだな?」
念のために確認する。
「え? 無理無理。おばさんは着付けがあるから、美容院から直行だもの」
つまり?
自分を指さすと、友香はにっこりと笑いながら頷いた。
「ぼくに、これを持って電車に乗れと?」
「そうなるね。ブーケスタンドごと手に持ってくれないと、壊れちゃうし」
どうして、この娘は。
今更ながら、理不尽な思いに駆られる。
意地悪なお願いをする時、こんなに魅力的なのだろう、と。
やっぱり、最後まで完敗だ。
「やっぱり将太さんって器用だね」
ワイヤーに沿って紙テープを巻くぼくの手元を見ながら、友香がくすりと笑った。
「覚えている? 大昔、海水浴に行って、海にも入らずに砂浜で『インディアンの砦』作った事」
忘れるわけがない。
「あれが、将ちゃんと私が、力を併せて作った、初めての作品だったよね」
そう、初めての二人の共同作業。
「最初に作ったのは、すぐに波に流されて」
「うん。私、大泣きした」
くすんと笑う、友香。
ふと、真顔になって、ぼくを見る。
「昔からずっと、将ちゃん――将太さんの後ろをついて行っていた。多分、将太さんが居なかったら今の私は無かったわ」
無理だ。その展開は、ぼくには無理だ。
だから、わざと軽くいなす。
「大げさだろ? ぼくらはただの、親戚で」
「でも、『助けて』って電話したら必ず来てくれたよね」
友香は完全に自分の世界に入ってしまっている。
ここで、ぼくが「それは、お前の事が好きだったから」と言ったとしても、きっと彼女は自分の都合の良いように解釈してくれるだろう。
そう考えると、
「友香は、ぼくにとって大切な妹分みたいなものだし」
自然に、その言葉を吐く事が出来た。
ぶわっと、友香の両目が潤む。
「い、いままで……」
この展開が無理だったのは、ぼくだけではなかった。
限界を超えた友香の眼から、大粒の涙がこぼれ出す。
ああ、もう。
こいつは、一度泣き出せば、しばらく泣き止まないのに。
「あ、ありが……」
ぼろぼろと、こぼれる、涙。もう、友香の顔はぐしゃぐしゃだ。
だから。
ぼくは、そっと彼女の耳元に唇を寄せ、魔法の言葉を囁く。
「お前さ、昔から泣くとすごいぶすになるから、泣くなよ」
ほら、彼女はもう泣いていない。
頬を膨らませ、ぼくを睨みつけている。
「将太さんの、ばーか」
「つまんない事を言ってる暇があったら、とっとと仕上げろよ。ほら、最後の一本」
オレンジ系のバラとガーベラを束ねて円形に仕上げ、まとめてテープで固定し、その後にピンク色のリボンを巻く。
ぼくと友香の、最後の共同作業。小さなブーケが完成した。
「これは、お式の後で花嫁が投げるの。そして、このブーケを受け取った人が、次の花嫁になるのよ」
「じゃあ、大切に届けないといけないな。当日、式場へ」
「勿論。壊したら、死刑なんだから」
気が付いたら、夜中になっていた。
思い出したように、友香がスマホをチェックして、慌てて電話を掛け直している。
ぼくらの時間は、こうやって終わりを遂げた。
祝福の拍手の中。
白いドレスを着て、少し恥ずかしげに笑っている、友香。
その横には、ゴリラ男こと、新郎の中島隆文氏。
初めて見るその人は、思ったよりもハンサムで、ついでにぼくよりも背が高かった。
癪に障ったので、ぼくは心の中で秘めた思いを告げる。
友香。ひどい女。
なんでぼくを招いたんだ? この、誓いの場所に。
お前を祝福すると、本気で思っていたのか? 呪いの一言ぐらい、吐き捨てるとは思わなかったのか?
嘘だよ。ぼくは、お前の幸せを一番願っていたんだからね。そう、その気持ちだけは、隣に立っているゴリラに負けていない。
だから。
女々しいかも知れないけれど、この気持ちは忘れずに居るつもりだよ。次の出会いに、巡り合うまで。
青い空の下、花びらが舞う。
フラワーシャワー。
ぼくも、手渡された色とりどりの花びらを、新郎新婦に被せた。
友香の白いウエディングドレスも、新郎のモーニングも、花びらに染め上げられて行く。
香しい芳香が、周囲に舞う。
鳴り続ける、教会の鐘の音。二人を祝福する、笑顔たち。
そして。式次第の相談に乗ったぼくは、知っている。
フラワーシャワーの後は、メインイベントのひとつ。新婦のブーケトス。
カメラのピントを、一瞬だけ新婦に合わせかけて、考え直して両手に握られた、オレンジ色系のバラやガーベラをメインに作られた可愛らしいブーケに合わせた。
そう。おとといの夜遅くまでかかって作った、ぼくと友香の、最後の共同作業。
そのブーケを受け取る人物をカメラに捉える事が、ぼくに出来る最後のはなむけ。
準備は万端。来い。
意気込むぼくの前で、友香は艶やかな笑みを浮かべて……ゆっくりと、後ろを向いた。
当然、オートフォーカスが、外れる。
まさかの、ハプニング。いや、ブーケトスとはそもそもそういうものだった。
慌てて、照準を合わせようと焦るぼくの思いもむなしく。
新婦の手から、ブーケが飛ぶ。
この時、ぼくは友香のノーコンを心から呪った。ブーケを受け取る女の子を捉えようとしていたぼくは、中心からかなり右方向でカメラを構えていて。
それなのに、新婦の放ったブーケはまっすぐにぼくが居る方向へと向かって来たのだ。
人が、殺到する気配。
これは、危険なんじゃないのか?
ブーケが向かうピンポイントから離れようと、人が殺到する方向とは逆方向に向かう。
いきなり、衝撃があった。
目の前にはロイヤルブルーの、どちらかと言えば小柄な誰か。多分、ブーケを取りに来た女性と、ぶつかった事に気づく。
ぼくにぶつかって、転びかけた女性。あわててその体を支えようとして、バランスを崩した。左手で女性を支えつつ、右手はカメラを死守しつつ。両手を塞がれた状態でバランスを崩せば……ふつう、転ぶ。
あれだ。一生の不覚というやつだ。
かくして、とても大切な人の結婚式の重要イベント、ブーケトスの、よりによってブーケ落下地点付近で転んでしまったぼくの周囲では軽いパニックが起こった。
踏むものと踏まれるものと言うか、つまづくものとつまづかれる要因と言うべきか。
ブーケの行方など、もはやどうでも良い。
とりあえず、ぼくの負った精神的ダメージは深く。このまま、何もかも無かった事にして死んだふりを決め込みたい。そんな心境。
と。
「あの」
ようやっと周囲のパニックが落ち着いた頃に、ぼくの顔を覗き込んで来たのは、ロイヤルブルーの上品なスーツを纏った、健康そうな女性。多分、友香と同じか少し年下だろうか。先刻、ぶつかった相手だ。
「大丈夫でしたか?」
ここで、爽やかに笑えるのが、ぼくの利点であり。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
かけられた心配げな声に、これ以上の心配は無用とばかりに立ち上がり、埃やら足跡やらで汚れた服をはたく。
「お互い、災難でしたね」
そう告げた、僕の汚れた手に向けて、レースのハンカチが差し出された。
「ありがとうございます」
ハンカチを受け取った瞬間。
「冬来たりなば、春遠からじ」。
何故か、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
実は、この物語は素敵な「なろう作家」さまとの初のコラボ作品であります。
私が書いたのは、「結婚が決まった女性をひそかに思っていた男性視点の物語」。
いや、久しぶりに恋愛ジャンル書いたので(しかも、男性視点)少し難しかったですね。
改めて、読んでいただき、ありがとうございました。
素敵な作家さまがお書きになった「結婚が決まった男性をひそかに思っていた女性視点の物語」を探して頂ければ幸いです。
そして、コラボをしていただいた貴方へ。
拙い物語で、申し訳ありません。また、泣きの一言を申し上げ、投稿日時繰り越し、大変申し訳ありませんでした。
でも、楽しかったです。
ありがとうございました。