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「グルヌカって国を知ってるか? どっかでこの国のことを見たんだがどうしても思い出せなくてな。小骨が刺さったみたいにムズムズするんだが、有馬心当たりないか?」
話している最中にも、キーの音は途切れることなく電話の向こうから聞こえてくる。
「えー、なにそれ僕知らない。どこ情報よー。ググっても出てこないよ? 何語? つづりは?」
「グルヌカ語だ。スペルは知らん。どこ情報ってそれがわかったら苦労してねえよ」
有馬は親の代から続く『榊鍵店』の店主だ。でも俺が儲からない『魔法使いの便利屋』を本業、主な収入を得ている『田舎坊主』を副業と思ってるように、有馬も『鍵屋』は副業で本業は『データ探し屋』だと自称している。だから有馬に正面から調べ物を頼むと、本業に対する報酬を求められていろいろ面倒になる。
一方で有馬は千葉組魔法使い同期の生き残りで、俺が悪友と呼んでも嘘にならない数少ない人間でもある。友人同士の会話で「これ知ってる?」という流れになるのは何もおかしくない。そして有馬は、ネット環境のあるところで知らないことを聞かれると、わかるまで調べてしまうという習性を持っている。
「英語、ドイツ語、中国語、フランス語、アラビア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、インドネシア語、韓国語、タイ語でそれっぽいつづり検索してみたけど、そんな国出てこないよ?」
有馬は嫁がドイツ人なのでweb翻訳やGAIJINとのやりとりに強い。
「三分程度でそれだけの言語エンジン検索してくるとか、お前はやっぱり頭おかしいな。ありがとう。しかしどういうことだ……確かに知ってる単語なんだが」
「和尚さー、これほんとに実在する国なの? ゲームかなんかに出てきた架空の国とかじゃないよね?」
そんなはずはないと言いかけて「そ」の音を半分出しかかったところで急いで引っ込めた。
急に寒気がしてきた。
「……それだ」
「まじで? もー和尚は人騒がせだなー。そんなんだからハゲなんだよ」
「ハゲは関係ねーだろハゲは。苗字みてえな名前しやがって」
有馬の本名は榊有馬という。昭和五十二年の十二月二十六日、有名な中山のGI開催日に生まれたのが名前の由来だ。本人は今でも競馬には一切興味がない。
「それでどんなゲームなの? おもしろい?」
「クリエイトルーンってブラウザゲーだ。二年前に更新終了したが。面白いかと聞かれると、可愛かった」
「ああ……うん」
有馬はみなまで言わなくても大体わかると言いたげに唸った。
実際『クリエイトルーン』はゲームと呼んでいいのか疑わしいものだった。設定できるのはキャラクター名と性別だけで、操作すらできない。一日二回のサーバ更新により行動ログが作成され、キャラがその日何をしたのかを読むだけという代物だった。キャラが特別可愛いのではなく、マイキャラkawaii!の他に何もすることがないのだ。これをあえてゲームだと言うなら文句なしにクソゲーだ。
ところがあまりに投げっぱなしすぎる公式のおかげで、ファンコミュニティ内ではキャラの外見を自作したり、有志が二次創作を始めるなどの盛り上がりを見せた。俺は一時期その様子を眺めていたことがある。
グルヌカという名前を見かけたのは、クリエイトルーンのファン用SNS内だ。
「でもブラゲの国名ならググれば引っかかりそうなのにね」
「見かけたのがクローズドSNSの中だったからな。サーチエンジンのロボットを弾いてたんだろ」
今は『クリエイトルーン』のサーバ自体がなくなっている。
「助かったよ有馬。おかげで今日一日モヤモヤしていたのが晴れた」
「僕なんもしてない気がするけどもっと褒めてくれてもいいのよ。解決もしたことだし僕は仕事に戻るね」
「ああ。また電話する」
電話が終わると、空気が静かになった。静か過ぎて頭に血が流れる音がガンガン響いている。
これはどういうことだ。
PCの時間表示を見ると八時を過ぎた頃だった。疑問と不審を確認するべく、太田の名刺にあった電話番号にかけてみるが、二十コール待っても留守番電話の案内すら始まらない。繋がりやすい時間を確認しておかなかった俺が悪いが、そもそもこの連絡先は生きているのか?
「何が亡命だ」
ググって出てこない国の大使館が日本にあるはずがない。嘘を言っていないので騙された。審査が厳しいことで有名な日本で亡命認定を受けているなんて、何者だろうと思っていたが、単なる密入国者の可能性も出てきた。
いやそれ以前の問題で、グルヌカという国はあるのだろうか。
仮説一、グルヌカは架空の国である。
しかし依頼人二人のどちらも、グルヌカについての言葉には嘘がなかった。ありもしない国ならば、もっと言葉に嘘が混じりそうなものだ。現状グルヌカはあると考えていいだろう。
仮説二、グルヌカという国は十五年前はあったが今は消えてしまった。
これは依頼人の言葉に嘘がなくてもありえる。しかし有馬の検索でかすりもしなかったのはどういう事だろう。あいつの検索は俺がググるのとは精度が違う。過去に国があれば何らかの情報は残るだろう。
仮説三、実際は独立国家ではなく、公式の記録上では別の国の一部として扱われている。
少数民族を抱えた国にはそういう事例がある。たとえば『人口数万程度の小規模な民族が独自の文化を維持し、自分たちを一個の国家とみなしているが、国際的に認められた正式な独立国家ではない』なんて場合だ。こういう手合いは世界中にあって、web上に情報の存在しないマニアックな『自称国家』があってもおかしくない。
重要なのは、そのマニアックな国を知っていそうな人物が、クリエイトルーンSNSにかつて居たということだ。
クリエイトルーンSNSは、稼動していた当時から検索避けがされていた。googleで検索してもSNS内部のページは出なかったのを覚えている。ロボット避けのせいか、アーカイブにもない。
ゲームとは違うサーバに立てられているので、SNSは今でも見ることが出来た。すっかり廃墟だが、画像もページもそのまま残っている。サイトはシンプルで、見た目はmixi型のSNSというよりニコニコ大百科に似ている。たぶん似たようなCGIを使っているんだろう。
元々はマイキャラのプロフィールを作って、ページ内に設置されたコメント入力欄でユーザー同士コメントをつけあうものだったようだ。俺が噂を聞いて覗きに来たときには既に、キャラなりきりと『ぼくの考えたかっこいいせってい』を解き放つ黒歴史発表会場のカオスになっていた。俺が入ったのは三年前の春休みシーズンだ。「四月から高校生になるので忙しくて遊びに来られないかも」等のコメントが一件二件では済まなかった。
トップの検索フォームに『グルヌカ』と入れると、二件ヒットした。更新日時が新しいほうに跳ぶ。ベーシックなキャラクター紹介ページではなく、『解説』欄にだけ記事が書かれている。設定ページと呼ばれていた書き方だ。
前にざっと読んだだけなので内容は覚えていないが、このページは架空世界の言語で書かれた賛歌を載せていたはずだ。結構な長文だ。
Ctrl+Fでグルヌカを抽出する。
ラス シフア エンベエンベ ナイギ グルヌカ チャッコ ファシハルファシダ
(ファシハルファシダは善なる精霊に白い角の牛を捧げた)
ページの中ほどに、グルヌカという単語があった。カタカナの羅列が架空世界の言語で、カッコ内が邦訳になる。これだけ読むと『グルヌカ』は国名や地名には見えない。もう一度Ctrl+Fすると、ページ最下部のコメント欄に一行、簡素な記述があった。
このページは、グルヌカマチュネ(グルヌカ語)の聖句を載せています。 -- L.C.マーリン 2010/02/21
わずかでもグルヌカという単語を覚えていたのは、この一言が記憶に残っていたからだ。L.C.マーリンの設定は、他のユーザーのものと比べて、妙に作りこまれている。
グルヌカ検索で出てくるもう一つのページには、架空世界がどういう場所かの設定が書かれている。こちらにもグルヌカという単語があったが、グルヌカが国だとは書かれていなかった。
L.C.マーリンはSNS内でほとんど自分を出さないプレイスタイルだった。他ユーザーのキャラにコメントをつけたり、キャラになりきって掲示板に書き込んだりといった、ユーザー同士の交流の痕跡がほとんどない。たまにメッセージに返信するぐらいだ。馴れ合いをしないのと、淡々と世界設定だけ書いてキャラクタープロフィールを作らないプレイスタイルは、中学生だらけのSNSの中でストイックに浮いていた。俺は一度メッセージのやり取りをしたことがある。
二つ目のページにはL.C.マーリンの外部blogへリンクが張られていた。二年前、このblogもチェックした。
二年も経てば消えている可能性があったが、運よくL.C.マーリンのblogは残っていた。最終更新日は『2012/05/01』。今日だ。L.C.マーリンが今もblog更新を続けているなら、連絡がつくかもしれない。