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2012/05/01 06:00

 坊主の朝は早い。俺は毎日四時に起きる。そして朝六時には檀家から電話がかかってくる。

 シャチョウこと住持の良信和尚が九十年代に行ったマネジメントにより、大願寺は顧客創造力を取り戻した。つまりシャチョウのせいで、朝六時に電話を掛けてくるような檀家が増えた。

 朝早いからといっても、緊急の電話ではない。来月の三十三回忌どうしましょうかという話で、一昨日にも同じ檀家から同じ時間に電話があった。こちらも一昨日と同じ言葉で適当に相槌を打つ。この檀家は、話の始めは法要についての質問だったりするが、後半はいつも千葉大に通う孫の話になるのだ。

 受話器を置くと疲労感が広がった。三十歳のヤングに老人相手の聞き役は難易度が高い。

 疲れた腹いせに、こいつめ、と灰色のコードレスフォンを睨むと、視線に抗議するように呼び鈴が鳴った。たった今三十分近い労働を終えた直後だというのに。俺と電話は互いに意地を張ったにらみ合いをし、三コール目で俺が折れて受話器を取った。


「千葉大願寺です」


 俺は極力穏やかに、人に安心感を与える声で電話に出た。二秒、三秒。相手はなかなか喋り出さない。四秒、五秒。気難し屋の虫が腹の中で鳴き始め、受話器を置こうと耳から離しかけたときだった。


「大願寺の、魔法使いというのは……そちら様であってますでしょうか?」


 なんとも所在なさげな弱々しい男の声音だった。電話をかけるのもずいぶん迷った末であろうとうかがえる。


「はい、わたくしが魔法使いです。ご依頼ですか?」


 珍しいこともある。檀家からの電話ではなく、本業の客らしい。

 俺は千葉市で唯一広告を出して営業している魔法使いだ。



 電話の主の要旨はこうだった。あるものを探している、なるべく早く見つけて欲しいので今日中に打ち合わせがしたい。たったこれだけの内容を、ぐだりぐだりと煮え切らないしゃべりで長々聞かされたので、俺は居眠りしそうになっていた。


「それでは太田さん、本日の十四時に御足労いただけるということで。お待ちしております、ところで」


 眠気を払うため左手で眉間を揉んでいると、電話越しの依頼主・太田にまだ聞いていないことがあったのを思い出した。


「わたくしは何を探すのかをまだ伺っておりませんでした。詳しいお話は打ち合わせでと存じますが、参考までに伺って宜しいでしょうか」


 太田の挙げた名前は明らかに日本語ではなく、俺は聞こえた通り繰り返した。


「ヴィシュヴァジュラくだ?」


 なんだよそれは。

 その突飛な名前で、眠気が多少吹き飛んだ。すぐに頭の中の検索カードがめくられていく。梵語か? Vis-Vajra――ヴィシュ=全ての/ヴァジュラ=金剛杵。管というのがわからないが、密教系の仏具のようなものがぼんやり浮かんだ。

 もしかして仏具探しだから俺に依頼しようと思ったのか? 俺は地域新聞千葉南版という、かなりローカルな情報チラシにだけ広告を出している。あれを見て探し物やちょっとした困り事の相談に来る者はまずいない。来るのは檀家や地元住民ばかりで、たまに同業者の紹介か、警察関連で流れてきた仕事をする。

 それに魔法使いの看板を出していると言っても、独立した事務所を構えている訳ではなく実際は寺の名前を借りている。名目上は、魔法使いという売り文句で大願寺が何でも屋のようなサービスもしますよ、ということになっている。仏にまつわる探し物が専門と思われてもおかしくはなかった。

 用は済んだとばかりに、太田は電話を終わらせた。「では十四時にお待ちしております」と言う隙すら与えなかった。



 再び灰色の受話器を置き、しばらく待ってみた。鳴り出す様子はない。電話との戦いに勝った気分になり、気持ちよく休憩室に向かおうとすると、今度はスマホから『Duvet』が流れてきた。勘弁してくれ。表示を見るまでもなく誰からの電話かわかる。黒崎冬子だ。


「おいアイスマン、いま何時だと思ってるんだ」


 魔法使いは気難しい。このような性格が形成されたのは、魔法使いが幼少期から『信頼したものに裏切られる悲劇的な経験』を健常者の何倍も積んでいることと関係あると思う。その一方で、どんな悲惨な過去話を聞かされても「そう かんけいないね」でズバッと切り捨てる人間というのがいて、黒崎はまさにそのタイプだった。氷のように冷たくて、境遇を理由に罪を犯す人間に一切同情しない。ついでに俺が魔法使い的な性格だと知った上で、それを考慮しない。


「六時四十八分だけど営業時間内でしょう? 安心して、うちも営業中だから」


挿絵(By みてみん)


 相変わらず少しハスキーで色っぽい、いい声をしている。顔や声と言った外側の要素だけ見れば、まだ独身なことが不思議なぐらいだ。


「警察官様は朝からご苦労なことで」


 もっと気の利いた嫌味を言ってやりたいが、生憎といい台詞が出てこなかった。


「個人的に意見を聞きたいものがあるんだけど、和尚は今日木更津まで行ける?」

「今日はだめだ、先約がある」


 タイミングが悪すぎる。それに無賃で働く気はない。黒崎とは数年付き合いがあるからわかるが、仕事を斡旋してくるときは仕事があると明言する奴だ。個人的に意見が聞きたいだと? 交通費ぐらいしか出ないパターンだ。


「そう、残念。でも今回のは一課の事件だから、部外者を現場まで連れていく危険を冒さず済んでむしろ良かったのかも」

「一課? アイスマンは生安だろ?」


 一課が刑事ドラマでお馴染みの捜査一課のことだとすれば、どうも剣呑な事件について俺に意見を聞こうとしているらしい。普段黒崎が担当しているのは、未成年の補導や迷子老人の保護だ。


「失踪人絡み。失踪届けはうちの管轄だから私にも情報が来てるんだけど、今回のはちょっとね。失踪人見つけちゃった木更津が混乱してるのよ。だから魔法使いの意見を聞きたかったんだけど」

「話が見えないぞ。そもそも木更津ってなあ……明らかに千葉の縄張りを越えてるじゃねえか。管轄外に首を突っ込むほどの事件ってなんだよ」

「珍しい獣害」

「失踪人に獣害? 俺じゃなく保健所に聞けよ。一課が捜査する獣害とか意味がわからん、木更津に人食いグリズリーでも出たのか?」

「さすが鋭い。現状では熊かどうか特定できてないけどね」


 マジか。

 黒崎の口調は、落花生畑を荒らすハクビシンについて語るトーンだったが、そんな可愛い話じゃない。

 オフレコだけれど、といまさら付け加え、黒崎は声を低くした。


「湾岸沿いに神奈川・東京と出没してる。ついに千葉でもってこと。現在わかっているのは足跡と歯形だけ、体毛は見つかってない……そもそも被害者のまともな遺体が出てきてないの。信じられる? 推定でイヌ科と思われる、ファミリー牧場のポニーより大きい獣なんて」

「出てきていないのになんで『遺体』と言い切れるんだ」


 黒崎の声はそんなこともわからないのと言いたげだった。


「現場で血痕と心臓が見つかってるから」


 俺は暴力や流血は嫌いだし、怖い話も苦手だ。「坊主が怪談を怖がるのはおかしい」と理不尽を言われることもあるが、恐怖を煽る目的で生まれた話を怖がるのはむしろ正しいと思う。黒崎の話に対し、頭の一部は「獣が心臓のような上質の臓器を食べ残すのは不自然だ」と突っ込みを入れていた。だが、頭の大半には血溜りに落ちた心臓の映像が思い浮かんでいた。パスだ。そんな話俺は絶対関わらんからな。


「これは常識を超えた事件の専門知識がいる。手伝って」

「だったら北海道のマタギでも呼んでこいよ。俺は好奇心で他所の縄張りに侵入しようとしてる野次馬に手を貸すつもりはないし、人食い犬の専門家でもない。どうしてもと言うなら木更津から正式な業務依頼でも出してくれ」

「無茶振りで悪かったわ。この話は忘れて頂戴」


 黒崎が切るより先に俺のほうから終話のアイコンをタップした。魔法使いや坊主を、未知の怪異と戦う存在だと思われても困る。たしかに一部にそういう役割があることは否定しないが、魔法使いでも坊主でもない人間がモンスターと戦う確立のほうが遥かに高いんじゃないか? 


 

 休憩室では花枝夫人が七時のニュースを見ていた。気象予報士がゴールデンウイークの晴天を伝えている。天気予報が終わると、ニュースは今年に入って多発している銃の盗難事件に変わった。

 俺はまだ小食しょうじきを取っていなかった。シャチョウは花枝夫人にあわせて朝・昼・夕を休憩室で食べる。俺は熱心な仏道の探究者とは程遠いが、小食と点心てんじんは僧堂で食べることにしていた。器はホームセンターで買った普通の食器だし偈文(げもん)も唱えないが、飯を食うときは食うことに三昧に。食事のストレスや面倒くささも、僧堂では一時的に忘れることができる。飯が面倒というか、食わないと人は生きられないことが面倒くさいのだ。

 それでも薬石は全員そろって休憩室で取ることにしていた。これは花枝夫人の「僧堂までの通路が暗いから、夜はなるべく通らないように」という主張による。


「ノッポさん朝ご飯にするなら、木の芽取ってきてね」


 花枝夫人は振り向くと、庫裏くりの裏から山椒を取ってくるよう指示した。一四四センチで小学生並の花枝夫人は、一八五センチの俺をNHK教育めいたあだ名で呼ぶ。

 俺は言われた仕事をするため庫裏を出た。大願寺の伽藍は、そこそこ立派な山門に、本堂と僧堂、庫裏と呼ばれる一般的な二階建て一軒家でできている。禅寺で庫裏といえば本来は修行僧の食事を作る場所のことだが、大願寺の庫裏はただの家だ。シャチョウ・花枝夫人・俺が住んでいる。 



 山椒は庫裏の北側に生えている。山椒の芽を摘み、なにげなく庫裏を見た。

 北に面した庫裏の壁全体を、みっちりと蜂が覆っていた。黄色と黒の、まるっこい体をした花蜂が、隙間なく、もぞもぞと、家の一面を埋めている。蜂たちはぶんぶん飛び回るのでなく、体が温まるのを待っているように動かない。蜂の質感は本物にしか見えない。リアルだった。俺は経験で、この蜂の群れを触ったら、本物の蜂のようにもぞもぞとした触感を感じるだろうとわかっていた。もしかしたら刺されるかもしれない。仮に刺されたとしたら本物の蜂と同じく痛いだろう。

 だがこれは幻覚だ。

 俺は魔法使いの目を開いた。魔法使いは、可視光線を捉える光学的な目の他に、言葉では説明の出来ない目を持っている。言葉では説明できないから『目』というのも例えだ。別に額に第三の眼球があるわけじゃないが、業界じゃ魔法使いの目と呼んでいる。

 のびやかに晴れ渡っていた五月の景色は、常識から外れた様相に転じていた。魔法使いの目を通して見た世界は、薬物中毒者が見る世界に似ているという。太陽からはミトラの長い手が垂れ下がり、大気をかき回している。桃色の空には、先ほどまでは無かった楼閣が浮かんでいる。もちろんすべて幻だ。現実には存在しない。魔法使いではない人間の現実には、という意味だが。

 魔法使いの目でも、庫裏の壁面には蜂の大群が見える。だが、このすべてが非常識な景色の中では、先ほどの常識的な景色の中で見たインパクトはない。

 俺は、無理に言葉で表現するなら『手を伸ばした』。魔法は言葉で説明できる領域を越えたものだ。本当に手を伸ばしたわけではないが、俺の中には当てはまる表現が無い。伸ばした『手』は、無数の花蜂に触れると、本質を掴んだ。


 パチン


 シャボン玉が割れる音がして、魔法が解かれる。ピンクの空も、太陽の腕も、うごめく蜂の大群も消えうせる。残ったのは、一匹の花蜂だった。蜂は一休みを切り上げ、一度円を描いてからどこかに飛んでいった。

 思ったとおり蜂の大群が幻覚だったことに胸をなでおろした。幻覚は魔法使いの持病だ。こいつとの付き合いは長いが、いまだにヒヤリとさせられる。大抵はちょっと驚くだけの害のない幻覚だ。だが現実だと思っているものが幻覚ではないと誰が断言できる?

 夢から醒めない恐怖は、生涯魔法使いの後ろをついて回る。俺だって例外じゃない。日に数度幻覚を見る事もあるが、こうして魔法を使って目を醒ましてやれば日常生活には支障ない。幸いなことに、魔法を使っている間は主観時間が限りなく引き伸ばされる。今しがたの、幻覚を見てから覚醒するまでの一連の事も、時間を計れば一秒の半分にも満たない刹那の出来事だろう。多くの魔法使いは、幻覚を見てしまう病気のことを周囲に気取られずに生活出来ている。

 俺は何事もなかったように戻り、小食を摂った。

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