2月22日 狂気か正義か
『ただ今、長瀬内閣総理大臣より許可が下りました、直ちに橋の上から退去しなさい、退去されない場合、反社会的人格障害者とみなし、法に基づく対処をいたします』
その場が凍りついた気がした、封鎖された橋のバリケードギリギリまで迫っていた民衆だけではない、後方で武器を持って有事に備えていた自衛官たちもだ
民衆は何も知らなかったに違いないが、自衛官たちはこのような行動に出ざるおえない状況に陥る可能性がある事を知っていたし、覚悟もしていたつもりだ
しかし、その覚悟は言ってみれば『戦争になれば命を落とすかもしれない』、そんな覚悟だった
さすがに動ずることはないが、本当にその時が来た、来てしまったのだと冷や汗が流れる
だが、逃げるわけにはいかない
静まり返った橋の上に、突然声を上げるものがいた
「ふ、ふざけるな!」
バリケードの上から見ると、民衆が一斉にある一点に顔を向けるのが分かる、顔を向けられた男性は一瞬身を引こうとするが、橋は人で埋め尽くされている、逃げられる訳がない
覚悟を決めたのか、男性は大きく息を吸い込み、一度はいてから
「君達の仕事は国民を守る事だ、何故国民を感染者呼ばわりする!」
素早く返事が返ってくる
『我々が対処するのは反社会的人格障害者です、ここにこれ以上留まることは我々の誘導を無視した事になります』
返事にはなっていなかった、ただ事実を述べただけだ
この発言の意味深さ、いやそれ以前に『反社会的人格障害』という病名の意味深さに気付いた人間は何人いたであろうか
気付いているのかどうかは知らないが、民衆たちは各々抗議の声を上げる、ただの罵声のほかにも、様々な声が上がる
しかし、そんなのを聞いている時間はない、感染者達の数に押され、防衛線はジリジリと後退している、一刻も早く最終防衛線となるこの封鎖線を強化しなくてはならないのだ
バリケードの上に立った自衛官が『何か』を空に向けた
『何か』の先端から何かが飛び出した
声にならない悲鳴
スピーカーが告げる
『今のは威嚇射撃です、繰り返します、我々が対処するのは反社会的人格障害者です。直ちに橋の上から退去しなさい、退去されない場合、反社会的人格障害者とみなし、法に基づく対処をいたします』
老若男女押し黙ってしまい、風ではなくピリピリした緊張感、いや危機感が漂う、破裂寸前だ
ふと、声が響いた、この声がなかったら、この橋が血に染まったであろうギリギリのタイミングだった
内容はさっきの男と似ていたが、問題はその声がバリケードの前ではなく後ろから聞こえてきた事だ
「こんなの、間違ってます!」
衝撃だった、まさか自衛官の中にこのような発言をするものがいるとは
スピーカのマイクを口から離しつつ、上官がつぶやくように言った
「おまえ、自分のしている事が分かっているのか?」
「分かっています!」
素早い返事だった、それだけに、まわりはただ傍観するのみだ
「この封鎖線が突破されれば、もうこんなに上手い形で封じ込めを行うことはできないぞ?」
上官が絞り出す言葉はそれだけ、実際この封鎖は奇跡のように完璧に行われていた、信じられないが、封じ込めが成功しているのである、それも現在進行形で
「ですが、封鎖区内の住民を見捨ててまで封鎖を続行する必要はないかと!」
またしても橋の上に良く響いた、誰も、民衆すらも声を出さない、さっきから聞こえてくる爆音だけが、時間が流れている事を証明していた
上官は再び話し始める、自らにも言い聞かせるかのように
「いいか、よく聞け、仮にこの住民たちの中に保菌者が紛れ込んでいた場合、我が国は大混乱に陥る」
「そんな事は分かっています! しかし、封鎖区内も我が国です、よって我々は彼らを保護せねばなりません!」
「先ほど、内閣総理大臣が封鎖区内の完全放棄を決定した」
「!」
その言葉に自衛官は茫然とする
しかし、バリケードの後ろは、にわかに騒がしくなる
とにかく早く逃げようと後ろの人々はもがくが、前の人はつきつけられた小銃を前に動けない、自分たちを守るそれは、今自分たちに向けられているのだ
「だから、我々は国の脅威となるモノ全てに対処する、それだけだ」
そう告げる上官は狂人のような形相だが、これは狂っているのではなく、決断の重さに耐えきれず思考放棄した顔だ、彼は悪くない、はずだ
叫んだ、自衛官が、大きな声で
「ふざけんな! 国民を見捨てて、何が自衛隊だ!!」
その顔は憎悪で満ちていた、それは、正義のみが許される表情のようでもあった
「なにを言ってる! 彼らは封鎖区内にいる、そして今、彼らの手によって封鎖線が突破されようとしている! さっきも言った通り、ここを突破されればこの国は、この社会は終わりだ! 彼らは我々の社会に危機をもたらそうとしている! 我々は国を自衛しなくてはならない、よって排除は妥当!!」
上官の言い分は屁理屈なのだろうか
彼はそのままの勢いで周囲の自衛官たちを見回し
「お前ら、この命令違反者を取り押さえろ!」
とだけ言い、素早く封鎖線のむこうに身体を向ける
『これが最後の警告です、今すぐ…』
そのセリフは、続かなかった
他の自衛官たちに取り押さえられそうになっていた自衛官、彼が持つ小銃の弾倉が空になるころ、そこら辺は一部を切り捨てて国を守ろうとした者たちの亡骸が転がっていた
信じられない――――もしかすると今まで封鎖出来ていた事が信じられない話かもしれないが――――ともかく
英断をしたはずの総理は、封鎖が突破される様子を、ただ見守っていただけだった・・・
感染の疑いがある人々が脱兎のごとく逃げ出す様子を、ただ見守っていただけだった・・・




