連行
――連れて来られてしまった。
もう夜も遅い。そろそろ帰らないと……
エルメさんも心配――しないか。
たぶん今ごろ、部屋で豪快に爆睡しているだろう。
それよりも、死にかけた直後に人に担がれ、屋根伝いに移動する経験など、人生で一度あれば十分だ。
できれば、もう二度と味わいたくない。
連れて来られた場所は、ついさっきまで華やかなパフォーマンスが繰り広げられていたサーカス――その裏側だった。
私はほどよく座り心地のいい椅子に座らされ、背後にはあのピエロが立っている。
そして正面にいるのは、淡いブロンドの髪と、しなやかな肢体を持つ美青年。
このサーカス・ルミナの団長だ。
「状況を整理しましょう」
団長は穏やかな口調で切り出した。
「カイ。あなたはショー終了後、見回りに行くと言ってすぐに出ていき、挙動不審な男性を発見、それを“処分”した。その後、そちらの女性に現場を目撃され……ここへ連れて来た。
――ずいぶんと派手な失態ですね」
「……うん」
背後から聞こえた返事は、驚くほど投げやりだった。
団長は優雅に脚を組み、片手を額に当てて深いため息をつく。
悩んでいるアピールをされても困る。連れてこられた側としては、こちらのほうがよほど頭を抱えたい。
「さて、そちらの女性。お名前を伺ってもよろしいですか?」
真っ直ぐに向けられた視線に、私は一瞬だけ間を置いた。
「……リリィです」
名前だけ。余計な情報を渡すつもりはない。
「私はこのサーカスの団長、ウィルと申します。リリィ様。
不本意かとは思いますが、あなたはカイ――そちらのピエロの素顔を目撃してしまいました。さらに、不審な男性の件もあります。このまま何事もなかったようにお帰しするわけにはいきません」
……このピエロの素顔は、そこまで危険なものなのだろうか。
確かに、顔立ちは目を引くほど整っている。金髪にオッドアイなど、目立つ要素も多い。
売ったら儲かりそうだが、この町で人さらいや売買が横行するとは考えにくい。現領主はその手の犯罪を徹底的に取り締まっている。
とはいえ、ここで深入りするつもりはない。
私はただ、早く帰りたいだけだ。
「質問があるなら手短にお願いします。こちらとしては、一刻も早く帰宅したいので」
「助かります。話が早い方は嫌いではありませんよ」
ウィルはどこか妖しげな笑みを浮かべた。
……色仕掛けだろうか。
「では最初に。あなたはなぜ、夜遅くに町を歩いていたのですか?」
「あなた方のサーカスショーを観た帰りです」
「おや、それはそれは。お客様でしたか」
途端に、営業用の笑顔に切り替わった。
――この人、かなり商売人だ。
「では次です。不審な男性について、覚えている特徴を教えてください」
「普通の中年男性でした。ただ、目が散漫で、歩き方も不安定。なのに走るのが異様に速い。
私も逃げていたので、直接に見たわけではないですが、あの姿勢のまま常人並みに走れるのは不自然でした」
少し言葉を選びながら続ける。
「それから、首を絞められました。短時間で酸欠になったので、握力は一般男性以上です」
「……ずいぶん冷静ですね」
探るような視線を向けられる。
「普通の方は、危険な目に遭った直後、そこまで整理して話せません」
「…………」
反論はしない。
“そういう性格”だと思われるほうが、むしろ都合がいい。
「まあいいでしょう。カイ、何か補足は?」
「……臭かった」
「あっ」
思わず声が漏れた。
あの悪臭の原因は、完全に私だ。
「反応がありましたね。正直に話したほうが身のためですよ」
今度は露骨に圧をかけてくる。
被害者に向ける態度ではない。いい加減、腹も立ってきた。
「……自衛用の薬剤を投げました。普通の人なら失神するか、逃げ出すほどの悪臭です。でも、あの男性には効かなかった。感覚が鈍っていた可能性があります」
「なるほど。ちなみに、その薬剤はまだ?」
「……あります。ですが、相当臭いますよ」
内ポケットから小瓶を取り出す。
腹いせにぶちまけてやりたい衝動を抑え、蓋を少しだけ開けた。
生ゴミのような悪臭が、ゆっくりと広がる。
「っ……もう結構です。閉めてください。カイ、入口を開けなさい」
カイは無言で従った。
相変わらず感情が読めない。
「こんなものを持ち歩くとは、逞しいですね」
「……どうも」
嫌味だが、受け流す。
「さて、状況は把握しました。本来であれば、ここでお帰ししたいところですが……」
ウィルは一拍置いた。
「カイの“夜の姿”を目撃された以上、そのまま帰して告発されては困る」
遠回しだが、要するに――
殺しを見た人間を、無条件で帰せないということだ。
(まあ、あれが“普通の人間”だったなら、だけど)
あの力。あの反応。
人間離れしていた。
けれど、論点はそこではない。
「……私に、何をさせたい?」
ウィルは満足そうに微笑んだ。
「秘密を守っていただきたい。カイの正体も、彼の行動も、今夜ここで交わしたすべてを」
「それくらい、言われなくても」
「残念ですが、赤の他人の言葉を鵜呑みにはできません」
そして、さらりと言い放つ。
「監視役として、カイをお付けします」
「……付ける?」
嫌な予感がする。
ウィルはとびきりの笑顔を浮かべた。
「我々サーカス・ルミナがこの町に滞在している間、
カイはあなたを影で監視し――行動を共にします」




