アケドール
《ニノ目線》
僕はこの町の領主邸に連れて来られ、応接室に案内された。
ソファに腰を下ろす。
きらびやかな装飾に、上品で柔らかな座り心地。
家を出てから、まだそれほど時間は経っていないはずなのに、ひどく懐かしく感じた。
しばらくすると、「コン、コン」と、ヒールの踵が床を打つ音が聞こえてきた。
規則正しく、強く、高い頻度で響くその音が近づくたび、僕の胸は重くなっていく。
「ニノ!」
やがて、足音の主――お母様が、勢いよく扉を押し開けた。
彼女は僕の姿を見た瞬間、泣き声を上げながら抱きついてきた。
「っ、ニノ……本当にニノなの!? 無事なのね、よかった……」
僕は、彼女がまだ僕の顔を見ていないうちに、必死に笑顔を作った。
「ママ」
その声を聞くと、お母様はすぐに僕の頬を両手で包み込み、表情を覗き込む。
「酷いことはされていない? 怪我は? ニナは……ニナはどこにいるの?」
「どこも怪我してないよ。ニナとは逸れたんだ。たぶん、悪い人に捕まってる」
「そう……。あなただけでも戻ってきてくれてよかったわ。ニナはパパと領主様にお願いして、探していただきましょう。さあ、パパにも顔を見せて。領主様にもご挨拶しなければ」
お母様は、まるで二度と逃がさないと言わんばかりに僕の肩を掴み、お父様のいる部屋へと連れていった。
「パパ! ニノが帰ってきたわよ!」
またしても勢いよく扉が開く。
部屋の中には、書類を手に向かい合って座るお父様と、この町の領主と思しき男がいた。
領主は七三に分けた艶やかな黒髪に、かなりふくよかな体格。
鼻の下には、絵に描いたようなちょび髭がついている。
この状況でなければ、ニナと一緒に吹き出していたかもしれない。
お父様は僕の姿を見るなり、手にしていた書類を落とすほど手を震わせた。
目に涙を溜めたまま立ち上がり、強く僕を抱きしめる。
「ニノ……よく帰ってきてくれた」
僕は、悲しそうな笑みを顔に貼りつけ、お父様の背中に手を回した。
「パパ、会いたかったよ」
――いい息子なら、きっとこう言う。
お父様が少し落ち着いたのを見計らい、領主様が口を開いた。
「アケドール卿。ご子息が無事に戻られて、何よりですな」
「ええ。お心遣い、感謝いたします」
「では、お子さん方の捜索依頼は取り下げますかな?」
「いいえ。娘が、まだ戻っておりません」
状況を把握しているお母様が答えた。
「そうでしたか。しかし、ご子息の双子の片割れとなれば、容姿もよく似ているでしょう。捜索も容易いはずです」
どうやら、両親はこの領主に捜索依頼を出しているらしい。
今回の訪問は、それも兼ねていたのだろう。
「どうですかな、アケドール卿。仕事もひと段落でしょう。ご子息のお話でも聞かせてください。ご令嬢の捜索にも、何か役立つかもしれません」
「ぜひお願いします。うちの子、本当にお利口で……私たちの自慢なんですの」
問いかけられているのはお父様のはずなのに、お母様が前のめりで答えた。
僕は言われるままソファに座り、両親の話を聞く。
「うちのニノは幼い頃から賢くて、五歳の頃には、もう中等部の内容を理解していたんですよ……」
心を無にする。
両親の間に挟まれたまま。
お母様は止まることなく、僕のことを語り続ける。
まるで、水を得た魚のように。
口を挟んではいけない。
否定してはいけない。
笑顔を消してはいけない。
僕は――
賢くて、お利口で、
アケドール家の自慢の息子、なのだから。
――――
「――それでね、ニノが武術も得意で。剣の扱いがとても上手なの」
「はっはっ、奥様。ご子息のことを深く愛していらっしゃるようですな。さっきから彼の話ばかりだ。ご令嬢のお話も聞かせてはもらえませんかな」
「あら、わたくしったら、はしたなくてごめんなさい。ニナの話……そうね、いつも笑っている子だわ。かわいいものが好きで、甘いものに目がないの。とても可愛らしいのよ」
心の奥に、じわじわと苛立ちが溜まっていく。
「服もピンクが好きで、髪はいつもツインテールにしてあげているの」
――ああ、やっぱりだ。
彼女は、ニナのことをまるで見ていない。
「だから心配だわ。怖い目に遭って、泣いていないかしら」
ニナは、ちょっとやそっとのことでは泣かない。
胸の奥に渦巻く黒い感情を、必死に押し込める。
笑顔を崩さないよう、頬に力を入れた。
お母様の言葉が途切れたところで、お父様が僕に視線を向ける。
「そういえばニノ。さっき聞きそびれてしまったが、今までどこにいたのだ? 何か手がかりはあるのか?」
――チャンスだ。
僕は視線を落とし、笑顔を引っ込める代わりに、悲しそうに唇を結ぶ。
か細い声で、言葉を絞り出した。
「……あのね。なんか大人がいっぱいいて、その人たちに捕まえられたの。暗くて、黒いところに閉じ込められて……でも、一緒に閉じ込められてたお兄ちゃんに助けてもらったんだ」
少し言葉を切り、続きを付け足す。
「そのとき、ニナとは逸れちゃって……たぶん、ニナはまだ、そこにいると思う」
適当に、それっぽく話してみた。
子供の説明なんて、これくらい曖昧でちょうどいい。
要点は一つ。
ニナが人攫いに遭った可能性がある――それさえ伝わればいい。
両親は、目に見えて動揺し、心配そうに僕を見つめた。
領主様は、しばし沈黙した後、低く唸る。
「ふむ……人攫い、か。確かにこのところ子供の行方不明は出ているが、ほとんどが平民の子だ。貴族の子が攫われたという報告は受けておらんがな」
「まあ……そんな恐ろしいことが。対策は、なさっているのですか?」
「もちろんだとも。人攫いを逃がさぬよう、国境は封鎖している。警備も増員しておる」
それで砦を封鎖しているわけか。
――正直、大した抑止力にはならないと思うけれど。
町を歩いた限り、警備兵らしい姿はほとんど見かけなかった。
(所詮は平民の子。本気で対処する気はない、か)
これが東領だ。
貴族が多いからこそ、平民は分かりやすく見下され、切り捨てられる。
「ニノ、安心して。こちらの領主様、ファットマン卿は人探しがお得意なのよ。絶対にニナは見つかるわ」
「その通り! 我が警備隊に任せておきなさい。アケドール卿が滞在している間に、必ず見つけてみせよう!」
領主様は自信満々に胸を張り、言い切った。




