アメジストの瞳の奥
《ラヒル目線》
くそ、くそ、くそ。
どうしてうまくいかない。
この領主に取り入って雇ってもらい、地下倉庫を研究室として使わせてもらえるようになるまで――そこまでは順調だった。
この領主は本当に愚かで、人が良すぎる。
少し可哀想な身の上話をして、「夢があるのに追放された」と大袈裟に語れば、あっさり同情してくれた。
だが、その後がまったく駄目だった。
アイリスをばら撒くこと自体は成功した。
だが成果が、想定と違いすぎる。
服用者は頭痛を訴え、悪夢に魘され、暴走する。
ここまではいい。研究に失敗はつきものだ。
だが、商人に「怪しい薬だから、もう協力しない」と言われた時は腹が立った。
なぜこの薬の価値がわからない?
なぜ僕の研究を理解しない!
これは奇跡の実験だ。
こんなところで足止めを食らう研究じゃない。
そんな時、今朝、執事から“頭痛薬”の存在を聞いて、僕は心から感動した。
この町には――
僕のアイリスに対抗できる薬を作り出せるほど、アイリスを理解している研究者がいる!
すぐに分析した。
すると、その中に――僕にも正体のわからない成分があった。
その瞬間、直感した。
この成分こそが、僕のアイリスを完璧にする鍵だと。
この薬を作った研究者を引き入れれば、今度こそ研究は完成する。
執事から特徴を聞き、アイリスの素晴らしさを伝えるためのプレゼン内容を練った。
そして使用人たちの食事に、特大濃度のアイリスを混ぜ込んだ。
協力を承諾してくれれば、すぐにでも使用人を実験体にして研究を続けるつもりだった。
さすがに領主には手を出せない。
下手をすれば、僕の首が飛ぶ。
だから、使用人が暴走する頃を見計らって、領主には睡眠薬を飲ませた。
準備は完璧だった。
あとは協力者を手に入れるだけ。
だから――
彼女がこの領主邸に忍び込んだと気づいた時、心から歓喜した。
迎えに行く手間が省けたからだ。
なのに……断られた。
やはり彼女にも、僕の研究の素晴らしさは理解できなかった。
理解できるなら、断るはずがない。
頭の硬い研究者どもと同じだ。
失望しかない。
もう自分で続けるしかない。
だが、ここはもう使えない。
使用人を暴走させたことが領主に知られる前に、立ち去らなければ。
僕の研究が完成する前に、命を落とすわけにはいかない。
だが――このまま去るわけにはいかない。
研究の要である、あれらを回収しなければ。
混乱に紛れて倉庫へ入り、地下倉庫へ降りた。
そして数ある棚の一つを確認する。
(――ない!)
ここに置いたはずなのに、消えている。
なぜだ。
他の材料はほとんど手つかずだ。
なのに、一番重要なものだけがない。
あいつらに持ち去られた?
いや、普通の研究者に、あれらの価値がわかるはずがない。
そう――
エクリプスの研究者以外には。
「ラヒル・ジャスポー。31歳。
元・貴族学校所属研究員。
二年前、上位貴族の推薦によりエクリプス研究所の常勤研究員に任命――」
背後から、女性の声。
冷静で、感情のない声。
振り返ると、白い髪と紫の瞳の彼女が立っていた。
さっきまで暴走者たちを相手にしていたはずの女。
(――なぜ、この女が僕のことを知っている)
「兄二人の才能に嫉妬し、超える術を探した。
上位貴族に取り入り、エクリプスに入れば“優秀”という評価が手に入ると思った。
けれど、それだけでは満足できなかった」
彼女は、淡々と語る。
「だからエクリプスの研究を“利用”して、アイリスを作った。
完成すれば、兄を超える頭脳と身体能力――両方を手に入れられる」
なぜだ。
なぜ、ここまで知っている。
本能が告げる。
この女は危険だ。
なのに、体が動かない。
「以上が、私のあなたに対する考察。
経歴自体には興味ないけど、研究内容はなかなか面白いと思った」
彼女は、赤黒い液体の入った二つの小瓶を掲げた。
「発想は良かった。
調薬に適さないと判断された二つの液体を、薬にしようとした点はね。
でも――少し欲張りすぎた」
背筋が凍る。
「この二つの液体は混ざってはいけない。
混ざったら反発する、成功率はほぼゼロ。
一つずつ使うべきだった」
感情のない声。
「そもそも、この二つを“適用できる人”が少なすぎる。
両方同時に適用できる人間は存在しない」
あの紫の瞳。
見覚えがある。
「適用できなかった場合、体と脳に多大な負荷がかかる。
頭痛、眩暈、激痛……
長引けば、脳死。廃人」
彼女は注射器を取り出した。
――思い出した。
エクリプスに、たった一人。
感情の欠片もない、アメジストの瞳を持つ女。
「さて、ラヒル・ジャスポー。
あなたの素質で、この薬に耐えられるかな」
足が崩れ、床に座り込む。
彼女は腰を落とし、注射器を近づけた。
その瞳に、僕は映っていない。
映っているのは――
哀れな実験動物だ。
「ウーム、デキム」
その言葉を最後に、僕は耐え難い痛みに襲われ、意識を失った。




