最後の静寂
夜十一時半。
約束の時間まで、あと半時間。
私は動きやすい服装に着替え、髪を高く結った。
今日、半日かけて作ったものを、ジャケットの内ポケットに一つずつ慎重に入れていく。
大きな鞄は邪魔にしかならないため、小さなポーチをベルトで腰に固定した。
準備が整ったところで、私は足音を殺し、エルメさんに気づかれないよう玄関へ向かった。
「リリィちゃん?」
呼び止める声がした。
エルメさんの声だ。
どうやら、私の努力は無駄だったらしい。
「どこかに行くの?」
エルメさんは、いつも通り穏やかな声で問いかけてくる。
「……ちょっと眠れなくて。夜の散歩に」
どう見ても散歩に出る格好ではないが、なんとか誤魔化す。
「そう……夜は危ないから、早く帰って来てね」
胸の奥が、少しざわついた。
これは、罪悪感というものだろうか。
「わかりました。少し歩いたら、すぐ帰って来ます」
そう言って、私はエルメさんに顔を向けないまま、診療所を出た。
「……私は結局、あなたを救えなかったのね」
エルメさんの呟きが、静寂の中に静かに響いた。
――――
診療所を抜け出したあと、微かな緊張と、必ず目標を果たすという決意を胸に、私は集合場所へ向かって歩き出した。
少し進んだところで、カイの姿が見えた。
私を迎えに来てくれたのだろうか。
(打ち合わせでは、そんな話は一言も出ていなかったけれど)
どちらにせよ、迎えがあるのはありがたい。
道中で襲われでもしたら、洒落にならない。
カイは全身黒ずくめの衣装に身を包んでいた。
いかにも潜入調査向きの格好で、口元は布で覆われている。
彼は私の歩幅に合わせ、横に並んで歩き出した。
私たちは、特に言葉を交わさなかった。
やがて領主邸の近くに到着し、サックスと合流する。
サックスは私に軽く会釈した。
「リリィさん、作戦を共有したいんだけど、いいかな」
「お願いします」
サックスは見取り図を、私にも見えるように広げ、潜入経路を説明した。
基本的には、二手に分かれて行動するらしい。
屋敷はかなり広く、全員で固まって動くと効率が悪い。
二階は寝室が多く、調べる部屋も限られているため、サックスが一人で担当するとのことだった。
私とカイは一階を調べる。
地下室や隠し部屋の可能性を考えると、二人で行動した方が漏れなく調べられるだろう。
説明が一通り終わり、私はサックスの手に視線を向けた。
包帯が巻かれている。
今朝、カナがネズミの脱走について話していたが、それが原因だろうか。
「あの、サックス。その手って……」
「うん? ああ、気にしないで。大したことじゃないよ」
大したことがなくても、サックスは武器を扱う人間だ。
まったく影響がないとは言い切れない。
「ショーは大丈夫だった?」
「問題ない。僕は痛みに強いからね」
サックスは、私を安心させるように微笑んだ。
見た目に反して、この人もかなりのお人好しだ。
カナといい、サックスといい、どうして裏の世界に踏み込んでしまったのだろう。
……けれど、それは私には関係のない話だ。
(所詮、任務が終われば、私たちはただの他人に戻るのだから)




