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終わりのない旅の始まりに

作者: にわ冬莉

 終わりを願っていた――。


 希望に満ち溢れた明日を夢見ていたのはいつだったのか。思い出せやしない。

 深く溜息を吐いて、彷徨っていた。


 金曜の夜だ。町を歩く人間の多くが気忙しく、しかしどこか楽しそうにしているのは、週末の予定を脳内でシミュレーションしているためか、一週間の労働を終えたつかの間の喜びを噛み締めているのか……。なんにせよ、自分には関係のない話だった。


 あてなどなかった。

 帰りたい場所もなかった。

 だから、ただひたすらに彷徨っていた。


 大通りから一本中に入れば、雑居ビルや小さな飲み屋の立ち並ぶ路地。赤提灯の店からは楽しげに笑う誰かの声がする。


 世界が違う。


 喧騒の中にいながら、自分の周りだけは静寂に包まれている。そんな気分だ。

 足早に通り過ぎると、先へと進む。進むにつれ、人通りが減ってゆく。ああそうだ、それでいい。無機質な建造物は古びて冷たい。その冷たさこそが、今の自分が求めているものに違いないと確認する。


「……ん?」

 少し先に、ぽっかりと見える灯り。雑居ビルの隙間にあるショーウインドウから漏れ出る光。こんな場所に、一体何の店があるというのか。少しずつ近付くと、その正体が明らかになる。

「画廊……?」

 通りに面したガラス張りの向こう側、何枚もの絵が飾られているのが見えた。


 こんな場所に画廊があるのもおかしな話だったし、こんな時間にまだ店が開いていることにも違和感を覚える。それとも単に作業中か何かで明かりが点いているだけなのか。しかし、店の前には「OPEN」の札が掛かっていた。

「開いてるのか……」

 思わずひとりごちる。


 すると、店の奥から一人の若い男がひょいと顔を出した。目が合ってしまい、咄嗟に目を逸らし軽く頭を下げた。頭を下げたのがまずかったのか、男は店のドアを開け、

「どうぞ、まだ入れますよ」

 とにこやかに話し掛けてきたのだ。

「あ、いや、私は……」

 一目見れば客じゃないことくらいわかりそうなものだ。くたびれたシャツにジーンズ。履き古したスニーカーに、バックパックといういでたちなのだから。

 片や若い男は、スラックスにワイシャツ、ベストを着て、シャツは腕まくりしておりノーネクタイ。やはり時間外なのではないか? 画廊の店主にしては崩しすぎている。髪も長めで、綺麗にカラーリングしたアッシュグリーン。営業スマイルにしては人懐こすぎる顔で、

「大丈夫です。どうぞ」

 と言う。

「何がどう大丈夫なのか」そう、口を突いてしまいそうな自分にストップをかける。こんなところで喧嘩腰になってどうするというのか。相手は赤の他人なのだ。


 促されるまま、中へと足を進めてしまった。ただ、魔が差したのだ。

「ごゆっくりどうぞ」

 中に入れるだけ入れると、男はまた奥へと引っ込んでしまう。煩く付きまとわれ、セールストークを聞かされるわけではないのだと、少しホッとする。

 このまま黙って出て行くこともできる。が、サッと見渡しただけでも色とりどり、美しい絵の世界が目の前に並んでいた。少しくらいなら、見てもいいだろうという気持ちになっていた。


 まず飛び込んできたのは、広い草原に立つ一本の木。その木には少女が乗るブランコが揺れている。夏の絵なのだろうか。明るい日差しの下、ワンピースを着た少女は楽しそうに笑っていた。タイトルは、「いちこ」とある。きっとこの少女の名だろう。


 その隣に掛けてある絵は風景画だ。どこかの山の光景だろうか。うまく描けてはいるが、だからどうということもない。タイトルは「あの山」となっていて、どの山なのかはわからなかった。


 画廊というのは、色々な作者の絵を置くのだろうか。絵のタッチやイメージもすべて違っているようだ。前衛美術というのか? わけのわからない赤や青の線で出来ている絵などもある。


「全然わからんな」

 そもそも絵に詳しくはない。それどころか、自分はこんな風に画廊で絵を見るような人間ではない。芸術には無縁だったし、興味を持ったこともない。

 改めて、なぜこんなところにいるのかと考え、頭を振る。


「……っ!」


 店の奥、一枚の絵が目に飛び込んでくる。

 柱の陰に隠れて、外からは見えなかったその絵に、目を奪われる。


「……これは、綺麗だな」

 思わず口から漏れ出る言葉。絵の良し悪しなど分からない自分でも、この絵は素晴らしいものだと確信が持てるような、美しい絵画。


 タイトルは「青い少女」となっている。制服姿の少女がこちらを向いている。物憂げな表情は、何を訴えているのか? 蝶が舞うその向こうには大きな時計の文字盤。手にしたナイフとフォーク。目の前の皿には花びら。最初に思ったのは、吸血鬼。赤い花びらを前にしている、人ならざる者のような美しさを見てそう感じたのだ。


「なにを……」

 思わず苦笑する。

 少女の絵に心奪われている自分が急におかしくなってきた。いい年をして、吸血鬼だなどという発想も急に恥ずかしく思えた。ガキじゃあるまいし。


 軽く頭を振り、青い少女に背を向ける。このまま黙って出て行けばいい。そう思っていたのだが。


「楽しんでいただけてますか?」

 店の奥から若い男が顔を出す。

「あ、ええ、まぁ」

 ハッキリしない自分も悪いのだ。ここに用はないと、出て行けばいいだけのことなのに。


「どれも素敵な絵ばかりなんですよ。()()()ですけどね」

 わざとらしく含みのある言い方をする男に、思わず片方の眉を上げる。

「ほら、そこの絵」

 男が指したのは、老夫婦が縁側に並んで将棋を打っている絵だ。春の花に囲まれた庭先で仲睦まじい様子が描かれている。タイトルは「対局の行方」となっている。

「温かみのあるいい絵ですよね。だけど本当は大変だったんです」

「……大変だった?」

「ええ、奥様が先に末期癌になってしまったんですがね、ご主人は健康だったもので」

「……は?」


 何を言っているのかわからなかった。夫が残されてしまうことが大変だったという意味だろうか? 確かに男寡おとこやもめは生活が荒れると聞いたことはあったが、それがこの絵とどう関係するのかわからない。


「奥様はご主人と一緒に、というのを最後まで拒んでまして。でもご主人は絶対に一緒がいい、と。仲が良かったんですね」

 まったくもってなんのことかわからない。首を傾げて見せるが、見事に無視される。


「あ、その隣のこれ、いちこちゃん可愛いでしょ!」

「……はぁ」

 さっきのブランコの女の子の絵だ。確かに可愛いが……?

「いちこちゃんは、事故に遭ってしまって、後遺症が酷かったんです。ご両親は最後まで反対してましたが、いちこちゃん本人の希望が強かったのでね」

 だから、なんなんだ?


「なんの話です?」

 わけがわからないので、正直にそう言ってみる。きっとそう言わせようと思っているのだ。策略に嵌るようで気分が悪いが、好奇心が先だ。自分の中にまだ知りたいと思う「欲」があることに驚く。


「ああ、説明が遅れました。ここに描かれている人物はすべて、()()()()()()()なのですよ」

「は?」

 何を言っているのか。

 そりゃ、モデルがいるのだから、皆生きていた人間だろう。


「おっと、失敬。この説明ではわかりませんよね。この絵に描かれているのは生きた人間、描かれているのではなく、絵の中に『いる』と言えばいいのでしょうか?」

「はぁぁ?」

 思わず声が大きくなる。この男、どこかおかしいのだろうか? それとも自分が馬鹿にされているのか。怪談というには幼稚で、笑い話にはユーモアがなさすぎる。


「信じませんよね。でもあなたはここに来た。それは()()()()()ということだ」

「資格?」

「ええ、そうです。()()()()、の話ですが」


 男が何を言わんとしているのか。

 つまり、お前も絵の中に入るか? と聞いている……ように思えるのだが。


「いや……」

 何を言えばいいのかわからず、目を泳がせる。泳がせた先に映る絵に描かれた人間の姿。これがすべて、生きた人間だと……いや、「だった」という話? そんなバカな。では現実世界にいた彼らはどうなるのだ? 神隠しのように消えてなくなるのか? それとも魂だけが抜き取られ、死ぬのか? もしそうなら……


「死ぬのか?」

 訊ねてしまう。


 男は驚いたように目を見開くが、すぐにまたひとのいい笑顔を作ると

「死というものの定義が、魂と肉体の消滅だというなら、死ぬわけではありませんね。どちらかというと、逆ですから」

「逆?」

「これは永遠の命だ」

 にこりと口の端を上げる。

「絵の中で、生き続ける……のかな、と」

 最後は曖昧だ。


「……意識はあるのか?」

 我ながら馬鹿げた質問だ。何を聞いているのか。絵の中に入るという話を信じるのか?

「意識……ですか。私は入ったことがないのでわかりませんが、多分ないでしょうね。……いや、もしかしたら絵の中にはあるのかな?」

 人差し指を顎にあて、可愛く天を見上げてみせる。


「せっかくですから、一つずつ説明しましょうか」

 何故か楽しそうに、くるりと背を向け店に掲げてある絵を端から指し示し、そこに書かれている人間の「生前の話」を始める男。少しうんざりしながらも、その話に耳を傾ける。大半は病気や怪我、寿命が迫ってきたことをキッカケにここを訪れ、絵の中に入っていったようだ。そして次に、あの、青い少女――。


「彼女は……」

 男の声のトーンが、変わる。

「彼女は、少し違う」

「違う?」

「ええ。彼女は、自らここを訪れました。でもそれはそうするしかなかったから……」

「というと?」

「自らを、売ったのですよ」

 目を伏せ、呟くようにそう言った。


「……売った?」

「ええ。美しい子でしたからね。その存在そのものに、価値があった」

 過去に思いを馳せるように、その絵を見つめる。

「どうしても金を用意しなければいけない状況にあった。だから、その身を売ったんです」

「……絵に入ることで金になるのか?」

 なんだかおかしな話だ。それは命を売り渡すという話なのだろうか?

「ああ、それは時と場合によります。あの時は、彼女の絵を買いたいという人物がいましてね。破格の値を付けた。生身の人間は年を取りますが、絵は年を取りません。永遠に美しいまま、手元に置いておけるでしょう? 彼女の絵は、ある富豪が望んでいたものだったんです」

「……その富豪は、初めからその少女を狙っていたということか?」

「そうですねぇ、うちに来た時にはすでに話は決まっていたように思います」

 改めて、青い少女を見る。


 物憂げな表情。一体どんな気持ちでいたのだろう。……いや、()()()()()()、なのか?


 ここで一つ、疑問が沸き起こる。

「富豪に買われた絵が、何故ここに?」

「ああ、最近その方が亡くなられましてね。ご遺族から買い取ってほしいと言われたものですから」

 出戻った、ということらしい。


「……彼女をここから出すことはできないのか?」

 こんな若さで、その身を犠牲にして……そう考えるとつい同情してしまう。もう役目を終えたのなら、戻ることは叶わないのだろうか。

「彼女が生きた世界はここにはもうない。彼女の家族はもういないし、今、戻ったとしても……」

「……そうか」


 確かにそれはつらいだろう。自分の大切だった人が誰もいない世界。

 ……だが。


「彼女が願うなら、やり直すことはできるんじゃないのか?」

 自分の口からそんな言葉が出るのは驚きだった。

 何の希望もないと決めつけているこの世界に、どうして戻そうなどと思うのか。単なるエゴでしかない。若ければ何でもできるという安直な一般論を掲げているに過ぎない。


「それは、確かにそうですね。もしかしたら新しい自分を手に入れて、幸せに生きられるのかもしれませんから。でも、彼女が元の世界に戻るには、ある条件が整わなければいけない」

「条件? どんな?」

「代わりが必要になるんですよ」

 ふぅ、と小さく息を漏らし、男が言った。

「彼女と交代に、絵の中に入る誰かが必要だ」

「それは……」

 ゴクリ、と喉が鳴る。


 絵を見る。少女の目は……自分を見ているように感じられた。


「……もし彼女が出たいと願っていたら、出られるのか?」

「ええ、代わりがいれば」

「彼女は、天涯孤独の文無しか?」

「富豪がだいぶ積みましたからね。当面の生活くらいはうちで面倒を見られますけど……?」

 男が意味深な視線を向けてくる。

「……そうか」


 ならば、出るか?

 心の中で、話し掛ける。もちろん、彼女からの返事など、ない。

 だが。


「出たいと願っていなければ?」

「代わりの人間が絵から弾かれるだけです」

「そう、か……」


 迷いなど、なかった。こんなおかしな話を真に受け、自分が何をしようとしているのかは考えても意味がない。ただ、こうしたいと……自分でもよくわからない感情に心が動いただけだ。


 終わらせる。

 そうだ、終わらせるのだ。

 自分の、明日を。


 そして始めたいのだ。

 彼女の、明日を。


 気付けば、自然と手を伸ばしていた。額縁の中、青白く美しいその一枚の絵画に向け、手を……。


『いいの?』


 柔らかくも儚い、小さな声で問われる。


 ああ、いいとも。

 私の命をあげよう。もう、要らないものだから。


『ほんとうに、いいの?』


 いいんだ。

 終わらせる。そのために歩いていたのだから。

 だから、生きたいのなら……生きろ。

 こんな世界でも、光を見つけることが出来るかもしれない。


『ありがとう』


 その小さな呟きを合図に、絵に指先が触れる。


 ──たぷん。


 それはまるで、水面に入っていくかのような感覚。

 体に纏わりつく「なにか」は冷たくも温かくもなかったが、心地いいと……そう思った――。



 その画廊に飾られた新しい絵には、小さく微笑む髭面の男の姿があった。

 くたびれたシャツにジーンズ。履き古したスニーカーに、バックパックを背負っている。どこへ向かっているのか、あるいは、どこからか帰ってきたのか。

 晴れやかな顔で佇む男が描かれた絵のタイトルは……


「終わりのない旅の始まりに」






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