山の頂きを目指す!
携帯電話に着信音がする。
笠松出版の石井重彦からのLINEだった。
洋子は母の日記を読んでいる。
普段はパート勤めで午後からは子供を幼稚園に迎えに言ったり、小学生の息子の汚れた服の洗濯やら夕飯の買いだしなど、日々が目まぐるしく過ぎてゆく。
そんな洋子にとって、夜10時以降は一人になれる時間だった。
夫も最近は会話もなく、向こうは向こうでテレに見たり、ネットを見ているので、寝室に来て寝るのはいつも午前様なことが多い。だから2時間はパソコンと向き合える貴重な時間だった。
石井さん、こんな時間、珍しいわね。
洋子は石井からのメッセージを開けた。
「すいません、こんな時間に。実は茜さんについて、ちょとわかったことがありまして、とりあえずご報告を。今、彼女と接触できないか探っております。詳細はまた後程」
これだけか。
茜さん。
現在の茜さんは母より2歳年上だから、67歳ぐらいかな。
母の日記の中ではまだ21歳くらいだろうか。
写真はないが、若くて生き生きとした茜さんを洋子は想像していた。
12時まであと40分あるわ。母の日記、読み進めよう。
洋子は眠い目をこすりながら、母の日記に目をやった。
~母の日記より~
私たち4人は銭洗い弁天を後にして、鎌倉大仏を目指して歩く。
「大仏までは、ここから降りてゆけば30分もかからないの。
でも一応私たちは山岳部。山の尾根を歩く練習にもなるから、
遠回りをしてゆくわよ!」
「はい!」私たちは声を揃えた。
今の所、息は会う。
新人の西野君大丈夫かな?なんとなく不安。
とにかく年長者の後を素直についてゆくしかない。
なにしろ、ここで茜さんとはぐれたら、迷子になってしまう。
道はとても急坂で足にくる。
だいぶ高い所まで来たような気がしてきた。
うっそうとした木々もなくなり普通に暮らしてそうな家もある。
ふと左側を見ると、木々の向こうに青いものが。
「加奈子加奈子!あれ、海じゃない!」
え、海?
あ、本当だ!
太陽に照らされて、青い海がきらきら輝いている!
「鎌倉は山と海に囲まれた自然の要害。かつて鎌倉幕府がここに開かれたのも、
三方からの敵の進入を防げたからよ。そして今もその当時の面影を残す自然が、
こうやって存在する。素晴らしいことよ」
茜さんの博識ぶり爆発する。
「凄い!博識!」
確かに言われてみるとそうだ。
東京にそんな古い歴史を感じる場所があるだろうか?
街があまりにも変わりすぎて、たかだか150年前の江戸時代のことなど普段生活してて気が付くこともない。あっても想像できないのだ。あまりにもコンクリートで埋め尽くし過ぎて。
しかし鎌倉は1000年前の自然と遺跡が街の中に溶け込んでいる!
こうやって茜さんのようなガイドのおかげで、わずかな時間にこんなにも知識が
増え、歴史にロマンを馳せる時間を持てたこと、感謝しきれないほどだな、
と私は思った。
家がなくなったと思ったら、道が急に舗装道路ではなくなった。
気が付くと、背を超えるほどの草木が周りに増えてきた。
「あ、茜さん、こっちでいいんですか?大仏様、遠くなっているような」
「大丈夫。まもなくピークだから」
「ピーク?」
「山のピークよ。頂上!」
少しの不安と、頂上と聞いた時の喜びが混ざり、加奈子は足は重たかったが、
心が軽くなってゆくのを感じた。
「ちょっと~待ってくださ~い!僕の事忘れてませんか~!」
西野君がいつのまにか後方に取り残されたようだった。
海に見とれていたのである。
私はすっかり彼の存在を忘れていた。




