後編
六、
僕は今、テレビ局のスタジオにいる。なぜここにいるかというと、例の森山に関するブログ記事が想像以上に注目を集めて、テレビ局からの出演依頼が殺到したからだ。もともと世間の関心を惹くためだけに書いたようなブログ記事だったが、ここまでの事態になるとは、正直予想していなかった。ともあれ、今日が初めてのワイドショーの出演だ。スタジオにいる面子は有名人ばかり。緊張しないわけがない。おっと、カメラが回り始めたようだ。子供時代からテレビで頻繁に目にしてきた有名司会者が、西田クリニック放火事件について、活舌良く語り始める。
「さあ、次は連日当番組でも取り上げております、西田クリニック放火事件についてです。この痛ましい事件に対して、司法はどのような決定を下すのでしょうか?もちろん、事態の推移は裁判が始まってみなければわかりませんが、本日は特別なゲストをお招きして、事件についてのご意見をお伺いしたいと思います。精神科医の、〇〇先生です!」
カメラが素早く僕の方を向く。僕は噛まないように細心の注意を払って、
「よろしくお願いします」
と答える。
・・・結局、番組では、僕はブログ記事に書いた内容に沿って、司会者に投げかけられた問いに答えただけだった。だが、司会者も含め、出演者たちの多くは、僕のコメントの一つ一つに深く満足していた様子だった。きっと誰もが森山の一刻も早い処刑を望んでいるに違いないのだが、他のコメンテーターたちは精神医学の専門家ではないから、森山の処遇について、下手なことは言えない。翻って僕は、精神医学の専門家としての立場から、世間の多くの人々が抱いている感情を、全面的に肯定している。論客として、貴重な存在なのだろう。
番組の収録時は手の震えが止まらない程、緊張していたのだが、自分でも驚くくらいに、すらすらと話すことができた。印象的だったのは、佐川という著名なジャーナリストが、僕の言うことに終始相槌を打ちながら聞いていて、とくに僕が「今回の事件は、森山の病気の症状というよりは、彼が持つ弱さが引き起こしたもの」という例の持論を披露した際に、それを全面的に支持するコメントをしたことだった。
佐川は僕の親くらいの世代で、僕は子供の頃から、彼がテレビで雄弁に語る姿をよく目にしていた。まあ、言ってみれば雲の上の存在のようなものだ。番組内で会話を交わせただけでも奇跡のようなものだと思っていたのだが、なんと、番組の収録が終わってから、彼は僕の控室にわざわざやってきた!
そして彼は、僕が番組内で披露したトークスキルと、例の森山に関するブログ記事の内容とを、手放しで褒め称えた。嬉しくないはずはない。また、それらの称賛の言葉の後に、僕にYouTubeを始めることを提案してきた。これはさすがに、なかなか重たい決断だったので僕が決めかねていると、彼は、
「ブログを拝見した限りでは、先生は私と同じ思考回路をお持ちのようだ。つまり、物事を客観的に見る力があるということです。先生からすれば、今の世の中は、物事を主観的にしか見れないバカな連中が多すぎる。そう思いませんか?先生は、精神科医療の世界から世の中を変えていく力をお持ちだと思います。しかし、この事件への世間の注目は、すぐに冷めてしまうことでしょう。先生は、埋もれさせるには惜しい人材です。ぜひ、世間の注目が集まっている今のうちにYouTubeチャンネルを開設されて、情報発信をなさってください。私で力になれることがあれば、協力致します。」
と言いながら僕に名刺を手渡して、部屋を後にした。YouTuberになるなどと考えたこともなかったが、佐川が残していった言葉の余韻は、しばらく僕の脳裏に張り付いて、離れることがなかった。
「先生からすれば、今の世の中は、物事を主観的にしか見れないバカな連中が多すぎる。そう思いませんか?」
この言葉は、佐川が僕が常日頃から抑圧してきた思いを、あっという間に見破ってしまったことの証左のように思えた。そう、僕は周囲の人間を見下している。世の中には、バカが多すぎると思っている。
佐川も一種の天才だろうが、彼は僕を自分と同種の人間とみなしていたようだった。僕は、人生で初めて対等な立場で理解し合える存在に出会えた気がして、気持ちが高まることを抑えられなかった。さらに彼は、
「先生は、精神科医療の世界から世の中を変えていく力をお持ちだと思います。」
とも言った。それこそが、僕の望むところだった。確かにブログを書くよりも、動画で僕の思想を拡散した方が、大衆に訴えかける意味では余程効率的かもしれない。しかも、僕にトークスキルも備わっていることも、今回のテレビ出演で証明されたのだから―
そこまで考えたところで、僕の脳裏を、一つの不安がよぎった。
―佐川は、僕が精神障害者全般を憎んでいることにも、気づいているのだろうか?―
佐川の発言の一つ一つがあまりにも的を得たもののように思えたので、このテーマについても考えざるをえなかった。もっとも、彼との会話をいくら思い返してみても、少なくとも彼の発言からは、そのことは読み取れなかった。だが、彼のような合理的な人間が、何の理由もなく僕に急接近してきたとは思えなかった。なにせ、彼は生き馬の目を抜くようなマスコミ業界を、何十年も生き抜いてきた人物なのだ。
ここまで考えて、少し冷静になってきたのだが、いずれにしてもYouTubeをやることは、悪い選択ではないような気がした。佐川にどのような魂胆があるにせよ、彼にチャンネルの主導権を渡すという話ではないし、こちらの好きにやっている限りは、何の実害も及ばないだろう。そのように結論付けた。
七、
YouTubeを始めてから、一年が経った。「精神科医が、精神疾患について語るチャンネル」というチャンネル名で、西田クリニック放火事件についての考察だけでなく、精神疾患についての解説や、精神障害者の生活の質を向上させるためのヒントなど、精神科医としての知識を生かして、幅広い内容を配信している。ワイドショーに引っ張りだこになったおかげで、僕は今や、ちょっとした有名人だから、チャンネル登録者数はすでに十万人を超えた。
YouTubeチャンネルの運営は、やってみると実に面白い。上げた動画がバズるかどうかは、大体その日のうちにわかるし、何より視聴数やチャンネル登録者数といった明確な数字で、自らのパフォーマンスが評価されるのが受験勉強と似ていて、どっぷりとハマってしまっている。
チャンネル登録者数十万人というのはなかなかのものらしく、すでに有名人からのコラボ依頼や、僕の影響力を見込んでの本の出版の話なども、複数舞い込んでいる。大半の人々は、人生でこんな体験をすることなど、ないだろう。僕の子供の頃からの(主に受験勉強での)頑張りや、精神科医として、日々地獄のような臨床に真摯に向き合ってきた成果がようやく世間に受け入れられた気がして、最近はとても機嫌がよい。佐川の本心が読めないことで警戒していた部分もあったが、結果としてみれば、彼のアドバイスに従ったことは正解だった。
ひょっとすると、YouTube以上にテレビ出演した効果の方が大きいのかもしれないが、街中で声をかけられたり、サインを求められることも多くなった。ただ、こうしたことも最初のうちは悪い気はしなかったが、よくよく考えると、常に世間からの監視の目に晒されているようなもので、うかつに風俗やキャバクラにも行けなくなってしまったし、なかなかストレスフルである。
ストレスフルと言えば、YouTubeの運営も概ねは順調だが、ストレスがまったくないわけではない。精神疾患を扱うという僕のチャンネルの性質上、どうしても精神状態が不安定だったり、異常なほど執拗にアンチコメントを投稿してくる視聴者も一部にはいて、そういう者たちの処遇には、結構頭を悩ましている。
僕としては、「不快になるくらいなら見るな」という話なのだが、有名精神科医という看板を掲げているだけに、僕を理想化した上で近づいてきて、彼らの理想と現実の僕とのギャップにある時点で気づき、陰性転移を起こしてアンチコメントを投稿してくる者が多いようである。
これはまあ、僕の立場でYouTubeをやっている限りは仕方がないとしか言いようのない事象であり、割り切ろうとはしていたのだが、どうしても頭の片隅から離れないテーマでもあった。
それで先日、クリニックの先輩医師の高田に食事に誘われて、
「YouTubeの調子は、どうですか?」
と話を振られたので、「患者からの理想化に悩まされている」という内容のことを、素直に話した。正直に言うと、この時点まではクリニックのスタッフにYouTubeやメディア出演の話をするのは、気が進まなかった。何も言われないということは、黙認されているのだろうということで納得はしていたのだが、僕がクリニックの医師として目立つことをしていることに対して内心ではどう思われているのか、測りがたい部分はあったからだ。
だが、僕が恐る恐る相手の腹のうちを測りながら話を始めたこととは裏腹に、一通り僕の話を聞いた高田は、
「目立つことをすれば、一部に叩こうとしてくる人たちも出てくるのは、当然のことです。」
と力強く前置いた上で、
「先生、そのくらいのことでへこたれないでください。先生はまだお若い。視聴者さんからの多少の理想化は受け止めることで、医師として成長できる部分もあるでしょう。」
と、満面の笑みで言い切った。これを聞いた僕は、斎藤医院長も含めたクリニックの同僚たちは、僕のYouTube活動やメディア出演を快く受け入れてくれているらしいと感じた。よくよく考えてみれば、僕がこうして話題の的になることで、クリニックの患者が増えていることは間違いないのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
高田は、その日の別れ際に、僕の目をじっと見据えて、
「先生は、他の医師たちがやりたくてもできない体験をされているのです。ぜひ、視聴者さんたちからの理想化をも受け入れられて、本当に素晴らしい医師になられてください。先生ならできます!」
と力強く言った。ここまで言われると、悪い気はしなかった。なんだか自分が、本当に素晴らしい人間になれるような気がした。
八、
YouTubeを始めてから、早いもので今年で三年目になる。「理想化も受け入れて、素晴らしい医師になる」という意気込みでやっていたYouTuber活動だったが、最近ちょっとした事件が起こったことで、嫌になり始めている。
そのことについて、少し説明させてほしい。直接僕のクリニックに来ていたわけではなかったのだが、僕のYouTubeや本の熱心な視聴者だった双極性障害の若い女性患者がいた。実は、最近は僕のファンクラブもできており、サイン会などのイベントを開くこともあったので、僕としても彼女とは面識がなかったわけではなかった。
ところで自分で言うのもなんだが、僕はそれなりに女性受けの良い容姿をしている。だから、患者から恋愛感情の対象として見られることも、(とくにメディア出演をはじめてからは)少なくはなかったのだが、その女性患者もどうやら僕に恋心を抱いていたようで、はじめのうちこそ僕の動画や本のポジティブな感想を、SNSで投稿していただけだったのだが、徐々に「先生のことを愛しています」「結婚して欲しい」といった内容のダイレクトメールを、僕によこすようになっていた。
とくに彼女は躁状態のこともあったようで、そういうときは立て続けに、何十件というメッセージをよこしてきた。僕が困り果てて、あるとき「あなたとは結婚できません。もう、こんなメッセージを送らないでください。」と返信したところ、彼女は激昂して、今度はものすごい勢いで、僕を罵るようなメッセージを送るようになった。僕としては、やむなく彼女のSNSをブロックしたのだが、その数日後に他の視聴者から、その女性患者が自殺したということを聞かされた。
そのことを僕にダイレクトメッセージで知らせてきた視聴者は、その自殺をしたという女性患者の友人だったとかで、彼女が生前に僕への恋心が満たされないことについてどれほど悩んでいたかや、僕が彼女のSNSをブロックしたのは最悪の選択だったことなどについて、責めるような口調で、やはり立て続けにメッセージを送ってきた。当然、向こうが勝手に陽性転移を起こしただけで、こちらとしては当然の措置を取っただけなのに、自殺したことを僕の責任にされては困る。僕はそのことをはっきりと言って、その女性患者の友人を名乗るアカウントも、ブロックした。
それから一週間くらいは何事もなく過ぎていったのだが、ある日の午前の診察の時間に、なにやら待合室で僕の名前が繰り返し、大声で呼ばれているらしいことに気が付いた。何事か?と思った僕は一旦診察を中断して、待合室に駆け付けた。すると、若い女性(僕は、彼女もサイン会で見た記憶があった)が男性看護師に羽交い絞めにされながら、大声で僕の名前を連呼し、「ここに連れてきなさい!」と叫んでいる光景を目にすることになった。その女性は僕を目にすると、激しい形相になって、ものすごい力で取り押さえていた男性看護師を振り払い、僕の方をめがけて一直線に走ってきた。僕は反射的に、
「ふざけるなよ、お前」
と叫んだのだが、相手は一向に怯む様子もなかった。僕は本能的に怖くなって、診察室に逃げ込んで中から鍵をかけた。彼女はしばらくの間、
「アイちゃん(自殺した患者)が死んだのは、お前のせいだ!責任を取れ!」
と叫びながら、診察室のドアを叩き続けた。僕は恐怖のあまり、診察室の椅子の上で縮こまっていることしかできなかったのだが、結局彼女は、駆け付けた複数の男性スタッフたちに取り押さえられ、どうにか事なきをえた。
この体験は今考えても恐ろしいもので、視聴者からの逆恨みも、エスカレートすればここまでの事態に発展しうるのだという、苦い教訓になった。斎藤医院長からは、「大丈夫でしたか?」と言われただけでとくにお咎めはなかったのだが、内心ではどう思われているか、わかったものではない。
数日後には、僕のことを「人殺し」と非難する内容の書き込みが、クリニックの口コミサイトや、YouTubeのコメント欄に、複数の匿名アカウントからなされた。そういえば、YouTubeを始めてからというもの、クリニックの口コミに僕の悪口を書いたものが、随分と増えた気がする。YouTubeの視聴者のイタズラだろう、ということで、山中のときのようにいちいち斎藤医院長から注意を受けることはなかったのだが、やはり良い気はしない。
休みの日も動画撮影や本の執筆などのインフルエンサー業に忙しいから、まともに休みを取れておらず、ただでさえ疲弊していたところにこんなことが起こり、ほとほと嫌になった。さすがにこのときばかりは、「YouTubeなんか、辞めてしまえ」という気持ちにもなったのだが、ここまでチャンネルが大きくなって、僕の動画に「救われた」という視聴者も多くいる手前、そう簡単に辞めるわけにもいかない。以前から僕には、「キリストのように人類の業を背負って死ぬ運命なのかもしれない」という思いがあったが、今ほどその思いが強くなったこともない。やはり、これは闘いなのだ。僕が影響力を行使して、精神障害者どもを撲滅するのが先か、僕がやつらの毒牙にかかるのが先かの、闘いなのである。
九、
長い時間が経った。僕ももう、三十代に入った。今でもYouTubeは続けており、一時期ほどの勢いこそないものの、コンスタントに万単位の視聴数は取れている。ファンクラブも、少しずつだが大きくなっていっている。
おそらく僕は、はた目から見ればインフルエンサー精神科医として、順風満帆に見えるのだろう。だが、内面では疲弊しきっている。そもそも、インフルエンサー活動をしているせいで物理的に休みがほとんど取れないこともあるが、それ以上に誹謗中傷に晒されることによる、精神的な疲労が大きい。未だに自殺した視聴者の話をしてくる者もいるし、ここ最近は匿名の精神科医たちが、SNS上で僕の一挙手一投足を批判するような投稿をしているという話も、耳にしている。
そんなものをいちいち相手にしていたら参ってしまうので、そういう外野の声は努めて無視するようにしているのだが、嫌でも耳に入ってしまうことはあるし、はっきり言って不快である。不快でないはずがない。きっと、目立っている僕への、嫉妬なのだろう。まあ確かに、インフルエンサー業のおかげで、普通の勤務医では考えられない程の収入を得ていることは、事実なのだから。
一方で、僕の動画や本に「救われた」という声も一定数あって、そのように言ってくれる人々に僕は生かされているのだと感じることも多い。時折、僕は何万人という単位の人々に救いを与えているのだから、現代版のキリストやブッダのような存在なのだと思うようになってきた。いや、僕には現代精神医学や心理学の深い見識があるのだから、彼らをも上回る存在なのだろう。所詮は彼らも、何千年も前の人々に過ぎないのだ。スポーツの世界でも技術の発展に伴いどんどん記録が更新されているように、現代科学の知見をもとに多くの人々に救いを与えている僕は、今やキリストやブッダを超えているに違いないのだ!
・・正直に言うと、最近の僕はこのような全能感に酔いしれる場面もあれば、逆に突然、自分が極悪人であるかのような感覚に苦しむ場面もあったりで、精神的に不安定になっていることを自覚している。きっと、疲れているのだろう。だから、最近は日曜日を完全オフにして、寺に座禅を組みに行くことにしている。佐川とYouTubeでコラボした際に、座禅を勧められたことがきっかけだった。
座禅を組んでいる間はすべてを忘れることができ、とても心地よい。無の境地というやつだろうか。それで僕が今考えているのは、心の働きを止めて、常に無の境地に維持することができれば、多くの心の病を治癒できるのではないか?ということである。
患者や視聴者たちは、醜いまでに苦しんでいる。症状に苦しみ、孤独に苦しみ、貧乏に苦しみ、差別や偏見に苦しんでいる。だがそもそも、彼らの苦しみは、心の働きが生み出しているものである。だから、心の働きを止めてしまえば、苦しみも生まれようがないのだ。そう、初めから心など、ない方が良いのだ!
僕はこの考えに辿り着いた時、森山に関するブログ記事を書いた時以上に、自らの頭脳の優秀さに感動した。無意識の概念を提唱したフロイト以上の大発見だと、自分に酔いしれた。
そして僕は、座禅こそが「心の働きを止める」ための扉を開く鍵だと強く確信している。このタイミングで僕が座禅に夢中になっているのは、いわゆるシンクロニシティ(共時性)だ。今やキリストやブッダ、フロイトを超える存在になった僕に気づきを与えるために、何か超自然的な力が働いているのだろう。
今では座禅を組むことにも随分慣れてきて、深い瞑想状態に入れるようになってきたことを感じている。ちなみに患者にも座禅を組ませてみたことがあるのだが、案の定、五分と座っていられなかった。心が薄汚れていると、そうなるのだ。
ところで僕は今、壮大な実験について考えている。自分自身の身体を用いて、座禅を通じて心を無にすることが可能か否かを、試そうとしているのだ。
僕は、心の働きの中でも本能こそが、すべての心の問題、および人間の醜悪さの源だと思っている。多くの不満や心の問題は、食欲、睡眠欲、性欲、そういった本能的な欲求が満たせないことに起因しているのだと思う。翻って、座禅を組むことは、理性の働きによるものだ。すなわち、仮に僕が一切の本能的な欲求に惑わされることなく座禅を組み続けることができれば、それは本能に理性が勝利したことになる。そのときに、僕は心の働きを止め、完全な無の境地を体感できるのであろう。
僕は、この実験の遂行のために着々と準備を進めている。僕が、古今東西のあらゆる宗教家、心理学者も成しえなかった大発見をする日も、近いだろう。
あと、そういえば最近、森山の死刑が執行されたというニュースも耳にした。当然の報いだし、社会の正義のために僕も少なからず貢献できたのなら、それ以上の喜びはない。これも、僕の一つの功績と言ってよいのではないか。
十、
「何をしているんだ!」
座禅を組んでいた僕は、大学時代からの友人の鈴木の声を聞いて、突然我に返った。なぜかその場には、両親も心配そうな顔をして立ち尽くしていた。
僕は何が起こっていたのか、さっぱり理解できなかったのだが、そのまま救急車で病院に運び込まれた。身体がひどく重く、自分でもこれが自分の身体とは思えない程、やせ細っていることに気が付いた。鈴木や両親たちの話によると、僕は一週間以上、自分の部屋で座禅を組み続けていたらしい。邪魔が入らなければ、無の境地に、あと一歩で至ることができていただろうに!
いずれにしても、一週間も食事も摂らずに座禅を組み続けていたせいか、身体が食事を受け付けなかった。何かを口に入れても、反射的に吐いてしまうのだ。
しばらくすると医師たちも僕に食事を与えることを諦めて、僕は点滴を受けながら、ただ横になっていた。それで今は、どのくらいの時間が経ったのかもわからない。とりあえずこうして横になっている間、僕は夢の中にいるような、心地の良い多好感に包まれながら、過ごしている。
・・・ん?ベッドの横に人影が見える。母親か?いや、この目を覆うように長い前髪と、下膨れの輪郭は、どこかで見覚えがあるような・・。!まさか!森山か!?
「ご名答。そうだ、俺は森山直人だ。まあ、驚くのも当然だよな。取りあえず聞け。ご存じの通り、俺は何か月か前に死刑になり、俺の肉体は、もうこの世には存在しない。今の俺の身体は物理的に存在しているのではなく、お前の意識の中に存在しているに過ぎない。」
森山は、落ち着いた声で僕に話しかけている。その声は、耳から聞こえるのではなく、直接、僕の意識の中に響いているように感じられる。彼が言っていることも、満更ではないのかもしれない。森山は、さらに話を続ける。
「俺は、お前たち生きている人間が『キリスト』とか『ブッダ』とか呼んでいる、高次の存在の意志を受けて、ここにいる。そういえば、お前の昔の患者の中に、高次の存在と交信できる能力を持った者もいたようだな。」
高次の存在?何を言っているんだ、こいつは?そういえば昔、大川が「お天道」がどうのこうのと言っていたような・・・。まさか、あれは本当だったのか!?
「その『まさか』なんだなー、これが。お前はなんにもわかってはいないんだ。おっと、心配することはない。お前は随分と、俺の評判を落とすことに貢献してくれたようだから、確かに俺はお前に対しては恨みの感情しかないが、俺の意志でお前を殺すことはしない。審判は、あくまで公平に行われる。俺が天使になるか、死神になるかは、すべてお前次第だ。」
僕は、森山が何を言っているのか、さっぱり理解できない。僕の心境を表情から察しているのか、それとも不思議な力で心の中を覗き込まれているのか、定かではないが、森山はニヤリと笑みを浮かべながら、説明を続ける。
「高次の存在は、お前が生きるべき人間か否かを確かめようとしてなさる。物理的には、今のお前の身体は、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。明日から食欲を取り戻して息を吹き返しても不思議ではないし、逆に次の瞬間に呼吸が止まることも、十分に起こりえる。すべては高次の存在の意志にかかっている。彼がお前に命の息吹を与えれば元通りに復活するだろうし、彼に見放されれば、お前は死ぬ。ここまで大丈夫か?」
森山はニヤついた顔のままで、僕の目を覗き込む。仮にこいつの言うことが本当だとして、どのような手段で、僕が生きるべきか否かを決めるというのだ?僕のその疑問をくみ取ったらしい森山は、再び話し始める。
「今から、お前に二つの質問をする。そのうちどちらかに答えられれば、お前は生き返る。だが、二つとも間違えれば・・言わなくてもわかるな?」
森山は目線を合わせたままで、クククと嫌らしく笑う。なんでもいい、話はわかったから、その「質問」とやらを聞かせろ!
「わかった、じゃあ早速、『質問1』ね。わたくし、森山直人が診断を受けていた精神病は統合失調症と―」
森山はわざとらしく間を置く。僕はすかさず「解離性障害」と答えようとするが、僕が口を開くか開かないかのタイミングで、森山は再び話し始める。彼の顔には「してやったり」と言わんばかりの笑みが浮かんでいる。
「解離性障害ですが、では、初めてそれらの診断を受けたのは、いつのことでしょう?①1995年8月②1996年8月③1997年8月。さあ、答えは三つに一つ。シンキングタイム、スタート!」
確か森山が二十歳頃のことだったと記憶しているが、そんな正確にいつだったかなんて、覚えてないぞ?とりあえず、間を取って②にしておくか?
「②だ!」
僕が叫ぶと、森山は無表情になってしばらく間を置いてから、突如として声を張り上げる。
「ブッブー。答えは①1995年8月でした。お前、そんなことも知らないでテレビでペラペラ喋ってたのかよ。マジでありえねー。とりあえず、減点1ね。」
森山がそう言い終えるや否や、僕は身体に異変を覚える。く、苦しい。息ができない!まるで、身体が息の吸い方を忘れてしまったかのようだ!
「お前の潜在意識に働きかけて、呼吸筋を麻痺させました。次の質問に答えないと、脳に酸素が行かなくなって、数分で死んじゃうよ~ん。さあ、次の質問がラストチャンスだ。心して答えろよ~。」
僕は怖い。こんな形で死ぬなんて、絶対に嫌だ。知らぬ間に涙が流れてくる。森山は再び嫌らしい笑みを浮かべて、二つ目の質問をする。
「双極性障害の治療薬として用いられる炭酸リチウムですが、血中濃度が上がりすぎると、中毒症状を起こすことがあります。以下に挙げる炭酸リチウムの中毒症状のうち、一番発症確率が低いものは、どれでしょう?①口渇②嘔吐③めまい。さあ、よく考えて答えるんだぞ~。」
そんなこと、急に言われたってわかるものか。でも、早く答えないと死んでしまう。これらの症状の中では、一番重篤そうなのは「めまい」だな。よし、ではこれにしよう!答えは、
「③だ!」
僕が答えた次の瞬間、森山は「はははは」と高笑いをしてから、
「残念、ハ・ズ・レ!答えは①の口渇で、発症確率はわずか4%でした!お前、こんなことも知らないで、患者にリチウムを処方しようとしていたのかよ。しかも、血液検査もなしで。いや~恐ろしいね。やっぱりお前は、救えないみたいだ。」
と言う。「救えないみたいだ」の部分だけ、妙に意識の深層に響いて聞こえる。
!?森山がいない!どこに行った?く、苦しい。まずい、視界が暗くなってきた。誰か、助けて、くれ、誰か・・・・・