最終話:春原大空の告白
自分が同性愛者なのだと、明確に気づいたのは中学1年の時だった。
それまで、幼稚園からの幼馴染を特別好きだとは思っていたけれど、恋だなんだとは思ってなかった。
制服を着て、少し大人びた周囲は、誰と誰が付き合ったとかキスをしたとか、そういう話ばっかりになって、例に漏れず俺の幼馴染にも部活で知り合った1年先輩の彼女が出来た。その話を聞いて、おめでとうと祝ってやるどころか、家に帰って哀しくて号泣してしまった時点で、これがただの友情じゃないことを知った。
だけどその気持ちを彼に告げる気は全然無くて、しまい込んだ恋心を発散させるべく俺はオシャレに熱中しだした。
幼馴染を彼女から奪ってやろうなんて、明確な目的は一切なかった。
ただ俺だって努力して思いっきり可愛くなれば、一度くらいは彼に「可愛い」って言ってもらえるんじゃないかって。そんな細やかな願いは、ちょっとだけあった気がする。
髪を染めて、ピアスをあけて、爪を塗る。
明らかに風貌が変わって行く中で、自分としてはすごく可愛くなったつもりだったけれど、周囲からはどちらかと言えば痛々しく見えていたらしい。
オシャレ以外は、バカなりに授業も真面目に受けて成績もそこそこだったし、目立った悪さもしていない。
それでも、「女みたいに化粧して、お前オカマかよ」というデリカシーの欠片もない、クラスメイトの悪ガキの一言から始まり、「ビッチのソラは男をとっかえひっかえでパパ活までしてるらしい」なんて、俺には根も葉もない噂が付きまとうようになった。
誰に何を言われても事実じゃないんだから、俺の方が折れる気は更々なかった。
男はともかくコスメの話とかで盛り上がれる女友達は沢山いたし、何より幼馴染の彼が変わらない態度でいてくれたから、俺は平気でいられた。
だけど卒業間際になって、「ずっと気になってたんだけど、ソラは男が好きって本当なのか?」ってソイツに聞かれた時、俺はうっかり頷いてしまった。
そして彼は言った。
『俺は大事な幼馴染で親友だと思ってたのに――それって酷い裏切りじゃないか』
正直、「ハァ?」って感じだった。
別に彼に告白したつもりはなくて、ただ事実に頷いただけだったけれど、どうやら男が恋愛対象になり得ると分かった時点で、彼は自分にもその感情が向いていると思って、酷くショックを受けたようだった。
そりゃあ確かに、彼のことは好きだった。
可愛くなろうとオシャレを始めたのも、きっかけは彼だ。
だけどもう、この頃になると俺は俺自身の為にオシャレをしていたし、可愛くなりたい気持ちと彼の存在とは全く関係がなかった。
すっかりげんなりした気分になった俺は、噂全部が面倒になって、地元を遠く離れた私立校を受験した。環境が変われば別にどこの学校でも良かったけれど、男子校にしたのは色んなことが吹っ切れたからだ。
隠すことが裏切りだと言われるんだったら、最初から晒してしまえばいい。
俺は男が好きだし、青春真っ盛りの高校生活は出来ることならカレシが欲しい。
「だったらどっかの男子校って探して、やってきたのがココだったって話」
怒涛のように一気にダイジェストで語った俺の話を、ハルチはずっと同じ形で固まって聞いていた。
多分、話を正確に理解するのに時間がかかっているんだろう。
ハルチは慎重に物事を考えるタイプなので、俺みたいに捲まくし立てる喋り方が得意じゃないのだ。
「それでお前、自己紹介の時あんなこと言ったのか」
俺の話をゆっくり咀嚼してから、ハルチは言った。
「そう。また騙した、なんて言われるのは癪だったし、カレシが欲しいって言っとけば、その気がない奴は早々近寄って来ないだろ、みたいな」
「は? お前それも本気じゃなかったのか?」
「うーん、まあカレシは欲しかったよ? でも別にいないならいないでいっかって感じだったかも」
俺の軽いノリに慣れているとは言え、ハルチは目を白黒させて「えっと?」と頭を抱えている。
「――じゃあ何で俺に告って来たんだよ」
「それは言ったでしょ。単純に顔が好みだったの。ほんとだよ? 世間一般でハルチの見た目がどのレベルかなんて関係ない。俺にとってはガチで好みだったんだからしょうがないじゃん!」
「蓼食う虫も好き好きってやつか……」
タデ……? ムシ? それって何だっけ?
ハルチは難しいことを言って、相変わらず俺がハルチを「好きになった理由」を探している。
でも俺にとって大事なのはそこじゃない。
大体、好きとか嫌いとかって別に理由なくない?
俺はなんでもそう。
これなんとなく好きだな、とか嫌いだな、とかから始まって、そこから興味もって知っていって、その時何を思うかはその時の俺の気分次第。
「俺がハルチの顔が好きって言ったのは、その時は顔しか知らなかったから。ううん。厳密に言えば、つまんない自己紹介した平凡すぎるほど平凡なハルチしか知らなかった」
「ほらな。やっぱつまんねー自己紹介って思ってたんだろ?」
そーだろ、そーだろ、と。こんな時だけ、ハルチは妙に納得した顔をする。むしろ得意げですらある。
ほんと変なの。
「……ていうかソイツ。その幼馴染ってやつ。よくソラに好かれてるって思い込めたな? 俺じゃ絶対に無理だ」
俺に告白された時のことを思い出しているのか、ハルチはしみじみと言った。
「余程のイケメンだったのか……」
ボソボソいうハルチに、「いや」と俺は首を横に振る。
「なんていうか、ハルチにちょっと似てたかも」
言ってやったら、ハルチは俺の予想通りに複雑な顔をした。
「あ、なるほど、な……まあソラが俺の顔が好みなら、そうなるのか? だがそうなると余計納得がいかん! なんでこの顔で自信が持てるんだよ!!」
ハルチが絶叫する。
ああもう、なんでこの人こんなに顔にコンプレックスがあるのかな。
確かに特別目を引く美形ってのじゃないかもだけど、全然卑下することないと思う。髪型だって服装だって、後から幾らでも変えられるんだし。
俺はオシャレしたいからしてるだけで、別に外見的なことに特別価値を置いている訳じゃない。
何より俺、本当にハルチみたいな薄いホッとする感じの顔が好きだから、幾らハルチが自分を卑下したところでちっとも意味がわかんない。でもそれがハルチなんだってことは、出会ってからの付き合いで分かるようにはなった。
「まあそうだよね。ハルチだったらそうはならなかったと思う。でもどっちかというと、ソイツみたいなのの方が多いよ? 俺がカレシ欲しいって言った時だって、クラスの大体は俺に好かれたらどうしよーって思ってたと思う」
「……そうか?」
「うん。そんでその時ハルチがどう思ってたか当ててあげようか」
俺は眉間によったハルチの皺を、指先でチョンと突いた。
「俺には関係ない話だな」
図星だったんだろう。
ハルチは目をまん丸にしてポカンと口をあけた。
「俺これでもハルチのこと結構分かってるつもりなんだー。一年間ずっと一緒にいたのもあるけど、それ以前に。最初から、ハルチの顔が好きって思って突撃して、それからすぐ。俺がなんでハルチのことずっと好きでいたか分かる?」
ハルチは思いっきり、ブルブルと首を横に振った。
ハルチがいっつも欲しがってた、俺がハルチを好きな理由。
それを今こそ、教えてあげようと思う。
「ハルチは俺を称号みたいに扱ったって謝ってくれたけど、それって何か悪いことなの?」
「え?」
「称号ってさ、高価で価値のあるモノでしょ? つまりハルチは、俺のことをそれだけイイって思ってくれてるってことじゃん」
「それは――」
「ハルチは最初からそうだった。俺のことを綺麗だって、いつも自分とは釣り合わないって。手の届かない宝物みたいに眺めてくれた。俺はその度に、嘘みたいに幸せだった」
ハルチは言う程平凡なんかじゃない。
少なくとも俺にとっては、充分特別だった。
俺みたいなはみだし者を、当たり前に受け入れてくれて、綺麗って言ってくれて。皆から否定され続けた俺の見た目も心も、一目で丸っと”イイモノ”として見てくれた。
ハルチからしたら、それは普通のことだったのかもしれない。
だけど、その普通が出来ない人が世の中9割って言ってもいいと思う。
高校に入ってから俺は、ハルチに特別の宝物みたいに扱ってもらって、それは周りの友達にも確実に伝播していって、お陰で俺は今も楽しく学校生活を送れている。中学の俺からすれば、奇跡みたいだって思う。
「俺ずっと誰かにそう言って欲しかった。俺のこと宝物みたいに自慢して、大事にして欲しかったから、オシャレだって頑張ったし、綺麗でいたくて爪も磨いた。俺が一番自分で自分を綺麗だなって思うように俺を形作って、それを同じように綺麗って見てくれる人と一緒にいたいって思ってた」
全部自分の為。俺の方こそ、自分に自信なんてこれっぽっちも無かったよ。
でもそんな俺に自信を与えてくれたのはハルチで、俺は告白したその次の瞬間には”この人しかいない”って思ったんだ。
「俺はハルチが言う程特別なんかじゃないよ。見た目だって、確かに気に入ってくれる人も多いけど、それ以上に引く人の方が多いし。女子とは仲良く出来ても、男からは嫌われたり。でも女子から恋愛感情向けられても俺は無理だし。お断りの時に下手なこと言うと、これが逆恨みされたり大変なんだよね」
「俺には分からん。モテる奴の苦悩ってやつだな」
「まあつまり俺が言いたいのは、女子みたく可愛い系の男でもないし、背は180近くて、声だって普通に野太い俺をさ、ハルチは綺麗とか可愛いとか言ってくれんじゃん?」
「それは……皆そう言うだろ」
なんの抑揚もなく言うハルチに、俺は「あーもう!!」と地団太を踏む。
「いやだから、そこが違うんだって!! ハルチがこんな俺を可愛いって思うのは、ハルチが俺を好きだからだよ! 少なくとも最初に俺が声かけた時にはもう、ハルチは俺のこと好意的に見てくれてたってことでしょ?」
「そういう意味ではまあ、そうだな」
しばし考えこんだハルチの顔が、じわじわっと首をつたって耳の先まで赤くなっていく。
「あれ、じゃあ一目惚れしたのって、ソラって言うより、むしろ俺が――」
「あれだけ色々ぶちまけてた俺って、ぶっちゃけマイナス要素ばっかだったと思うんだけど。それふっ飛ばして俺の顔が綺麗ってそれはもう、ハルチこそ俺の顔好きすぎだよ?」
「うっ……いやでも、俺は顔だけじゃなくて、ソラの全部が俺には勿体ないって言うか、眩しいっていうか……俺なんかがカレシなんて言うのは勿体ないが過ぎる」
「だから!! 綺麗だの可愛いだの、俺には不釣り合いだー! なんて言ってくれるハルチは、めちゃめちゃ俺のことが好きで、そんでそれだけ大事に愛されてる俺は、すっげー幸せだってこと!」
なんでハルチのことなのに、俺がここまで言ってやらないとダメなのかなあ。一気に色んなことがなだれ込んできて、パンク状態になっているハルチに俺はダメ押しのように言ってやる。
「俺はハルチが好きで、ハルチも俺が好き。俺はハルチに好かれて幸せで、ハルチのことを誰が平凡って言っても俺にとっては特別なの。OK?」
「お、オッケー……」
「それで、そんなハルチの宝物の俺が、カレシとしてハルチをご所望なんですけど、それってどうしてくれんの?」
ハルチはおどおどと目を泳がせて、立ちっぱなしだった俺をベンチに座らせると入れ替わりに俺の足元に正座した。
膝立てた王子様ポーズとかじゃなくて、ガチでかしこまってるのがハルチっぽいなあと思う。
「俺なんかで良ければ……ヨロシクお願いします」
「うん! 俺”なんか”じゃなくて、ハルチがいいよ」
手を取ってハルチを立たせると、二人並んで歩きだす。
まだどことなくぎこちないけど、朝みたいに俺の一歩後ろからついて来るんじゃなくて、ちゃんと隣を歩いているだけマシだなって思う。これからちょっとずつ、ハルチの卑屈を取り除いていくのは骨が折れる作業だけど、それはそれで楽しいって思っている俺もいたりする。
「ソラ。俺、お前の隣が恥ずかしくない程度には、オシャレも頑張ってみたい」
「うん。無理してないならいいんじゃない? 髪さっぱりさせて、服のジャンル変えるだけで全然よくなると思う」
「ああ。どう頑張っても平凡枠から出れはしないと思うが、まあそれなりに……」
「じゃあ今から行っとく?」
「え、今?」
ビビり散らかしているハルチを強引に、俺は善は急げとばかりに早速その足でいきつけの美容師さんのところにまで連れて行った。帰るにはまだ早かったし、別の日に改めたりするとまたハルチの卑屈が顔を出して、気が変わってしまうかもしれない。
「お任せでカッコよくしてくださいって言えばいいから!」
緊張で肩をいからせているハルチを、チャラいけど優しい美容師のお兄さんに渡して数時間。
「おぉー!!」
トコトコとカウンターまで出て来たハルチに俺は歓声をあげる。
ハルチは黒髪のまま、パーマとかもかかってない。サッパリとした雰囲気イケメンにカットされて出て来た。
「……ソ、ソラのカレシとして恥ずかしくない頭にしてくださいって言った……!」
「それって、俺が次行く時お兄さんに思いっきり弄られるやつじゃん」
苦笑いする俺に、「良くなったでしょー」と美容師のお兄さんがお会計しながらバチンとウィンクしてくる。
派手な俺に合わせて派手にするんじゃなくて、ハルチっぽさを残した対称系にしてくれたの、流石常連の俺の好みが分かってる。
「ハルチ的にはどんな感じ?」
「あぁ、なんかちょっと自信ついたかも」
「うんうん。ハルチ益々カッコいいよ!」
あ、ヤバイ。いつものノリで言っちゃった、と慌てて口をつぐむ。
ハルチはこういう言い方、揶揄われてるみたいで嫌がるかもって思ったからなんだけど、思いがけずハルチは「ありがとう」と優し気な目で俺を見て来た。
「こんな簡単なことでソラが喜んでくれるなら、もっと早く頑張ってみればよかったな」
「別に頑張る必要なんて……」
「俺が頑張りたいんだよ」
妙に頼もしくなったハルチが、自然と俺の手を握って店を出る。
「飯、食ってくか?」
「うん!」
ハルチにリードされるのは初めてで、どぎまぎと手を引かれていると「あ」と突然ハルチが立ち止まった。
「え、何。どうし――」
何があったのかとつられて立ち止まると、グイっと腕を引かれて、その拍子にバランスを崩したところで、ふいに唇を掠め取られた。
「……へ?」
「いや、ちゃんと付き合ったんだし、ずっとしたいって思ってたから……」
「あ、そう、なんだ……」
いやいや、ハルチのキャラ変わり過ぎじゃない?
よく見ればちゃんとひと気のない場所を選んでるし、前を行くハルチの背中はどことなく自信に満ちている。
これは帰りにもう一回あるかな、なんて思ってたら、ご飯が終わって別れ際――。
俺を見送りについて来てくれた駅のホームのところで、限界を迎えたらしきブルブルと震えたハルチがいきなりガバっと頭を下げた。
「調子に乗って悪かった!!! 俺浮かれて、同意もなく、ソラにキスを……」
「もしかしてハルチ、それずっと気にしてたの?」
もう結構な時間が経っているものだから、俺は呆れて笑ってしまう。
「気にしてるに決まってんだろ!! 飯も喉通ってないわ!!」
あれも食べろこれも食べろって俺に回してきてたのはそのせいだったのか。
キマらないなあと思いつつ、これがハルチだよなって安心したのも事実で。
「嬉しかったから、またしてね」
と、今度は俺の方からハルチの頬にチュ、と軽いキスをして電車に乗り込んだ。
その後放心したハルチが電車を2本見送る事態になってしまったことは、この時の俺は知る由もなかった。