【6】臆病で卑屈な平凡男の本音
なんでもっと早く、手を離してやれなかったのかな。
カレシが欲しいって、華やかな高校生活を夢見ていたソラの一年を、すっかり無駄にしてしまった。それもこれも、俺が普通を抜け出したいなんて、身の丈に合わない願いを抱いたせいだ。
ソラに釣り合わない自分を卑下して、疲れて、それでソラのこと傷つけるなんて、どんだけ身勝手なんだ。
ソラを振り回すのもいい加減にしろ。
脳内では、沢山の同じ平凡面を並べた俺自身が、口々に俺を罵っている。
心底腹が立って、ガツンと右頬を自分でブン殴ったら、通りがかった人たちがビクっとして、俺を怪訝な顔で見る。
こんなので目立ったところで、なんにも嬉しくない。
「はぁ……もう帰ろ」
帰ったら、ネットで調べて、今からでも公立校に転校できるか調べてみよう。
俺はどこまでも心の狭い奴なので、これから柊とソラが付き合ったりして、二人で幸せそうにしているのを見ていられる気がしない。
(マジ無理、死ぬ)
いかん、脳内で想像しただけで死にたくなってきた。
フラフラと無意識に、公園にかかる橋に引き寄せられた俺は、橋の柵に手をついて川の流れを覗き込んだ。
見慣れた地味顔が、ゆらゆらと水面をたゆたっている。
「こんな顔が好きとか、真に受けてんなよ馬鹿が」
いかにソラの主張が無理筋かを思い知って、俺はおかしくて笑ってしまった。
本当に、俺がソラと昔出会ってたとか、前世の恋人だったとか、何か他の理由があったら良かったのに。告白された時に、咄嗟に口をついて出た冗談のようなそれを、今は本気で願っている。
俺にとって、最も自信のないところを褒められても、ひたすら不安なだけなのだ。ただ他に、自信のあるところがあるかと言われればそれもないのだから、それが俺の面倒くさいところなのだが。
「背ももうちょっと欲しかった……せめてソラと同じくらいは」
これくらいか?
と、グッと背伸びをすると、更に水を覗き込んでいる体勢になる。
これじゃ本当に飛び込むと勘違いされるかも、と慌てて身体を引こうとしたところで――。
「ハルチー!!! 待って、死んじゃダメー!!」
遠くから弾丸のように駆けて来たソラが(そう言えばソラはすごく足も速い)、大声で叫びながら、全身で俺の身体にタックルしてきた。
「うぉ!? って、ソラ、危ない!」
俺ごと転がった拍子にうっかりソラの頭がコンクリの柵にぶつかりそうになって、俺はソラの身体を抱き込むようにして慌てて庇う。お陰で俺は背中をしたたか打ち付けて、一瞬「ぐふっ」と息が詰まった。
「っつ、痛ぇ……ソラ、お前大丈夫だったか?」
痛む場所をさすりながら、俺はソラの顔を覗き込む。
「お、俺のことなんてどうでもいい!! 危なかったのはハルチの方でしょ!?」
俺の上に馬乗りになっているソラは、涙目で俺をギュっと抱きしめた。
「ごめん、ハルチ。まさかハルチがここまで思い詰めてるなんて――」
「はぁ!? 何勘違いしてんだ!」
ソラが何をどう勘違いしているのか分かって、俺は慌てて誤解を解く。
勘違いされそう、とは思ったが、まさか本気で勘違いして突っ込んでくる奴がいるとは。
しかもそれがソラだなんて、俺も思いがけない事態に動転している。
「……だから、もう少し背が高かったらって、目線を高くしてみたというか」
俺がただ背伸びをしただけだと説明すると、ソラは安心したのか、俺にしがみついていた手をようやく離した。
「別にハルチ、気にするほど背低くないのに」
「そうだけど、俺はずっと――お前の背を追い越したいって思ってたんだよ」
立ち上がった俺たちは、すっかり行きかう人たちの注目を集めてしまったので、そそくさとその場を離れて、公園の椅子に並んで座った。すぐに帰らなかったのは、ソラがこのまま俺を帰してくれる気配がなかったからで、俺もそろそろ腹を割って話す頃合いだと思っていた所なので、いよいよ腹をくくった。
「それで? ハルチは今日みたいに、俺にずっと言いたくて我慢してたことってある?」
俺を責めるでもなく、ソラは隣の俺の顔を見ないで正面を見て問いかけた。
俺が顔を見て話すのが苦手なのを知ってるからかもしれないし、ソラはソラで俺からまた何を言われるか怖かったのかもしれない。
愛想尽かされても仕方がない。散々幼稚な態度を取っておいて、それでも俺は今、ソラが柊より俺を優先して追いかけて来てくれたことにホッとしていた。
「まずは、酷いこと言って悪かった。ソラが悪いとかじゃなくて、俺が勝手に凹んだだけなんだ。お前と柊があんまりお似合いだったから――嫉妬して、お前に八つ当たりした」
「嫉妬!? ハルチが!?」
心底信じられないと言った風に驚いた顔でこっちを見たソラを、俺は笑う。
「そうだよ。俺なんかがいっちょ前に、お前をイケメンにとられたってイジけてたんだ。笑っちゃうよな」
「それって……」
「うん。俺、もうとっくにソラのことが好きだよ。でもさ、お前の隣に恋人として居座る俺ってのが全然想像できないし、そうなれる自信が無い」
「……だから、疲れる?」
コクリ、と頷いた俺に、ソラは「そっかぁ」と言って、また前を向いた。
納得したような、呆れたような声音だった。
すぐ傍で小さな男の子を連れて親子が、キャッチボールをしている。
まだ夕暮れ前で陽は暖かく、休日のにぎわいが俺たちに無関心でいてくれるのが有難かった。
「俺考えてたんだ。平凡なら平凡なりに、俺はお前の隣にいる努力を少しはしたのかって……答えはノーだ。お前も知っての通り、俺は何もしなかった。俺の顔が好きって言ってくれるお前の言葉をちっとも信じてやしないくせに、その言葉にいつまでも縋ってる。今のままの俺でいいんだって、結局ソラからの好意に甘えてた。そのくせ、お前や柊と垢ぬけない自分を比べて勝手に卑屈になって落ち込んだあげくに八つ当たり。マジ、俺って最悪だ」
本当は、お前らと俺を比べることすら烏滸がましいよ。
始めから土俵に乗る努力すらしてないのに、何もない俺で勝負しようだなんて。
「俺には何もないくせに、ソラを称号みたいにして俺自身を誇ってた」
ごめんな、と。
姿勢を正してソラの方へと向き直り、俺は出来るだけ真摯に頭を下げた。
「言いたいことはそれだけ?」
幻滅されても仕方がない。まだ付き合ってもいないけど、今からフラれるのかもしれない。
怯える俺に、意外にも返って来たソラの声は冷静だった。
「ハルチの話が終わったなら――俺の話、してもいい?」