【4】恐れていた未来
帰宅部の俺とソラは、バイトの日以外は基本的に一緒に帰る。
コンビニバイトの俺と、駅前のケーキショップ店員のソラ。
火、木、金とシフトを合わせてあるから、月曜日と水曜日はソラに放課後デートと称して、色々な場所に付き合わされている。今日はソラが前から予約していた新作コスメの受取日だとかで、近くのショッピングモールに寄って、夕飯はそこで摂る予定だった。
「俺今日焼肉食いたい」
「えー? 服に匂いがつくからイヤ~」
「じゃあ何がいいんだよ?」
「んー、パスタ」
「ってことはまたあのカフェか。あそこ腹に溜まるモンないんだよなぁ……」
あーでもない、こーでもないと言い合いながら、そろそろ教室を出るかとカバンを手にした時だった。
「”春原大空”って人、まだ教室いる?」
騒がしい教室内でも、奥まで届くよく通る声だった。
ソラより先に俺の方が、弾かれたように顔をあげ、その声の主を見る。
見ない顔だ。
大柄で、窮屈そうに身を屈め、廊下の窓側からこちらを覗き込んでいる。
髪色こそ黒だったが、ツーブロックにマッシュのパーマは、それだけでオシャレに気を遣っている奴だと一目でわかる。
そしてそれが似合う、彫の深めなワイルドなイケメンーーソラとは別の種類の、人目を引く容姿だ。
「ん? はーい! 春原大空は俺だけど――君誰?」
呼ばれるままに教室から顔を出したソラを、彼はゆうに見下ろした。
ソラも結構長身で、俺より3センチ高い176センチはあるのだが(ちなみに俺は、170センチだった高1の時から3センチ伸びた)、それより頭一つ分高いのだから、かなりの高身長なのだろう。
「なあ、アイツって」、「ああ、噂の転校生だろ」と、ヒソヒソと周囲から漏れ聞こえてきた声から、彼が例の転校生なのだと知る。普通にしていれば出会うことのない相手が、まさかわざわざソラを探して会いに来るとは全く考えてもいなかった。
(でも、どうして)
向かい合っている二人に、胸の嫌な感じにざわつき始める。
「俺は柊和樹。昨日転校してきたばっかなんだけど、どうしてもアンタと話してみたくてさ」
来ちゃった! と悪びれもせずに言う。
「俺と……なんで?」
不思議そうに首を傾げるソラの横に足を進めると、俺は「ソラ!」と名前を呼んで、警戒するように腕を引いた。
西棟まで広まっているソラの噂と言えば、大体想像がつく。
ソラが同性愛者であって、カレシを欲しがっているということ——。
東棟では、ソラと俺のことを知らない奴はほとんどいないから、ソラが粉をかけられることも滅多に無いが、西棟となると話は別だ。
入学式でのソラの明け透けな自己紹介は、最早伝説のようになっていて、そこだけが噂として大げさに広まってしまっている。
中には、ソラがとんでもない男好きで、学内で男を食い荒らしているなんて噂もあるくらいだ。
それを聞きつけてソラに会いにくるなんて、ろくでもない奴に決まっている。
「えと、なんの用? 俺今からハルチと新作コスメ取りに行くんだけど……」
「ちょっとでいいから話出来ないかな? 出来ればここじゃない場所で」
ソラは明らかに迷惑そうな素振りを見せたが、ここで折れずに押してくるところがいかにもイケメンらしい。
自分が強く迫って、断られるはずがないっていう傲慢さ。
俺は本能的に、「コイツ嫌いだ」と思った。
「うーん……ちょっとなら。いい? ハルチ」
俺の顔色を伺うように、ソラが尋ねる。
本当は行ってほしくなんてない。
ソラが転校生に興味を持っていたのは知っているし、俺が敵うはずもないイケメンを前にして、ソラが心変わりをしない保証もないのだ。
(――つっても、俺たちまだ付き合ってもないんだし)
引き止めるも何も、俺にはそんな権利もない。
「……待ってる。けど、何かあったらすぐ連絡しろよ」
「うん。ありがと、ハルチ!」
聞き分けの良い振りをして、掴んでいたソラの腕を放す。
「悪いね。えっと……ハルチくん?」
ニッと人好きのする笑顔を浮かべた転校生は、ソラを連れてどこかへ消えていった。
転校生が去ると、再び教室は平穏を取り戻しはじめ、時間が過ぎると共にどんどんと人が減って行く。
静かになった教室で、俺はいつソラから連絡が来てもいいようにスマホを握りしめながら、自分の席でジッと時計を睨みつけていた。
(ソラが心変わりしたら、って――俺、何様なんだよ)
そもそもソラに好かれている今が、奇跡みたいなモンだ。
(元々俺じゃソラに釣り合わねえんだし)
たまたまソラが変わった趣味をしていて、俺の顔を気に入っただけ。
じゃあ顔をきっかけにして、他に好きになってもらえるところがあるのかと言えば、それもない。
好きで、一緒にいたいと言われるから、俺も傍にいる。
いつの間にかそれが当たり前みたいになって、慢心している。
ソラに好きになってもらう努力もしないで、この平凡なままの俺を嫌わないでなんて、転校生なんかよりよっぽど俺の方こそ傲慢じゃないか。
(アイツ、えぐいイケメンだったな……)
柊和樹と名乗った彼は、ぼんやりと俺が日々ソラの隣に相応しい像として怯えていた影の形に似ている。フェミニンな雰囲気のイケメンのソラとは違うタイプのイケメンで、男から見てもその男らしさに憧れを抱くタイプ。
両耳にピアスは当然のように開いていて、それもソラが普段使いしている可愛らしいモノではない。ゴツイシルバーがイカつくて、不良っぽさが俺みたいに地味なやつからすると天敵のような印象を受ける(ああいう奴らは、悪意があろうとなかろうと、よく俺たちみたいな気弱なタイプをパシリにしたりする)。
「もう飯食って帰る時間なんてないじゃん」
時計の針が18時半を過ぎた頃、ボソリと呟いた俺は諦めてカバンを手に持った。
未だ帰ってこないソラのカバンは、俺の机の上に置きっぱなしのままだ。
どうしたものか迷って、要件だけメッセージを送ろうとスマホの画面を開いた。
『時間大丈夫か? まだかかるなら――』
俺が一人で店に取りにいこうか、と打とうとしたところで、バタバタと廊下をかけてくる音がして、ガラリとドアを開けたソラが飛び込んで来た。
「ごめん、ハルチ! お待たせ!! 帰ろ?」
「ああ、うん……お前、転校生は?」
ソラ一人だったことにやや肩を撫でおろしながら訊くと、ソラは少し言いにくそうに「うーん」と唸った。
「それ、ご飯の時に話していい? コスメは別の日に取りに行くってお店に連絡しといたから」
「――わかった」
「ん、じゃあ行こ?」
結局、最初に決めた予定とは大幅に狂って、普段からよく帰りに寄っているバーガーチェーン店での夕食になった。
俺は家に帰れば普通に母親が飯を用意してくれているが、ソラは母子家庭で母親は夜も仕事に出ているから基本的に食事は外で摂る。
その辺りの事情は俺も家には伝えていて、ソラと一緒の日には俺も家では食べないと告げてある。
ちょっと心配になるくらい食の細いソラは、今日もトレイにお気に入りのチーズバーガーを一つと、砂糖たっぷりの甘いコーヒーのSサイズを乗っけて俺の正面に座った。
「柊くんね、俺と同じで最初の自己紹介で男が好きだって公言しちゃったんだって。それで、俺のことを知ってる人たちがね、俺もそうだって言うのを言ったらしくって、それで俺に興味を持って会いに来てくれたみたい」
「え」
ゴフっと、乾いたバーガーのパンが喉に詰まって、俺は慌ててドリンクを流し込む。
「……それって、つまりお前と付き合いたいってこと?」
ソラがカレシを欲しがっているという噂を聞きつけて声をかけてきたんだとしたら、向こうにだってそういう下心があってもおかしくない。
「え~? 別にそこまでじゃないと思うよ。ただほら、俺たちって素でそういう話出来る人ってあんまりいないでしょ? 柊くん、転校の理由もそれが原因みたいなとこあるみたいだし、単純に仲間が出来たみたいで嬉しかったんじゃないかな?」
「へぇ……」
ソラを見ていて、同性が好きということが彼らの人生をどれほど生き辛くしているのかは、それなりに分かっているつもりだった。
だけど俺はどうしたって当事者ではないから、分からないことだって多い。
ソラがそうやって当たり前に柊を同じ側として俺と一線を引いてしまうことが、自分勝手ではあるけれど仲間外れにされたみたいでやっぱり寂しい。
「もー、ハルチ。心配しなくても、今度ちゃんとハルチのことも紹介するから」
俺の複雑な感情を察したソラが、俺を安心させるように笑顔で言う。
「……おう」
紹介って、どう紹介するつもりなんだ。
友達? それとも好きな人?
こういう時、やっぱり俺はお前のカレシって肩書が欲しいと思う。
「それでね、柊くんまだこっち引っ越して来てすぐだから、店とかわからないし買い物付き合って欲しいって言われてて」
「ん?」
「丁度いいから、来週の日曜日。ハルチも一緒に3人で遊ぶ約束してきちゃいました!」
「はぁ?」
俺は思わず、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
ソラが思い付きで突拍子もないことをするのは珍しくないけれど、流石にこう来るとは思っていなかった。
「だって、俺と柊くんが二人で遊びに行くって言ったらハルチ心配するでしょ?」
「う゛……それは、まあ」
「でしょ~?」
ハルチのことは分かってんだから、とソラは得意げに笑う。
ソラの中では、俺と柊を引き合わすことも出来て一石二鳥という話らしい。
(まあ、こうなった以上、俺もとことん邪魔をさせてもらうが?)
例え柊にソラが言う通り下心が無かったとしても、俺には柊がソラに害のない人物かしっかりと見極める必要がある。万が一、ソラにふしだらな感情を抱こうもんなら、俺がその精神を叩き潰してやらねばならない。
(首を洗って待ってろよ、柊和樹!)
こうして俺は流されるままに、ソラもいるとは言え、どういう訳か一度もまともに喋ったことのない柊と、日曜一緒に遊ぶ羽目になってしまったのだった。