【3】平凡男の平凡じゃない日常
「ハルチ知ってる? 今日うちの学年に転校生来るんだって」
「珍しいよなー。俺らの学校って別に何が売りってのがあるわけでもねえし」
俺の頭に顎を乗っけて、席に座る俺の後ろからのし掛かるようにしてだらりと腕を伸ばしているソラの言葉を引き継いだのは、俺の向かいの席の橋口だ。
橋口は椅子の背に手をついて、身体ごと俺の方に向けている。
「うーん、親の仕事の関係とか?」
「地元の学校に行きたくない理由とかあったり?」
ソラと橋口は二人して難しい顔をしている。
「コラ! 俺の頭の上で会話すんな」
いい加減、ソラが重くて息苦しい。
ソラは俺より背が高いし、スタイルに気を付けているだとかでジム通いしている身体にはしっかりと筋肉がついている。引きこもってゲームばっかりしてる俺とは、そもそも身体の出来が違うのだ。
それなのに、いつも俺に飛びついてきたり、のし掛かってきたり、少しは俺の貧弱な身体を気遣って欲しいモンだ。
「ハハッ。カレシ妬いてんぞ」
「えー? やだなぁ、もう! ハルチが一番カッコイイってば」
橋口の軽口に応えるように、ソラがギュウと俺の頭を抱え込んで、髪をわしゃわしゃと撫でまわす。
「やめろ。違う!」
くふっ、とソラが堪えきれない様子で噴き出し、橋口も釣られて笑いだす。
クラスの日常として馴染んでいるこの平和なやり取りが、実はそう当たり前でないことを俺は知っている。
LGBTという単語がネットやテレビを賑わす昨今、男同士の恋愛に世間は寛容になって来たとは言え、身近なこととなると受け入れ難く思う人も多いようだ。
ソラの事も、表立って態度を変える奴は少ないが、派手な見た目も相まって影で色々と良くないことを言われたり、腫れ物のように扱われている場面に出くわすことはよくある。
生徒だけならまだしも、教師たちだってそうだ。明らかに校則違反の容姿に何も言われない理由を、ソラははっきりと理解していた。
「俺がゲイだからだよ」
普段の明るさは鳴りを潜め、ソラは淡々と抑揚のない声で言った。
「差別だなんだって騒がれたら面倒だって思ってんじゃない? まあ、叱られなくてラッキーってね!」
その時は、すぐに茶化すようにして話を切り上げたソラだったが、俺はソラと過ごしているうちに、いつも明るく無邪気に振る舞うソラの心の奥底に、ひっそりと隠された傷があることに気づいていた。
だが、ソラのその傷跡に触れることは、決して容易なことではない。
俺だってそこまでの勇気が持て無くて、未だにソラとの関係に名前が付けられないままでいる。ソラのぶつけてくれる、好きという感情を受け取るだけ受け取って、「付き合おう」とも、「俺も好きだ」とも言えないままでいる。
友達として傍にいるだけでも、あれこれと弄られる毎日なのだ。
いざ本当に付き合うなんてなったら、俺を含めてどんな目で見られるのか。
今は冗談にして笑っている橋口だって、他の友達だって、一体どんな反応をしてくるのか――。
影薄く生きて来た俺には想像も出来ない話で、ソラも俺にそれを受け止めるだけの覚悟がないことは、重々分かっていたに違いなかった。
出来る事なら、ソラに告白された事実だって、俺は秘密にしておきたかった。
俺みたいに平凡な男が、ソラみたいな有名人に告白されるなんて、笑いの格好のネタになってしまうと思ったのだ。だけど、そんな俺の心配をよそに、俺とソラとの関係はわざわざ公言する必要もなく、すぐに学校中に知れ渡った。
何故か。
それは告白の翌日から、ソラの猛アピールが開始されたからだ。
そこかしこで、「ハルチはカッコいい!」、「ハルチ大好き!」と臆面もなく口に出し、物理的にも俺にべったりで行動しているのだから、ソラの気持ちはダダ洩れだった。
自己紹介で「カレシが欲しい」と臆面もなく言った奴が、俺と言うターゲットを追いかけ回している。
俺がソラの”カレシ候補”として周りに認知されるのは当然のことだった。
じゃあ俺がそれで迷惑を被ったかと言えば、全くそんなことはなかった。
ソラと同じく生き辛い日常が待っているのではないかと不安のあった俺だったが、意外にも周りの反応は俺に対して同情的だった。
それはそうだ。
ソラが俺に対して一方的に好意を寄せている様は、別に俺をソラと同類にするという話ではない。
ノンケなのに迫られて大変だな、という空気がそこにはあって、それは多分ソラが意図的に作り出したモノだった。
俺がクラス内のコミュニティから外れてしまわないよう、敢えて大げさにソラは俺への好意を隠さなかった。
――そんなソラの涙ぐましい気遣いにも関わらず、俺はぶっちゃけその状況に浮かれていた。
なにせ俺は、平凡の殻を破りたくて、この学校に飛び込んだのだ。
自分自身ではどこをどう変えればはみ出せるのかもわからないまま、一度でいいから目立ってみたいという願いだけはあった。
そんな俺にとって、ソラは俺自身を変えることなく別世界を見せてくれる、魔法みたいな存在だった。
ソラが傍にいるだけで、俺はソラだけでなく、周りからも少しばかり特別な目で見られるようになった。ハルチという俺のあだ名は瞬く間に広まり、そしてその名は俺の存在を越えて独り歩きし始めた。
他校の女子から声をかけられることも多いソラだったが、女子に限らずソラは学校内でもモテていた。
ソラが最初から、恋愛対象は男だと公言していたせいもあったかもしれない。
友達としては距離を置く奴らが大半だが、興味本位でソラにちょっかいを出してくる輩の多いことったら。
ソラに言い寄って来る男は、先輩後輩問わずかなりいた。
その度にソラが、「ハルチが一番カッコいいから」とフってしまうので、俺本人を見たことのない連中は、俺をとんでもないイケメンだと勘違いしてしまうのだ。
そして実際の俺を見知った後で、「なんであんな平凡男が!」なんて、やっかみの陰口を叩かれることは日常茶飯事だ。知らないところで誰かの話題にあがるなんて経験をしたことのなかった俺は、それすらちょっとした特別感を覚えて、満更でもない気分だった。
と言っても、クラスメイトたちはそもそも俺が影の薄い平凡陰キャであることは元々知っているので、ソラとのことは逆の意味でいい方向に作用していた。
すなわち、
「相手がお前だって思うと、春原の特別感がなくなる」
「お前のフツメンパワーが春原のオーラを打ち消してくれるんだよな!」
と、当初浮きまくっていたソラがすんなりとクラスに受け入れられるのに、俺と言う存在は一役買っていた訳だ。
お陰で、俺とソラはまだ明確にお付き合いをしている訳ではないにも関わらず、クラスの名物カップルとして平和に弄られる日々を送っている。
ちょっと特別で、楽しい毎日。
ソラといることで、俺がこの学校に入った目的はほぼ達成されたようなものだ。
(あとは俺が、ソラの言葉と想いを信じれば良いだけ)
一時の気の迷いだと思っていたソラからの好意も、一年経ってまだ変わらない想いを向けられていれば、流石に疑い続けるのは失礼ってものだろう。ソラに気にしている風はないが、俺がはっきりと「付き合おう」と言葉にしないことを、不満に思っていない訳が無い。
いや、もしかしたらソラみたいに恋愛慣れしてそうな奴は、雰囲気でそういうのは感じ取っていちいち言葉にしないのかもしれない。それでも、俺みたいな恋愛初心者は、やっぱり言葉に出して確認したいものなのだ。
(そうでないと、安心出来ないし……)
いつの間にか、ソラとの関係を誰にも壊されたくないと思ってしまっている。
今はまだ、ソラが心変わりしてしまえば、俺達の間には何も残らない。
でも少なくとも、ここで明確に俺がソラのカレシになれば、最低でも俺はソラの”元カレ”にはなれる。
浅ましい考えだとは思うが、俺はそれに縋りたいくらいには、ソラに夢中になっていた。
綺麗なソラが好きだ。俺にいつも笑いかけて、カッコいいって言ってくれる、優しいソラが好きだ。
平凡な俺を、特別にしてくれるソラが好き。だから俺は、君に壊してもらった卑屈な心に蓋をして今、君と付き合いたい――。
ソラの重みを感じながら、悶々と考え込んでいた俺の耳に、「お前ら、さっさと席につけー」と担任の飯田の声が響く。
「じゃあまた、後でね。ハルチ」
軽く手を振ったソラが、慌てて自分の席に戻っていく。
橋口もいつの間にか椅子をひっくり返して何食わぬ顔で前を見ている。
もしかしたら朝のホームルームで転校生の紹介があるかもしれない、と浮うわついていた教室の空気は、いつも通り担任が一人で入ってきたことで、みるみる落ち着きを取り戻した。
――そうして、昼。
野次馬根性でそのクラスまで見に行った連中の言うことには、かなりのイケメンらしい。そのせいもあってか、朝の時と同様、学食で聞こえてくるのは転校生の話題で持ちきりだ。
「3組ってことは、別棟かー。なら、俺たちが知り合うこともないかもね」
うちの学校は1組と2組が文系、3組と4組が理系で分かれている。
実験室など使う教室が違うせいか、はたまた教師陣の移動が楽なせいなのか。
学年ではなく進路によって教室の配置が行われていて、転校生の所属する3組は、俺らのいる東棟とは長い渡り廊下を隔てた西棟になる。
食堂も購買部もそれぞれに備え付けられていて、生徒たちは双方の棟を跨ぐことなく学園生活を送れるようになっているので、特別の用件がなければ俺たちが西棟の生徒たちと関わることはない。
三年生になれば、またそこから更に別れて、進学希望者は私立希望と国立希望とに分けられる。
就職組はもう一つ別のクラスに分かれて、もう一つの特別棟に通うようになってしまうので、卒業後は就職を希望しているソラと、国立の大学受験を希望している俺とが同じクラスで居られるのは今年までだ。
そういう意味でも、俺は今のうちにソラと正真正銘、ちゃんとした恋人同士になっておきたかった。
「なんだよ、そんなに転校生のことが気になるのか?」
「ん? なになに? ハルチやきもち?」
最近太ったと言って、麺類ばかり昼飯にしているソラが、楽し気にうどんの上の油揚げにパクリと食いつく。油揚げに残った歯形が、小さくてなんか可愛い。
「そんなんじゃねえけど」
転校生の話題になると、ちょっとばかり不機嫌になってしまっている自覚があるせいで、バツの悪さに不貞腐れたような声が出た。こんなの、ヤキモチを肯定したようなもんだ。
「アハッ。大丈夫だよ~! ハルチみたいに俺の好みドストライクの顔なんて、早々いるわけないんだからさ」
つんつんと指先で頬をつっつかれて、カレーで満杯になっていた口の中身を無理矢理に飲み込む。
心底おかしいといった風に笑い飛ばしたソラに安心していたのも束の間、嵐はその翌日にやって来たのだった。