#2-4 “そびえたつ双つ”
「我が名はニィルボグ。根深の森は眠らずの砦から、使者の代表として参じた者である。数多の同胞の命根に槍を突き立て、あまつさえ父にして大将軍ネルドゲルの玉体に手をかけたる暴状を働いたという、“片牙の猪”ボギーモーンとは其処許かッ」
第二城壁の関所を抜け、人間族の民草から奇異と恐怖による眼差しを向けられながら、ついに第一城壁の関門にたどり着いたフル=オークの一行は、その先の城門へと続く通行路にて、騎士を率いて歓待するべき者の態度とは思えぬ出で立ちをした、野猪の鎧をまとった男と対面していた。
それまで誰一人として、ネルドゲルの指揮のもと外交上の礼節を欠くことなく行進を続けてきたこのフル=オークたちであったが、あたかも彼らに立ち塞がるかのように待ち構えていたこの憎むべき怨敵を前にして、反応的に見せてしまった“戦き”をニィルボグは見逃さず、自身の企みを実行するための口火にしてしまったのである。
「そうであるなら、何ゆえ兵を束ねて立ち塞がるか。貴賓を歓待するにあたって武装を以て威儀を正すとは無礼千万である。それとも今まで殺し合ってきたオーク族相手であれば礼儀を弁えずともよいと、肌を異にする種族を辱めんがための徒党として並べたものかッ」
列を飛び出すが早いか彼女はそう呼びかけ、続けざまに王子が背後に並ぶ出迎えの騎士中隊を敵対勢力に演出した。ネルドゲルは自身が決闘前にした演芸を真似られたことをさとり、娘を抑えにかかって波風を鎮めようとしたが間に合わなかった。ボギーモーンが取り返しのつかない応答を、彼女に返してよこしたからである。
「いかにも私が、アメンドース領第二正統後継者ボギーモーン王子である。ニィルボグ殿、貴女方フル=オークの代表者の出で立ちこそ、我が人間族と武力的に相見える際に身につけられる武装とお見受けする。私は物見の矢来からそれを確認し、仰る通り“今まで殺し合ってきた種族”に対する浅学から、その姿が礼装かはたまた戦衣として身につけたものかを判別することが出来なかった。もし万が一の事態が発生した場合、貴女のそれはいざ知らず、お父上の一騎当千たる武人としての腕前は、僅か一合ながら武器を交えてこの肌身に染みたつもりだ。我らが装いは、あるいは起こりうる危難の事態に備えてのものであるとお答えする」
通常考えれば、ボギーモーンのこの返答は外交を行うに際して最悪の発言であるといえる。和平とは、それが形ばかりのものであっても交渉から生まれることが一応常識であり、武装とは相手に対する不信を象徴するものであるのだから。だが彼は……そして彼女は、お互いを信頼したいわけではなかった。
「仮にも和睦を建議した側の姿勢とは思えない。我らの礼装を疑うつもりであろうか」
ニィルボグは取引的な礼節をもって対話することができないというわけではない。武人としての礼儀を会話に転用するだけだったので、あるいは芝居がかったような言い回しをすることに、彼女自身抵抗が無かったのである。
「では何ゆえ調印式を行うにあたってこちらの領内を指定されたか。貴女方フル=オークの砦内であるならいざ知らず、無主地を指定しなかったのは不可解である。今更遠慮や忖度によっての提案とも思えぬが、届けられた文書内には『発議されたミディクライン王に敬意を表して』とある。そうであるならば何故、それまで敵対していた勢力の本城に武具の着装を以て参じられたか、それがいかなる敬意を払ってのことかをお聞かせ願いたい」
「それは……」
その理由が、満更敵情視察も兼ねていないわけでもないことを知っていた彼女は言葉が詰まった。これまでフル=オーク側は一族の象徴を担う巫蠱たる族長の存在をアメンドースには伏せており、実質そうであるとはいえ大将軍を首魁と思わせるに任せていた歴史が長かったことも、この場においては逆風となったであろう。ネルドゲルにしても和睦ののち人間族と協力関係を築くことには前向きであったが、だからといって眠らずの砦にある設備を再稼働させ、金切竜の飛来を再び招くつもりはない。加えて調印に際してフル=オーク族長の名代がそれを行うという事実を成立させれば、ミディクラインの上にエンゾルカの存在を演出できるという狙いも大将軍の腹積もりの一つにはあったが、何よりも主たる理由としては、いざ金切竜に対する同盟が何らかの問題が生じてこじれた場合に、ネルドゲル自身がその命でもって責任を償うことで、一族の格落ちを防ぐという目的があっての采配であった。
流石にそのことまではニィルボグも預かり知らぬことであったが、事前に交わされていた公文書に則った作法へ難癖をつけられては彼女も回答しようがなく、次の瞬間にはこの問いがそもそも不条理であることを見抜いて、その代わりとなる二の句を継いだ。
「……ボギーモーン殿。其処許が知りたいのは我々の敬意などではなく、“真意”であると見受けるがいかがであろうか。確かにこの和睦の代表である私たちは、本意によって結ばれたるものではない。それどころかこうしてお目にかかるのも初のことであるというのに、それすら互いに顔と身体を鎧わねば言葉も交わせない始末ときている。だが少なくともこの装いは、私の不本意によるものではないことをここに誓おう」
そう言うが早いか手にした長槍の鞘を抜き取ったニィルボグを見て、どよめきが種族の垣根を超えて伝わっていった。
「何をしとるッ、武人の娘としての礼装ではなかったのかッッ」
「……その言葉通りよおっ父ッ、この縁談に求婚者はいない。だからあたしにも、相手のことを確かめる権利があるッ」
「往生際の―――」
ネルドゲルはまたしても、娘に対する制止をボギーモーンに阻害された。王子はこれ見よがしに騎槍に薬莢を装填すると、笠鍔の内側に柄を締め直してニィルボグに向かい合ったのである。彼はこの場が泥沼化することが本望であったし、どうやら婚約相手もそのようであることを汲み取っていたのかもしれない。皮肉にも初対面から気が合い、息が揃ったこの二人の間に割って入ろうとした大将軍も、ニィルボグの戦闘態勢を見て応戦の構えを見せるアメンドース騎士団を前にその機先が掴めず、成り行きを見守ることを強制されてしまった。
「堅っ苦しい言葉遣いは抜きにしよう、片牙の猪。これはフル=オークのじゃない……おっ父のでもクソ女官のものでもない、あたしの意志によるものだ。あたしは誰かの道具としてではなく、自分の意志でモノを見極めたい。これが“あたし”だ、受けて立つなら構えてみせろッ」
「肯おう」
微塵のためらいも見せず槍先を正面に構えたボギーモーンに、彼女はありのままの自分を少しだけ受け入れられた気がした。
「ぜェえいッ」
王子の答えを聞いたニィルボグは、長槍をそのまま八相に構えて静寂も待たずに突撃をかけた。この場合少しでも間隙を与えれば、背後にいる父に抑止のきっかけを与えてしまいかねない局面だったからである。
(これは跳ねるな)
彼女が刺突に弱い構えで距離を詰めてきたのを見たボギーモーンは、相手の体格から戦法を反射的に理解すると、即座に両の手で柄を掴んで振り回す姿勢を取った。
「けぇあッ」
「がぁッ」
騎槍と長槍の穂先同士が空中で激突する。ニィルボグの姿は既に常識外の高さまで跳躍した後であり、左回りに一度振り上げて彼女の空対地攻撃に得物を合わせたボギーモーンの姿は、あたかも飛んできた槍を撃ち落としたかのような格好になった。
「うぐぅッ」
(ん、今腹を庇ったか)
彼は“婚約相手”が柄を懐に寄せて胴部の支えにしたのを見逃さず、初太刀の余勢をもって空から払い落とそうとした。しかしニィルボグもその勢いを止められたわけではない。得物同士が衝突したことで自身にかかった制動を利用して、その場でもう一回転、外周させた長槍の先端を相手の脳天めがけて空中から振り下ろす。
「おォっと」
しかし彼女の攻撃は綺麗すぎた。挙動が鋭く完璧だったので、王子にはその滑らかな軌道が読みやすかったのである。彼はもう一度勢いそのままに得物を振り回しては、自身の重心をずらして半歩右側へ踏み込みをかけると、幹竹に割られるはずだったその頭のすぐ左耳近くで長槍の切っ先が空を切り、その代わりにやや高めに角度をつけられた騎槍の胴が、宙に舞うニィルボグの逃げ場なき身体を捉えた。
「その手は―――」
彼女は迫りくる横薙ぎの一撃に身をかがめて左脚を引っ掛けるや、自身の得物を手放して王子の騎槍に膝窩を組ませると、鉄棒運動のようにそこを回って降りるが早いか、落ちてきた長槍をもう一度掴んでボギーモーンの懐に突き上げた。
「―――飽きたわッ」
(なんだ“その手”とは)
王子はさすがに避けられぬと見て、敢えてニィルボグに距離を詰めた。勢い足らずで打ち込まれた長槍は野猪の鎧を突き抜けることなく、つっかえ棒のように彼女の動きを止める。ボギーモーンは振り上げたままの騎槍の穂先を天から地へと向けると、相手の軽鎧に照準を合わせて笠鍔内の引き金に指をかけた。
「うわっとッ」
彼の予備動作に反応して、ニィルボグは即座に長槍ごと後方へ飛び跳ねる。そしてすぐさま円を描くようにボギーモーンの周囲を、蛇のように身をかがめて走り回った。
「知っているらしいな……ネルドゲルを相手取るまで取っておけんぞ、これは」
今後は撃突騎槍の爆裂機構を不意打ちで放つことは困難であると判断した王子は、その切り札をチラつかせた戦法に切り替えざるを得ないことを悟る。そもそも彼の狙いはあくまで、ネルドゲルとの再戦である。それを呼び込むための挑発としてニィルボグの誘いに乗ったのだが、あまりにも彼女の実力が高かったため、全力をもって戦わざるを得なかった。その上六呎強の背丈であるボギーモーンにとって、それよりもやや低い程度の身長を持つニィルボグの繰り出してくる空中殺法は相性として不利と言わざるを得ず、戦場での出で立ちそのままの格好では平地での動きを鈍くすることも含めて、一騎打ちにおいては彼の天敵となる相手であったろう。
(ほーぉ、撹乱する動きに変えおったか。ああいうところは勤勉な娘じゃわい)
背面や死角を突いては一撃離脱を繰り返す己が娘に、ネルドゲルはいつしかこの私闘を制止することも忘れ、感心をもって見つめてしまっていた。
しかし片牙の猪もさるもので、視覚よりも聴覚、ないしは気配を辿って不意打ちをかけてくる方向に見当をつけるや、ほとんど先読みの動きで得物を合わせて有効打を防いでいく。こうなれば攻撃に転ずる動きの大きなニィルボグの方が先に疲弊し、それが王子の狙いでもあったのだが、徐々にその制していく機先の時間差が、両者の間に広がり始めた。
「“場数”だな、足りんのはッ」
やにわに騎槍に傾斜をつけて崩れた岩床に突き立てたボギーモーンは、背後から迫った長槍の太刀打ちを無理矢理右手で引っ掴むというと、その握り手を持ち替えようとした持ち主ごと自分の懐に引き込んだ。
「いかんぞ、武器を離せッ」
突き刺した騎槍から斜め方向に一直線、力の流れが伝わるように右肩口の側まで娘を引き寄せた片牙の猪を見て、その狙いを一瞬早く感じ取った大将軍が警告を発した。しかしそれを理解していたのは彼女の父だけではない。
ニィルボグは動かなかった……これから“婚約相手”の放ってくる一撃がどんなものであるかを察しておきながら、ただ動かなかった。
(『最後の一発に全てを賭けたほうがまだ、勝ち筋の残る戦いになったろうに』)
彼女は思い出した言葉を聞き流した。
「もう遅い」
ボギーモーンは引き金を引いた。
彼の愛槍が内側から爆裂してその穂先が撃ち出されると、岩床に抜けるはずの衝撃は反動でそれの持ち手側に伝わり、流れる力の方向は王子の伸ばした左腕から右肩口へと通じて、その先にいたニィルボグの身体に体当たりとして全て弾けていった。自らの脱臼をもいとわない王子の突進攻撃は、その衝撃をニィルボグの細身に満遍なく与えたが、しかしそれを受けることは彼女自身も覚悟していたことである。
ボギーモーンに太刀打ちを引き込まれた瞬間、彼の手を挟み込むように長槍の握り方を変えていたニィルボグは、体当たりによる激突を甘んじて受ける代わりに後ろに流れる力の方向を利用して、錐揉みするような吹き飛ばされ方を敢えて選んで実行した。その結果右手首をねじられた王子は彼女を長槍ごと手放さざるを得ず、左肩肘の反動による限界から次の体勢への初動も遅れる。
突き飛ばされた流れのままに旋回しながら舞い上がったニィルボグは、そのまま姿勢を反転させて石突きを地面に引っ掛けながら着地した。正面から全力以上の突進をまともに食らわされたにも関わらず彼女にそれが致命打とならなかったのは、ひとえにその体当たりに対して一切抵抗せず、衝突の勢いを全てうねりに任せて受け流したからである。多少痛手を負う事は間違いなくとも、少しでも身体をこわばらせれば内部で爆発的に反発した振盪を被ったであろう事実に比べれば、ニィルボグのこの損切りは的確な判断であったといえよう。
一方でボギーモーンが突進攻撃という奇策に打って出たのは、相手が細身かつ俊敏であったために騎槍の的が絞りにくいという要因もあったのだが、何より初太刀を合わせたときに抜け目なく、長槍を振るってくる彼女の胴部に異常を認めていたからである。彼とて騎士であり、その重要な矜持の一つには“乙女の守り手”としての自負心があったため、正面切って戦いにくかったこの状況において、何とか与える手傷をとどめて弱点を突くにはこの戦法以外に閃かなかったのだ。
「痛ッ……でも、これでッッ」
それを辛くも受け流したニィルボグは、未だ治りきっていない心窩の周りに受けた刺すような痛みをこらえながら、得物を支えに射られた矢のごとく再びボギーモーンに突撃をかけるが、はたして今度は長槍の方がその受けた衝撃に耐えられなかった。王子のぶちかましが伝えた力の流れは彼女の身体を通してその得物にまで移ってゆき、着地の際に丁度それが一極集中したところで持ち主が反対方向へと飛び出したため、ついにその柄が耐えきれずに主の手元で折損してしまったのである。もはや短槍と化した自身の武器に、それでも決着の一撃を任せたニィルボグがかけてくる進撃に対して、ボギーモーンは愛槍の丈長をもって応じようとしたが不可能であった。
(クソ、抜けんかッ)
爆裂機構によって撃ち出された穂先は今や地中に深く食い込み、騎槍を抜けなくなった彼は“片牙”を失ったに等しかったのである。王子はついと腰に佩いていた剣の柄に、槍から離した左手を痛みにこらえてかけるが早いか、鞘の内から走らせきった刀身の背に右手甲を添えて加速をつけると、迫りくる突き槍による一閃の速度をわずか上回る重心移動を得て彼女の懐に潜り込んだ。
しかしその剣の一振りは、あるいは槍の一突きは、互いに相手の血をすすることなく、持ち主の喉元同士にその刃を立て合うにとどめられる。
完全に同速で最後の斬撃がぶつかり合うことをさとった両者は、間一髪寸止めし合うことで、張りあった意地の共倒れに待ったをかけたのだった。
「……見事だな」
「おっ父も、鈍ったワケじゃないみたいね……」
“空色鼠”と“黄金”が互いの目の色を繋ぎ合わせるというと、再び火花がその衝突点で散り始めた。次に振るい合う一太刀が正真正銘、この戦いの決着をつける終の一撃になるであろうことを予感しながら。
……殺意を込めて見つめ合う両者の側へ、何者かが近づいてくる足音が聞こえてきた。ボギーモーンとニィルボグはその者が刃圏に足を踏み入れた時を合図に、“それ”を始めることを言葉も交わさず取り決め合う。
そして、その片足が突っ込まれた。弾かれたように二人は距離を取って離れたが、両者が再び必殺の間合いに近づき合うことはなかった。
互いが互いの得物を翻して閃かせたとき、大猿による断末魔の叫びを思わせる、つんざくような警告音が城門の方向から鼓膜を突いてきたからである。
角笛であった。騎士隊をかき分けそれを吹いた者の正体は、殺し合う許婚たちに近づいた者ではない。その従者の、仮面を着けた道化である。
「わしが介入出来たということは、嵐も峠を越えたということであろうな……双方、それまでであるぞ」
絶妙に折を見たか、戦場と化したこの場に流れる殺意と緊張を全く無視したアメンドースの領主ミディクライン公が、放っておけば“終の一撃”が丁度交わる位置に事も無げに立っていた。
公王が甲冑こそ身にまとえど、その気になればいとも容易くねじ伏せられよう実力を持つ、両極にて構えていた婚約者たちがその踏み込みをためらったのは、この男の中から戦意や興奮といったような緊迫感が全く感じられず、ただそこにそのまま存在だけしていたからであったろう。その“ただ在り続ける”雰囲気を目の前に独特の薄気味悪さをおぼえたネルドゲルは、それでもようやく生まれたこの虚を見逃さず、娘の首根っこを押さえてもう一度自分の傍へと引っ張り込んだ。
「畜生……ッ。相打ちなんて許せない、決着もつけずに終われるもんかッ」
「諦めろこの馬鹿娘がッ。それにどこが相打ちなんじゃい、言われたとおり場数が足りんわッ」
「何を―――」
ニィルボグがボギーモーンの言葉を思い出して、ミディクラインの隣で剣を収め、どうにか愛槍を引き抜くことが出来た彼と再び目線が合ったとき、初めて彼女は父に言われたことの意味を知ることになった。
ニィルボグの面頬が外されたからである。
断ち斬られたような切り口で地に落ちた“それ”は、最後の衝突の際、彼女が王子よりも踏み込みが浅かったことを証明していた。
そしてニィルボグは、“一歩及ばなかったことを分からされた表情”が、ボギーモーンに対して初めて見せる素顔になってしまった。
その女オークはとても――――――
次回投稿は11/21中を予定しております。