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#1-4 “天ノ磐座”

 「……工廠よりも精錬所だな、それから製鉄所も手ひどくやられたとインミークから報告を受けたぞ。お前もここに来るまでに、ある程度は見てきたのだろうがな」

 ボギーモーンが天守へ続く階段を登りきり、公王直属の近衛兵にその扉を開けられて中へ誘われるというと、黒鉄の地金に銀の装飾が所狭しとあしらわれた、公族専用の望楼内へと通される。王子が足を踏み入れたとき、物見のためにある跳出バルコニーの柵に手をかけていた金冠を戴く鎧姿の男は、己の第二子へと振り返ることもなく、そう声をかけてきたのだった。

 「金切竜が自らの息吹ブレスで溶かした金属を、その身に浴びて外殻を鍛える生態を持つというのは有名です。しかし棲家である西方火山の鉱床が枯れたでもないのに、何故わざわざ我々の集めた金気を狙ったのかは理解できません」

 ボギーモーンは、父にしてアメンドース家を治める領主、“ミディクライン公”に一礼した上でその背に近づきながらそう応える。望楼室にいるのが父王の一人だけであれば、あるいは格式張った儀礼も少しは省けたかもしれなかったが、室内には“もう一人の存在”があったために、王子はスキを少しでも見せるわけにはいかなかった。

 そのもう一人とは楼内の片隅で、無遠慮にも公族にのみ使用を許される肘掛椅子の座面に立ち、玉案テーブルの上に並べられたそれぞれの茶器に紅茶を注いでいた宮廷道化師であった。子供のような背丈で顔には仮面をつけており、その面には幾何学模様を並べて作った笑顔に、上からまっすぐ直線を引いてそれを境に色反転カウンターチェンジさせた意匠が施されている。名もなき彼は抜け目なくボギーモーンの一挙手一投足を捉えつつ、紅茶を注ぎ終わったポットをティー・コゼーに再び包むというと、ニードル・レースを敷いた銀盆トレイにカップを二つ乗せて運び出しながらこう言った。

 「おやおやっ、“片牙の猪”がなんと丸腰ですな。これでは豶豕ふんし(去勢されたイノシシのこと)と変わりませぬぞ、健全なる男子がそんなことではいけません」

 「口を慎め道化め。見よボギーモーン……あの四枚羽の火吹きトカゲめが。我が城を行水場とでも考えているものらしい」

 ミディクラインは道化からティーカップを受け取ると、跪いていたボギーモーンにもそれを促した。王子は立ち上がってそれを手に取るというと、父王のいる跳出まで進んで城下を一望する。

 鉄工所として主たる機能を発揮する第二城壁内からは、ようやくくすぶるほどに収まった煙筋が空を支える柱のようにいくつも立ち上っていたが、火勢が栄えていたときよりもかえって更に、見る者へとその惨状を突きつけてくる光景が広がっていた。そびえていた高炉は今や薪を割られたように片半分を崩され、その根本で銑鉄せんてつを狙われたのであろう、鋳造所がその天井を引きむしられて、その内部も荒らされている。工廠の武器庫もその様子は同じようであったが、それらの中でも取り分け被害を被っていたのは、精錬所に連なる鋳塊を保管する大倉庫が“あった”場所だった。簒奪の最中さらなる金気を嗅ぎつけたか、質を高めた純鉄の塊を山と置いてあったその場所を、金切竜は徹底的に打ち崩して蔵の中身を最大級の息吹で溶かし、その場で暴れまわって液状の金属を身体中に塗りたくったことがボギーモーンには伺えた。何しろその跡ときては、まるで流れ星の欠片でも衝突したかのような弾孔クレーターが大きく出来上がっており、その周囲は全くの消し炭となって、さしもの火の手も燃やすものを見つけられない有様だったからである。

 (これでは今後の貿易はおろか、防衛にも支障をきたすな)

 「“縄張り争い”だ……いかに竜とはいえ、生きる原理は我ら二本足と変わらんと見える。シャイシルトからの伝書鴉によれば件の金切竜は、そのねぐらよりさらなる西方から飛んできた、別種の竜と棲家の奪い合いになったらしい。奴めが争いに負けてそこを追われるというと、雪辱戦の支度として人間の練り上げた銑鉄でもって、その身を鍛えようとする危険性があるということだ」

 アメンドース家は西に面する銀山脈をまたいだ先に領土を持つ、北西の名家“シャイシルト”と定期的に渡鴉ワタリガラスによる情報交換を行っている。その伝書はきっかり十四日おきに遅れなく届いているのだが、即日にアメンドースから返信したのが丁度二週間前なので、すなわちその報せは全く同じ十四日、丸一通分も前に届いたものであった。

 「では父上、こうなることを半月も前から存じていたというのですか」

 伝書の内容はその国の公王が、あるいはそれによる披見が困難である場合にはその代理か、もしくは王位継承権を最も若番に持つ者から順に、自由にすることが許されている。ミディクラインはもたらされる情報を他の者に伝える上で虚偽を織り交ぜたことはなかったが、その内容のいくつかを伏せることは度々あった。しかし今回のように、治世に被害を及ぼすような事態を知りながら放置することはそれまでにはあり得なかったため、優先権の低い立場にあったボギーモーンも大して気に留めることはなかったのである。

 それでも、初めて聞かされた情報に対して当然王子が覚えた疑問に、父王は何も答えなかった。ただ茶をすするというと、そばから差し出された盆にカップを置き、浅く息をつく。うやうやしく受け取った道化師は、公王の心内を代弁すべく仮面の下から口を開いた。

 「陛下は対策を既に講じておられたのですぞ、それも最少最短の方法で……その方法とは、かのフル=オークどもに、金切竜をけしかけるというものでございました」

 「ここに来たではないかッ」

 ボギーモーンは道化に強い口調で叱責したが、その実この仮面の男を口実にしてミディクラインを非難したのである。しかし父王は眉一つ動かさず、道化にしても浴びせられた怒号を涼風とばかりに流して説明を続けた。

 「確かにあの金切竜は“ここにも”やってきました。しかしそれまでにも彼奴きゃつめは、根深の森に住まうオークのタタラ場を襲撃していたのですぞ」

 「……なんだそれは、野伏の報告には無かった話だぞ」

 「それはそうでしょうとも、それまではオーク側ですら明かさなかった情報なのですから。根深の森の奥深く、いくつもの穴ぐらからどこに連中の根城が続いているかは、長きに渡る戦いの中でも、我々が知り得ることはついに一つもありませんでしたからな」

 過去何人もの野伏が挑んでは誰一人帰投することのなかった、フル=オークが銀山脈の南方に出入りするために数多ある洞窟。それらの内いずれかは繋がるはずの本丸の位置を、巧妙に隠し続けるオーク族に対抗するために、人間族はより外郭の鉄壁を重ねつつ領地を拡げることによって、幾世代にも渡って両軍の戦いを今日こんにちまで長引かせてきた歴史があった。

 ボギーモーンの世代にあってようやく両陣営の鉱業技術が発達してきたことにより、敵軍を殲滅させることよりも、自国の開発に比重を置くことで優位性を確保しようとする方向に、戦争の内実が移行し始めたのは事実である。実際自軍の物資の強奪を防いだり、あるいは敵軍の武装を鹵獲するような案件が増えだしたのは、ひとえに彼我両軍が工学技法の研究と、それらの吸収による技術向上を目的にしていることが大きかった。

 「ですが陛下は意外な形で、敵情を知る機会を得られたのです。そのきっかけとなったのが、かの“ネルドゲルからの伝書鴉”でした。それはアメンドースからの文書を添えられてシャイシルトへと飛んでいく途中の渡鴉を、どのようにしたのか連中は無傷で捕まえて、文書をフル=オークからの密書と入れ替えてこちらへ寄越したようなのです」

 それは同盟国とこれまで交信していた内容が、あるいはオーク軍にずっと筒抜けであった可能性を示してもいた。

 (しかしそれならば、わざわざ手の内を晒して諜報を示唆せずとも、こちらに使者でも送ればいい話ではないか)

 「そのまま黙っていれば優位に立てたであろうとお思いでしょうが、それでもわざわざこのような演芸パフォーマンスに打って出たのは、その密書をしたためたのが大将軍たるネルドゲル本人によるものだという、ある種の印象づけを行うための措置なのでしょうな」

 道化に腹のうちを見透かされたことを不快に思うよりも、ボギーモーンは自身がつい先程相まみえてきた大オークがしていた腹芸に驚く気持ちがまさった。

 「武人としては化け物並だと思ったが、そんなことにまで手を回せるとは……」

 「我らが陛下はいつもこう仰るではありませんか、『想像で判断するな』と。そのようにされるのは貴方様もお嫌いでしょう……ともかく、その内容はというと平たく言えば休戦の提案でした。シャイシルトからの警告文がこちらに送られる以前から、オークどもは縄張りを奪われたばかりの金切竜に、自らの勢力圏に点在する精鉄のためのタタラ場を襲われていたようなのです。その焼け跡の荒廃ぶりにはさしもの大将軍も、復旧と戦略の両立とあっては手が回らず、よって竜への対策に注力したいが故に、出された申し出のようでした」

 鋼鉄の名家が誇る城下を火の海にされたボギーモーンは、この被害に遭わなければあるいはその申し出を一笑に付したかもしれないと考えた。

 「そしてネルドゲルは、時と場所とを一方的に指定して、会見を申し込んできたのです。応じなければ全ての炉にくべた火を止めてでも、金切竜にアメンドース領の金気を狙わせるよう誘導するという声明文を添えて……その時点では敵勢力圏内の被害状況は相変わらず不明でしたし、数枚の文書だけで信用に値するかも微妙な線と言える状況でしたが、我らがミディクライン陛下は、オークの首領との会見に応じることをお決めになったのです。そして公王の近衛長と私のみを連れ立って、今朝方殿下が戦われた輸送路のさらに先、東のインカベディ家との中間拠点にあるコテージの離れで、極秘裏にそれは行われました」

 葦原の中東に居を構える名家“インカベディ”へと貿易品を運ぶ輸送隊を、フル=オーク軍の強襲から限界線まで護衛することがボギーモーンの勤めである。しかし一度の暇も挟まず義務を果たしていた彼は、その輸送部隊の中に父王の姿などついぞ認めたこともなかったので、当然戸惑って仮面の小男に問いただした。

 「待て、そんなことは初耳だぞ。これまで城内の誰もそんな様子は知らなかったであろう、いつの間に城を留守にされたというのだッ」

 「“お前”が護送したのだよ、輸出品に紛れて六日前のことだ。宮廷の者たちには鉱業設備の視察と道化が説明してあるし、インミークとも口裏は合わせたから、知っているのは指折り数えるほどの者しかおるまい」

 それまで解説を道化に任せていたミディクラインが、種明かしとばかりに話に割って入った。父王としてはそれまで、あえてボギーモーンには実情を明かさず裏で事を進めていたのだが、その反動で道化の説明による事態の把握に、王子が逐一質問することで話題が中断されるのを好ましく思わなかったのである。父本人が話すことによって息子にそれまでの経緯いきさつさえとりあえず理解させられれば、ミディクラインとしてはそれで充分であった。何しろボギーモーンにとっては更に重要になる話を、彼は公王というよりは父として、この後聞かせなければならなかったのだから……。

 「このところフル=オーク軍の動きが鈍っていたのは、奴らの領地で復興作業を行うと同時に、竜に対する体勢を整えていたからだと、ネルドゲルの話から察しはついた……何にせよあのデカブツの語ることには、近頃実態が開発競争に変わりつつあった人間とオークの資源争いに、金切竜の介入まで加わったとあっては片一方の種族が潰えたのち、もう片方もいずれ滅亡は免れぬものになるであろうということだ。暴れ竜に対話が通じない以上、ここは二本足同士、一時休戦する協定を結んでこの介入者にする対策を検討し合おうと、ネルドゲルはその場で改めて提案してきたのだよ」

 こともなげに会談の内容を話しだした父王に、ボギーモーンは本当に極秘裏にあのネルドゲルと会見していたことを前提として、現実を呑み込むしかないことをさとった。自他共に“想像による判断をさせない”というミディクラインの信条に、この場で事実を捏造して話すという行為は矛盾するからである。

 「だがわしは、休戦するぐらいなら思い切って和睦してみないかと提案したのだ。同盟として互いの技術を分かち合い、対等な関係を以て銀山脈に連なる地域を共に発展させないか、と」

 ボギーモーンは、今度の談合がうまく運ばなかったのではないかと訝る。何故ならつい今朝方にも、変わることなくその仇敵と死闘を演じてきたからであった。

 「ネルドゲルはそのことに前向きなようだったがな。ヤツも自ら文書で約束した通り、近衛ともう一人、実の娘のみを同席させていたようなのだが……これらがわしに尋常ならざる殺意を向けてきおった」

 「その勢いときたらもう、飢えた猛獣のようでございました。その時私の縮んだ肝など、今どこにあるやら知れたものではありませんぞ」

 ミディクラインは道化の腹を軽く蹴りつけるというと、その小男は口が過ぎたとばかりによろめく仕草をとってふざける。その光景を眺めながら初めて、王子はカップに入っていた紅茶に口をつけた。

 「オークの首領は武人気質だ。どうせアレの部下のいずれが逸ったところで、面と向かって殺されることもなかろうと思ってな。和睦するにあたっては両軍の代表、例えばそのネルドゲルの娘とわしの子ボギーモーンとを結婚させることで、両軍の溝に橋を架けてはどうかとそのまま話を続けたのだが」

 ボギーモーンは紅茶を吹き出した。

 「……拭いておけ、道化。それが狙いでもあったのだが、ヤツの娘はそれを聞くといよいよ怒髪天を衝いた。ネルドゲルが首根っこを押さえなければ、本当に殺されていたかもしれん」

 自分の身命にかかわることですらどこか他人事のように語る父王に、話を聞くだけに徹するつもりだったボギーモーンは思わず口を挟んだ。

 「これまでの仇敵を相手に無茶な話でしょう。それに、人間とオークがつがいとなれる道理などあり得ないはずです」

 「いやいや。元々オークとは、あの“空の下なるエルフ族”が拉致拷問され、それ故に変貌を遂げた種族であるといいますぞ。そのままでは愚鈍で夜に生きるに過ぎなかったとされるこの蛮族を、いにしえの時代さる降天した聖霊が人間族とかけ合わせ、戦鬼として改造されたそのすえが、今葦原中に点在している独自のオーク民族の祖先となったようなのですな」

 床を拭きながら横槍を入れるように道化師が口を挟んだが、これはミディクラインの話をつい中断してしまった王子に便乗することで、その場の雰囲気を調律するためにした行為である。

 「古き森に住まうエルフと人間による、異類婚姻譚は今日にも伝わっている話だ。実際ネルドゲルの娘はオークというには、あまりにも見た目がエルフ族のそれであったしな。遥か遠い先祖の記憶が隔世の末に伝わったのかもしれんが……南方ではこことは別のオーク族と、人間との間に産まされた混血児が問題になっていると、首脳会議サミットの議題にも上がったことを思い出してな、元を辿れば連中もエルフ族の末裔のようなものだし、婚姻も不可能ではないとみての提案であった……意外なことにネルドゲルがこれに乗り気でな、アレの娘は郷では嫁の貰い手がつかないということで、“条件つき”ではあったがなんと承諾したのだよ。本当は挑発の末破談に持ち込んで、オークどもが金切竜に疲弊したところに我々が制圧をかける腹積もりだったのだが、あるいは見抜かれていたのやもしれんな」

 整理しきれない状況の中、ボギーモーンはついに公王の発言を前に礼節をわきまえることを放棄した。 

 「……何ですその条件というのは。私はつい今朝方にしても、そのオークの首領と一合武器を交えてきたばかりなのです。出された条件とやらが呑めなかったからこそ、こうしてまだ戦は続いているのでしょう」

 「フル=オークの首領ないしはその血族と契りを結ぶ相手には、相応の武勲いさおしや覇気を示す事を求められるのが常であるそうです。婚姻を申し込まれたのが、男性であれば花嫁候補の父親かあるいは血の繋がった代表の戦士と、女性であればその花婿候補自身が直接首領……今回の場合ネルドゲルめと一騎打ちをして、オークたちの目の前でその強さを証明することが慣例となっているようでして、それを条件とすることをかの者は提示してきたのです」

 道化が脇から加えた補足に、王子は合点と失意とを同時に味わった。ネルドゲルの狙いが“ボギーモーン自身”だと言ったことは、まさしく花婿候補としての品定めを意味していたことに他ならず、そのための一騎打ちに王子が一矢報いたことで、追撃もかけず不気味に満足していたことにも説明がついたのである。

 「ボギーモーン様の猛将ぶりはフル=オーク側にもよく伝わっていたそうで、ネルドゲルめが言うには条件については自分自身で確かめたいため、当の本人には秘密にしたまま首領本人に力量を測らせるよう付け加えてきたのです」

 「こうなると話題を戻す流れとはいかなくなった。それでわしからも追加で“条件”を出すことで、ひとまず相手がお前に対して値踏みをする期間を与えて、和睦までの時間を稼ぐことにしたのだ」

 ミディクラインがオークの首領に出した条件とは、ネルドゲルがボギーモーンと一騎打ちをする局面に至るまでは、お互いは休戦せず戦争状態を継続させるという内容だった。

 「その間に再び金切竜を仕向けて連中を壊滅に追いやるためには、オークの工業炉を稼働させ続けて、そこにおびき寄せてやる必要があったのでな。奴らの設備や本拠地の所在が未だ掴めん以上は、こちらから継戦状態を維持させて、オーク共が炉にくべる薪を絶やさせぬようにせねばならなかった……ところが会見ののち連中ときたら、どうやら高炉の火を全て止めた上で戦争を続けよったわ。おかげで金切竜は我が領地にある良質な金気を嗅ぎつけて、このような有様にされてしまった」

 ネルドゲルは密書に記した身を切る作戦を本当に実行することで、フル=オーク族全体を代表する意志として、アメンドース側にそれを伝えてきたのである。なおかつ自軍に有利な土地を洗い直して、そこへ投石機などの原始的ながら加工の少なくて済む兵器を配備させる奇策を限定された情勢下で柔軟に実行させつつ、用意されたその場所へ自身が誘い込まれた事実を、ボギーモーンはようやく思い知らされることになった。

 (あれに気づかなかったり、対応出来なかったとなれば、それまでの男だったと首領から切り捨てられたわけだな。はたしてその方が良かったかは、今のところ分からないが……)

 「領内がこのような状態では、今度はこちらが休戦を提案する側へと回らねばならないかもしれなかった……だが幸いなことに、どうやらお前はネルドゲルに一太刀浴びせて帰ってきたようだな。ルクスの部隊から直接の交戦があったところまでは報告されたが、その様子から見れば察しはつくというものだ。まだフル=オークからの鴉が飛んできたわけではないが、ボギーモーンよ。いつでも花嫁のオークが迎えられるよう、周りの者にも準備をさせておけ。わしからも手配を回す……これは勅令である」

 このミディクラインからの言葉を聞いて、ボギーモーンは全身の力が抜けるようだった。彼が落としかけたカップを道化がすんでのところで受け止めると、折れかけた膝を何とか戻した王子は、自身に降りかかったその不条理を回避すべく反駁を試みる。

 「お言葉ですが父上、それは不可能です。第一……第一領民たちも納得しますまい。幾世代にも渡って殺し合ってきた種族と我ら一族の血が交わっては、領内の人心が離れることにも繋がりかねません。あのフル=オーク族にしても同様のことが、連中の勢力圏内でも必ず発生するはずです。加えて言えば、両陣営にそのような不和を生じさせたまま竜への対策を実行するに至ったとき、お互いの連携に支障をきたすことは想像に難くないでしょう。ここは婚約の件を破棄した上で休戦するという方向で手を打ち、両軍で金切竜への対策を練ることによって、その協力意識を双方に培うほうが賢明かと存じますが」

 我ながらよく口が回るものだとボギーモーンは思った。本音を言えば彼我の容姿はいざ知らず、前提として彼はオークと結婚などしたくなかっただけなのである。しかし理屈を繋げながらその本心を自認していた王子は、息子の発言に聞く耳を持たないかのようにつとめている父王に、次第に心の底を見透かされているような焦燥感を募らせられていった。

 そしてわずか間を空けたのち、銀山脈の麓より、遠くへ連なっては霞んでゆく根深の森を眺めながら、公王はその口を開いた。

 「……ここでネルドゲルとの和睦を締結できねば、先に滅亡するのはアメンドース家であろうな。フル=オーク族は既に炉の火を止めた上で活動しているし、あの火吹きトカゲめにしても点在している根深の森のタタラ場よりは、質の高い鉱物がはっきりとした所在に残されている我が領土にこそ、味をしめて再び飛来することは確実と言えるだろう。祖先が築き上げたこの城壁は、オークという波しぶきこそ砕いて弾き返すことができようが、竜という名の火の雨には人間を閉じ込めるための檻にしかなるまい。それにな、ボギーモーン……」

 ミディクラインはここで初めて息子に対して向かい合い、目を合わせて言葉を続けた。

 「……お前には心に決めた者でもあるのか。その気になれば荘園に住まわせている者の活殺も自在であるお前が、兄とは異なり他所との縁談にも取り合わず、武勲を上げることに猛進しているのは何故なにゆえだ。此度は民の前にその素顔を晒しながら帰還したようだが、どうして普段は自ら掴み取った勝利の美酒を、牙を持つ兜を脱いで人前で味わおうとはしないのだ」

 王子は胸の内に槍を突き立てられたような気がした。道化は仮面を指で少しいじった。

 「“このような時のため”ではないことぐらい誰にでも分かっている。だがな息子よ、生涯の友にせよ連れ合いにせよ、それが大切な関係であればあるほどに、わざと作ろうとして作れるものではないのだぞ。その者が本当に必要な期間が来たからこそ、いつの間にか道具として、目の前に与えられているようにこの世界は出来ておるのだ。それが今、お前のところにもやって来たと思うがいい。どのみち人間には運命の出会いとか、それとの別れを選ぶ権利や資格などありはしないのだ……リプティのようにな」

 ボギーモーンの母、すなわちアメンドースの王妃であった“リプティ”は、第二子である彼を産んだと同時にその生涯を終えた。第二王子はその兄とは似ても似つかない容姿から、王妃に死をもたらした鬼子として、その生誕の災厄を呪う者も領内に少なくはなかったのだが、当のミディクライン公は全く分け隔てなく二人の息子に接し続けたため、かえってボギーモーンは自らの醜さを言い訳にしながら生きることが許されなくなったという。

 「……それもまだ決まったというわけではないはずです。ネルドゲルの意志が明確に理解できる“何か”がなければ、それこそ想像上の判断に他なりますまい。今大事なのは現実、この下で起こっている―――」

 ボギーモーンの最後の抵抗は、それを言い終わらぬ内に空振りに終わった。彼が指差した城下の方向から一羽の渡鴉が、燃える三日月の紋章で封蝋された文書筒をその脚にくくられて、天守の跳出まで羽ばたいてきたからである。


 ◇


 「戯れにしても度が過ぎます、我らが陛下は何をお考えかッッ」

 ボギーモーンに事情を説明されたルクスは、戦のたけなわに出す時よりも大きな声で怒りを露わにする。己の分まで憤られたように感じた王子はかえって冷静になり、近衛長の苛立ちを鎮めるべくゆっくりとした調子で喋りだした。

 「声を低めよ、どこで誰が聞いているとも知れんのだぞ。宮廷内の権謀と術策が行き交う様はまるで蛇の巣だと、普段はお前自身が言っていることであろうが」

 「……失礼いたしました、今日はどうにも冴えない振る舞いが続くようで恥ずかしい限りです。しかし、しかし今後どうなさるおつもりなのですか。まさか本当にあのネルドゲルの娘とやらとの婚約に応じるつもりではありますまいな」

 第二王子のために設えられた政務室内で、ボギーモーンは来賓用のショットグラスを二客取り出すというと、今やアメンドース領の名産品として葦原中に浸透した、“命の水”という名がつけられた麦芽の蒸留酒を、それらに注いでそのうち片方を近衛長に差し出した。ルクスが謹んで受け取ったのち、二人が杯を合わせて中身を飲み干したとき、ようやく息をつくように王子は返答する。

 「無論だ。既にネルドゲルは和睦に応じる旨を書面で伝えてきたし、父上もそれに合意した上で、条約を締結する調印式を行う日取り等の、諸々の提案書を実印付きで鴉にくくりつけて送り返してしまった……しかしだからといって、まだ実際に話がまとまったというわけではない」

 「我々の領内で調印式を行うことを、オーク側から提案されたのは意外ですね。どう中断させるつもりなのです、伝書鴉を仕留めるというのは安直でしょうが」

 再び酒瓶に手をかけようとしたボギーモーンの代わりに、ルクスは一足早く動いてそれを手に取るというと、今度は家臣たる礼講としてそれぞれのグラスに美酒を注ぎながらそう訊ねた。

 「連中なりの思惑があるのだろうな……ともかく文書が途絶えたところで、使者を寄越されるなりこちらから野伏を送るなりで同じことを繰り返すだけであろう。金切竜のことを踏まえると、今は時間をかけることはかえって良くないかも知れん。最速で事を起こすなら、式の当日こそ適当だろうな」

 そう言うと杯を再び口元に傾けながら、ボギーモーンは壁に装飾として筋交いに掛けられている一対の騎槍に目をやる。ルクスはその様子を見て主の真意を察すると、追いつくようにグラスを乾かしてこう言った。

 「……フル=オークの使節団が日取りに応じれば、実際こちらへ足を運ぶまでに一週間、それまで連中とはひとまず休戦です。じきお触れも領内に伝わりましょうが、束の間の平和でしたね」

 「今度は飛んでくることが分かっているのだ、竜の対策にしてもアテはある。いずれにせよ次も我々の領土を好んで選ぶというのなら、残り火を焚き続けても同じことだからな」

 ボギーモーンはそう言うと間を開けずに、近衛長に乾いたグラスを差し出した。ルクスは瓶口を繋いでそれに応えながら、王子が抱える生まれの不幸を、少しでもこの“命の水”が和らげさせることを祈った。


 次回投稿は11/17中を予定しております。

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