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#1-3 “焼け焦げた国”

 旧き時代、唯一王のもと人間族が統一された葦原前期において、独立を許されていた五大公国の一つにこのアメンドース領があった。

 この領土を頑健な城塞で囲むことが出来たのは、ひとえに彼らが持つ高い製鉄技術の賜物といえよう。それは何よりも、この領地の西方より南に向かって連なっていく“銀山脈”から、豊富な鉱物資源が採掘できたのが大きい。

 統一以前、さる帝国から没落したある貴族がこの地を発見、開拓し、怨念じみた開発力をもって土地の整備と発展に邁進した。その彼を“全てを掘り進む巌窟王”として、いつしか同調して集まってきたあぶれ者の貴人たちから擁立させられていたのが、アメンドース家の興りであったと伝えられている。

 その国土は世代を重ねるたびに波紋のごとく拡がってゆき、はじめ山道に面していた領地は王侯貴族や騎士たちの住まう城壁に、次に囲まれた土地は鉱石の精錬や加工所などの設備群を区切るものとして、そして最後に囲まれた大地には荘園や民衆の住まう居住地などが、その都度区画整理を行われながら展開していった。

 しかしながら“唯一王の雲隠れ”という、歴史的失踪事件によって象徴的統治者を失った人間族は、五大公国を中心とした頂点不在の連合を組み上げると、それらは協調と牽制を繰り返しながら世襲君主制を以て発展していき、いつしか長い歴史を誇る“名家”としてそれぞれ外側から称揚されるか、ないしは内側から自称してゆくようになる。

 その中においてもこのアメンドース家ほど、“鋼鉄”の異名をいただくほどの堅牢さを誇っていた公国は他に無かったであろう……金切竜の襲来によって、件の大損害を被るまでは。

 (この三つの壁が土地開発の折に逐一築かれたのは、それほど昔からフル=オークとの戦いが続いてきたということなのだろうな。思えば山脈の麓に拡がる“根深の森”に住まうあの連中こそが、古来よりここの風土に根付いてきた先住民族だったのではあるまいか)

 アメンドース領の最も外側の壁、居住地を囲む国境たる関門をルクスと共にくぐり抜けたボギーモーンは、口にこそ出しはしなかったものの、以前から抱いていた疑問が不意に湧いてきたのを感じた。

 しかしその想念は再び流れ去ることになる。駆ける二騎の目線の彼方、鉄工所を区切る二枚目の壁がそこかしこでもろくも崩れ落ち、未だ僅かに消し終わらぬ火の手が、その身の回りを舐め尽くさんとして広がりゆく様が目に入ってきたからである。

 「道を空けよッ、王子ボギーモーン殿下がお通りになるぞッッ」

 城塞へとまっすぐに続く目抜き通りを矢のごとく駆け抜け、市場の中程に差し掛かったとき、負傷したり家財を持ち出したりという者も含めて慌てふためく民衆に、ルクスは一喝を投じた。するとこの通りの良い声を聞いた人々は、たちまち我に返ったように道の端へとその身を移したが、それは敬意や身分を意識したからというわけではない。

 (……そうか、兜はネルドゲルに吹き飛ばされたからな)

 ボギーモーンは自身に対して、恐怖をはらんだ視線を一身に浴びたのだった。彼の容姿はというと、豚鬼が人間の姿をして生まれてきたのではないかというほど、オークのそれとよく似ていたのである。王子は自分でも痛いほど理解していた醜さを覆い隠すため、“野猪くさいなぎの鎧”を普段は身にまとっていたのだが、その出で立ちで領民の前にいる期間があるいは長すぎたのかもしれない。それはかねてより様々な根も葉もない憶測を交わしていたアメンドース領内の民草に素顔をさらしたことで、それまで噂されていたあらぬ勘繰りの後押しをしてしまったのだった。

 「本当だったんだ、あれがインミーク様の弟だってよ」

 「見ろよ、あの顔でオークどもと繋がってたんだぜ」

 「あれじゃ負けないはずだわ、呪われてるじゃない」

 聞こえないと油断してか、思ったことをそのまま口に出した浅薄な者たちの声を耳にしたルクスは、先程自身がした軽率な呼びかけを後悔した。

 彼もボギーモーンの近衛として武装を拝領した当初は、父の仇たるオークと見紛う姿の王子に面従腹背し続けるつもりだった。しかし秀でた武の才におごることなく鍛錬を重ねるボギーモーンが、元服した後の初陣より共に騎槍を連ねること十年余、ルクスがついに第二王子直属の近衛長に任命されたる頃には、武人としての敬意を王子に示さない日は無くなっていたのである。傑物は俗物であった頃の感覚を忘れるものだが、彼もまたその陥穽に嵌ってしまったといえよう。

 ボギーモーンの耳にも当然それは聞こえていたが、彼もそういった声に応じて心をざわつかせている場合ではなかった。二騎が目指す進行方向を丁度埋める形で、荷馬車が立ちふさがって往生していたからである。

 「そこの者、何をしているかッ。我らが馬へ道を空けよ」

 城下に住まう各々が通りの脇へとその身をそらしてゆく中、なおも進路を阻む荷馬車とその乗り手を目にしたルクスが駆け寄って叫んだ。しかし呼ばれた御者の少年は騎士の声に耳を傾けるどころではなく、迫る二騎の方向など見向きもしない。彼が乗る荷台に繋がれたロバが暴れまわり、その鎮め方の見当もつかなかったからだ。

 「どうしたんだよ、もう竜はいねえ。熱いものだって降ってきやしねえぞ、落ち着けったら」

 少年のその言葉から事情を把握したルクスは馬の歩を止め、回り道が出来る隙間を求めて周囲を見渡すが、そうして近衛長が目の前から視線を離したその時、ボギーモーンが暴れるロバの様子に違和感を覚えた。

 (あれは痛がっている跳ね方だ。怒りや恐怖によるものじゃない)

 何らかの異常がロバの身に起こっていることを見抜いた王子は、荒駆から降りるというと荷馬車の側まで近づいていく。しかしそこで初めて何者かの接近に気づいた御者が、ボギーモーンの姿に気づいて咄嗟にロバとの間に立ちふさがった。

 「く、来るなぁっ。こいつは年寄りだ……食っても美味くねえぞっ」

 どうやら王子を豚鬼と誤解したか、少年はなけなしの勇気で長鞭を突き出し、身体と声を震わせながら愛馬をかばって立ち向かう姿勢をとる。ボギーモーンはどこか感じ取れる状況の滑稽さに苦笑いを浮かべ、同時に相棒を大事にする心構えに共感を覚えつつ、御者に対してこう問いかけた。

 「お前のロバか。とっさに守ろうとするとは、余程大切にしているらしいな」

 「あ……ぁ」

 人生で初めて目の前にするオークが全く臆面もなく近づいてくるので、少年はその一歩が近づくたびに恐怖から顔を青ざめさせるものの、それでもその場から足を退けることはしなかった。しかしながら、言葉にならない声を出して動けなくなっている彼の目の前を、ボギーモーンはこともなく通過しては、問題のロバの元へと接近していってしまう。そこでようやく自身の仕える王子が荒駆の背に乗っていないことに気づいたルクスは、ボギーモーンのその様子を見て制止を試みようとした。

 「殿下、それなら私が代わりにいたしますからッ」

 「や、やめてくれーっ」

 ルクスはややあって、ロバに起きた問題に気づいてそう叫んだ。

 御者の少年はいよいよ、愛馬がオークの餌食となるのを阻止できない無力感に絶望した。

 しかし、いずれの心配も無用に終わったのだった。

 ボギーモーンは誤って蹴られぬよう、暴れるロバの側面に立ち、その首を優しく撫でてやりながら後ろ脚の付け根に右手をやるというと、再びその手を離したときにはもうロバの気は鎮まりかかって大人しくなっていた。

 「そんなに相棒が大切なら、どんな異常が起きているのか、その場その時に気づいてやらねばならん。一緒になって余裕を失ってはいけないぞ」

 少年は戻ってきた王子の右手から、二又に分かれた牙のような形の石片を受け取る。その鋭利な部分にはロバのものであろう、まだ乾いていない血がぬらついていた。呆気に取られている御者をよそに、慣れた馬の扱いか、はたまたロバが彼になついたか、ボギーモーンは荷馬車を誘導して通るべき道を自ら空けてしまった。気を利かせて寄ってきた荒駆に王子が再び跨るとき、近衛長はバツが悪そうにこう言った。

 「お見事です、私が空けるべき道でしたのに……」

 「あの場はこれで良い。それよりロバの尻に刺さっていたアレな、おそらくは第二城壁の楔石キーストーンの一部だぞ」

 ボギーモーンに言われて、城壁の関門にあるアーチの頂点に施された、双つ牙の猪をかたどった装飾を思い出したルクスは、この先通過しようとしていた場所にさらなる“障害物”があることをさとる。

 「ここからではどの程度崩落しているのか見当もつきません。行って確かめてきます、しばし―――」

 今度は近衛長が先に気づいた。未だ火の手が止まぬ砦の方面から、五名ほどの騎馬隊が近づいてくることをその目で認めたのだ。その内の一騎は銀地に双つ牙の猪の紋章が入った旗を掲げ、隣のもう一騎は民衆に道を空けさせるべく手持ちの角笛を吹き鳴らし始める。

 彼らを束ねる黄金色の鎧をまとった騎士を見た人々は、歓呼をもってその者に道を譲るというと興奮して沸き立った。

 「見て、インミーク様よっ」

 「王太子様だ、ここにも来てくださったか」

 王位継承権の第一をあずかる者の接近に、ルクスは敬意を示すべく馬を降りる。御者の少年も慌ててロバのいる場所まで引っ込むというと、今度は道を空けようともせず、そのまま栗毛の馬に跨がって居座り続ける謎のオーク男を不遜に思った。

 「ボギーモーン、よくぞ生き残ったな。あのネルドゲルと一戦交えたそうだが……陛下が天守キープにてお待ちだぞ」

 「……兄上も突然の竜による襲撃にもかかわらず、大事無いようでなによりです。関門は崩れ塞がったものなのかと話していたところなのですが」

 磨きたてのつるぎのように光を照り返す鎧姿が、白馬に跨って近づいて来るのを見ながら、ボギーモーンはそのまま返事を返した。黄金の騎士が弟の前に馬を止め、その兜を脱ぐというと周囲の民衆はまたしても沸き返る……その男はとても見目麗しかったからだ。

 空色鼠の瞳と赤金色の髪色こそボギーモーンと同じではあったが、それ以外は聖霊と悪霊くらい見た目に差があると、あるいはそう喩える者すら出てくるほど、人間たちの目からすればこの兄弟の顔立ちは違っていたのである。手入れの行き届いた髪を首元まで波打たせ、目鼻立ちの深く整った顔からやや低く透き通る声で話す様は、まるで彫像の傑作が神に命を吹き込まれたかのような印象を、見る者全てに与えるのだった。

 「関門から主郭までの道のりであれば、我らの工兵が隙間を空けている最中だ。今なら馬一頭分縦に並んで通過するには申し分ないものとなっていよう。何しろ私達も、それを通ってここまで来たのだからな」

 「兄上はどうされます、父……いえ、陛下からはなんとおっしゃられましたか」

 「私は国民の生活基盤と治水を任されているからな。消火を指揮しつつ第三城壁内の基幹設備を見て回った後、本城に一度引き上げるつもりだ……急げよ。金切竜の対策にあたって、どうやら重大な話があるらしいぞ」

 ボギーモーンがインミークと会話するその様子は、まるで悪鬼が妖精に謁見するようであったとその後不敬にも言い表す酔漢さえ存在したが、なるほどそれを目撃した民草の本音といえば、振り返ってみるとおおよそ同じものであったという。

 一礼して近衛長と共に再び第一城壁を目指して走り去ったボギーモーンと、慕って周囲に集まってきた民衆から被害状況を伺っているインミークを見比べて、自分がいかに第二王子に対して礼節を欠いた振る舞いをしたかようやく理解した御者の少年は、その無礼を裁きに彼が再び野猪の鎧と騎槍をまとってやって来ないことを、その手に渡された双つ牙の石片を握りしめながら、相棒のロバの前で願い続けて許しを請うた。


次回投稿は11/16中の予定です。

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