#8-1 “時を失くした王”
「……ではボギーモーン殿。苦労をかけることも多いかもしれんが、どうかあのじゃじゃ馬娘のことをこの通り、何卒よろしく頼むぞ」
アメンドース城内の貴賓室の入り口から、自分と入れ替わるかのように出てきたネルドゲルに深々と一礼されたボギーモーンは、呆気に取られたのち慌てて礼を返した。
その大オークはどこか優れぬ顔と足取りで、かつて調印式が行われた大広間で開かれている戦勝祝賀会場へと、近衛の副将だったオークと連れ立って向かってゆく。それを見送った王子は特段門兵もいない扉を四回中指で打って、部屋へ入る旨を中にいる者に伝えた。
「父上、第二王子ボギーモーン参上いたしました」
戸口はひとりでに開かれる。内側から公王直属の近衛長が扉を引き、彼はボギーモーンが入室すると代わりに室内から罷り出てゆく。
貴賓室の中にはティーセットを並べられた玉案を囲む椅子の一つに、父王ミディクラインが重々しく鎮座しており、その他には給仕を務めていた道化以外、王子には誰の姿も認められなかった。
「掛けよ。今ネルドゲルとの会談を終えたところだ……奴め、ようやく諸々の事情を伝えてきよったわ」
「彼とは表で入れ違いましたが、そのとき礼節に則った挨拶とともに、妻を……ニィルボグのことをよろしく頼むと伝えられました。あれだけの将器がまるで子供に手を焼く父親のような振る舞いをして、なんだか覇気のこもらない感じを受けたのは意外な気がします」
椅子にかけたボギーモーンは、先程までネルドゲルが手をつけていたと見られるカップと軽食の残りを眺めながら、やや不用意に会話に応える。その発言を抜け目なく捉えた公王は、息子の観察眼の鋭いところと鈍いところを同時に評価しては、美点ではない部分だけを咎め始めた。
「想像で判断するな……それも奴の一面だというだけの話であろう。もっとも、そういった性格をこれまでおくびにも出さないことで、相手に誤解すら発想させない癖を身につけていたからこそ、あのような大物になったのかもしれんがな」
父王が誰かを手放しで称揚することが珍しかった王子は、用意された紅茶に手をつけながら、何も言わずに聞き届ける。このままではまたぞろ余計な言葉が、口をついては出てきかねなかったからであった。
「実際ネルドゲルがお前を救う行動に出ることを、はっきり言ってわしも予測出来なんだ。あそこでフル=オークと軍事衝突した場合、お前たちが火吹きトカゲとの戦いでどうなったかも、わしらがインミークの援軍が来るまで持ちこたえたかも皆目分からん。ところが奴め、こちらが竜との戦いで疲弊していたのを利用して漁夫の利が得られたのにも関わらず、結局こちらへ与えた損害は二枚の城壁だけだった……それはどうにもな、『直前で心変わりをしたからだ』ということらしい」
ミディクラインは、これから話すことは公族以外には他言無用であることを前置きして、フル=オーク族には大将軍のさらに上に、一族の象徴である“族長”の存在があることをボギーモーンに説明しだした。
ネルドゲルが明かした真相とは、和睦成立後にその巫蠱たる族長が、まだアメンドース公国に対する征服欲を失ってなかったことを、調印式から帰還した大将軍に打ち明けたというものであった。エンゾルカは金切竜をアメンドースにけしかけるというネルドゲルの作戦に味をしめており、同盟間の情報交換でその竜の情報を集めさせては対策を練り、大将軍の意向を無視して飛竜の侵攻までの期間が迫る中、無断で配下や同調者にヨグ=リノートの完成を急がせて、今回の侵攻作戦に間に合わせたのだという。
「ネルドゲルが上意に逆らえなかったにせよ、こちらとの交流を一切拒絶したというのはやはり滅茶苦茶でしょう。そのおかげでこちらも、戦の準備こそ整いましたが……」
「根深の森に火吹きトカゲが再来した後で、お前が支援を先走ったことがキッカケになっていたのだ。まあもっとも本当に先走ったのは、あの死んだ野伏の方であったかもしれんがな」
その間の金切竜の再来による被害箇所の復旧や、和睦続行派と決裂侵攻派で内部分裂しかかったフル=オーク軍の統制に手を焼いていたネルドゲルは、この隙だらけの状況をアメンドース側に知られれば、逆に侵略とまではいかないにせよ、何らかの致命的な不利益を被りかねないと判断する。そして人間の野伏によって落命したオーク兵の存在も相まって、同盟に対し不審感を露わにしはじめる砦内の状況を鑑みた彼は、不本意ではあったにせよ根深の森に配置していたあらゆる同胞を撤退させ、アメンドースとの一切の交流を断絶したのであった。
「しかし、大将軍自身は出征に反対だったはずです。こちらにはニィルボグだっていたし、あの求心力をもってすれば内輪揉めも抑えきれたのではないですか」
「それだけその族長とやらの存在が、あの一族にとって実存証明的価値を持つ象徴だったということだろう。それでも何かと理屈をつけては凌いでいたようだが、肝心の王子妃が騎士に認められてしまったという報せが届いたことで、出陣せざるを得なくなったらしい」
「御二方……特に第二王子殿下には申し訳が立ちませぬ。王子妃様のお気持ちを汲み取りつつ、彼らとの衝突も避けられるであろうと閃いたことでしたが、かえって激発を呼び込むことになってしまいました」
道化の謝辞の通り、この事を口実とした族長は、騎士となって一族を裏切ったニィルボグもろとも、仇敵であるアメンドースを竜の火と巨人の手で葬ってしまうことを断行させ、公国の王子妃となった娘の実父である大将軍にも、強引に出兵を命じたのである。
この時エンゾルカの中には、ネルドゲルの恥部となっていた醜女のニィルボグを葬って、その後大将軍である彼の心身と立場を独占する腹積もりがあった。しかしこのような目論見を見抜けないネルドゲルでもなかったので、その後もなるべくギリギリまではアメンドース領内の人間には直接手をかけないよう厳命し、形ばかりの侵攻作戦を部下にも隠し通しながら実行し続けていたのである。
「しかし牛歩のつもりで動くはずだった“竜を殺す手”を牽く獣たちが、思ったよりも早足で進んでしまい、それであのように絶妙な時節で第二城壁を破ってしまったのだそうだ……だが、それは結局お互いにとって良かったと、先程は笑い合ってしまったな」
(笑った……父上がか)
「その後の展開は殿下もご承知の通りでありましょうが、かの者が上意を翻す決め手となったのはやはり、王子妃様をお救いになる貴方様のお姿を見てのことだったそうですなぁ」
しみじみと道化が語るには、壁垣の外に落ちかけたニィルボグを救うボギーモーンの姿を遠目に見たネルドゲルは、腹案を実行するにはその機会を逃してはあり得ないことを嗅ぎ取ると、第二王子との一騎打ちの際に生き残っていた腹心の部下たちに竜を狙わせ、その後の勝利にまで貢献したのであった。
「あの投石の後、おそらくオークの言葉でしょう……離れていましたのでほとんど呪いの類に聞こえましたが、あれはネルドゲルが、どういった説明を部下に示していたのでしょうか」
公王と道化は、殊戦いの話になると勘を冴え渡らせる王子に内心虚を突かれつつも感心し、どう説明したものか考えあぐねる間が僅か空けられたが、ついとミディクラインが口を開いて、事の真相を説明する。
「本人によれば、族長の命に反旗を翻すことはネルドゲル個人の独断であり、それに従った者は例え大将軍に近しいものにせよ、これまでにおいては預かり知らなかったことであると告げていたようだ。その上で“責任”を取って大将軍の座を副将に譲った彼は、代わりに一人の戦士として、金切竜と戦う許しをフル=オーク軍に乞うた、とのことだ……今後の奴の処遇については、眠らずの砦に帰還してそれから、という事になるだろうな」
実際に最早、フル=オーク軍はネルドゲルの命令で動いてはいない。彼らは先程ボギーモーンが回廊で見かけた副将軍の指示によって、アメンドース側の許可を得つつ、切り落とされた金切竜の尾部と一対の翼を回収して、その大多数が領内を離れて既に退陣していたのである。
(しかし回りくどい……いつも通り、情報をかいつまんで伝えるためにわざわざネルドゲルと私を会わせずに時間をズラして呼びつけたのであろうが、そうする意味が果たしてあったのだろうか)
違和感を拭えない息子の様子を見た父王が、敢えてすかさず見抜いたような発言をしては、逆にそうすることで実情全体のお茶を濁した。
「祝賀会の前にこうして主役であるお前を呼びつけたのは、諸々の事情を知った上でそれにのぞませたかったからだ。もっともネルドゲルが、事の真相を明かさなければそれも叶わずに、杯を掲げることになったであろうがな」
「……まぁいいでしょう。そのオーク軍をも祝賀会へ招いたことで、城内にいる人々の胸中に猜疑を起こさせないのかは気になりますがね。私にしてもまだ、襲われたミメイトたちのことを考えると、腑に落ちないことは多いものですから」
「フル=オークも一枚岩ではございません。彼らの中にも反動勢力がいたということでございましょう……それに、参加しているオーク族の者たちにしても、王子妃様を見直したり、人間の文化に興味を抱いたりした、これまた“常識”に対する反動勢力と呼べる存在だけが残ったようです。それらを互いに受け入れ合っていくことにこそ、この首の皮一枚で繋がった和睦の、真なる意味が込められているのではないでしょうかな」
仮面の小男が軽く話題を締めくくると、父王から祝賀会には公務の後合流する旨を伝えられ、それを受けた王子は、はぐらかされたような気分になりながら退室する。彼の靴音が遠く離れゆく音を耳で追っていた道化は、それが聞こえなくなったとき振り返っては、主君に対してこう訊ねるのだった。
「よろしいのですか、もっとも肝心なことを伝えておりませんが。それに、王子妃様にも知らせねばやはり、禍根の残る結果になるのでは……」
「構わぬ。それはネルドゲルの覚悟に対して礼を失することにも繋がるし、何より“その時”がやってくれば、こうして一部の事情だけ明かした意味も分かるだろう……殺し合いほどバカバカしい事もこの世の中には無いが、だからこそそれに勝利した上で、その後の自他や彼我に対する処遇をも、決定する力を獲得せねばならん。あいつもどうやら“自分で”結婚したようだし、ぼちぼちその事を学ぶ時間が来たということだ……」
彼らの言う通り、ミディクラインとネルドゲルとの間に行われた先の会談には、ボギーモーンには隠していた更なる真相がある。
それは、大将軍としての彼が取るべき“責任”とは、“ネルドゲル自身の命を捧げること”だというものであった。
逸った部下が支援のために訪れた同盟の使者を殺めたこと、一方的な交流の断絶、和睦中にも関わらず強行された軍事侵攻、そして自らも一族の象徴である族長の意向を全く無視して、結果として騎士たちに加担したこと。その他諸々の彼我にもたらされた、野放図も甚だしい協定違反や造反行為を、示しをつけて一手に引き受ける代わりに、和平の道を保った状態の維持を願ったかつての大将軍は、いきなり上着を剥ぐようにはだけさせては、既に掻っ捌いた後の陰腹を見せてきたのである。
これがかつて、野伏が介錯したオーク兵の一件に対する意趣返しであることを、目の前で見せられた公王はその意を肯うと、その『命が尽きるまでは迷惑はかけないから自由にさせて欲しい』という最期の願いをも受け入れて、彼を娘が待つ祝賀会に送り出しては、息子に選ぶ言葉を吟味して椅子に腰掛けていたのであった。
次回投稿は12/13中を予定しております。




