#7-6 “戦いの鐘”
それが急峻な崖を利用した天然の城壁部分を転がり落ちていくのを、今や戦場の誰もがその目に認めていた。飛竜が墜落させられた場所は、丁度下内郭で両軍が睨み合っていた側にある工廠端の真上であり、その屋根を貫いて内部にまで叩きつけられたことで、火吹きトカゲもようやく落下による勢いが止められる。
フル=オークと人間の種族はそれぞれ、竜と異種族のどちらへその戦意を向ければいいのか考えあぐねている様子ではあったが、端側を崩された工廠の中から瓦礫を撒き散らしつつ金切竜が出てきたのを確認すると、はたして先に動いたのは“時計王”率いるアメンドース騎士団であった。
「竜を射よッ」
「放てェッ、この距離ならば目を狙うのがよかろうッ」
主君の声を受けたルクスが号令をかけたことによって、騎士隊の射手たちによって握られている、弓柄の上で突撃を待ちかねていた鏃たちが、一斉に竜の瞳を目掛けて我先にと押し寄せ始める。近衛長が持つ鋭い目が、飛竜の瞼から流れ出る血を認めて咄嗟にその指示を飛ばしたのであったが、これには火吹きトカゲも流石にたまらず、ただでさえ利かなくなっていた視野をさらに狭めるほかなくなって、まとまった隊列から繰り出される連携攻撃の恐ろしさを味わわされた。
だが金切竜が閉じなければいけなかったのは左眼だけではなかった。フル=オークからも副将軍の命令で、ヨグ=リノートの周りに戦士を集めさせては、槍隊前衛、弓隊後衛で迅速に隊列を組み直させると、弦を引き絞っては負けじと矢の群れを解き放ってきたのである。
人間共へ遅れを取るなと言わんばかりに右眼を執拗に攻め立ててくる、目纏のような鬱陶しさを持つオークの五月雨撃ちに、屈辱の極みを覚えてついに飛竜は激昂し、しゃがれた喉も構わずこれまでで最大級の、絶叫というにも生ぬるい大音声を伴った咆哮で、戦場全体を怯ませては矢の集中雨飛を止めさせた。
しかし流石に状況の不利を遅まきながらに理解したこの竜は、もはや飛べぬとあっては撤退するよりほかにないと判断し、そのための逃走経路を城壁に囲まれた中から探し出すべく見回してゆく。そこでただ一つ、フル=オークたちの開けた“通行路”を確認するが早いか、六つの脚を使って全力疾走をかけるというと、槍隊の前で一人大股で構えるネルドゲルと目が合い、そこが戦場を抜け出す上で丁度、最後の足場になる地点であることを悟った。
この場所目掛けて再び竜は雄叫びを上げ、その調子崩れの金切り声はかえってオークたちを陣形ごと怯ませたが、彼らを束ねていた大男はそよ風でも吹いたかのように気に留めもせず、おもむろに長巻を鞘から抜いては構えすら取る姿勢も見せない。耳でも遠いのかとすら思わせるこの振る舞いに、さらに激発を逆撫でされた金切竜は、その紫塗りの甲冑ごと踏み抜いてしまえとばかりに、高く跳び上がっては後ろ脚をネルドゲルに向け襲いかかった。
(手負いの獣は視野が狭いもんじゃのォ)
その時大太鼓が一打、後方の副将軍によって目一杯打ち鳴らされる。
それから一瞬遅れで火吹きトカゲは、突如巨大な何ものかによって宙からはたき落とされた。
羽虫のように叩きのめされた金切竜はそれを見上げて驚愕する……そこにはまるで巨人の手が、己に覆いかぶさらんとするかのように僅か緩やかに揺られていたからである。
無手の“竜を殺す手(ヨグ=リノート)”に張り倒された仇敵を前に、ネルドゲルが両手で得物を握りゆっくり迫っていくというと、いよいよ生命の危機に見舞われたことを自覚したこの飛竜は、そこで人間たちが鬨を上げ始めたことによって、己がさらなる窮地に追い込まれたのを分からされる事となった……なんと騎士たちが上げていた歓声は、険阻な崖を駆け下りてくる荒駆に跨った、第二王子と王子妃に対してのものだったのである。
突進してくる野猪と見紛う猛進ぶりで階下に辿り着いた彼らが、そのままあらん限りの力でもって疾駆をかけては馬煙を撒き散らし、その逆鱗と外殻を貫いた“双つ牙”を真っ直ぐ自分へと向けてくることに、受けた痛恨の一撃を思い出して恐怖した火吹きトカゲは、自制心を完全に見失ってしまい、それらを薙ぎ払うべく脚を踏ん張って熱線の構えを取った。
「ぜァぁあああああッッッ」
やにわに竜の咆哮に勝るとも劣らない大喝が響き渡り、同時に金切竜の尾部に激痛を走らせる。それはネルドゲルの巨大な長巻が、体幹の定まった怪力から繰り出される一閃で、尾の先を尾棘ごと叩き斬ったことによって生まれた衝撃であった。
このことで息吹の姿勢すら崩された火吹きトカゲは、ついに自身に恐怖を植え付けた小さきものどもの接近を許し、いよいよ混乱と恐怖、生への執着に身の内を完全に支配されて、その場で狂乱のままに暴れ回ってゆく。
「おっ父、そこどけぇッ」
荒駆から降り立ったニィルボグはそう叫ぶと、何の秩序も意志の類も失われて駄々っ子のようになったこの飛竜の懐に潜り込むと、地を蹴ってはその脚元から抜け出し、丁度父が跳び退った位置から竜の首元にある傷口に、長槍で三度目の刺突を叩き込んではそのままほじくり出した。このことで金切竜の抵抗はますます激しくなったかに見えたが、それは“六肢”をバタつかせる動作だけのことで、威嚇をかけてはしゃくり上げ、炎を吐いては篝火のごとく、その威力の乏しさには、明らかに体力の限界が伺えるものがあったのである。
それでもやはり竜族というべきか、活路を求めて最後の抵抗を初めた金切竜の、一撃ごとの威力には並々ならぬものがあり、巻き添えを食って鉤爪を受けたヨグ=リノートがその柱を寸断され、巨人の手首が一蹴のもとに折れ曲がるなど、到底並の戦士や騎士では相手取れない怪物であることには、依然として間違いなかった。
それに真っ向から対抗可能な動きが出来るとすれば、出口を固めて竜の逃げ道を封鎖しているネルドゲルを除けば、やはり今戦っているボギーモーンとニィルボグの二人であったといえよう。
(ほーぉ、こりゃあイイもんだ。互いが水を得た魚のように見える……安心してニィルボグを託せそうじゃわい)
彼らは二手に分かれては、妻が天から翻弄し、それに竜がとらわれているというと夫が地上から痛打を与え、戦いの中で徐々に相手の習癖や予備動作をより把握していくことも相まって、ヒト程度の脆い身体が受ければ一撃必殺にもなろう攻撃の数々を、もはや避けることもなく最低限の力でいなして、そのまま反撃を仕掛けるほどにまでなっていた。
「あなたッ、もう獲れるわ。ねじ込んじゃってッ」
金切竜の旋転による尾撃を空中で受けたニィルボグは、血しぶきを上げるその尾を得物でいなして弾かれたように跳び上がると、そう叫びながら引っ掛けられた回転を利用して、槍の切っ先を勢いそのままに竜の左眼に叩き込んだ。
「おぉッ、やるじゃねえかお嬢のヤツゥ」
「早いトコそのクソトカゲをやっちまえェッ」
いつの間にか唾棄していたはずの彼女を応援していたオーク兵から歓声が上がると同時に、この火吹きトカゲは弱々しく悲鳴を上げる。もはや声も炎も枯れ果てたと見えて、逆鱗を打たれたことによる狂気で無駄に動き回ったことも災いし、見るからに動きも鈍くなってしまっていた。それでもいくらか正気を取り戻したこの金切竜は、もう一度尾を弾いてニィルボグを追い払うと、耳を澄ませてボギーモーンが近づく気配に注意力を高めてゆく。
「今です殿下ァッ」
「お決め下さいっ」
騎士たちの声援が、片牙の猪の接近を竜に意識させた。自身の涎が落ちることにすら気が付かないほどの集中力で、潰された左眼側から蹄が駆けてくる音を微かに捉えた金切竜は、そちらへ素早く視点を変えながら不意打ち気味に踏み込みをかけていく。
だが、竜の持つ鋭い耳が確かに認めた荒駆の背中には、誰の姿も乗ってはいなかった。
そのことに飛竜の思考が一瞬止まった刹那、戦いの最中打ち壊されていた“竜を殺す手”の残骸から、両の目をぎらつかせた猪武者の影が伸び上がるが早いか、それが火吹きトカゲの右首元に騎槍を突き立てるというと、そのまま深々と得物の穂先をえぐり込ませてゆく。
「るゥぉおおおあァッッ」
幕壁を下る前に最後の薬莢が装填された撃突騎槍で、確実にトドメの一撃を放つために、総員で協力して空けた一穴へとその穂先をより深くめり込ませてゆくボギーモーンは、敢えて首元の筋肉を締めながら重量に任せて押し潰そうとしてくる金切竜との、壮絶な力比べを強いられることになった。
(……だが、これが最後の一発になるのならッ)
爆裂機構による反動で身体が潰れても構わないと、王子が決死の覚悟を固めたのが伝わったのか、この竜も負けじと最後の抵抗を試みて、なけなしの毒気を口から吐きながらそれに火を点け、炎を吐きながらのたうち回って暴れ狂う。
「猪口才なッ、まだこんな力が……ッ」
まるで炎の大蛇がのたくったかのような空間の中で、金切竜は絶命を逃れるべく首元の死神を振り払うようにジタバタと足掻き続けるが、ボギーモーンはそれでも騎槍を離すまいとしたことで右へ左へと打ちつけられ、この追突の衝撃で兜は外され何度も大地に叩きつけられて、そのたびに彼は押し潰されかけた。
「あーもう往生際の悪いッ、いい加減にくたばんなさいよッッ」
しかしこの激しい動きは、突如止められることになる。
左眼の死角を突いたニィルボグが火の帯を強引に抜け、そのまま潰れた眼球に真っ直ぐ長槍を突き立てたからであった。
(逆鱗を狙ったら、あの人がどうなるか分かんないものね……)
彼女の一撃で動きを止めた火吹きトカゲは、口から調子の壊れた黒煙を吐きつつ、それにも関わらず先程同様、首元に刺さり続ける“トゲ”を、その持ち主ごと押し潰すことを試みている。一方この下ではそれでもボギーモーンが、跪きながらも竜に劣らぬしぶとさで踏ん張って、どうにか決着の一突きを撃ち込もうと最後の根比べにもがいていた。
「あなたッ、平気なの」
「ニィルボグ、来てくれ……一人で撃つと、反動でこっちが危ない」
気をそらせば今にも圧潰させられそうな夫の姿を見つけた王子妃は、彼が必死で金切竜に突き立てている、今にもひしゃげそうになっていた騎槍の柄を共に握りしめると、彼女もまた火傷を負って傷ついた身体に鞭を打ってはそれを支え合い、この“最後の一発”が込められた竜退治の切り札を、二人で協力してついに持ち上げきったのである。
「いいよ……やろ」
「引くぞ―――」
ボギーモーンの人差し指が折り曲げられた。
撃突騎槍の短く撃ち出された穂先はついに、金切竜の首元を貫いて、喉奥を抜けては頭骨を砕いてその先にある脳にまで達すると、この竜の命脈そのものを断ち切った。
開いていた右眼の光をも失って蛇舌を垂らしたまま、口や首元からおびただしい量の血を流すに任せていた火吹きトカゲは、こわばらせていた全身をまるで吊り糸が切られたように、力なく倒れ込ませては微動だにしなくなる。
それが今度こそ金切竜の絶命を知らせることを、第二王子と王子妃が自身の得物を竜の骸から抜き取ることで証明すると、それらを見たこの場の武人たちから一斉に鬨が上がった。
人間の騎士もオークの戦士も、先刻まで鏃を向けあっていたことなどまるで忘れてしまったかのように、ボギーモーンとニィルボグによるこの戦果を称揚する。その種族の垣根が一時打ち崩された大喝采を受ける二人もまた、互いの顔を見合わせては息をついて微笑み合った。
「……フムン、今度は丁度間に合ったな」
ミディクライン公はふと自身が設置させた、壁面の機械式時計を見上げるとそう呟く。
そして次の瞬間、門塔にある時報の鐘が、竜の返り血で真っ赤に染まったこの新婚夫婦の門出を、“始業”を知らせる合図の音で祝福した。
次回投稿は12/12中を予定しております。




