#7-5 “哭牙”
階下が火元の傍に置かれた花火のような様相である一方で、第一城壁内において一切の物音を上げることなく睨み合い続けるボギーモーンと金切竜は、足音一つ立てればそれが機先を奪われるきっかけにもなりかねないことを互いにさとってか、攻めあぐねては瞬きもせず、目線を合わせたまま緊張の糸を限界まで張り詰めさせていた。
(合戦の音がまるで聞こえんな、フル=オークが侵攻を止めたと見るべきなのか。さっきの事といい全く不可解だ……竜を狙うにしても、私ごとまとめて岩で薙ぎ倒してもよかったはず。いや、仮にニィルボグごと同盟を裏切るというのなら、そもそも竜を攻撃せず放っておくべきだろう。おかげで助けられはしたが、次はさて分からんぞ……)
飛竜も目の前の猪武者に集中しつつ、もう一度下から岩が噴き上がってくるのではないかという警戒を怠るわけにもいかなくなり、王子同様やや意識をバラけさせざるを得ない状態が続く。
神経を擦り減らす眼光の衝突は、それがもう少し続けられれば、かけ合った負荷によってお互いの精神を崩壊させかねない領域まで達しかけていたが、その衝突をついに物理的なものにする合図を知らせる者の姿が、側防塔がある中庭の方向から迫ってきた。
「殿下、これをッ。近衛長の細君からの預かりものですッ」
王子の背後にある、飛竜の火炎弾によって穿たれた弾孔の差し向かいから、ミメイトの声が馬蹄の音と共に近づいてくる。ボギーモーンはそれを見ずとも、近衛の持ってきたものの“正体”が何なのか、なぜか理解することができた。
ミメイトが運んできた“それ”とは、その持ち主が感じ取った通り、細部に渡って磨き込まれ、政務室に妻の長槍と筋交いにかけられていた予備の撃突騎槍である。これはエイミリンが城内へ護送されたあと、彼女が再び事情と状況を説明したのち第二王子の政務室へと伺い、看守の騎士と共にそれを持ち出してはその彼に、持ち場に戻るついでに誰かへ届けてほしいと頼まれたものであった。
この収容所の看守が馬を借りつつ駆け下りた時、公王へと早馬を差し出したミメイトが、合流のため通ろうとしていた関門手前でそれを見つけては追いかけて引き止め、状況を理解するとその運び役を引き受けて馬を乗り換え、ここまで運び込まれたというわけである。
しかし振り返るわけにもいかなかったボギーモーンは、目の前で睨み合う金切竜の、さらに奥にいる愛馬とニィルボグの位置関係をもう一度確かめると、閃いたように思考がまとまって深く息を吸い込んだ。
「ニィルボグに投げ渡せッッ」
この命令が合図になった。
もはやこれ以上逆鱗に手をかけられてはかなわぬと見た火吹きトカゲは、出るのはどちらでも構わぬと既に息を整えており、その鎌首を伸ばして口から放たれたのは、はたして火炎放射の方であった。
これは距離を詰めたい王子にしてみれば、轟音に怯まなくて良い上軌道の読みやすい分“当たり”の行動であり、彼は王子妃に道を空けるために、竜の左側面目掛けて踏み込みをかけると、その炎の帯を躱しながら一気に猛進してゆく。
攻撃に移る直前にボギーモーンは鋭く口笛を吹き、荒駆を呼ぶ合図を出すと同時に白刃を閃かせた。傷口も穿たれていない左側から彼が狙いを定めていたのは、唯一器官が剥き出しになっていた、金切竜の持つ眼球である。この的確に繰り出される斬り上げに、思わず首をもたげつつ瞼を閉じようとした火吹きトカゲはそれでも間に合わず、その下で眼を覆う瞬膜に、剣先が食い込むとそのまま斬り裂かれていった。
(ええいッ、足りんわこの短小がァッ)
またしても佩いていた剣が持つ刀身の短さに苛立たされた王子は、それでも初太刀が上手く入ったので妻に合図を送る。
「それに乗ってこっちへッ」
王子妃はそれが荒駆のことであると即座に理解して、既に疾駆をかけていた夫の愛馬に追いすがってゆく。狂気に身をかられる中抜け目なく周囲を警戒していた金切竜がそれに勘づき、尾棘を立てて目縁の痛みに耐えながらそれを振り回すが、ニィルボグはまたしても棒高跳びの要領で柵でも越えるかのように、尾撃を躱してはそのまま馬鞍に飛び移った。
「王子妃様ッ」
通常の倍近くある重さの撃突騎槍を放り投げるのは容易ではなく、ミメイトは馬の駆け足で速度を稼ぎつつ、弾孔の向かいに近づいてきた王子妃へと強引に投げ渡す。それでもやや勢いが足りなかったか、あわや崩れた足場の縁へと落ちかけたその騎槍を、ニィルボグは腰を低めて片手で柄を掴み取るというと、その細腕からは想像もつかない力で持ち上げて、そのまま振り返っては夫の戦いの行方を見守りだした。
(あいつッ、何も口から出さなくなった。通じないと隙だらけになるって気づいたんだ)
緑の小人に比べれば今の相手は動きが鈍重であると見たこの飛竜は、四脚ある前脚を駆使して変則的な打撃を加えることで翻弄し、トドメとばかりに後ろ脚で立ち、口を大きく開くと上からの勢いもそのままに、この鋼鉄の猪を噛み砕こうと頭部を突っ込む体勢に入った。
「―――駄目よ、眼を斬った方に避けなくちゃッ」
ニィルボグの警告はもっともだと言えるであろう。フル=オークたちの放った岩々で退路を塞がれたボギーモーンが、次の一撃を躱すには左右のどちらかに踏み込みをかけるしかなかったからである。
しかし彼は無謀にもその正面へ真っ直ぐに立ち、手に持つ剣の切っ先を、竜の大きく開かれた口元へと向けだしたのだった。そして環状になっている柄頭に右手の人差し指を引っ掛け、まるで弓を引き絞った射手のような体勢になった王子は、迫りくる顎めがけて重く言い放つ。
「ござんなれ」
ボギーモーンが指をかけた柄頭の輪っかを引っ張ると、撥条仕掛けになっていた刀身が鍔の付け根から勢いよく飛んでいき、丁度真っ直ぐに金切竜の口蓋へと刺さりこんではその刃が砕け折れた。
口中を剃刀が暴れまわったようになった火吹きトカゲはたまらず怯まされ、
大きくよろめいては仰け反って、後方へと倒れかける。それを確認した王子は、そのまま正面へと踏み込みを駆けながら、口笛を吹いたのち妻に再び合図を伝えた。
「騎槍をくれッ」
呆気に取られていたニィルボグはこの一言で我を取り戻し、既に駆け出し始めていた荒駆の上から槍投げのように騎槍を構えると、そのまま力任せに夫の進行方向に投げつける。走りながらそれを横目で見ていたボギーモーンが、剛腕をもってそれを無理矢理受け取るというと、後ろ脚をよろめかせながら何とか体勢を前に戻そうとしている金切竜の、重心である胴体目掛けて槍先を突き立てるが早いか、笠鍔内の引き金に指をかけた。
(奥方が“そのまま”持ってきてくれたことを願おうッ)
はたして願いは通じた。
王子が自らいつでも使えるようにと、装薬したまま飾っていた撃突騎槍の穂先は短く撃ち出され、それが傷痕の上に貼り治された鱗の部分を僅か貫くと、前方に戻そうとした体勢をさらに崩された火吹きトカゲは、そのまま鋸壁に脚を取られて崖下へと転落していく……。
次回投稿は12/11中を予定しております。




