#7-3 “敵襲”
火吹きトカゲは威嚇の声を上げられないと見てか、着地寸前に鎌首をもたげる姿勢を取った。対峙していた二人はそれが息吹を吐く予備動作であることを知っているため、万一を考え正面を避けて二方向から接近戦を仕掛けていくが、ここで金切竜にさえ予測できない事態が発生した。
“金切り声”が、再びその口から放たれたのである。
兜の性質上耳を塞ぎ切ることの出来ない王子はこの不意打ちに驚愕し、愛馬と共に再び怯まされるものの、耳が良すぎるがためにそれを抑えるしかないはずの王子妃は、そのまま接近に成功して竜の懐に潜り込んだ。
「おっ父がもうそこにいるんだ、早いとこ斃れっちまえッ」
事前にルクスと同じ発想に辿り着いていた彼女は、貫頭衣の一部を千切ってはとんがり耳に詰め直し、簡易的な耳栓を作っては我慢しながら距離を詰めていたのである。
しかし火の息と叫声だけがこの竜の実力ではない。根深の森を襲撃した時のように、金切竜は巨体を駆使した猛獣的な動きで小動物を狩るように、飛翔に頼らない連続攻撃を幾度も眼下の緑色の小人に浴びせかけていく。俊敏な動きで自身の尾撃や噛みつきを躱されながらも、徐々に毒袋が回復していくにつれて、金切竜はあることに気づかされた。それは自身の口から出る火や咆哮が、喉を焼かれて調子を崩したことで無作為に放出されるということである。
そのことはこの竜にとってかえって都合が良く、加勢に加わったはずの猪武者に対しても、咆哮に見せかけた火炎弾、あるいは息吹に見せかけた金切り声を撃ち分けたかと思わせておきながら、予備動作通りの行動をも見せるという予測不能な攻撃をしかけることで、着実にこの二人を幕壁の縁にまで追い詰めることに成功したのだった。
「畜生こいつ、メチャクチャにしぶとい……あれはッ」
鋸壁の間から階下に見える下内郭には、第二城壁をぶち破ったことでもうもうと立てられた土煙の中から、幾人ものオーク兵が侵入しては陣形を組み立てている最中であった。一方でアメンドース騎士団側も、隙を見てミメイトの早馬に跨がり下ってきた公王の指揮のもと、その近衛長とルクスによって急場凌ぎの再編成を行いながら、インミークの部隊が到着するまでの抵抗戦を行う準備を整えている。
その武力衝突寸前の現場の中、オーク側の隊列を見たニィルボグは、強引に開けた道に投石機を運ばせるネルドゲルの姿を見つけると、身を乗り出して制止を試みた。
「おっ父、待ってッ。こんなのおかしいでしょ、何もこっちに伝えてないクセに―――」
娘の声が届いたのかそれとも飛竜の姿を認めたか、ネルドゲルはこの夫婦がいる監視塔近くの幕壁を見上げてきた。それと目が合った王子妃は、背後に構える金切竜の予備動作を完全に見逃してしまう。
「ニィルボグ、やっとる場合かッッ」
飛竜から放たれる轟音に慣れた耳栓付きの彼女の耳では、王子による口からの警告に気づくのが遅れてしまった。
……次に金切竜の口から出てきたものは火炎弾であった。
荒駆を無理に走らせたボギーモーンは、剣を持つ右手に手綱を持ち替えて、空いた左手に妻の細い腰を引っ掛けると、強引に走り抜けては火の玉の直撃から彼女を救い出す。しかしこの火炎の衝突によって生じた余波と、飛び散った石礫が一同を襲っては勢いよく吹き飛ばし、特に体重の軽かったニィルボグの身体は爆風の中煽られては翻り、その手を握っていた王子ごと馬鞍から放り出されて、鋸壁の外まではみ出したところをようやくボギーモーンによって落下を引き止められた。
「早く上がれ……ッ」
「あなたッ、後ろ」
王子が腕の力だけで妻が外に落ちるのを防いでいるところに、容赦なく金切竜が接近して仕留めにかかる。息吹と咆哮の統御が働かない喉を使っては、二人を確実に始末できない可能性があったからであった。
王子妃が外側の壁面に足場を見つけては跳び上がり、夫の腕を支点に円周を描きながら再び幕壁内に着地したときには、その不揃いの牙で噛みつこうとする飛竜の頭が、既にボギーモーン目掛けて迫っていた。
だがこのことは金切竜は勿論のこと、妻のニィルボグですら知らない事実であったろう……アメンドース領の第二王子が、剣技においては槍の実力を僅か上回るということを。
そのかがんだままの低い姿勢から、爆発的な脚力で踏み込みをかけたボギーモーンは、迫り来る竜の顎下へと潜り込むが早いか一閃、狙いすました太刀筋で再び喉元の逆鱗を斬りつけた。
(ええいッ。やはり丈長が足りんか)
彼が抜剣に消極的だったのは、あくまでそれが戦場では主に最後に使う武器だからであり、その理由がそれぞれの武器が持つ有効射程距離であることはいうまでもないことだが、この竜退治における戦いの中でも、それが重要な要素であることは間違いなかった。現に今の攻撃に長剣並の刀身が伴っていれば、金切竜の喉元で逆立った鱗にその刃が深々と突き刺さり、きわめて有効な致命打となっていたかもしれないのである。
またしても急所に痛打を受けたこの火吹きトカゲは、思わず仰け反っては飛び退いて、取り戻していた正気を再び狂わせてゆく。凶暴化した竜の厄介さを知っているボギーモーンも、そうなることは出来れば避けたい状況だったのだが、咄嗟の動きで最も妥当な働きをしたことを、今更後悔するわけにもいかなかった。
だが、この場の状況をさらに悪くしかねない事態が、彼らに降りかかろうとしていた。
「狙えェいッッ」
第二王子の元から実娘と、そして今金切竜が離れたのとほとんど同時に、ネルドゲルが号令をかけて投石機の角度を、丁度片牙の猪がいる方向に調整させたのである。
「射つんじゃあないッッ」
編成を終えた騎士隊はそれを阻止すべく、弓をつがえて満月のごとく引き絞っていたが、このミディクライン公による大喝でそれらの射撃はためらわされた。その言葉が果たして“どちら”に投げかけられたものだったのか、はたして誰にも分からなかったからである。
「おっ父、お願いやめて―――」
嫌な予感に駆られてそのことに気づいたニィルボグの、必死の嘆願は突如轟いた金切り声にかき消された。
それは大将軍の鳴らした、射出の合図に使う大太鼓の音も同じことであった。
軛を解かれた投石機の首が次々と跳ね上がり、それらに載せられていた岩石たちが、吹き上がるように第一城壁まで昇ってゆく。
その放たれた大岩は的確にボギーモーンの……頭上を大きく越えて、彼に宙から迫り来る金切竜の身体へ次々とブチ当たっていった。
次回投稿は12/10中を予定しております。




