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#6-4 “勇気ある者に捧げる誓い”

 捕虜収容所の回廊にもかすかに、フル=オークによる進軍太鼓の打音は届いていた。

 我儘は承知だが結果を聞くまでは離れたくないので、守衛の者と待たせてほしいと願い出た子爵夫人の元に騎槍を残して、ボギーモーンは一人、音と光の僅か漏れ出す奥の独房を目指してゆく。

 「こんなところに来るほどヒマではないでしょ、竜の鳴き声がまだ聞こえてくるわ……アンタは戦える騎士のくせに、尻尾を巻くなんてだらしないんじゃないの」

 お互いに姿を見せ合う前から、最奥の独房より張りのある低声が響いてきた。ハイユーズたちの顔が王子の頭をよぎったが、そのまま受け流して彼は歩調を崩さない。

 「何しに来たわけ」

 「あの時出来なかった話をだ」

 ボギーモーンとニィルボグは、牢獄の檻越しにようやく顔を合わせた。彼女の監房は以前のものと差し向かって真反対の場所へ移し替えられ、元の空間には寝台から壁掛けの机案に至るまで、その全ての調度品が撤去されていた。王子妃は以前のように、貫頭衣の上から敷布に包まりつつ、少しばかり千切ったパンを飲み込むのも億劫そうに吐き捨てて、憎しみとも哀願ともつかない目つきで、鋭く面会人を睨め上げてくる。

 「言うなッ。おっ父が来たんだろう、さっきから太鼓アレが鳴りっぱなしだもの。やっぱりあたしを人質に取りにきたのか……それとも故郷の連中に向けて、説得しろとでも言うつもり。どっちもお断りよ、あたしはもうオークのための道具にはならない。勿論人間のためになんかなら、尚更だわ」

 「そのどちらでもない。貴女を道具とするために来たのでも―――」

 「黙れッッ。どんな話だったとしても、あたしを利用しに来たのは同じでしょう。もうあたしは“無用の長物”で構わない、あたしが誰かのためにすることだって何もない。このまま消えてしまえばいいんだ、人間もオークに滅ぼされろ、オークも竜に焼かれてしまえッ」

 ニィルボグは逆流したものを吐き出すように、どこか苦しげな叫び声を上げて夫を拒絶した。それでも彼女は敷布の中で左手を右手で包み込み、何かを守るようにしてどこか怯えている。その様子に気づいたボギーモーンは、子爵夫人から授かった長物の封を解きながら、尚も穏やかに妻へと語りかけた。

 「……それが“自分のため”になら、どうだろうか」

 「何が―――」

 王子妃が反射的に言葉尻を捕まえようとした瞬間、王子が手に持つ“ニィルボグの愛槍”の穂先を、包みの中から見せてきたのが目に入ってくる。

 「あの時私は、貴女を騎士にしたかったのだ。子爵夫人もそのつもりで話に来たのだが……済まなかった。あれは私の、身近な婦人に対する接し方というか、未熟で……経験がなかったことによって、どうやら最悪の切り出しをしてしまったらしい」

 長槍を握る手を僅か強めたボギーモーンを見た王子妃は、なんと口にすれば良いのか分からなくなった。そのどこかしおらしい様子を初めて目の当たりにしたことで、彼がまるで武装せず、丸腰であるかのような印象さえ受けて当惑したのである。

 「エインビィ夫妻にも、その、夫婦の関係に対する扱いがぞんざいだと叱られたが……一番効いたのが貴女に言われた言葉だったな。私の言ったことが“騎士として”なのか、“私自身として”なのか、言われた時はその言葉が余りにも鋭すぎて、刺さったことにも気づかなかったほどだったよ」

 「……い、言い訳なんか聞きたくないわ」

 ようやくニィルボグは言葉を絞り出したが、王子の繊細な振る舞いにあてられたのか、その口調にはあまり力が込められていない。

 「すべき話をしているつもりだ。騎士として叙勲を授かる者は、それを与えてくる者に忠誠を誓わなければいけないことは知っているな」

 王子妃は何も応えず、ただ己を包んでいる敷布をよりきつめてうつむいた。彼女が父王の行う叙勲式を見ていたことを知っていたボギーモーンは、戦いを本心から欲していたニィルボグが儀礼の内容を理解していることを前提として、とりあえず話を続けることにする。

 「公国内でその任命権を持っているのは父上と、旧き血を引いて騎士の称号を持った公族……すなわち兄上と、そして私の三人だけなのだ。しかも公族の者に対する任命権を持つのは主君である公王のみで、あの時点では既に貴女も我らの一員として扱われていた。今もそうであるが、私の、その……妻であったからな」

 「……そうよ」

 すがるような上目遣いになった妻に見つめられて、どぎまぎしかけた心を均しながら王子はさらに言葉を紡いだ。

 「しかも主君以外の任命者は、自身の近衛となる者にしか叙勲が出来ないのだ。だがその近衛たちは、アメンドース領に尽くす大義こそ他の騎士たちと同じくするが、忠誠を向ける対象をその任命者に出来る。つまり……恐れ多いながら、父上の命令に従わずに済むのだ」

 ニィルボグはここでようやく彼の意図を理解したのである。公王に対する弑逆しいぎゃくを企てた罪罰も含めた上で投獄しておきながら、一転して彼女を騎士と認めて寛大な処置を施すことで、ミディクラインに都合のいい走狗として手札に加えられる目論見から、夫が庇ってくれたのに王子妃は気がついたのだった。

 「貴女が陛下から叙勲を受けた場合、今のようにフル=オークが攻めてきた時に、故郷の者たちと殺し合うことを、拒否できなくなることまで見越した上での承認だったというわけだな。道化の奴もそれを見越していた可能性はあるが……私はそうして欲しくないのだ」

 「なら、どうするつもりだって言うの」

 王子の手回しにも気づかずにいたことでバツが悪くなったニィルボグは、膝を寝台の上まで折り込んで三角座りの体勢になる。彼女が自分との会話を拒絶しなくなったことに、幾らか心を許された気がしたボギーモーンは、そこから一歩踏み込んで本題を切り出し始めた。

 「王子妃が戦うためには、父上の道具になるしかなかった。だが一度離縁した状態となった貴女になら、私にも近衛として叙勲できる任命権が回ってくるし、そうすればいくらか裁量も変えられるだろう……あの飛竜に対抗するには、どうしてももう一人接近戦の“使い手”が必要なのだ。私は貴女の実力をよく知っているつもりだし、二人で協力すればきっと、フル=オークが本格的に城へ侵攻してくる前に仕留められると分かっている」

 看守から預かっていた牢の合鍵を取り出して、それを扉の錠に差し込みながら王子はさらに、自分の真の狙いを語り続ける。

 「そうすればネルドゲルと……貴女の父とも殺し合わずに済む道を探し出せるはずだ。おそらく彼らの狙いは“火事場泥棒”だろう。だからこそ金切竜という名の火元が消えれば、オーク族も引き返すしかなくなるからな」

 「信じられるわけないでしょう、あの公王だろうとアンタだろうと同じことよ。自分の都合で連れて行こうってことには、変わりないじゃない……」

 自由への戸口を夫に開けられてもなお動こうとしない王子妃は、何か大切なものを奪われまいとしてその場を離れようとしない。ボギーモーンも牢室へ入って、妻を連れ出そうとはしなかった。それでは彼女の言った通り、本人の意志を無視したことになるからである。

 「どうか信じて欲しい、これがその気持ちの証だ。見せるのが遅れてしまったが……」

 代わりに彼は、その場で手にしていた妻の愛槍を包み込む封を完全に解いてみせた。

 その長槍が完全に姿を現したとき、それに施された“意匠”が外から僅かに差し込む光を照らし返し、進退が窮まった瞳に生気を注ぎ込ませるように、見る者の目に飛び込んできた。

 (あ、あの模様は……ッ)

 ついに王子妃が再びその目にした愛槍は改めて細部に渡って磨き込まれ、その柄にはアメンドース家の紋章である、“双つ牙の猪”をかたどった装飾が彫り込まれている。それはボギーモーンが“共に戦ってほしい”と伝える上での、何よりの意志の表れであったろう。

 「私は何より、貴女に“貴女自身”として戦って欲しかった。だが直接それを伝える勇気を、一人の男として持ち合わせてなかったのだろう。いくら騎士として婦人を守る矜持を誇っていても、素のままの“自分自身”が、一人の女性に向き合うことなど考えもしなかった……いや、考えることから逃げていたからだ。このように……この、見苦しい面構えなどが、何の言い訳にもならないことを知っていながらなぁ」

 徐々に震え出していく声でそう言いながら、兜を脱いだ彼のその顔は、卑下と自嘲で本心を防御する劣等感に苛まれていた。その様子を見て、初めてお互いが素顔を見せ合った時のいたたまれなさを思い出したニィルボグは、自身もまた故郷で浴びせかけられた罵倒を思い出して共感と羞恥に独りさらされてゆく。

 「そんなこと……言わないでよ。あたしだって、こうなりたくってなったんじゃないもの。こんなにもか細くて、見るからに頼りなくて、どこも張り出してない醜い身体で、すぐ怒ってすぐ落ち込んで、気に入らないことは全て力任せに投げ出して……分かってるの。オークでも人間でも、どっちから見たってあたしなんか見てくれも中身も全然可愛くないんだって。故郷のヤツらみたいにも、エイミリンみたいな風にも、あたしにはなれないんだって、無理なんだってことぐらいさぁ……」

 思わず曝け出してしまった自分の本音に気づいた彼女は、それでも途中で口を止めることは出来ず、代わりに段々と声の震えが大きくなってしまったので膝元に顔を隠しながら、最後には消え入るような調子で、それでも何とか言葉を締めくくった。

 「そんなことはない、私は―――」

 「いいのよ知ってるから。分かるでしょう、慰められると余計惨めになるのよ」

 己が傷つけられる瞬間タイミングを熟知していた妻に、付け焼き刃の気配りを遮られたボギーモーンは、自分と同じような悩みにニィルボグが煩悶しているしていることをようやく確信して、配慮や忖度によらない本心をぶつけていく覚悟を決める。

 「覚えているだろうか、貴女と……いや“お前”と初めて顔を合わせた時のことだ。私は、これほど美しいオークがいることなど、それまでは想像したこともなかった」

 夫が“呼び方”の距離を詰めてきたことに耳を立てて反応した王子妃は、それでも何を続けて話すつもりなのかその内容に恐怖して、うずくまった姿勢のまま黙りこくっていた。

 「分かるだろう、“顔”で判断してしまったのだ。私が最も他人からして欲しくなかったことで、お前を判断したのだよ……あの時ほど己を恥じ入ったことはない。私がこんなにも性根から卑しい存在であると、自分自身から証明するとは思わなかったからな……」

 まるで犯した罪を自白するように、ありのままの気持ちを曝け出してきた王子に不意を突かれたニィルボグが顔を見上げると、檻の外で自供を終えた“罪人”のその表情は、今にも泣き出しそうなものになっていた。

 「あぁっ、なんて顔してるのよ。わっ、私だっておんなじよ……だってあの時、人間にこんな、その……かっこいいヒトがいるの初めて見たもん…………あーもうっ、あんなに人間なんか大ッ嫌いだったハズだったのに、貴方を一目見て気が変わっちゃったのよっ。都合がいいのはあたしだって同じなんだから、そんなに気を悪くされたらこっちまで辛くなるじゃない……」

 世辞や社交辞令ですらついぞ言われたことのない、自身の容姿に対する手放しの賛辞を受けたボギーモーンが、他の者から言われれば必ず抱いたであろう拒否感もなくそれを受け入れることが出来たのは、それがオークという異種族による言葉だったからではない。それが“本当の気持ち”から発せられたものであったからだということに気がついた彼は、まだ口をついては出てくる妻からの本音を、その流れのままに受け止めることにした。

 「ホント言うと、あたしずっと怖かったのよ……だってさ、逆に考えてもみて。人間の女がたった一人で眠らずの砦に向かわされて、オークしかいない土地でその中の誰かと、強制的に結婚させられるとしたら、って。それまでずっと殺し合ってきた種族から、どんな目に遭わされるかも分からないのに、それでも気を張ってそこで暮らしていかなきゃいけないんだって……それにね、その相手がどんなにいいヒトであっても、そのヒトから嫌われちゃったらって考えたら……いや、そんなことは考えたくもないわよね、やっぱり」

 父王にオーク女と結婚させられると思った、その当初に抱いた嫌悪感を思い出した王子は、またしても内罰的な感情を揺さぶられてはうつむく。その様子を見た王子妃は、まるで彼をあやすような顔になってさらに続けた。

 「でもね、そういうのは結局どうでもよかったの。貴方と一緒になれたのなら、形はどうあれ良かったのかなって……だからね、『離婚してほしい』って言われた時、すごく苦しい感じがして、あたしこんなに誰かを、その、好きになることとか知らなくって、それで……怒っちゃった。だって嫌だったの……貴方と別れるのが、すごく嫌で、そんなことするくらいなら、全部ぐちゃぐちゃなままの方が良いって、あたし……」

 気がついたときには自身の声と目元に涙を湛えていたニィルボグが、慌ててボギーモーンから顔を敷布で隠したのは、恥ずかしさというよりもむしろ、夫よりも先に泣いてしまった自分が許せなかったからである。その妻の様子を見た王子は、改めて一度軽率にも離縁を突きつけてしまったこと自分を咎めつつ、己が可愛さに身を守る方便を垂れたがる誘惑を必至に押さえつけながら、何とか混じり気のない気持ちを伝える手はないものかと腐心した。

 「うぐっ、そうだったのか。済まなかった……確かにお前の気持ちなど、考えずに一方的に話していたな……許してくれ」

 「ううん、話を最後まで聞かなかったあたしのせい。喋らなくったって、自分のことしか考えなかったらおんなじことだもん。嫌いになって欲しくなかったけれど、それを避けようとして結局貴方に嫌われたのも、あたしの―――」

 何か重く硬質なものが床を弾いた音がして、ニィルボグはその泣きはらした顔を上げる。見ればそれは、ボギーモーンが手甲を外して、兜ごと床に落とした時に立てたものだと分かった。まだつけられた手創てきずが塞がったばかりである左手の、薬指に着けられた“婚姻の証”に自ら手をかけた彼は、ややあったのち意を決したか、妻が見ている前でそれを外してしまう。

 「ひぁっ」

 この行為を見たニィルボグはそれが絶縁の証かと、一瞬張り裂けそうになって小さく悲鳴を上げた。だがそれは杞憂だった……ボギーモーンの、ボギーモーンによる本当の気持ちは、そんな事とは真逆のものであったからである。

 「国や同盟がどうとかではない……そんなしがらみにまみれた婚約は、すぐにもここで破棄してしまいたいのだ。そして改めて、どうか私と結婚して欲しい。たった今分かったのだ、私にはお前という存在が必要で……そしてお前のことを、愛していると」

 指輪を外し一人の男に戻った彼は、すがるでもなく意気がるでもなく、全くボギーモーン本人として、ニィルボグに思いの丈をぶつけてきた。

 素のままの自分に一切の自信を持てない男が、一世一代の愛の告白をしてきたことは彼女には痛いほど理解できた。人生の根本的な部分に勝算を見出していなかった者にとって、このような欲求を持つこと自体がそもそも重荷であることを知っていたにも関わらず、それでもまるで命そのものを曝け出して飛び込んできてくれたことを嬉しく思ったニィルボグは、それまで流していた涙が逆に引っ込んでいく。それは自分が認められたことよりも、求められて選ばれたことよりも、彼女自身に対して彼がその勇気を向けてきてくれたことが、何よりも誇らしかったからである。

 「……えへへ」

 ほころんだ声を少し漏らしたニィルボグは、自分の左手の薬指から、それまで無意識に守り抜いてきた指輪を取り外して、一人の少女に戻るとそのまま敷布を捨てては立ち上がり、ボギーモーンの側まで歩み寄るというと彼から指輪を受け取って、自身の外した指輪を王子に預けて“契りの証”を交換した。そしておもむろに跪いてみせると、驚いたボギーモーンに対して、求婚に応じるための誓いを立て始める。

 「ここにあたしは、アメンドース公国第二王子への忠誠を誓います。これより後いかなる平和、戦争のとき、安泰のとき危難のとき……この命の灯るときも尽きるときにも、主君の解き放ちたもうまで、お仕えいたします」

 ニィルボグは叙勲式における完璧な礼節をもって騎士の宣誓を行うと、そのまま第二王子の“左手の甲”に口づけをした。

 ややあった後その気持ちを肯ったボギーモーンは、携えていた長槍の柄で彼女の肩を軽く叩き、再び立ち上がってはついに牢獄を抜けたニィルボグに紋章入りの武器を授けると、この新たなる第二王子直属の近衛騎士は謹んでそれを拝領する。

 そして僅か外から聞こえてくる戦の遠鳴りが響く回廊で、お互いの左手を差し出したボギーモーンとニィルボグは、両者が右手に持つ結婚指輪を元の左薬指に収め合うと、改めて二人はお互いを夫婦として認めあったのである。

 「……待って、もういっこ」

 王子の懐に近づいて互いの腹を擦り付けあった王子妃は、そのまま限界までつま先立ちになり、愛する夫へと接吻キスを求める。

 それに応じながら妻を抱きしめたボギーモーンは、生まれて初めて己が生きることを許されたような気持ちになって、運命を自らの手で掴み取ったことを実感した。

次回投稿は12/7中を予定しております。

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