#6-1 “暴虐の英雄”
「平気だぞ、あの王子様たちが今戦っていなさるんだ。前みたいなことにはならねえよ」
遠くアメンドースの第二城壁から遠く聞こえてくる破裂音や、そこから上がる火の手の方へ向かって怯えるロバをなだめる少年が言った。その首にはお護りであろうか、二又に枝分かれした牙のような形をした石片に、穴を通したものがぶら下がっていた。
この第三城壁内南西の農地の一角はボギーモーンの荘園となっており、領民は王太子とその騎士団主導のもと、ここと北東にあるインミークの荘園とに避難誘導されていた。民草はそのどちらかを避難先に選ぶことが出来たのであるが、鉱業設備の廃棄物処理施設が近場にあるという印象を加えてもなお、王太子の荘園を積極的に選択する者がほとんどであったという。
結局全避難民の内五分の三ほどが住居からの距離を鑑みられつつ北東へ誘導され、南西の荘園に住所の近しい者たちが、こうして第二王子の所有する別荘地へと重々しい足並みを運んだのであるが、彼らが不本意だったのは何もボギーモーンを不審に思っていたからという理由だけではなかった。
「でもこんなところが安全なのかい、壁の裏にはすぐ根深の森があるんだろう」
「こう言っちゃなんだけど、ここは第二王子の持ち土地だからなあ」
「ああ、“ヤツら”は穴ぐらを掘って暮らすっていうじゃないか。ひょっとしたらこの近くにも連中が開けたようなさ……」
相棒を助けてくれた恩を忘れていない御者の少年のように、積極的に南西へ避難することを選んだ奇特な民草はほとんどいない。ボギーモーンの部下の前で表立って言うほど浅薄ではないにせよ、それでも第二王子とフル=オークを良からぬ思い込みで結びつけたい者はそれなりに多く、そういった負の願望が自分たちの不安を増大させる副作用があることも知らずに、こういった話題を共有する様子は非常時における領民の間にとてもよく見られた。
「馬鹿を言うんじゃあないッ。ここはフル=オークの縄張りに一番近いところであるため、特別城壁も頑丈に設えてある。それにこれまでは敵対していた種族であるからこそ、平時より殿下がこの土地を治めていたことが分からんのかッ」
彼方で起こる死闘に参加できず、結局民草の誘導を指導せざるを得なかったミメイトが、背後にいる自分にも気づかず口々に勝手を言う領民たちをたしなめた。領地の本城近くが戦場となったことで不安が増大したことによる捌け口になっていたことは、形ばかりは武装を完了した彼も充分理解していることではあったのだが、普段から王子が命を賭して守ってきたはずの人々から悪しざまに言われれば当然腹も立ち、この肝心な時に戦へ赴けない手傷を負わせたオークたちへの恨みも相まって、根も葉もない風聞を持ち出しては心の糊口をしのぐ者たちへの怒りがいや増していたのである。
「……おい、随分静かになったぞ」
「騎士様、どうなったんだい。何か分かる合図でも上がってないのかい」
いつの間にか領内に、異様な静けさが染み渡っていることをその場の誰もがさとった。遠眼鏡を構えたミメイトの目にも、城の麓からは何の狼煙も、竜も火の手も熱線も上がらず、ただくすぶったような黒煙だけが、火元も分からず空に溶け込んでいくばかりだったのである。無論民草に訊かれた彼はおろか、邸宅前の広場にいた騎士の誰にも、現場の状況は分からなかった。ただこの次に何らかの“音”が聞こえてきた時、大きく状況が変わるような予感がすることだけは、誰しもの心を同じくしていたといえるであろう。
少年の傍にいたロバが、ついと城への向きから公国を囲う城壁の方へと、耳をそばだてるように顔を振り向かせる。
相棒の様子につられて主の少年もそちらへと見返した瞬間、横殴りの爆風が轟音と共に壁の内側へと噴き込んできた。
敵勢に向けて一際頑丈に建設されたはずの城壁が、まるで砂で出来たものであるかのように容易く打ち崩されたのを見て、人間たちはそれぞれ叫声やおののきをもって、何が“それ”を起こしたのか土埃と爆煙の中に潜む“首の長い影”を見つめる。やがて泥のような霧が晴れて、その正体がはっきりとした輪郭をもって目に入ってくると、先の衝撃に悲鳴を上げていた者たちは、その叫び声をより一層大きなものにしながら驚かされた。
(なんだアレは……)
ミメイトも見たそれはまさに、爆風を放出し終わって黒煙を吹き上げている“巨大な手のひら”そのものであったといえる。あるいは近衛長の話に聞いた通り、極大な投石機のようにも見える兵器だった。
その振り下ろされた巨人の手の真下にはいくつもの人影が動き回り、あるいはその後ろから連れてきた、“盾を思わせる襟飾りの着いた、三本角の犀に似た怪物”をその兵器に繋げ直して牽かせると、再び燃える三日月の旗を翻しながら前進を始めていく。
「“竜を殺す手”とはあれかッ」
やや遠方からとはいえ、その周囲にいる者たちがオーク兵であることまで確認したミメイトは、一時完全に思考が停止していた。フル=オークに対する想定をほとんどしていなかったことも確かであったが、何より意図も分からないこの豚鬼どもと戦うべきか、それとも領民を誘導して非難を優先すべきか、混濁の中その選択肢を頭に思い浮かべるだけが、この非常時に出来ることの限界だったからである。
「ひぇえっ、オークだよ。フル=オークが攻めてきたのよっ」
「で、出たーッ。今度はホンモノだ、でもどうして襲ってくるんだよーッ」
闖入者の正体が民草にも知れ渡ったことで現場は大混乱をきたすが、それがかえって近衛を冷静にさせたかもしれない。何しろこの右往左往する人々と共に戦闘するのは、不可能であることが自明だったからである。
そしてミメイトが我を取り戻した時、城の方向から一筋の熱線が空に吹き上がり、やがてそこから再び四枚羽の影が舞い上がるのをその目で認めると、この戦況が一気に悪化したことをさとりつつも、そのおかげか一瞬で撤退経路を設定できた。
「退却だ、万一火吹きトカゲに襲われでもするとマズい。大回りになるが街を外周しつつ、王太子殿下の元へと急げッ」
彼が出した指令と同時に、その足元に大鷲の羽根を持つ矢が突き刺さる。同時に傍にいたロバと少年が真っ先に悲鳴を上げ、その恐怖が人々に伝播してくのに呼応するかのように、オークによる矢の雨粒も次第にその激しさを増していった。
(確かに今ならば狭い入り口に詰まっているフル=オークを、相手に取って時間を稼ぐことが出来る可能性も無いわけではない。それを理解しているからこそ、こちらの状況を把握して即座に矢を射掛けてきたのだ。しかし―――)
ミメイトは兵力を割いて足止めに動員するか考えあぐねていた時、矢の五月雨を浴びせ込んできたオーク部隊の中に、一際大きな武将の存在を確認する。
一騎で一部隊分の戦力は軽く凌ぐ、その忘れ得ぬ強さを持った大将軍を見てしまった彼は、半端に戦力を向けても大して時を稼げず、全滅することは必至であると歯噛みして、遺憾ながら勇気の撤収を決断した。
「慌てるなッ、連中の狙いは我らとは違う。落ち着いて誘導に従えば、そなたらも命を失うことはないぞッ」
本降りになってきた矢の雨から後退しながら、それらが届く限界線を見極めていたミメイトの元に、部下の騎士が武装を外して早馬へと変えられた兵馬を寄越しつつ、手綱を差し出すとこう伝えてくる。
「隊長、民の誘導は我々にお任せを。貴方様は一刻も早くこの状況を、陛下か殿下にお知らせください」
部下たちの意を汲んだミメイトは軽やかに斑毛の馬にまたがると、その場を任せて飛竜の舞うアメンドース城を目指して拍車をかけた。それを遠目から確認したオーク達は、弓の照準をその一騎へと目掛けて次々に射掛けるものの、その軌道がミメイトとその馬をとらえることはついに出来なかった。
三本角の怪物を、再び火の手が上がった人間族の本拠地に差し向ける大オークが、最後の一弓を外して顔をしかめさせながら、隣にいる長巻を携えた大将軍へと話しかけてくる。
「報告されると面倒です、追って射殺しますかい」
「ほっとけ、もう追いつけんわい。どうせさっきの一撃で動きがバレるのは分かっとることだ。連中が戦士以外の者共を保護するのに手間取っている、今のうちに本丸を目指すぞ」
「なるほど……“お嬢”のことはどうなさるおつもりで」
「族長は『騎士を殺せ』と仰せだからな……ヨグ=リノートが使えるのはあと一発だ、冷ましながら歩いて、“二枚目”の直前で詰め直すぞ」
ネルドゲルは副将軍へ曖昧な答えで返事をして、すっかり治った左肩を鳴らして回すと、蟻の行列よろしく古森の奥まで続いている、オーク兵たちを引き連れてアメンドース城さして進軍を開始した。
次回投稿は12/4中を予定しております。




