#5-4 “空は鳴り、地は裂けて”
だがそれは染みというには曙光を照り返して光り輝き、あたかもにじり寄ってくる羽虫のようにも見えた。そのきらめく羽虫が近づくというと、それはやがて蝙蝠ほどの大きさになって、そして蝙蝠もとうとう鴉ほどの大きさとなる。
しかしただ鴉が飛んできたのでは済まされなかった……羽ばたきながら迫りくるものの翼が、“二対”あることが見て取れたからである。四枚羽の鴉が遂には大鷲ほどの大きさになったのを遠目から確認できた時、その翼の持ち主が“金切竜”のものであるとボギーモーンが合図を送るまでもなく、天守からつんざくような角笛の警告音が鳴り響いてきた。
道化の送ったけたたましい合図に応えるように、今度は側防塔の歩哨も非常警戒の喇叭を吹き鳴らし、そして終いには始業にも早すぎる鐘が一斉に門塔から打ち鳴らされては、領内の騎士たちを残らず叩き起こす。
「来たなカトンボ……甲作戦を演習通りにやれ、いきなり手を出すなよ。工廠脇の下中庭に誘導し、罠にかけたのちに一斉攻撃をかけるぞ」
ボギーモーンは心持ちを戦闘態勢に切り替えたルクスに上意下達を促すと、自身は従来案の実行を示す色である緑の手筒花火を取り出し、同じ色をした狼煙を出す発煙弾を空に打ち上げて天守へと合図を送った。
跳出からそれを認めたミディクラインは、実行を承認して自身の近衛長と道化に甲作戦の決行を領内に知らせることを命じ、それを受けた彼らは朝顔の枝分かれした特殊な角笛を取り出して、いよいよ国をあげての竜退治を始める合図の和音を城中に響かせる。その和音に続いて、側防塔の喇叭吹きから門塔の釣り鐘までも同じ音程のものだけを鳴らして倍音を取ったので、領地に余すところ無く決戦の火蓋が切られる音の波が伝わっていった。
その開戦を知らせる重奏を最後に、再び領内は静まり返る。緑の狼煙も今やかき消え、アメンドースにはいつもと同じ朝がやってきたかのようになった。だが無論それは穏やかな一日の始まりではなく、まさしく嵐の前の静けさそのものである。それを象徴するかのように鉄工所から立ち昇る煙が空へと一筋、あたかも城壁内へと繋がる導火線であるかのように伸び上がっていた。
唯一領内で稼働させている鉄工所に隣り合う胸壁付きの工廠へと急ぎ移動して、ついに兜を被って野猪の鎧姿になった王子は、鷹のように得物を狙って空中を旋回する、飛竜の影法師を鋸壁越しに捉える。既に壁垣で息を潜める弩砲兵は、鉄工所前に仕掛けた罠のある中庭へと照準を合わせており、投石機を急改造した車輪付きの打擲鎚を囲う兵たちもまた、その罠の敷設箇所からやや距離を取っていつでも突撃体勢に移れる用意を整えていた。
設置された罠とはかなり大掛かりなもので、比較的広い空間を確保されている下中庭の中央に、アメンドース領内に僅か残された、なけなしの鋳鉄が惜しげもなく山と並べられている。もっともこれは外見上だけのことで、その鋳塊は屑鉄や瓦礫などを隙間なく囲った、いわばゴミ山に鍍金をかけたようなものであったが、その下にある落とし穴の支柱に対する荷重を考えれば、それでもギリギリの重量調整であった。
この従来案を実行する合図を、視覚に訴える狼煙ではなく耳に伝える和音にしたのは、金切竜をこの鉄工所に誘導したいがためであった。フル=オークに対する襲撃や前回被害を被った領内の状況を顧みた時、この竜は鉱業設備などから立ち昇る煙に含まれた金気へと惹かれて、そこへ優先的に襲来してくることが習癖としてほぼ確定しており、いきなりの対空迎撃や意思伝達のために長々と残る狼煙、その他の稼働設備等による排煙などで気を散らせた場合、その各所に対して無意味に被害が拡散することが考えられたからである。実際飛び回る竜はまだ直接降下こそしてこないものの、特に人間に対する警戒心も無く、鉄工所から立ち昇る煙をその中心として、徐々にその高度を落とし始めていた。
そして予測通りに運ぶ状況の中、横倒しにして枝葉を這わせた偽装網をかけられている“切り札”の元へと、ボギーモーンが到着してから一刻も経たない内に、ついに四枚羽の飛竜がその影の大きさを“城壁よりも幅のある”ものにしながら、羽ばたきによる風圧を地表に叩きつけつつその姿を露わにする……。
“金切竜”。
二対の翼を持つ飛竜種で、翼腕ともいうべき四脚の前脚と、親指に極太の鉤爪を持つ後ろ脚を持ち、尾棘を仕込んである細長い尾を伸ばして降りてくるその影法師は、まるで巨大な蜻蛉のそれを思わせるものがあった。
だが無論羽虫のように生易しい生物ではない。その四つの翼を羽ばたかせるたびに剣が擦れるような金属音をかき鳴らし、外殻から指骨に至るまで金属を馴染ませて光を鈍く照らし返す様は、まさに鎧をまとった竜そのものである。
鉄鋼の簒奪や脱皮によってその強靭さはいや増したと見え、ミディクラインは以前姿を現した時よりもこの飛竜が持つ外見の仕上がりに“磨き”がかかったような印象を受けたが、以前よりもみすぼらしくなった部分も同時に確認した。それは真新しかったはずの外殻につけられた、いくつもの爪痕や焦げ跡である。自然治癒力で鱗こそ貼り直してはいるものの、明らかにそれは深手を負わされた痕であり、その様子はヒトを超えた力を持つ竜を、さらに上回る存在を暗に知らしめてくることを、見る者に感じさせるには充分な迫力を持っていた。
ボギーモーンやルクスが実際にこの飛竜を目の前にしたのは初めてだが、こんなものが火を吐き暴れまわったとあっては、かつての領内に起こった惨状も納得であったろう。そして実際これから彼らは、その威力さえも目の当たりにすることになる。低空で鎌首をもたげた金切竜が、その場で停止飛行をかけながら大きく息を吸い込んだからだ。
「やれやれ、もう撃つつもりか。今までで一番採算のとれない戦争だな、これは」
天守の跳出にて公王が愚痴をこぼすのも無理はなかった。その態勢から放たれる火力に領内が蹂躙される様を、否応なしに見せつけられた記憶が未だに新しかったからである。
もうもうと煙を立ち上らせる鉄工所に狙いをつけたその竜が、鋼を鍛える時に振るう鎚の残響音にも似た音声を喉奥から震わせると同時に、瞬膜を下ろして眼光を遮り口元を大きく開くというと、頬にある筋膜の内側で僅か火花を散らすが早いか、こよりを拡げるようにそこから燃え盛る火炎を放射してきた……この炎の帳は徐々に範囲を収束させて一本の光線にも似た火柱となり、鋼を組んで設えたはずの鉄工所の屋根を飴細工のように沸き立たせると、熱線と化したその息吹は天井の表面を溶かし、いとも容易く突き破っては、衝撃の余波をそれらの周囲に撒き散らしてくる。
(こんなものを相手取らねばならんとは……ネルドゲルのほうが余程可愛げがある)
火花や熱風を浴びながら攻勢に移る機会を待つ王子も、人間が創意を凝らして築き上げた鉄の砦が崩れ行く光景を直に見て、背筋には凍りつくようなものを感じざるを得なかった。
屋根に開けた穴から光線を壁に伝えて、それによる高熱で障害物を裁断した金切竜は口を閉じ、侵入の邪魔になったその石積みを砂山を蹴飛ばすように後ろ脚で払いのけると、中にある金物や壊れた高炉の樋から漏れ出した溶鉄を自分の身に浴びながら暴れまわる。赤茶けた煙を立ち込めさせながら辺りに鉱滓を撒き散らし、枯れた花がそのまま崩れ去るように原型を失ってゆく鉄工所を眺めるに任せた騎士たちは、その惨憺たる有り様に改めて戦慄したようだった。
とはいえそこは最初から半ば放棄するつもりで無人にしており、やや大盤振る舞い気味であるとはいえ降着地点がそこになっただけでも上出来だと、ボギーモーンはようやく作戦行動に移ることを決める。溶湯の行水を終えた金切竜が錆びついたような煙の中から出て、これみよがしに置かれている鋳塊の山に気づいたか、やや警戒気味に瓦礫の中から、燃え屑を踏み潰しつつ近寄っていったからであった。
葦原に伝わる竜種の賢さには様々あり、人語を解するものや或いはそれを話すもの、念話を用いるもの又はただ野性に身を任せるものと、知性においては天から地まで濃淡こそあるものの、一様に“鋭い”という特徴においては共通している。アメンドースが国を挙げて退治に取り組むこの飛竜は、野性動物がそのまま巨大化したと表現するところが適当な知能ではあったものの、二度目に飛び込んだその人間の巣は以前と違ってあまりにも静かすぎるものがあり、“彼”の身の内に異様な胸騒ぎを感じさせるには充分な雰囲気を持っていた。
しかし金切竜はこの、地を這う虫けらのような者たちから、鋼鉄の類を簒奪するのに失敗したことはなかったため、小さきものどもがいくら小細工を弄しようとも、力に飽かしてそれごと粉砕する自信を持っていたのである。平たく言えば人間相手に慢心していたのだが、その人間族とて間が抜けているわけではない。
(警戒の中に明らかに余裕があるな、罠があっても踏み抜くつもりなんだろう……やってみろ。お前が思うよりも、深みに嵌るものがそこに待っているぞ)
だがボギーモーンの期待は外れた。飛竜が飛竜なりに堅実な道を踏み外さないことを選んだのは、あるいは自分が縄張り争いに二度も敗退している経験により、用心を怠らない癖を身につけていたからかもしれない。
金切竜はその場で浅く飛び上がると、再び息吹を放つための体勢をとって、積まれた鋳塊を目掛けて炎熱を吐いては溶かしにかかった。すると形ばかりは整えられていたその鋳鉄の塊も、表面だけが溶かされて中の屑が露出しただけにとどまらず、その落とし穴の上辺を繕っていた土草をも崩しきって、基礎部となる細い鉄筋が剥き出されてはそれも溶け落ちた。
財宝が土塊へと変えられたことに驚いた飛竜は、陥穽の中にその基礎部分が屑鉄と共に落下していったところで火柱を止める。危うく落とし穴に嵌るところであったと、浴びたばかりの溶湯を羽ばたきによって、穴の真上から撒き散らしながら見つめていた金切竜であったが、しかしその状況をこそ騎士たちは待っていたのであった。
「いくぞ、かかれッ」
王子の号令で“秘密兵器”の脇にいた、班長を務めるハイユーズから角笛が吹き鳴らされる。
「翼だッ、どれでもいいから翼膜を狙え。あそこだけは強化しようもない場所だッ」
単音で響くその音色は“壁垣からの射撃”の合図であり、それを受けたルクス率いる騎士たちの弩砲によって放たれた、矢羽根付きの長槍が鋸壁の八方から金切竜に降り注いだ。人間族が何らかの手段を仕掛けてくる予感をおぼえていた飛竜は、その場で上空に急速な方向転換をかけて舞い上がろうとしたものの、やはりその数の多さから数本は翼膜に突き刺さり、錐揉みするように降下せざるを得なくなる。しかし流石に逆茂木が剥き出しになっている紡錘状の落とし穴に落下するのは具合が悪いと感じたか、何とか空を蹴るようにして、陥穽の縁にまで辛くも着地した。
しかしそのことも作戦行動の内である。ボギーモーンは今度は自分も角笛を取り出して、班長と共に再び和音で指示を伝える。するとすかさず工廠の出入り口にいた工兵が足場に埋まった小瓶から伸びた導火線に点火し、その火花が内側まで潜るが早いか瓶の中に入っていた火薬が起爆された。その爆発は起きた地点のみに留まらず、地走りのように連鎖しながら落とし穴の方へ向かって炸裂し続け、ついにはその陥穽をもう一回り大きく囲い込むように埋め込まれた、地中の甕型爆弾を一斉に発破させる。
この二音の意味は“もう一度落とし穴を拡げる”という合図であり、初撃が上手くいった場合の駄目押しにもなるものであった。穴の周囲にさらに組み込まれていた基礎部分が爆破で壊されたことで、足場を崩された金切竜は、地滑りにあったかのように大きく空いた陥穽に転がり落ちていく。
(よし、後は流れを保てばいいッ)
高所から飛竜が罠に嵌ったことを確認したルクスは、自らそれを知らせる角笛を階下へ力いっぱい吹き鳴らした。王子は心待ちにしていた音色を聞くと、すぐさまもう一度自分の角笛を高らかに吹き合わせる。ハイユーズもそれに続いたことで、戦場に響くこの和音はついに三つの音色からなった。これは“大詰め”を意味する合図である。
作戦の最終段階に突入するこの号令が鳴り響くが早いか、王子と班長の背後に控えていた“切り札”の偽装網が取り払われて、中から四頭の兵馬に繋がれて横倒しになった、三脚の“杭打機”にも似た大掛かりな装置が姿を現した。
それと同時に公王の近衛たちが主導する四台の打擲鎚が、それぞれ控えていた四隅から進軍太鼓の打音と共に罠の方向にまで前進をかけ、大穴の縁にまでこの車体を到達させるというと、手狭な空間の中ようやく体勢を立て直した金切竜が、丁度翼を広げた時にその縛められていた軛を一斉に解いてゆく。
フル=オークの“竜を殺す手”から着想を借りて急造されたこの打擲鎚は、台尻を付けて頭部を振る角度を限界まで前側に倒せるようにしつつ、その掬いの部分に鉛の杭を埋めた大岩をくくりつけ、その後頭部から炸薬でもって加速をつけた遠心力を利用して、罠にかかった金切竜を直接殴りつける局所兵器であった。
やっとのことで飛び上がろうとしたその巨体を、この兵器が四方から一斉に打ちのめしたのを壁垣の上で確認したルクスが、その旨を知らせる角笛を再び吹き鳴らすというと、それを聞いたボギーモーンは“愛馬”に対して前進の指示を与える。
切り札の杭打機に繋がれた荒駆を含む四頭の兵馬が、その装置の後ろで初速をつけるために押し出しにかかる工兵たちと共に銀輪を回すと、その回転は徐々に加速し、遂には馬たちだけの力で走り出した。
落とし穴の手前に差し掛かったとき再びその動きは停止し、打擲鎚班の騎士たちが馬の引く綱を三脚のうち上の脚に繋がれている長いものに変えてやると、兵馬たちは再び進行方向そのままに放射状に散らばっては、その杭打機を引き起こす体勢に入る。残る二点をその場の騎士たちが工兵と共に押し留め、三脚の交わる装置の頂点に打擲鎚よろしく取り付けられた、装薬済みの加速用推進装置を王子が直接起動させると、殆ど爆発に近い勢いでその頭が持ち上がり、それを馬たちが引っ張り上げ切ると遂に三点全ての脚で、この最終兵器が陥穽を股下にしてそびえ立った。
その姿は、丁度穴の真下へ狙いの定まった“巨大な撃突騎槍”ともいうべき出で立ちであり、無論照準は罠にかけられた哀れな火吹きトカゲの一点を目掛けて定められている。このように狙いをつけやすくするために落とし穴は紡錘状をしていたのであり、さながら金切竜にとっては蟻地獄に囚われたような気分であったかもしれない。
杭打機には王子の愛槍同様、内部に射突用の火薬が装填されており、それに点火するための雷管を打つ発火始動用の紐を、切り札を叩き起こす時からボギーモーンは手放さなかった。彼は引き上げに使った脚の先から、騎士たちによって荒駆を含む兵馬らが切り離されたのを見届けると、トドメの一撃を叩き込むために手にした紐の遊びを張り詰めさせた瞬間、息吹を吐くことで反撃を試みようとする金切竜と目が合う。
「ござんなれッ」
ほとんど反射的に王子が紐を引っ張るというと、その巨大な杭の中ほどから穂先にかけての部分が、内部からの爆裂とともに大きく撃ち出された。
爆発力をもって突き落とされた鉄杭の先端は、今にも火炎を吐き出さんとしている金切竜のねじった咽頭を真横に捉え、着火の火花が放たれようというその一瞬早くに、延髄目掛けて衝撃を突き立てられる。
丁度喉の側面を強烈に打突された飛竜は口から空気の漏れたような音を立てたのち、首周りの外殻をひしゃげさせて、蛇舌を垂らしたまま動かなくなった。
それからは赤子の寝息でも確かめるかのような静寂が続いた中、金切竜の瞳孔を検めた公王の騎士隊がその活動の停止を認めると、ボギーモーンは勝利を知らせる角笛を取り出す。それを見たアメンドース騎士団は引き潮後の津波のような歓喜を確信したが……果たしてそれが吹き鳴らされることはなかった。
勝ち鬨の出鼻をくじくように、彼方から遠雷のような衝撃音が聞こえてきたからである。
第二城壁内の下中庭にいた彼らにはその音の正体が分からなかったが、天守からはその大爆発が、根深の森に最も近い南西の第三城壁を“貫かれて”発生したことが観測されていた。
「……やれやれ、手間取るなこれは」
道化の遠眼鏡でその様子を確認していたミディクラインは、狙いすましたようなこの機会を狙って襲い来る者どもに、らしからぬ感情を持ち出して舌打ちをする。
その目線が捉えていたのは、爆風を放出し終わって黒煙を吹き上げている“巨大な手のひら”と、その周りにたなびいている燃える三日月の旗であった。
「陛下、アレをッ」
台座にその身を乗り出して、眼下の戦場を指差した道化に伝えられるまでもなかったかもしれない……このアメンドース領内一高い場所にさえけたたましく届く、空気を裂くような“金切り声”が突如上がってきたからである。
公王がその視点を再び甲高い咆哮のあった下中庭に移すというと、騎士たちが取り囲む落とし穴の底から、僅かあったのち一筋の獄炎が立ち昇った。それはうねる大蛇のように暴れ回り、罠の中のガラクタ、打擲鎚に杭打機、人間族が誇る創意工夫のことごとくに食らいついては、大空への道を妨げるものの何もかもを炎熱の長虫に平らげさせるというと、その主は陥穽の中で穴の空いた四つの翼を悠々と広げ、大手を振って天高く舞い上がってゆく……。
次回投稿は12/3中を予定しております。




