#1-1 “紫黒の殲弾”
なぜ人間族のボギーモーンとオーク族のニィルボグが、両軍ぐるみで婚姻させられることになったのか。どうしてその政略結婚にかこつけた和睦調印式の当日に、その婚約者たちが槍を交えて争ったのかについては、少しばかり時を遡らなければ説明がつかないだろう。
◇
件の両者が素顔をさらし合う一週間前までは、この世界“葦原”に五つある人間族が名家の一つ“アメンドース家”と、その領地に隣接する根深の森に住まうオーク族“フル=オーク族”は、その一帯に山脈から地下にまで広がる鉱物資源を巡って、長きに渡って争ってきた。特にそれが熾烈をきわめた場所の一つに、アメンドース領内から伸びる資源の搬出経路があり、交易のために質を高めた金物や鋳塊などを狙って襲い来るフル=オーク軍から、輸送隊をその護衛が守るという物資防衛戦が、事例としては茶飯事になっていたのである。
その地点における案件を任されてからというもの、被害をほぼ最小に食い止め、特に物資こそやや失いながらも、人員の損耗を最小に抑えきっていたのが、ボギーモーン率いる護衛騎士の部隊であった。“鋼鉄の名家”とも異名をとるアメンドース領の第二王子であった彼は、陣頭指揮を執らずとも各隊の騎士隊長を形ばかりに総括するだけで良い立場であったにも関わらず、さも先陣の初太刀を振るうことが己の使命であるとばかりに、今日に至っても武装した栗毛の愛馬“荒駆”に跨って、フル=オークたちの槍の林をかき分けていた。
「けぇあッ」
荒駆と一体になって奮い立った彼に加え、三騎の近衛と六騎のその部下からなる計十騎の騎馬兵たちは、輸送路側道に面して起伏した地形を利用して敷かれたはずの、敵兵の槍衾の間をまるで布地に裁ちバサミを入れるかのように突き抜けるが早いか、その後方に陣取った弓隊のオークたちを次々と騎槍で薙ぎ払い、その場の雰囲気そのものをかき乱した。
敵弓兵に動揺が伝播して矢の五月雨が止んだと見るや、輸送用の四輪馬車たちを護衛していた騎士団は、中隊を更に三つの小隊(この世界の一個小隊は三十名からなる)に分けるよう三種の角笛を同時に鳴らした。一つは槍隊を前衛にして後方の弓隊による敵陣への牽制をしつつ護衛の続行、もう一つは脇道にて王子たちによって戦列を乱されたオークたちへの追撃、最後の一つは本来追討用に輸送路奥で待機していたオークの別働突撃班を掃討するための部隊である。
「反転だ、このまま森を抜けて敵別働隊の後背を突くッ」
一区切り場を荒らしきった丁度その時に、味方が吹いた角笛の和音を聞いたボギーモーンは、手綱を引いて荒駆の前脚が上がったのと同時に重心をひねって反対方向に向かせると、九騎の部下と僅か逃げ遅れたオーク、林立するブナの木の間隙を風のように駆け抜け、森に遮られて見えないはずの“的”を正確に射抜くように、天然の隘路を爆進していった。
「殿下、お待ちをッ。お一人では危のうございます」
「くそッ、ついていけんぞ」
「どうせ今回も勝つに決まってるんだから、何もあんなに焦らずとも……」
近衛とその部下たちは口々にこぼしつつも向きを翻し、かろうじて点のように見えるボギーモーンに食らいつくべく、兵馬の腹を足で小突いて奮起を促していく。実際王子は、荒駆に全力疾走させたのではなかった。本気で突っ込みをかければ、近衛たちは完全に置き去りにされ、冷静さを取り戻すオークたちの只中に取り残されただろう。それでも殆ど周囲を無視した独走を仕掛けたのには、失ってはならない機先を制するためという理由があった。
ボギーモーンが予め斥候の情報から逆算して配置させた通りに分かれた三隊は、雲が千切れるようにそれぞれ責務を全うすべく、角笛や太鼓を鳴らして在るべき場所へと吹かれていった。当然全隊の連携がこなれていなければ出来ない芸当で、実際個々の小隊による働きぶりは見事といえたのだが、流れ行く木々の合間から全軍の動きを何とか把握したボギーモーンは、一抹の不安が清水へと墨汁を垂らしたように広がってゆくのを感じた。
(やはりうまく運びすぎる)
彼は猪牙が生えたような兜の隙間から湯気のような吐息を漏らし、全身をかがめて馬が速度を上げやすい姿勢を取る。近衛たちの兵馬が土を踏み鳴らす音が、徐々に背後に迫ったのを聴いたからだった。
「早まりますな、これでは第三小隊と行う挟撃に先んじてしまいますぞ」
「罠にかけられたかもしれん。ルクス、伏兵がいたらすぐに知らせろ」
近衛一馬術に長ける騎士である、近衛長のルクスをまたしても突き放すように、ボギーモーンは跨っている相棒に拍車をかける。
出征前に野伏の斥候部隊から、敵軍の配置が隅々まで正確に伝えられた時点で疑問に思うべきであったと、彼は今更ながらに後悔した。この半月ほどフル=オーク側は兵力の慢性的な配置形態を繰り返しては撤退し、ボギーモーンはその都度敵軍の習癖に対応しやすいよう、自軍の人員配置を洗練させ、より物資防衛戦の効率を上げていった。
『今回もそのいくつかのお定まりな戦法を組み合わせただけの、倦怠が伴う必勝を手にするであろう』という無意識を、我々人間に与える戦術なのではないか……ボギーモーンは訝しんだのはその点である。これまでも斥候をつとめる野伏から、敵兵のまばらな位置を事前に報告されることは常であったが、その全容まで把握出来たという事例は今回が初めてだったのだ。物と人、両資源の損耗を最小とする配置に自然と組み上がった今回の布陣が、果たしてオーク側の策謀によって仕向けたものだったとしたとき、なめらかに繋いだはずの連携がそのまま相手に有利な状態になると厄介だと、彼は戦場の雰囲気を見て遅まきながら感じ取ったのである。
状況が確定しているでもない中、経験からくる胸騒ぎに対してボギーモーンが持てる最大の根拠は、フル=オークの大将格が見当たらないところにあった。現場を監督する者もなく統率のとれた陣形を実行するには、指導者級の存在が打ち立てた作戦を、実行する兵たちが事前に把握して訓練する必要がある。しかも今回ときてはオークの兵長級程度の装備を、自身が一番槍をつとめた際にまばらに確認したのみであり、陣形の中に首級と呼ぶに足る存在が見当たらない時になって、ようやく彼は“見えざる敵将”の狙いを垣間見たのだった。
すでに場の流れが動いてしまった以上ボギーモーンに残された活路は、速攻をかけた勢いのままに、野伏による把握の及ばない範囲を強行偵察することである。伏兵がいればそれに対する機先を自らの部隊で制し、いなければ予定通り敵別働隊の後背を突けば良かったのだが、果たして彼らが遂行すべきは、ボギーモーンの予感の通り前者のそれとなった。
「どうしてこう、嫌な予感というものは外れないんだ」
荒駆に高台を走り抜けさせ、共に森の帳を抜けたボギーモーンは、その奥へと開けた台地にいくつも置かれている、磔台を寝かせたようなものを見る。その装置一つに対して周囲には均等に、五人組でオークの工兵と見られる人員が配置されており、取り付けられた歯車を固定する者や、荒縄で留められた“掬い”の部分に城塞の礎石にも使えそうな程の岩々を運び込む者などなどが、各所の後方に鎮座する鎧武者姿のいかめしいオークによって采配が振るわれるのを、今や遅しと待ち望んでいるようであった。
(“投石機”だとッ、野戦で使うとは型破りな)
ようやく姿を拝むことの出来た敵将の奇策に我が眼を疑うのも束の間、櫓にいる物見のオークに接近を気づかれたボギーモーンは、すぐにも放たれるであろう矢によって突入の勢いをくじかれる前に、角笛を吹いて自身の位置を近衛たちに知らせ、兵力の手薄な側面の装置の方向に回り込んだ。
実際オークたちによるその陣取りは絶妙といえるであろう。低地からは木々に阻まれてこの一帯は森の一部にしか見えず、人間側が作成した地図上では、実際まだ林地と認識されていた場所だったのだから。オークが一つ覚えのように撤退戦を繰り返していた最中に、この要所を切り拓いている時間を確保していたのは確実といえたが、その他にも回しているであろう工作の内容に、思いを巡らせる余裕は今のボギーモーンにはなかった。
設置された投石機の方向から彼が察するに、オークの別働隊に攻勢をかける騎士小隊の通過点までに射角が定められており、合図が正しければ突撃している部下たちに、突如として巨石の雨が降りかかることは明白である。その地点に自軍の第三小隊が差し掛かる前に僅差で、隠された敵軍の砲兵陣地に躍り出た王子に選べる選択肢は二つあった。一つはすぐにも追いつくであろう近衛たちと共に孤軍奮闘して、低地を駆けゆく騎士たちの、未だ知らぬであろう憂いを未知のままにしてその勢いを殺さないこと。そしてもう一つは、この早すぎる機会を狙って、彼自身が一部の投石機の軛を解いて部下たちの進行方向に岩を落とし、彼らに伏兵の存在を知らせることであった。
「よし荒駆ッ、このまま吹き飛ばせ」
ボギーモーンは一番隅にある装置に間合いまで接近したとき、どうするかを決断した。速度を緩めずに敵工兵まで突っ込んだ荒駆は、そのまま鋼を履いた蹄でオークたちを踏みつけ蹴散らしてゆく。相棒に露払いを任せていた彼はといえば、騎槍の切っ先で投石機にある掬いの縛めを断ち切り、自由を得た勢いのまま宙へ飛び出してゆく岩々を見送ることもなく、次なる獲物を見据えて突撃の体勢を整えていた。臣下に対する罠の警告はこの一発で充分であろうと、ルクスたちが森を抜け再び追いついてきたのを視認した彼は、今いる位置に隣接する装置へと群がるオークたちに戦意を集中させる。あとはこの場の豚鬼どもを殲滅すれば、ズレ込んだ状況を修正できる……はずであった。
「おられたぞッ。私の隊は殿下と合流、残りの部隊は敵左翼の端から潰していけ」
「はッ。行くぞ、奴らに血の雨を―――」
件の隠された拠点へおっとり刀で間に合ったルクス率いる近衛たちが、単騎駆けを行っていた王子の真意を理解し、彼に続いて共に敵伏兵を制圧すべく合流をはかったときにそれは起こった。オークの大太鼓の合図と共に横陣に設置されていた投石機の首が次々と跳ね上がり、それらに載せられていた岩石が、吹き上がるように彼方へと飛んでいったのだ。ボギーモーンは狙いをつけていた工兵が、自身に対する意識よりも割り振られた役割の遂行を優先したことを認識するが早いか、それを実行させたであろう後面にいる敵将を振り返って確認しようとする。
しかしその位置には既にかの姿はなく、それまで腰掛けていた将軍椅子が残されていただけだった。
「はしっこいヤツだ……チィッ」
次の瞬間に彼は咄嗟に手綱を引いて体重をかけ、体勢を反らせて飛んできた矢を肩の装甲で弾き返した。櫓や木々の間から、弓を満月のごとくに引き絞ったオークたちを見ての動きだったが、敵弓兵が次なる照準を合流手前の近衛たちに定めはじめたのを視認して、たった今受けた牽制の意図をその時に理解した。
(ヤツめ……もはや逃げてくれたほうが都合がいいんだがな)
迫り来るであろう敵将に対し周囲に気を配る王子の右側面に突如として、大きな影が長巻を振りかぶりつつ伸び上がった。
牽制の矢に対し反射的に方向転換したのが、ほとんど偶然とはいえ功を奏したといえよう。ボギーモーンは両の目をぎらつかせる巨大な影が、袈裟斬りに振り下ろしてくる太刀筋を人馬から逸らすべく、騎槍に付いた笠鍔でそれを受け、穂先まで伝えて流す構えをとった。
「ぜりゃぁあッ」
ボギーモーンよりも輪をかけて野太くしゃがれた雄叫びをあげたその影は、敵将たる大オークの姿を露わにし、王子が腕を掲げて穂先を下に向けた騎槍に対して一閃、斬馬の一撃を叩き込んだ。それはもはや斬撃というよりは重さで叩き折るといった方が正確な威力であり、実際槍の鍔はその内側で柄を握りしめていたボギーモーンの、手甲の形を雄型にするようにひしゃげて吹き飛ばされた。
(これが直撃だったら……)
彼が吹き出した脂汗を冷やす間もなく、鎧武者のオークは下ろしきった刃を上向きにして、予備動作もなくそれを斬り上げる。
「“虎切”かッ」
昇ってくる長巻の軌道が、完全に荒駆の後ろ脚を捉えていたことを肌で感じ取ったボギーモーンは、今度は騎槍の穂先でもって斬撃を受け流すために、より梃子の負荷が強くかかる力点を補うべく、手綱を離して両の手で得物の握り柄を抑え込んだ。
「悪かない、だァがッ」
大武者のオークはそう言い放ちつつ、槍先に長巻の切っ先をブチ当てると同時にそのまま突進をかけ、人馬一体となっていた王子と荒駆に衝突していく。ボギーモーンが愛馬に跨ってようやく目線の高さが合うほどの巨体から繰り出されるその体当たりには、手綱という繋がりを失った彼らをバラバラに吹き飛ばすには充分な威力を持っていた。かてて加えて、宙に浮き上がってしまった彼に振り上げられた長巻の一撃が追いつくというと、その軌道はなめらかに王子の鉄兜を捉えていく。
ボギーモーンが兜から生えた牙に斬撃を沿わさなければ、あるいは彼の眉間から上は斬り飛ばされていたかもしれない。結局大将のオークが放った一撃は、兜の牙を引掛にして持ち主から取り外したのみにとどまり、衝撃を受けた方向に吹き飛ばされた彼らは、あるいはもんどり打っては膝をつき、あるいは転がされては槍を杖にして立ち上がった。
その人間の男はとても醜かった。
なんといってもその幅広く上向いた豚鼻と小さく潰れた耳、厚ぼったすぎる唇にアンコ型の頑健な体格などは、あるいは人間たちの目からすれば、肌の色が同じであること以外は、“豚鬼”とも呼ばれるオーク族を彷彿とさせるに充分な容姿と言えたのだった。
「ほーぉ、よく捌いたな。岩のことといい見事なもんだわい」
露わにされた顔を振って身一つの臨戦態勢を整えたボギーモーンは、その言葉をかけてきた相手の姿を捉え直して驚愕する。
「ネルドゲル、なのか……ッ」
他のオークたちよりも二周りは大きい体躯、幅広く上向いた豚鼻に残された一筋の刀痕、毒で染め上げたような紫黒の甲冑と二本角の兜、上部へと欠けた三日月が燃え上がったような紋章を刀身に刻み込んだ長巻。王子は初めて目の当たりにしたが、紛れもなくそれはフル=オーク族を束ねる首領、幻の大将軍とも呼ばれる“ネルドゲル”の特徴に間違いなかった。
これまでもその姿は戦場に現れること自体稀であり、かつてボギーモーンの元服前に、大軍を率いてアメンドースの領地へ一大攻勢を仕掛けてきたときですら、刺股のような鶴翼の最後方に陣取っていたので確認は困難であった。彼を直接目の当たりにして生き残った者は唯一、オークの虜囚となった挙げ句拷問を受け、全身の皮を引き剥がされながらも、人間族に恐怖を与えるべく伊達にして帰されたただ一人の騎士のみである。ネルドゲルの特徴を伝えて事切れたルクスの父親の最期を思い出し、王子はかつて自分がとらわれた恐怖の想念を無意識に思い出すも、直ちに内部へ渦巻いたその負の活力を全て負けん気に転換するため、大喝を以て近衛長に命令を飛ばした。
「ルクスッ。直属の二騎と共にここを下り、進路を塞がれているであろう第三小隊に、掃討戦を中止して領内まで輸送班と撤退し、その殿を務めるよう伝えよッッ」
「……殿下ッ」
矢の雨を抜けながら、機能を果たし終えた投石機から、散るように逃げるオークたちに抜け目なく追い打ちをかけていたルクスは、自らの仕える王子が対峙しているものが“何なのか”をよく分かっていた。仇敵を前にルクスは僅か逡巡するが、とどめを刺したオークの工兵から騎槍の穂先を抜き取るとき、この憎むべき敵ですら死を前につとめを果たしていたことに気づき、奥歯を締めてその命に従う。
「ミメイト、ハイユーズ。身命をなげうってでも殿下をお助けしろ。これ以上敵勢が増すようなことがあれば引きずってでも構わん、あの方をお連れして帰還するのだッ」
それぞれ名を呼ばれた残る二騎の近衛は、口々にこう反論した。
「戻ることは無意味です、既にこの陣地の機能は停止しています」
「あれが本当にネルドゲルなら、この場が手薄なうちに討ち取るべきではッ」
近衛長が持つ因縁の事情を知らぬではなかった二人はこう言ったが、あるいはこの敵陣に第三小隊を呼び込み、全騎でもって制圧すべきであろうとも考えていた。事実この拠点は役割を果たし終えて機能を持たず、手早く殆どの敵工兵を始末した今、オークの総大将の首を獲って、長きにわたる戦に一つの終止符を打つ好機でもあると判断していたからである。だが、この場の誰よりも一気呵成の決着を望んでいたであろうルクスが、結局二騎の近衛長付の部下たちを連れ立ったのを見て、彼からの言葉に従わざるを得なくなった。
「“我らが陛下”からのお言葉を、忘れてはならぬ。想像で判断しないことだぞッ」
近衛長がそう言い終わらぬうちに駆けていった三騎の蹄の音を背に、ボギーモーンはネルドゲルから目線を外すことなく、懐から硝薬を軟鋼で包んだ赤子のこぶし大ほどの莢を取り出すや、握っている柄を逆ネジに回して、握りの先に口を開けた笠鍔内の薬室に装填して締め直した。敵の増援がいつ来るかとも分からないうちに進路が塞がれた今、彼もこの場から撤退をすることが適切であろうとは考えていたが、オーク兵の数は残り少なといえども首領ネルドゲルにはスキの欠片も見当たらず、一合も武器を交えぬうちに背を向ければ死は免れぬと判断したのである。
ネルドゲルはボギーモーンの“おののき”が、畏怖から武者震いへと移り変わっていく様を見て、一人の戦士としての充足を覚えた気がした。王子が何かしらを自分の得物に細工する間、特段何の身構えも取っていなかったこの大オークは、対峙する者の切り札に対して自身の間合いをさとらせないよう、脇構えの姿勢に移し替えていく。
「なるほど色男じゃわい。“自分”を突き放して、場に呑まれんのも気に入った」
「……顔のことは言うなッ。岩を放らせるのはどの瞬間でもよかったんだろう、本当の狙いは何だ」
ボギーモーンはネルドゲルの真意など重要に思ってはいなかったが、一騎打ちの主導権を握るために探りを入れた。投石は第三小隊が通行する前ならば進路妨害に、通行中なら不意打ちに、通行後ならば退路が断たれることになる。王子は投石機群を見た瞬間その意図に気づき、すぐさま下方に駆けてくるであろう臣下たちに警告の一石を敢えて投じて、注意喚起を促そうとした。しかしネルドゲルはそれを見るとすぐに残りの岩々を放たせ、不意打ちの次善の策である進路妨害に切り替えるや、そのまま強行偵察に来たボギーモーンたちを自身の手で殲滅すべしと、即断して斬りかかっていったのである。
(こちらの戦力を瞬時に判断し、“絶対に勝てる”という確信を持ったからこそ単独で突っ込んできたのだ。七騎でも十騎でも結果が同じなら、一騎打ちに持ち込んで全てを賭けるより他にない)
起き上がった荒駆の蹄が、つかず離れずの距離で土を鳴らしているのを聴き取りつつ、ボギーモーンは槍の照準をネルドゲルの重心に合わせていく。あるいはその巨体に任せた大上段に構えてくれたほうが、王子も間合いを詰めやすかったかもしれない。しかし彼から見ればそびえ立つ壁のような大オークが、刃圏を曖昧にした構えを見せたことでその軌道を限定することが出来ず、複数考えられる太刀筋に対応できるように、真正面に得物を構えるしか選択肢が無かったのだった。
その様子を見て今や誰もが、あるいは兵馬たちですら戦力差を理解した……このオークの首領はたった一騎で当千に値する実力があるのだと。
ミメイトたちは攻勢に対する見解を改めると、王子の一撃の後いかにしてこの場を離脱するか、その体勢に切り替えつつあった。オークの射手たちもいつしか矢をつがえることを止め、彼我の大将戦に水をささないように努めていた。そして息をするにも音を立てるのを憚るような、張り詰めた緊張感がこの場にいる全ての戦士たちを取り巻いて支配していく。
「狙いか。狙いは……“わぬし”よ」
戦場の誰しもが二将の動向に注目することで音が鳴り止み、そして訪れた完全な静寂を打ち破ったのは、ネルドゲルによるこの一言であった。
(なんだと)
何を言っているのか理解できないといったボギーモーンの僅かな揺らぎを、ネルドゲルが抜け目なくとらえるというと、脇構えの姿勢はそのままに予備動作もなく騎槍目掛けて突進をかける。見守っていた近衛たちは王子が一手遅れたと思ったが、これはまだ彼自身の戦法の内だった。間合いが曖昧である以上ボギーモーンは後の先を制するほかなく、言葉による探りを入れたのも挑発の糸口を掴むためにほかならない。
しかし得物を真後ろに下げたままの接近は想定していなかったため、この奇襲に対し先に攻撃を仕掛けざるを得なくなったばかりか、そうする機会すらネルドゲルがいきなり繰り出してきた縮地によって潰されてしまったのである。
(庇い手で来るなこれは)
ボギーモーンの直感通り、ネルドゲルは両手で持っていた長巻の柄から左手を離すが早いか、距離が詰まったところで騎槍の穂先をその手で握りしめ、そのまま脇に押しのけるというと自身の得物をまっすぐ上に振りかぶった。
「この程度では、“あいつ”をくれてはやれんなァッ」
オークの首領が意味ありげな言葉とともに、幹竹に一閃王子の頭を叩き割るかと思いきや、槍を掴まれた猪武者は穂先を掴まれた支点をそのままに、握りを霞の構えに持ち替えて大地を踏みしめこう叫んだ。
「ござんなれッ」
ボギーモーンが笠鍔の内側にある引き金を人差し指で引くというと、騎槍の中ほどから穂先にかけての部分が、突如内部からの爆裂とともに短く撃ち出された。
「ごぁあッッ」
ネルドゲルは握っていた相手の騎槍が突如伸びたことで、軸足をずらされ長巻を振るいきれずに、うめきながら後方へよろめく。たまらず彼が左手から離してしまった穂先は排熱口を僅か開いただけで未だ本体と繋がっており、ボギーモーンは自由を許されたその矛先を、ここぞとばかりに腰を深く落として相手の喉元に叩き込む姿勢を取った。
「けぇあッ」
「しょうことも―――」
大オークはボギーモーンの威喝をはねつけるように、行き場を失い振り上げたままの右手で長巻を逆手に持ち替えるや、渾身を込めた槍の一突きに合わせて振り下ろした。
「―――ないわッッ」
果たして急所への刺突に対する迎撃は間に合ったものの、いかに巨体から繰り出す怪力とはいえ、体幹も定まらぬ右腕だけの力では刀剣の真価は発揮できない。長巻に弾かれて軌道を逸らされた騎槍の穂先はそのままネルドゲルの左肩口へと向かい、甲冑の隙間を縫っては突き刺さった。
(クソ、浅い)
しかし決定打には程遠い一撃であったと手応えから悟ったボギーモーンは、すぐさま煙立つ愛槍を敵将から抜き去るというと、次なる迎撃の構えに移行しながら、左指を唇にあてがって口笛を鳴らした。それは荒駆に跨るための合図であったが、そのことを分かっているはずのネルドゲルは何故か追撃の姿勢を見せない。それどころか未だ掌に受けた衝撃から痺れが取れず、肩口から鮮血のしたたっている左腕を見つめて無防備にも笑っていた。
「ングフフフ、入れおった。ええぞ、今の一発にも“からくり仕掛け”があったらと思うとぞっとするわい。中々どうして、これならば……」
「……どういう意味だ」
口ではそう言ったボギーモーンだったが、そばへと来た荒駆の鐙に足をかけた時点で詮索を諦めた。千載一遇の機会を待ちわびていたハイユーズたちが、各々の愛馬を勢いづかせて王子に合流し、一気に撤退を始めんとしたからである。
そしてボギーモーンの懸念通りに、未だ拓かれていない森の奥からは、続々と複数の大将格のオークとともに増援部隊が湧き出てきた。矢筒に手を伸ばし始めた敵勢を見た騎士たちは、ネルドゲルと弓兵の射線が重なっている内に撤退すべきであるということを、言葉も交わさず理解し合ってその通りに実行する。矢のにわか雨を背に、遠く森の陰へと溶けゆく人間たちを眺めるネルドゲルに、少将を示す一本角の肩当てをしたオークが追いつくなり具申した。
「どうですかねぇ、このまま追って取り囲みゃ肩の不名誉も雪げますがね」
「構やせん、むしろここまでやるとは思わなんだ。ミディクラインの提案に応じてやるとしようわい」
甲冑の肩部を外すなり、度の強い酒で傷口の消毒を始めたネルドゲルのこの発言に、周囲のオークたちはどよめきを隠せなかった。
「では“お嬢”をついに……」
「ひでェ話だぜ、人間なんてクソ袋のトコなんかによ」
「しかもアイツとなんだろ、大将軍様に一発入れた今の……」
「でもよ、お嬢にしたって郷にいてもアレじゃなァ」
「なぁなぁ、今のヤツ結構見れる顔してたぜ。見たかよオイ」
次々に勝手を言い始めるオークたちの発言を打ち切ったのは、今日一番大きく打ち鳴らされたネルドゲルによる大銅鑼である。鋭く二回打たれたその音を聞いたオークたちは、つい思い思いの行動を取ってしまう習癖を改め、一同揃って撤収の準備に取り掛かった。
このエピソードが事実上の第一話となります。
そこそこの分量がありますので、完結までは毎日エピソードを投稿し続けてゆくつもりです。
次回は11/14中の更新を予定しております。
よろしくお願いします。