#3-2 “騎士団領の窓辺から”
「ここに私は、アメンドース公への忠誠を誓います。これより後いかなる平和、戦争のとき、安泰のとき危難のとき……この命の灯るときも尽きるときにも、主君の解き放ちたもうまで、お仕えいたします―――」
玉座の間にて新たに位を叙勲される従者の少年が立てている、騎士の宣誓を回廊から眺めていたニィルボグは、この方が余程自身の結婚式よりも儀礼に則っているという印象を受けて、誰へともなくせせら笑った。
「何か愉快なことでもありまして、王子妃様」
およそ面白くなかったニィルボグの元に、初めて人間族の同性が声を直接かけてくる。その出で立ちは束ねられた月虹のような硬質な色合いのドレスを着込み、それが逆に本人の浅葱色の瞳と赤銅色に波打った長髪を、より活発な印象に引き立てていた。その貴婦人は恭しくも王子妃に一礼するというと、好奇でも怖いもの見たさでもない、純粋な興味だけの目でニィルボグを見つめてくる。
「ええと……あなたは戦える感じに見えないな。今ここに用があるのは、戦いに興味を持つ者だけだと思うけれど」
「それは気が合いますことね。あれは叙勲式です、騎士の資格を、我らが陛下から授かるための。わが国では外敵と戦う資格を持つ者は、ああして公族のお方に剣の腹で肩を叩かれ、紋章入りの武装を拝領した者だけでしてよ……あら、これはご承知のことでしたわね」
このどこか距離感というものを考えない、さりとて善意も悪意も持ち込まない、いきなり十年来の付き合いかのように話しかけてくる人間族の女に、さしものこのオーク族の女はいくらか神妙になり、しかしそのせいで口調も砕けた。
「何なのよあんた。知ったように言うけれど、あたしはこうして喋るのも初めてなのよ」
「あらあら、これは大変申し遅れました。私は名を“エイミリン・オン・エインビィ”と申します。先日は夫のルクスが、立場も弁えずに無礼な振る舞いをしたとかで、どうかお許しいただきたく……」
「夫ォ」
およそ人間の作法に興味のなかったニィルボグでも、この改めて挨拶の礼をし直す婦人の居ずまいには驚かされた。あの近衛長には迎えたる細君がいること、そして人間族の男女間の格好の違いにようやくオークである自分が気づいたこと。遅すぎる符合に上げた大声は叙勲式を見守る貴人達からの反感を込めた目線を買い、或いは咳払いを受けるというと回廊の隅に二人して引っ込んだ彼女らは、式の行く末も忘れて話の続きを紡いだ。
「声をお低めください。爵位や称号を授かる従者たちの中には、貴族出身の者もそれなりに含まれているものなのです。今あそこにいた弟もそうなのですが、親が騎士となるとその子もまたやはり……そういった立場の人々の、ここは晴れ舞台なのですわ。その厳かさを、あまりかき乱されるというと良くないかと」
「……そういうところは故郷と一つも違わないのね」
人間にしてもオークにしても、およそそれが男の身体に生まれたのであれば、戦士の子は戦士になれるのだと知って、ニィルボグは己の身体を改めて恨めしく思った。
オーク族出身である彼女からの視点ですら、同族の姿形はさして差異の見受けられるものではない。遠目から見れば大小の違いを除いてその影法師はほぼ同一のものであり、近寄ってようやくその種族なりの美醜を見分けられるほど、全体の表面上における印象が均一だったのである。男女の違いにせよ局部を隠す場所が異なる服装をまとっている程度の相違点であり、どちらかといえばその声質や体臭、あるいは頭髪や装飾品の類に入れ墨といった程度の“第一印象を超えた一線”で互いの識別を行うことが常であった。ある意味ではこれほど性別間の垣根が均等な高さを保たれている種族も稀であったろうが、それは外見だけの話であって、内面は人間族と実を共にする価値観が案外多いのである。
今更そのことを、人間に嫁いだこのオークの王子妃は悟ったのだった。オーク族の価値観を基盤として育った彼女にとっては、人間族の男女間における外見の差異は同族のそれに比べて甚だしいものがあり、その服装などの影法師にも全く異なる輪郭線が見て取れたため、あたかも別の生き物が同居しているとしか思えない印象を受けてきたのである。だがこの人間という種族は、性別間の役割により特化させた風貌をそれぞれ選択しあっていたに過ぎず、結局個々人の本性はさておき、生まれ持った身体通りに生きることへと準ずる点では、オーク族のそれと同じものであった。
あるいは異種族の中でなら、武の衝動を役立てられると一抹の期待をどこかに抱えていたニィルボグも、同性の人間族を初めて間近に見ることで、ようやくそれが泡沫に消えた実感を、彼女は今ここで感得してはうなだれた。
「私は戦いへの興味というよりは、“戦う者”にこそ自分自身を惹きつけられるのですわ。宮廷内における貴女様へのお噂はどうも、憶測や願望の類が鰭をつけて泳ぎ回っているように思えまして……私は確かめたかったのです、どうして王子妃となったお人が、槍持て竜へと挑もうとするのか」
同性同士の会話など、ニィルボグは眠らずの砦においても殆ど交わした経験が無い。大概性別如何を問わずにその外見をからかったり、あるいは蔑んできたりする者を武の天稟で返り討ちにしては、恐れられて距離を取られることが彼女にとっての交流だったのである。いつの間にか武器を携えることが当たり前になったのは、こうした自然な会話が出来なかったまま生きてきたからではないかと、頭をよぎったニィルボグは少し恥ずかしさをおぼえた。
「あたしは……なんというか、どう思われても構わないけれど、そうしたいだけよ。そうしていると納得ができる感じがあるの」
貴婦人用の新しい藤色ドレスに、未だ故郷の長槍を携えている異様な出で立ちをした彼女は、手慰みにその柄を弄りながらつい素直な気持ちを晒してしまった。
「すなわち本性とか魂とか、そういったことに拠るからこそですのね。私はてっきり、女性戦士としての先端を切り開きたいからとか、聖霊からの啓示を授かって使命を得たとか、そういう理念に目覚めたお人なのではないかしらと、そう心得違いをしておりましたのよ」
「……仮にそうだったら、どうしたというのよ」
「もちろん応援いたしますわ。私はそうした、性別などに囚われず時代を切り開く同性の方の後ろ盾になることが夢ですの。私自身は武器を手に戦えませんし、人前であれこれと述べ立てる政治にも向いておりません。それでもそのようなお方に助成すれば、まるで私まで一緒に戦ったような気分に、きっとなれるに違いないでしょうから」
あまりにも明け透けなこのエイミリンの発言に、ニィルボグは随分身勝手なことを言うと呆れてしまったが、同時に吹き出すような笑いが内にこみ上げられたのも確かであった。このルクス子爵の夫人にしたところで、自分の本性を理解した上で折り合いをつけて生きてきたのだ。ただこの貴婦人は己の気質に仮面を被せる生き方を選んだに過ぎず、それ故に社会に座る席を認められていることを察した王子妃は、着けるべき“社会的な仮面”を見出だせない自身の不器用さを、ここで生まれて初めて呪い始める。
「その一方で私思うのです。この金切竜に対する非常事態に、宮廷もその殆どの扉を閉じられ、翻って騎士の数はこうして増やそうとしていらっしゃるにも関わらず、並の戦士の力を大幅に上回る王子妃様のようなお方に、どうして紋章入りの武装をお授けにならないのかと。今は一人でも“戦う者”が欲しいはずなのに不思議ですわ」
「あんた……いや、あなたの夫にこう言われたわ。『アメンドース騎士団は、個我を持たない一枚岩である』と。あたしは、その……あの中ではあまりにも“浮きすぎる”んだと、その時教わった気がするのよ」
騎士となる従者の代表をつとめる弟が、公王の指輪に忠誠の口づけをしたのをニィルボグと共に見届けたエイミリンは、その言葉を聞いて口をへの字に曲げて王子妃に向き直った。
「何だか納得いたしかねますわ。本当に“個我を持たない”というのなら、我儘を言わず強者を受け入れるべきではないかしら……これはいよいよ明日、“アレ”を開くべき時ではないかと存じ上げます」
「何なの、その“アレ”って……」
腰に手を当て、居丈高に鼻を鳴らしたエインビィ子爵夫人は、勿体つけたようにその質問へと答えた。
「決まっていますわ……“お茶会”ですっ。王子妃様、紅茶はお好きでしょうか」
その味を思い出して渋面になったニィルボグは、『あの犬の小便を』という言葉を、なけなしの理性でようやく飲み込んだ。
次回投稿は11/23中を予定しております。




