#3-1 “Sanctuary”
ニィルボグの輿入れから五日が過ぎようとしていた。
和睦の調印式は滞りなく行われたが、壇上に上がれたのはかつてネルドゲルが秘密に持ちかけた会談の参加者のみであり、会場へと足を運べるのも、人間側は婚姻するボギーモーン王子やその兄インミーク、そして各々の近衛長といったごく少数の者に限定され、オーク側では巫蠱の女官が僅か一名、その様子を伺うのみに留められた。
続いて開かれた結婚式にせよ、宗教観やこの世界を生きる解釈、戒律の違う者同士の異類婚であったため、その内容は互いの持つ世界観の、禁忌を踏み越えない範囲を配慮して事務的な運びとならざるを得なかった。
具体的にいえば、アメンドース側は竜退治や異世界探求などの“英雄伝説”や、騎士道の精神的な根幹を示す“騎士物語”などを重んじ、フル=オーク側は“生獣火死”などの原始的な宗教観を統合させた“汎霊信仰”や、それらを根底に据えた民話伝承の中に示唆に富む教理が忍ばせてあるような文化を持っている。そのため両陣営の落とし所としては、結婚の証となる指輪に、フル=オーク族内で番いとなった者同士が彫る入れ墨の意匠が施され、それを人間の彫金師が拵えたものを、礼装したボギーモーンとニィルボグがその左薬指にはめ合う儀式を執り行うことで折り合いがついた。
ちなみにこの“結婚指輪”という習わしは騎士物語の一節を基盤にしたものであり、そういった思想をフル=オーク族……もといエンゾルカとネルドゲルが応諾したのは結局、ニィルボグが成婚した後住まう処が、人間族の領内であるからに他ならない。お互いの種族どちらの信仰対象にも愛や誓約を示されることが無かったこの結婚式は、“新しい人生の始まり”というよりは“単なる人事異動”といった印象を、結局見る者全てに与えて締めくくられた。
「王子妃様ッ、女人の立ち入られる処ではございませぬ。お引取りねがいますよう……」
「あたしに敵わないものが、どうして竜に挑めるというの。それに、あたしをその戦いに参加させないとはどういうつもりよ」
「このアメンドースで外敵と戦う許可を得られる者は、騎士の称号を与えられた男だけなのです。貴女のような御婦人や、牙持たぬ民草を守るための盾という存在として―――」
「私にも牙くらいはあるけど」
ニィルボグは冗談ではなく己の身体的特徴をありのままに伝えたのだが、それを聞いたミメイトとハイユーズは必要以上に真に受けてしまった。アメンドース騎士団の訓練場にて立ち切り試合に励む騎士からそれに次ぐ従者まで、そのことごとくが生成りと瑠璃色を織り交ぜたドレス姿に返り討ちに遭う様は、各近衛たちにとっては認め難い光景であったろう。
正式にボギーモーンの妻となったニィルボグは、名ばかりともいうべき結婚式を終えた後は無論甘い新婚生活ともいかず、肝心の夫は竜対策に明け暮れては城内を八方奔走し、夫婦としては元より、まず“ヒトとしての会話”も満足に交わされることはなかった。
持て余した彼女に出来ることといえば件の伝書鴉と交信して、ミディクラインないしは道化の面前でシャイシルトに文書を送り返すことくらいのものであり、そもそもニィルボグにこそなついていたこの渡鴉が、眠らずの砦に今更羽ばたいていく理由もないため、フル=オークとの通信は互いの使者を交わすことで行われることになる。そこで彼女には根深の森からの使節との中継ぎ役を任せてみてはという案が議題に挙がったものの、結局アメンドース公によって使者に任命されたのは野伏から選ばれた人材であった。ニィルボグにその任を与えなければ同盟相手であるフル=オーク族に対する不信を買う可能性があると指摘したのはボギーモーンであったが、後になって正式にネルドゲルが使者を通じて、“この伝令役にあたる者の位階をできるだけ平衡化したい”という通達がもたらされたことで、彼女への職分も結局お流れになってしまう。
この処置は当然同盟の力関係に余計な猜疑を持ち込ませないためのものであったが、ニィルボグ個人の観点から見れば、たとえ事実それが白い目で見られるものであったとしても、その視線を向けては来ていた身内からの縁が断たれたように感じて、心細さを募らせるには充分な遇され方であった。
本格的に公私共々立場が手に余ったこの新たな王子妃は、故郷や新居にどういうわけか未だ襲っては来ない金切竜に備えるべく、一人お仕着せられたドレスでもって長槍を演武していた。しかしたまたまその姿を見てしまった騎士見習いを終えたばかりの従者が、陰で嘲笑っていたのをとんがり耳で鋭く捉えた彼女は、その少年を捕まえるが早いかこの国の“戦士の作法”を矢継ぎ早に訊き出す。だがそれは二日後に行われる叙勲式にて、主君から武具を拝領した騎士たる男にのみ教えられるものであり、自分には戦う許可すら与えられないことを知るというと、殆ど道場破りのように騎士の駐屯する第一城壁内の訓練場に踏み入ったのである。
「貴女は確かにお強い……それはこの間の、殿下との一騎打ちによって十二分に存じているつもりです。しかし我々は、個々人が身勝手に振る舞うことで、結果的に秩序立つような集団ではありません―――」
残る近衛たちを相手に待つ彼女の死角に、平時にも関わらず武具をまとったルクスが近づいてきた。その足取りがあまりにも気配を殺していたので、ニィルボグはこの男の実力と、それを持つ者から向けられてくる不信感とを認めざるを得なかった。
「―――“アメンドース騎士団”という、大きな一枚岩の中にそれぞれの役割が割り振られている、個我を持たない存在なのです。王子妃様は“我ら”という一体の巨人の、丁度指先を痛めつけたようなものですが、その実力をお疑いならばもう少し、大きな一部分をもってお相手いたしましょう」
そう言って身構えたのは彼だけではない。ミメイトやハイユーズ、すなわちボギーモーン専属の騎士を取りまとめる代表者たちが、近衛長に続いて訓練用の剣を閃かせた。訓練場には公王直属の者や王太子の近衛の姿もあり、彼らに次いで立ち合おうとする動きを見せたが、ルクスは手出しは無用とばかりに合図して退ける。
「御婦人相手に三人がかりでは騎士の名折れとお思いでしょうが、此度我らが戦うは天翔ける金切竜。竜殺しをヒト一人で行うなどということがいかに期し難いか、どうかご承知いただきたく存じます」
「確かに竜がちまちまと、一騎打ちに応じるはずもないわ……ところで、誰を倒したらあたしも戦いに参加できるの」
個我を持たないと口では言った彼が、果たして本当にそれを捨てきれていたかどうかを、己自身で見極めることは困難であったろう。父親を無惨な姿にした上で命を奪ったネルドゲルの、実の娘に対してルクスが装える平静を示すためには、内輪のみでの決着を望んで、それ以上の騎士をこの試合に参加させないことぐらいのものであったかもしれない。
「……この国の騎士を全て倒されれば、それも認められましょう」
「では手始めにあんたからッ」
花束を逆さにしたようなドレス姿ではニィルボグも動きやすくはなかったが、足捌きを相手に読ませないという利点があることも承知していた。三方から騎士に構えられた彼女は最初の標的を真っ先に近衛長にさだめ、先手を取って必勝の急襲をかける。
「今ぞッ」
試合用の槍が舞うように振るわれる様は、どこか優美にルクスを惹きつけた。しかしそれとは別に最初から捨て石になるつもりだった彼は、合図を送りながら全力で得物をぶつけ合わせると、そのまま踏み込みをかけた脚を、仇敵の娘がまとう長裾の上へと押し込む。
「クソ、戦わないつもりか―――」
ドレスの端を踏み抜かれた彼女は近衛長の剣を易々と弾いて、まず一人目とばかりの動きで彼の顔面目掛けて槍の横薙ぎを打ち込みかけるが、それを振り抜くことはしなかった。ニィルボグが得物を寸止めした一瞬遅れで、彼女の首に二筋の冷気が走ってくる。その正体は王子妃の背後から伸びて両肩を抜けたところで筋交いになり、切っ先を鈍く光らせ合うミメイトとハイユーズの剣だった。彼らはルクスの合図と同時に早駆けすると、ニィルボグたちの武器が一合交わると同じくして近衛長に続いて長裾を踏み抜き、三方の足元から相手を固定した上で確実に彼女へ勝ちにきたのである。
実際ニィルボグは相手を太刀打ちで殴り抜き、そのまま残る二人も長裾を引っ張るなりして転ばせた後、そのまま活殺を自在に出来もしたのであるが、それは試合に勝っただけのことで、“アメンドース騎士団”との勝負とは別の話であることを悟ったゆえの判断であった。
この三人を倒しても次なる騎士が相手となり、どれほど打ち倒しても自分が騎士とは認められない状況であれば、眠らずの砦にいた頃と状況が変わらないことを、彼女は思い知らされたのである。
「そうね……これが戦いというもの。確かにあたしが自分だけの戦いをしても、あたしが死んだらお終いね」
ニィルボグがルクスの耳元から得物をどけると、彼女の首元からも寒気が取り除かれた。近衛長たちが一歩下がって礼をすると王子妃は再び自由を取り戻し、それを見ていた周囲の騎士からはまばらにざわめきと拍手が送られる。
「……このような無礼をして申し訳ございません。これを潮に、荒事の類は我ら騎士にお任せいただくことをご納得いただければ、御婦人を守る我らとしては何よりの果報でありますゆえ、何卒」
だが彼女はルクスが跪くときに、恐ろしく冷たい目をしていることを見逃さなかった。ニィルボグは父との決闘の直後、気絶間際にエンゾルカと合わせた時の彼女の蔑んだ眼差しを思い出し、思わず周囲を見渡す。
フル=オーク族の憎しみと侮蔑が熱を帯びたものだとすれば、人間族のそれはひどく冷えきったものと喩えられるかもしれない。ともあれこの王子妃に向けられた目線はとても敬意が込められたものとはいえない、混じり気のない排他的軽蔑が注がれていたことは確かであり、熱気を寄せては返さない分、ニィルボグも騎士たちに対して戦意を失うのが早かった。彼女がスカートの裾も整えずに訓練場を後にする去り際、そのとんがり耳が、仕切り直しとばかりに明後日の叙勲式に向けた稽古を始めなおす、近衛長の発破をかける声を捉える。まるでそれは、それまで何事もなかったかのような切り替えぶりを感じさせる熱の入りようであった。
そう……彼らにとっては本当に、何事も無かったことにされたのだ。
次回投稿は11/22中を予定しております。




