第三部 第二章(三)
2026年WOWOWで北方謙三原作の水滸伝が放送開始されます!
かなり内容は違いますが、別系統のスピンオフ、として読んでいただけると有難いです。
「なんと、そんな有難いお亡くなり方をされたとは。立派な御仁にたいそう無礼なことを言ってしまった。燕青どの、申し訳ないことをした」
少々気落ちした様子の亭主を見て、梁紅玉が話を変える。
「聞いていいかい? その偈ってのは、どんな」
「こうです。 『夏に逢って擒にし、臘に遭って執え、潮を聴いて円し、信を見て寂す』」
つまり、智真上人は、魯智深は夏侯成と方臘を捕まえて、潮信を聞いて円寂(穏やかな死を迎える)する、ということを予言していた、というのである。
「へぇえ、不思議なこともあるもんだね。でもさ、方臘をぶん殴ったときにも潮騒が聞こえたと言ったけど、それはなんだったんだい?」
「ええ、今は宮城で侍医をしている、地霊星こと「神医」安道全先生によれば、おそらく殴った弾みで、脳の血脈が破れてしまったのではないかと。半身が不随になったのはそのせいで、脳の血脈が破れると、潮騒に似た耳鳴りがすることがあるらしいのです」
話に一息つくと、三人は妙にしんみりしてしまった。梁紅玉が燕青の持ってきた羊羔酒の瓶子に手を伸ばした。
「燕青さんだっけ? 有難くいただくよ。あんたも、ほらもう一杯」
妓女出身ともあって、こういう酒宴の取り持ち方はさすがにお手のものだ。
三人とも軽く酒が回ったところで、おもむろに韓世忠が聞いてきたた。
「話を聞かせてもらって有難かったが、そもそも燕青さんが開封に来た目的はなんだね?」
来た!
ここでの対応をしくじると、今までの話が無駄の泡になる。それどころか、この韓世忠が毒を盛った男とつながっていたら、逆に捕まえられるかもしれない。
だが、目の前の韓世忠という男は、毒殺などとは縁遠い性格に見えるし、そもそも自らの誤解を知って、おれのような若僧にも頭を下げるような潔い御方だ。ここは胸襟を開いて話してみよう。
「韓世忠さまは、元梁山泊軍の頭領宋江、副頭領廬俊義の両名が、相次いで毒殺されたことをご存じでしょうか?」
「なんと、それは知らなんだ。特に宋江どのは、同じ方面で戦ったので何度も打ち合わせをしたが、実に腰の低い、穏やかな方であった。一体誰がそのような」
燕青は、かくかくしかじかと、宋江の毒殺、廬俊義の不審死、呉用や花栄、李逵の殉死、及び自分自身も南岳で襲われ、殺されかけたことを話した。
「むう、廬俊義どのははっきりしないとして、宋江どのが毒酒を贈られたのは間違いないのだな? それはおそらく蔡京か童貫、あるいは高俅辺りの謀略に違いない。そんなことをしている場合ではないのに、いつまでも愚かな奴らだ」
いくら個室とはいえ、壁の耳障子の目を考えれば、韓世忠の発言は軽率と言わざるを得ない。だがその表情は、心底その三人を嫌っているように見える。
「廬俊義さまに手を下したのは、痩せて青白い顔をした、革手袋をはめた男ではないか、ということと、わたしを拉致しようとした三人は、ひょっとしたら皇城司配下の暗殺部隊ではないか、と示唆してくださった方がいます。たったそれだけの、手掛かりとも言えない情報しかありませんが、何かわかればと思い、開封府に来たというわけです」
何一つ身に疾しいことはない、という意思を込めた視線を、燕青は韓世忠に向けた。
その眼を、正面から受け止めた韓世忠はくいっと酒をあおってから、
「ううぃ、酔った酔った。いいか、これから話すことはあくまでも酔っ払いの戯言だぞ。そもそも皇城司と言っても上官配下合わせて七千人もいるし、第一隠密の情報収集が主な仕事だ。誰が誰やらさっぱりわからん」
「なるほど」
「だが、皇城司の下部に、裏稼業として破壊工作や暗殺を請け負う・・・・・・・なんだったかな、くろいぬ? いや、黒猴軍とかいう連中がいるらしい。全部で三軍いて、毒殺専門の奴もいると聞いたが、それくらいしかわしにはわからん」
ありがたや。一時期は官軍として戦ったことがあるとはいえ、冷たい目で見られ、所詮は元賊軍と疎んじられてきた、元梁山泊軍出身の燕青に、禁中についての情報をわずかでも流してくれるとは思わなかった。
皇城司配下の黒猴軍。名前がわかっただけであり、空気が霞になった程度の進展だが、それでも大いなる収穫である。
「ありがとうございます。この御恩になんと報いればよいやら。とはいえ私は高俅辺りから目をつけられているらしいのです。そちらにご迷惑がかかっては申し訳ない。この辺りでお暇を」
「ああ待て待て。わかっているとは思うが、わしは童貫やら高俅やらに目の敵にされておるし、そもそもあやつらが大嫌いだ。これ以上の情報はわからぬが、宋国に災いにならず、あの奸賊どもに一泡吹かせられるなら、少しは力になろう」
「望外のお言葉です。その節はぜひよろしくお願いします。最後にお伺いしたいのですが、先ほど名前を出した安道全先生のお宅をご存じないでしょうか?」
「地霊星」安道全は「神医」と綽名される優れた医者である。ただ、方臘征伐の際に、皇帝徽宗がほんの些細な病にかかり、急遽戦地から呼び戻され、そのまま宮中で太医院の医官に任命された。
彼が召還されていなければ、梁山泊軍の戦死者はもっと少なく済んだものをと、皆で徽宗を呪っていたものである。
今はこの城内のどこかに住んでいるはずだ。毒のことを聞こうと思ったのだが、なぜか韓世忠は苦笑いしながらこう言った。
「あの御仁ならば、わしに聞くよりそこいらの遊郭で聞けば、すぐに見つかろうだろうて」
色好みは相変わらずだなあ、と燕青も合点がいった。
「ああ、それともうひとつ」
韓世忠が顔を寄せて小声で、
「実は最近金軍の動きが怪しくなってきた。童貫の野郎が、例の燕京攻略の報奨金を払わないものだから、金が怒って燕京周辺に圧力をかけようとしているらしいのだ。あちらの方には余り近づかないほうがいいぞ」
それは剣呑な話だ。二仙山は燕京から二百里(百km)余りとかなり近い。今までは金国に攻められたことはないそうだが、注意するに越したことはなかろう。海東青の鸞を連れてきていれば、すぐさま知らせることができたのだが。
この件に目処がついたら、早めに二仙山に帰ることにしよう。
「わかりました。心しておきます。ではこれで失礼します。本当に助かりました」
卓に銀子五両を置き、深々と礼をして去ろうとする背中に、梁紅玉の声がかかった。
「身の振り方に困ったら、韓家軍においでなさいな。あんたならいい働きができそうだ」
「あ、お前それはおれが言おうと思ってたのに。それともあれか? やっぱりあの色男に」
「馬鹿だねこの人ぁ、戦えば万夫不当なのに、すく悋気焼くんだから」
その後すぐ、なにやら鼠の鳴くような音が聞こえたが、燕青は苦笑いしながら酒楼の階段を降りた。
基本毎週金曜日の朝更新を目指しています。
また、評価やコメントなどいただけると励みになります。
今後ともどうぞよろしくお願いします。




