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第二章(四)

 昼下がりの古道観こどうかんでの戦いから何も食べていなかったので空腹だった燕青えんせいは、饅頭まんじゅう餃子ぎょうざ、豚の角煮かくになど大いに食べた。


 食べながら(はて、道士って肉を食べていいのか)と思いつつも、どれもこれも非常に美味い。満腹になるまで食べてから、また羅真人らしんじんの部屋に戻った。


 入室の頃合いを見計らったように、羅真人がやってきて、その後ろから少年の道士が酒壺しゅこと盃を携えて入ってきた。


  少年は三人の前に杯を置いて、お辞儀をし部屋を出ていった。

 だが、少年が扉を閉める瞬間。なぜか憎しみのこもった一瞥いちべつを密かに、しかし確かに自分に向けてきたのを、燕青は見逃さなかった。


 (はて、見覚えのない少年だが、一体なんだろうか? 方臘軍ほうろうぐんの子供とか? まぁ恨みを買いそうな相手を考えだすときりがないのだが)


 訝しがる燕青に一清が黄酒ホワンチュウを注ぎながら、

「何か考えごとか?」

「いえ、ちょっと……あ、今酒を持ってきてくれた少年はいったい?」


「ああ、張嶺ちょうれいか。あやつはうちの乾道おとこの中で一番年下の道士見習いだが、どうかしたかね?」

「いえ、なんだがにらまれたような気がしたので、小融同様、わたしを仇と思う立場とか、何か因縁のある相手なのかと思いまして」


「いや、それはないだろう。あやつは燕京えんけい(現在の北京ペキン)で見つけた戦災孤児で、梁山泊とは関係がないと思う。見間違いではないか?」

「そうですか。それならば良いのですが」

「ほっほっ、それくらい用心深ければ、鏢師ひょうしとして合格じゃの。善哉よきかな善哉」

 羅真人が笑う。そこから話が目的地の観山寺のことに移った。


常廉和尚じょうれんおしょうには世話になったし、はじめは一清を行かそうと思っていたのじゃが、あちからから坤道こんどう(女性道士)を寄越してくれ、と依頼が来てたのじゃ」

「どうしてですかね?」


「詳しくはわからぬ。ただ地元の乾道おとこどうしに頼んだらとんでもないことになった、とは書いてあったな」


「その和尚様は、御自分では祓いをなさらないので?」

  「常廉は、法力ほうりきというよりはおぬしと同じく拳法を志す者。気は感じとれるが、鬼や魔物を祓う術はもたぬ。おぬしも戦ってみてわかったと思うが、人と魔物とでは戦い方がまるで違うのじゃよ」


 燕青は昼間の小融の戦いぶりを思い出した。最初に小融が薄暗い廟内を祓ってくれなければ、魔物はほとんど見えず、気づかぬうちに噛みつかれ、命を落としていたかもしれない。敵が見えるか見えないかは、戦う上での文字通り死活問題である。


「鬼や魔物は大体、『いん』の気のかたまりなんじゃが、実際に相手を食らう直前まで体が実体化せん。じゃからまずは道士が術を使って見えるようにしなければ、普通の人間は、魔物相手では何もできぬうちに食われてしまう」


「なるほど、そこで小融の『浄眼じょうがん』が活きてくるわけですね」


「あやつの浄眼は、咒文じゅもん詠唱えいしょうも何もなしでそのまま鬼や魔物が見える。そのひと手間が省けるだけでどれほど有利になることか」


「確かに、最初わたしにはなにも見えませんでした。小融がなにやらもやもやしたものを祓ってくれて、それで少し黒っぽいものが見えただけです。きちんと見えない敵とは戦いようがありません」


「そういうことじゃ。常廉の奴も言っとった。気配は感じるがどこが頭やら腹やら分からなければ、殴るも蹴るもままならぬ、とな」


「その和尚さまはお強いのでしょうね」

「うむ、強い。以前やつの寺に遊びに行ったことがあるのだが、ちょうどその時、どこぞの山賊らしき者どもが三十人ほど、略奪しに押しかけてきた。ところがあやつめ、喜び勇んでひとりで棍棒を担いで向かっていきよっての。まぁちぎっては投げちぎっては投げ、半分以上ぶちのめしたおかげで、みんな逃げていきよった。まぁもちろん、わしも幻術など目くらましで協力したが、あやつの拳法はすごかったぞ。変わり者じゃが気のいいやつじゃて、教わってみるのも面白かろう」


「お弟子さんはいるのですか?」

「かなりの数いるのじゃが、弟子どもが駆け付けた時にはもうすっかり終わっとっての。みなポカーンと口を口を開けておったわ」

「それはぜひ教えていただきたいと思います」


「では、わしはあの暴れ坊主めに紹介状を書いて送るとするか。祓いが済んだら一度戻ってきていただきたい。帰りは小融に縮地法しゅくちほうを使わせればすぐじゃて。とりあえず今日はゆっくり休んでくだされ」


「燕青よ、この二仙山には温泉が出る。休む前に入ってみてはどうか?」

「や、それは有難い」

「では案内しよう。真人様、本日のところはこれにて」


 日本人ほどではないが、中国人も風呂好きである。ただし風呂とは言わず「沐浴もくよく」と言っていた。


 唐代までは水を汲み、頭や顔を洗うのが基本であったが、その後王族貴族の間で温泉が流行した。有名な楊貴妃のために「華清池かせいち」という温浴施設が作られたほどだ。そして宋代になると、経済や流通が盛んになったこともあり、公衆浴場的な施設が普及し、庶民も沐浴するようになっていた。


 連れだって食堂じきどうを出た後、一清は言いづらそうに

「燕青よ、ちと気をつけてくれ」

「なんでしょう?」

「いや、この山の女道士たちは、お前のような若くて見目良い男が珍しいのだ。山にいるのは、真人様とわしのようなおっさんが数人、あるいは先ほどの張嶺のような少年が二人だけだから、お前を見て浮き足立ってるのだよ」

「あはは、ご心配なく。兄貴や羅真人様のお弟子さんに手を出したりしませんよ」

「いや、お前の方にその気がなくとも、女どもの方がなぁ……」


 張嶺の運んできた酒は、コクがあり相当|酒精(アルコール分)が強かったようで、さほどたくさん飲んでいないのに、心地よく酔ってきている。

(うーん、いろいろなことが起きた日だったな。温泉に入ったあとなら、ぐっすりと眠れそうだ)

 などと考えながらややしばし、中央の廟堂びょうどうの裏手にある「湯殿」に到着した。案内してきた一清は男院なんいんに戻り、燕青は入口らしき門から入った。


 中に入ってみると、周りを塀で囲んだだけの、大岩を組み合わせた露天風呂であった。頭巾と帯を解き、旅で埃まみれになっていた衣を脱ぐと、真っ白な肌が酒の酔いでほのかに赤く上気していて、半身いっぱいに彫られた極彩色の花の彫物ほりものが、夜目にもいっそう鮮やかに浮かびあがる。


 特鼻褌ふんどしを脱ぎ、衣と下着を手近な岩の上に畳んで乗せ、ゆっくりと硫黄臭のする湯に浸かった。


 六百も数えるほど経った頃、

(ああ、久しぶりに旨い酒を飲んだなぁ。結構酔った。そろそろあがるか)


 手のひらで湯をすくい、顔を数回洗ったとき、入口の方から人声が聞こえてきた。

(む! あの声は……いかん!)

ここまでお読みくださりありがとうございます。続きが少しでも気になりましたら、評価や感想をいただけると今後の投稿の励みになります。よろしくお願いします。

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