第二部 第六章(五)
怪鳥との戦いで上気した面持ちもそのままに、祝四娘は霊峰「幻到山」を飛ぶように駆け下っていった。
あっという間に麓に到達し、そのままの勢いで神殿に飛び込む。
「ご先祖様ぁ! わたしお札を取ってこれたよお!」
得意満面で鼻息も荒く、祝融神の前に駆け寄り、これ見よがしに赤い霊符を突き出す。
(ふむ、とうとうやりおったか。それにしてもよくあれを退けることができたものだのお)
祝融神はしきりに自分の顎を撫で回す。
「あ、そうだ! ご先祖様、あんな変な鳥がいるなんて教えてくれなかったじゃない! ひどいよ、死ぬかと思ったわよ!」
(はは、すまぬすまぬ。まあもしものことがあっても、わしの領域であれば蘇生させることも可能だったから勘弁せい。ところでどうじゃ、おぬしの仙術が格段に強化されたのは感じられたかな?)
「うん、とはいっても、発現できたのは火雷だけだったけどね。他の性はご先祖様が封じたの?」
(左様、まぁ力試しの試練のようなものでな。おぬしが札に触れたら、あの鳥が襲いかかるように仕組んでおいたのよ)
「もうちょっと易しい試練でも良かったと思うけどね。そういえばあの変な鳥はいったい何なの?」
(あれか。あれは畾鳥と言って、火伏せの呪能を持つ鳥なのだよ。炎に対する耐性は最強の部類で、ほとんど無効と言っても良い。その鳥を焼き焦がすほどの威力を発揮したのだから、おぬしの火の性の威力は並大抵のものではなくなったぞ)
「山海経」に曰く、「翠山。その鳥には畾鳥多し。その状は鵲(かささぎ)のごとく、赤黒にして両頭、四足。もって火を禦ぐべし」とあり、防火、鎮火の権能を持つ霊鳥だったのである。
「霊鳥! そうか、わたしてっきり魔物だと思って焼いてしまったけど、悪いことしちゃったな」
(なに、羽が生え替わればどうということはない。それより最後の巨大な火球だが、ひょっとしておぬし)
「うん、あのときなんだかものすごく強い気が、体の中を突き抜けていったんだよね。あれが気の流れだとしたら、『小周天』だったのかも」
(ふふ、今回の修業でそこまでは期待していなかったが、たいしたものだ。よかろう、修業を終えて下界へ戻るがよい。何やらおぬしの仲間にきな臭いことが近づいているようじゃ。わしの助けが必要なときには、また来るがよい)
「え! また来てもいいの? おなかが減ったときとか?」
(はは、そういうことではないわ。では戻すぞ。下界ではちょうど十日ほど経った頃合いのようだな)
「ご先祖様、ありがとうございました!」
(うむ、では達者でな)
四娘の周りを暗黒が覆い、そしてふっと姿を消した。
衡山の麓、南岳大廟から南東に二十里(十km)ほど離れた紫金山の山腹に、黒猴軍第二隊の三人、即ち隊長の曹琢(そうたく)、道士陶凱、紅一点の蘇峻華が不意に現れた。
陶凱の仙術「縮地法」を使い、二仙山の黄涯関村から転移してきたのである。
直接南岳大廟に移動する手もあったが、万が一にも発見され怪しまれるのを避けたのだ。
「毒手」使いの馬政は、盧俊義暗殺のため別行動をしている。三人は旅人を装い、歩いて移動し、南岳大廟の周辺にある参拝人用の宿に入り、密談を始めた。
「できれば燕青を生け捕りにしろ、と言われたがわしが見るに中々の使い手。力技で捕らえるのはちと難しかろう。おまけに聞けば奴だけでなく、二仙山の道士がかなりの数来ているという。正面から殺しにかかっては邪魔が入るだろう。さらにそのうえ龍虎山の道士どもも、以前から何とかという魔物の警備に来ているとか。何にしても厄介なことだ。」
「饕餮、のことですな。まあ・・・・・・龍虎山の道士は、張天師や王道堅さえ来ていなければ、取るに足らぬ相手どもでございます。問題は二仙山の道士でしたが、峻華どのの情報によれば、羅真人も一清道人も来ていないとのこと。ならば、周りの道士についてはわたしにお任せいただければ」
と、陶凱が請け負う。
「ふむ、心強いことだ。とにかく明日わしと峻華で様子を見に行ってみよう。陶凱は顔を知られているだろうからな」
「はい、申し訳ございません」
こうして、曹琢と蘇峻華は参拝に来た夫婦を装うことになった。
「はあはあ。ど、どうでしょう燕青さま。こんな感じでは。まあ、こんなに太く」
「あ、ああ翡円どの、うう、そこです。とても気持ちがいい」
「ん。なんだか聞いてて卑猥な感じがする。もっとまじめにやるよろし」
見ていた孫紅苑のツッコミに、気づいた林翡円と燕青は思わず赤面した。
郭均との散打(自由組み手)を終えた燕青の、太く腫れ上がった前腕部に気功を加え、血行を良くし腫れを軽減する訓練をしていたのだが、夢中になっていて、何を口走ったものか意識していなかったのだ。
林翡円は、その真摯な性格も相まって、非常に憶えも良く優秀だと、清魁道人に太鼓判を押されていた。
基本的な血流、気脈の流れは十分に感じられるようになったから、あとは場数を踏むだけだ、とまで言われたほどだ。
実際治療される燕青も、明らかに以前よりも痛みや疲労、腫れの引きが早くなっているのを体感している。
「ふふ、翡円どのは本当に筋がいい。ぜひ治癒師として働いてもらいたいくらいだ。もしものことがあったら武当山においでなされ。のお郭均よ、おぬしもわしのようなおっさんより、翡円どのの治療を受けたいのではないか?」
「め、滅相も無い、お戯れはおやめください」
郭均は慌てて頭を振る。
「我々は明日帰るが、燕青どのも時間が許せば一度武当山に来ていただきたいものよ。他にも相手をしてもらいたい弟子もおるでな。」
はは、観山寺といい、どこも似たようなもんだな。
「はい、機会があればぜひ」
「そのときにはぐうの音もでないようにしてやるからな、覚悟しとけよ」
郭均が声を掛けてきた。だが以前のような悪意に満ちた口調ではなく、口元には軽く笑みが浮かんでいる。
打ち解けた、とまではいかないが、軽口を叩ける程度には言葉を交わすようになっていた。
ふと振り返るに、燕青は梁山泊の星持ちの中では常に一番年下であり、同年代の知人がほとんどいなかったことに改めて気づいたのである。
「明日の朝の散打が最後となると、ちょっと寂しいくらいですね」
にやり、と笑ってそう燕青が切り返すと、郭均は「ふん」とそっぽをむいた。
翌朝、朝食を終えてからふたりの武当山道士は衡山に別れを告げ帰途についた。
「お主の叔父に頼まれたとはいえ、来るのが正直面倒だったが、来てよかったな郭均よ」
「はい師父。正直あんな相手がいるとは思いませんでした。世間は広いものです。それにしても、今更ながら成仁どのにはまことに申し訳ないことをしました」
「はは、お主がそう言えるようになったことが、今回一番の収穫だな」
通りすがりの夫婦連れらしき参拝者に軽く会釈をし、ふたりは晴れ晴れとした顔で南岳大廟の龍脈を目指して降りていった。
「どうなさったのですか、お頭、そんな怖い顔をして」
ふたりの道士とすれ違い、姿が見えなくなるほど離れてから女房らしき女が、連れの男の顔をのぞき込んだ。
「・・・・・・峻華よ、今すれ違った道士を知っているか?」
「いえ、存じませんがお知り合いですか?」
「いや、向こうは知らないだろうがわしは知っている。あれは『八足獬豸』だ」
「はっそくかいち?」
「うむ、武当山の道士で、かつて東岳泰山で開かれた武術大会で、圧倒的な強さで優勝した男だ。わしは高俅さまの護衛で付いていったのだが、凄まじいまでの蹴り技の使い手だった」
「それほどの」
「わしとて素手では勝てるかどうか分からぬ。あんな奴が居たならますます面倒なことになっていただろうが、幸い帰っていったようだ。わしらは運がよかったのかも知れんな」




