第二部 第四章 (十)
「くそっ、あの若僧め、 この恨みはらさでおくべきかっ!」
龍虎山の乾道たちにあてがわれた広い部屋の中央で、椅子に腰掛けた道士筆頭の郭庸は、親指の爪を噛みながら道士にあるまじき呪詛の言葉を吐き出していた。
部屋の隅の寝台では、燕青に叩きのめされた道士たちが、やっと吐き気が収まったり、顎の骨を嵌めてもらったが痛みで食事もままならなかったりと、一様に膝を抱え悄然と座り込んでいる。
明らかに酔っ払って因縁をつけにいった龍虎山側に非があるのだが、奢り高ぶり尊大に構えた彼らにしてみれば、吹けば飛ぶような二仙山などという田舎道士たちなど圧倒的に格下の存在であり、その格下相手に大の男が五人も出かけていって、たった一人の若僧にいいようにやられておめおめ逃げ帰ってくるなど言語道断である。
まとめ役である郭庸にとって、すでにことの善し悪しは二の次。こう面子を潰された以上、あの若僧だけでなく、二仙山の道士全員、額を土に擦りつけさせ、許しを請わせねば気が済まない。
だが、酔っていたとは言え、出かけていった五人はいずれも、どちらかというと仙術よりも腕力に覚えのある者ばかり。それがあっという間に叩きのめされたのである。そう簡単ではない。
とりあえず二仙山の筆頭道士の成仁には、通りすがりの龍虎山道士五人に、燕青とかいう若僧が難癖をつけ暴行に及んだ、とねじ込んだが、「よくお調べになった方がよろしいかと」と素っ気なくあしらわれてしまった。
このまま手をこまねいていては龍虎山の、ひいては筆頭道士たる自分の沽券に関わる。おのれ、どうしてくれよう?
「ぐぬぬ……」
ますます激しく爪を噛む郭庸のところに、配下の道士が一通の手紙を渡しにきた。
苦虫を噛み潰したような顔で、その手紙の差し出し人の名を見た郭庸はそれまでの沈鬱な表情を変え、大急ぎで中身を読みこむとぱあっと表情を明るくし笑い出した。
「そうかそうか、彼らが来てくれるなら何の心配もいらぬわ!」
「郭庸様、どうなさったので?」
訝しんで近づいてきた弟子に手紙を見せ、
「ふふふ、近日中に武当山から清魁道人と、その弟子でわしの甥である郭均が、陣中見舞いに会いに来るそうな。ふたりとも武当拳で並ぶ者のない強者。ひとつここはあのふたりに……はっはっはっ」
武当山は湖北省にある広大な道教の聖地である。
七十二峰を抱える武当山は、現在も百を超える道観が建ち並び、「玄天真武大帝」を祀る武当派道教の中心地だ。
それとともに、これより百年ほど下がった南宋の時代に、道士「張三丰」(三豊とも)によって、かの有名な「太極拳」が編み出されたとされる拳法の聖地でもあり、現在も世界各国から拳法を学びにくる者が後を絶たない。
その武当拳の名手を、燕青と戦わせようという算段なのだ。
「しょせん付け焼き刃の田舎拳法使いよ。伝統ある武当拳の前には、風前の灯火螳螂の斧。あの若僧の両手両足の骨をへし折り、頭を踏みつけて命乞いさせてくれる。 もう勘弁してくれと泣いて詫びたとて聞かぬぞ、ふふふっ」
「あの、もう勘弁してくれませんかご先祖様。少し休ませてください」
(なんじゃ、もう泣き言か。修行すると言ったのはおぬしではないか。泣いて詫びたって聞かぬぞ)
「そんなこと言ったって……」
(まだ導引の第三形ではないか。これを極めてこそ小周天の体得に近づけるというものだ。それ、また呼吸が漏れた。もう一度!)
神界の御殿の前庭で四娘が演じていたのは、仙術の基礎となる「導引術」のうち、「華陀」の「五禽戯」である。
導引とは、体内の気の巡りを活発化させるための、呼吸と体の動きを合わせる鍛錬法である。
一口に導引と言っても、多種多様な方法があるが、そのうちの一つ「五禽戯」は、三国時代の名医「華陀」が考案したとされる、虎、熊、鹿、猿、鳥の五獣の形を模した修練法だ。
四娘とて、「五禽戯」は小さい頃から二仙山で教わっていたので、動きは身についているが、今祝融神に教わっているのは、呼吸を合わせて行うやり方である。
鼻から吸って口から吐く。吸ったら一度息を止め、体に清らかな気が巡ったのを感じたら静かに体内の濁った気を吐き出す。
問題は、どれくらいの時間息を止めるかである。
四娘は、羅真人からは「普通の呼吸十二回分の時間をかけて吐き出す」よう教わっていた。 これができる者を「小通」という。
ところが、今祝融神が命じているのは十倍、つまり「普通の呼吸百二十回分の時間をかけて吐き出す」という「大通」の段階なのだ。
この呼吸を乱さずに第一虎形から第五鳥形までを、一切の乱れなくゆっくりと行う、これが四娘に与えられている課題である。
正確な体の使い方とともに、長く息を止めたままの動きを何度も要求され、四娘は歯を食いしばって頑張っていたが、やがてめまいや吐き気、耳鳴りを感じ、さらに酸欠を起こしたらしくふらふらと倒れ込んでしまった。
仰向けになり荒い息をつきながら、思わず悔し涙が流れてきた。
「ご先祖様、どうしても呼吸が持ちません……」
(ううむ、確かにまだ体が十分に成熟していないからきつかろう。特に胸が)
「ちょっと! ご先祖様までそんなことを!」
四娘、苦しいのも忘れ祝融神をきっと睨みつけた。
(ふふふ、違う違う。おぬしの肺臓のことよ。仙術でも体術でも言えることだが、肺臓は心臓や丹田と並んで、術の威力に直結する臓器よ。鍛えておくにこしたことはない。「大通」ができるようになれば、「小周天」の会得により近づくことが出来るだろうし、おぬしの術力も飛躍的に向上するはずだ)
日頃気にしているせいで、あらぬ勘違いをしたことに気づき、四娘は真っ赤になった。
「小周天」とは、簡単に言うと体内の三つの丹田、すなわち腎臓周辺の下丹田、心臓周辺の中丹田、脳髄周辺の上丹田の間で「気」を循環させることである。
仙人を目指すならば、必須と言っても過言ではない技法だが、この域に達するのは容易なことではない。仮に一度通っただけでも、気の運用がそれまでとは比べものにならないほど円滑になるほどだ。
仙術の基本であり根本ではあるが、無意識に循環させられるのは、羅真人、張天師ほか何人いることであろうか。これ抜きでは「五雷天罡正法」の体得はおぼつかない。
四娘は別に仙人になりたいわけではない。むしろ自分を育ててくれた師父の羅真人に恩返しをしたあとは、道士を辞めて誰かと所帯を持ち、幸せな家庭を築きたいというのが密かな願いだ。
だが同時に、道士として術力を加増したいとは思っている。ひょっとしたらいずれ「四凶」など強力な魔物と戦うことも考えられるからだ。まだ見たいものもやりたいこともたくさんあるし、死にたくはない。
だんだん呼吸も楽になってきたところで、持ち前の負けじ魂が四娘を奮い立たせた。ふうっとひとつ息を吐き出し立ち上がる。
「もう一回やります! お願いします」
両足を揃え、手を脇に添えたところから息を調え、大きく鼻から吸い細く息を吐き出しながらゆるゆると動き始めた。
虎挙、虎撲、熊運、熊晃、鹿抵、鹿奔、猿提、猿摘、鳥伸、鳥飛……
(猿提まで一息で来たぞ。もうひと頑張りだ)
収めの姿勢である「引気帰元」まであと少し。だがここから先がきついのだ。すでに最初に取り込んだ陽の清気は使い果たし、陰の濁気もすべて吐き出してしまっている。
四娘の体内に残っているのは、血液中に溶け込んだ気のみ。
「鳥伸」の姿勢を取ろうとしたところで、四娘の視界はふっつりと真っ暗になり、再び石畳の上に倒れ込んでしまった。
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