第二部 第四章 (八)
「心配するな、って言われてもなあ……」
紫虚観の入り口で立番をしながら、張嶺はつぶやいた。南岳衡山で祝四娘が神隠しに遭った、と聞いてからずっと気もそぞろなのである。
朝食後、一通りの勤行を終えてから午の刻(十二時)までの立番が張嶺の仕事である。六尺棒を握りしめ、参拝に来る人々に軽く頭をさげ挨拶をしつつ、山の麓を見つめ、賊や軍勢が近づいてこないか警戒している。
今のところ薊州界隈は金軍によって遼軍が潰走し、その後駐屯した宋軍が抑えているとはいえ、野盗などの襲撃は十分考えられる。
さらにその宋軍のはみ出し者が、襲撃に来る可能性もないわけではない。二仙山はさほど裕福な道観ではないが、金軍に財産をあらかた持ち去られた燕京の街よりは豊かに見えることだろう。
ましてや、さほど多くない道士の、およそ半数が南岳衡山に出向いている現状は、羅真人と一清道人の二大巨頭が留守を守っているとはいえ、戦力としてはかなり手薄な状態である。
おっといけねえ、ぼおっとしてらんねえや。
立番をしつつ、奇異に見られない程度に膝を曲げ、軽い站椿を続けながら、あらためて気を引き締めたその目に、石段を登ってくる怪しげな二人連れの男の姿がとびこんできた。
いずれも中年のたくましい男である。
ひとりは黒い戦袍を着込み、首から鎖を下げていて、その先についた、棘のある金属の玉を帯に挟み込んでいる。ごわごわとしたひげ面で、日焼けした顔にぎょろりとした大きな目玉が光り、どう見ても単なる参拝者ではなさそうだ。
もうひとりは対照的に色白ですっきりとした細面に、これまた切れ長の細い目。文人風の衣をふわりとまとい、背の丈ほどの曲がりくねった杖をつき、飄々と登ってくる。鼻の下に細いひげを生やし、薄い唇は何やら少し皮肉っぽい笑みを浮かべている。
ふたりとも大きな行囊を背負っており、着ている物もうっすら埃にまみれている。どうやら遠くから旅をしてきたようだ。
張嶺は背筋がひりりとするのを感じ、思わず六尺棒を強く握りしめた。
男たちはやがて門の前まで登り詰め、強ばった面持ちで自分たちを見つめる少年道士に近づいてきた。
文人風の男が薄笑いのまま張嶺に「きみはこちらの道士殿かね。ちと尋ねたい」と話しかけた。
「ここに公孫勝という方がいらっしゃるはずだが?」
一清師兄のことか? 誰だこの変な人たちは、用心しないと。
張嶺は「おじさんたちは誰だい、いったいなんの用だい?」と逆に尋ねた。
それを聞いた黒衣の男が、苛立たしげに割り込んできた。
「いいから、居るのか居ないのかさっさと答えろ!」
張嶺これを聞いてかちんときた。
「あんたがたみたいな怪しいひとたちに答えたくないね!」
「何をこの小僧、生意気な!」
黒衣の男はかなり短気と見え、ずかずかと張嶺に近づき
「いいから早く答えろ!」
言いざま、張嶺の左肩を手荒く突いた。
ところが張嶺は上体を揺らしはしたものの、しっかりと土を踏みしめた足は小揺るぎもしなかったのだ。
「おっ?」
黒衣の男は舌を巻いた。もちろん怪我をさせるつもりはなかったが、少なくとも何歩かはぐらついて下がるくらいの強さで突いたはずだ。
自分より頭一つは小さく、体つきも細い少年が、意外な強靱さを見せたのである。
「やっぱり怪しいぞ、中に入れるわけにはいかないな」
ふわりと跳び退いた張嶺は二丈ほどの距離をとり、六尺棒の先をふたりに向けた。
「待て待てまて!」
文人風の男が慌てて黒衣の男の前に入った。
「兄弟落ち着けよ、こんな子供に大人げないぜ、ああ道士どの済まない、棒を下ろしてくれ」
張嶺とて、今の自分でこのふたりに勝てる自信はない。渡りに船とばかりに
「分かったよ、そうやってちゃんと大人しく話してくれりゃいいのにさ」
文人風の男が続けた。
「別に揉めようと思ってきたわけじゃないんだ。俺たちは公孫勝様の昔の仲間で、俺は朱武、こっちのひげ面は樊瑞という。どうか取り次いでもらえないかね」
「でもさあ、そっちのおじさんは流星錘なんか持ってるし、おじさんの杖もなんだか不気味だし、簡単に信じるわけには……」
「その言やよし。江湖ではそれくらい用心せねばならんぞ、張嶺」
門内から別の声が響いた。
「大丈夫、確かにそのふたりは私の昔の仲間だ。久しいな朱武に樊瑞よ」
入雲龍公孫勝こと、一清道人が現れた。
「門前でそう騒がれてはかなわん、ふたりとも中に入ってくれ」
朱武。梁山泊第三十七位、地魁星を持ち渾名は「神機軍師」という好漢である。元は少華山で、「跳澗虎」陳達、「白花蛇」楊春と共に山賊の頭目をしていた。両刀を使うが、どちらかというと頭脳派で、公孫勝や呉用の副軍師を務めていた。
樊瑞。梁山泊第六十一位、地然星を持ち渾名は「混世魔王」という好漢である。元は徐州芒碭山で、「八臂哪吒」項 充、「飛天大聖」李 袞と共に山賊の頭目をしていた。剣や流星錘を使い、公孫勝には遠く及ばないが、かなりの仙術の使い手である。
ふたりとも対方臘戦ののち野に下り、朱武が樊瑞に弟子入りしたが、樊瑞自身もより高みを目指したいと思い、入雲龍公孫勝に師事すべく二仙山を訪れたのである。
一清道人の私室に招かれた両名は、茶を運んできた王扇の美貌に目を奪われ、さらに一清が彼女を妻にしたと聞いて目を白黒させた。
一緒に呼ばれた張嶺は、そんなふたりを見て少々溜飲を下げたのである。
「そういえば、お主らがいずれ来るだろうと、燕青が教えてくれたな」
「えっ、燕青もここに居るのですか? 」
「うむ、うちの道士の鏢師をしてもらっている。今は南岳衡山に行っているのだ」
「ほお、こちらでお世話に……」
樊瑞と朱武は視線を合わせて頷き、公孫勝の顔を見た。
「入雲龍の兄貴、いや、一清様。どうか我らもここに置いてくれませんか」
「都統領の役職は捨ててきました。二仙山で道士の修行をさせてください」
そろって袖を合わせ頭を下げた。
ふぅむ。樊瑞はそもそもかなりの術士で、十分伸び代もある。
朱武は目から鼻に抜ける知恵者、年は取っているが、今から修行してもかなり期待できそうだ。ちょうど二仙山が手薄になったところだし、気の知れた手練れが増えるのは有難い。
一清道人は、ふたりの入山を羅真人に許可してもらおうと部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、樊瑞は張嶺に話しかけた。
「ええと、張嶺だっけ? さっきは済まなかったな、いきなり突きとばそうとしてよ」
「いや、もういいよ。おじさんたち本当に一清師兄や燕青兄貴の仲間だったんだね。おいらも疑って悪かったよ」
「はは、じゃあもうなかったことにさせてもらうぜ。それにしてもお前、その年にしてはなかなかの功夫だったな。びくともしなかったじゃないか」
樊瑞は、仙術のみならず武術の心得もあるので、やせっぽちの張嶺の意外な下半身の強さに気づいていたのである。
「ありがとう。でもおいら、まだ馬歩站椿と牽縁手しか習ってないんだよ」
「そうか。ならばもし我らが入山させてもらえたら、たまには相手をしてやろうか」
「え、ほんとかい! ……じゃあ、一清師兄と燕青兄貴が許可してくれたら、ぜひお願いします! 」
張嶺は、早朝の己五尾との手合わせですっかり気持ちが上がっていたこともあり、また燕青が鏢師として外に出ていることが多いのもあり、今まで以上に拳法の修行ができそうだと、顔を上気させ目を輝かせた。
そこに一清道人が戻ってきた。
「星持ちとあらば」と、ふたりの入山が認められたのである。
こうして、二仙山に頼もしい「好漢」が増えた。
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