第四章(二)
馬を引きながら、かなりの雑踏でごった返す町の中を歩き始めた。康永は街道がみっつ交差していて、近辺では最も大きな町だ。四娘はうろうろきょろきょろしっぱなしである。
道路に野菜や果物を並べて売っている人々。
豚肉や羊肉の塊を、手際よく解体し軒先に吊している精肉屋。
派手な色使いの衣装と、煌びやかな装飾品に身を包んだ西域の女が、盛んに客を呼び込んでいる小間物屋。
店先の蒸籠が盛んに蒸気をあげ、饅頭や焼餅の旨そうな匂いを漂わせている点心の店。
四娘が見たこともないという、珍しい種類の薬草が並ぶ薬屋。
ドキドキするような鋭い刀を、風車のように振り回し威勢のいい口上を述べている
金槍薬売り。
椅子を幾つも積み上げ、そのうえで片脚立ち、倒立、トンボ返りを演じる雑技団の少女。
むしろ掛けの怪しげな見世物小屋。線香の匂いの立ちこめる仏教寺院や道観。喧噪の絶えないうどん屋。立ち飲み酒場。古着屋。道具屋。宿屋。寺子屋。酒屋……
何もかももの珍しく、四娘はあの店は何か、この品はなにか、あれやこれや聞いてくる。少々煩わしくもあるが、元々彼女の見聞を深めるための旅である。燕青はできる限り詳しく教えてやった。
歩いているうちにやがて数軒の、それまでとは雰囲気の違う。扇情的な金文字の大看板や、赤、黒、紫、金、銀など刺激的な色の柱、壁、窓格子で飾られた建物が連なる一角にやってきた。
軒先に吊された梅、桜、椿、牡丹、菊、その他四季折々の花を描き出した花灯籠に、四娘はすっかり目を奪われている。
「ねぇ、この辺の建物ってなんかきれいだね。ここってなぁに? 花屋さん?」
「んー? ここはなぁ……げっ!」
煌びやかなその場所……遊郭であった。
それと知ってか知らずか、四娘が目を輝かせ、微に入り細に入り根掘り葉掘り徹頭徹尾後ろから前からいろいろと質問してくるので、なんと教えてよいやら、燕青は困ってしまった。
「あ、あのな。ここは遊郭といって、大人の男の人が、お金を払って女の人とお酒を飲んだりお食事したり、お話を楽しんだりする場所なんだよ。わかったかな? しょ、小融さん」
「ふーん。でも師姉は遊郭ってお泊まりする場所だって言ってた」
「たまに、本当にたまぁにね、つい盛り上がっちゃって、飲みすぎて帰れなくなっちゃう人がいるんだよね。あ、あはは」
「あと師姉は、なんかとても楽しーいことするんだって。なぁにその楽しいことって?」
「あ、あの、とても楽しい遊びだよ、ほ、ほら遊郭ってくらいだし、ね? あ、あはは」
「あ、あと師姉は、男女で裸になって、お布団のなかで取っ組み合うんだって」
「あ、ああそれはお相撲といってね、くすぐりあって楽しむ遊びだよ、はは、は……」
「それからなんだかよくわからないけど交合いするっていってた。ねーまぐわいってなに? どんなことすんのー?」
「……おまえ、絶対知ってて聞いてるだろ。そういや房中術とかも知ってたし」
「えー、なんのことー? あたし子供だからわかんなーい。ねーまぐわいってなにをどうすんのー? おしえてー」
そらっとぼけて上目づかいでにやにや見てくるのである。
なんだかんだ言ってるうちに、店の前で広げられる茶番劇に業を煮やした門番の遣り手婆が、六尺棒を振り上げて出てきた。
「店先でいい加減にしとくれ! 商売の邪魔だよ! ここは子供連れで来るところじゃ……あらぁ?」
剣突を食わせようとしたのだが、燕青の顔を見て遣り手婆は何を思ったやら、六尺棒と啖呵を引っ込め、近づいて耳元で
「お兄さんこの町にお泊まりかい? 妹さんがおねんねしたら、夜こっそり遊びにいらっしゃいな」
と囁いた。
それを四娘すかさず聞きつけ、
「ちょっと青兄、そんなことしたらわかってんでしょうね。師父に言いつけるからね! さっさと行きましょ!」
燕青の袖と白兎馬の手綱を捉えてぐいぐい引っ張っていく。その後ろから
「ねぇ色男のお兄さん、あたしを指名してね~」
「あたいならタダで良いよぉ」
「その子じゃ物足りないだろ、ほれほれあたしのおっぱい見てみなあ」
数人の女郎が出てきて嬌声を浴びせかけてくるのだ。
四娘は振り返り、特に最後の一言を言った女郎を、鬼の形相で睨みつけ、膨れっ面で近くの点心の店に燕青を引っ張り込んだ。
「饅頭四つと餃子二十個!大至急持ってきてちょうだい!」
腹立ち紛れに大声で注文し、四娘はずかずかと店の中に入っていった。燕青は慌てて白兎馬をつなぎあとを追う。
空いていた中央の席に座ろうとした四娘の腕を制して、燕青は店の奥に近い、窓の下の席に連れて行った。自分は奥の席に座り、四娘を前に座らせた。この位置なら、店の内部全体と入ってくる客が見渡せ、いざという時には窓から飛び出すこともできる、そんな場所取りなのである。
今日はこの康永の町に泊まる予定なので、昼はこの店の点心で済ませ、夜は食材を買い、自分たちで料理するつもりだ。
いわゆる「飯店」は、飯も食えるが現在の旅館に近い。もう少し庶民的な旅人宿は基本素泊まりで、宿屋で鍋釜を借りて自炊する場合が多いのである。
饅頭四つと餃子二十個は、ふたり分注文したと思っていたので、昨夜同様に毒味をしてから食べさせるはずだった。
ところがなんと四娘、やってきた料理を全て腕の中に抱え込み、制止する間もなく次から次へとパクパク平らげはじめ、あの細くて小さい体の、いったいどこに入るものか、あっという間に全て腹の中に納めてしまったのだ。燕青は呆れながら、あらためて自分の昼食用に饅頭二つと餃子六個を追加で頼んだ。
「おまえ、そんな体でよく食うなぁ。というか今までそんな大食いって感じはしなかったが」
「あたしね、普段はともかく腹が立つと無性に腹が減るのよね。だからあたしを怒らせない方が身のためよ。お金三倍かかるからね」
やっと機嫌が直ったらしく、優雅に茶を啜りながら、そんなことを嘯くのである。燕青は、後手に回ったが例によって毒味をこなし、やっと落ち着いて饅頭と餃子を味わうことができた。
四方に目を配りながら、食べ終えてお茶に手を伸ばしたとき、急に店前が騒がしくなった。
黒山の人だかりができている。野次馬らしき罵りあう声、煽りたてる声、何か騒動が始まったようだ。
「おいおいまた唐の若旦那の横車が始まったぜ、ったくいい加減にしてもらいてぇな」
「言いがかりつけられてんのは誰だよ? 」
「果物売りの管のじいさんと、孫の蒼瑛さんだとよ」
「あー、美人だから目をつけられたな、気の毒に」
「おう、あの薬屋の唐んとこのバカ息子ときたら。ちょいときれいな娘だと見境なく攫って一晩もて遊んでポイ、ってんで有名だぜ」
「若旦那なんて上品なもんじゃねぇ。三字なら人非人、二字なら外道、一字なら糞、ってやつだ」
「やいこのデブ! 利きもしねぇ薬を高い金で売りつけやがって! 人の生き血を吸うヤブ蚊野郎め!」
「取り巻きがいなけりゃ何にもできねぇくせに! 悔しかったらかかってきやがれ!」
「わぁっ! 用心棒が抜きゃがった! 逃げろ逃げろ!」
人だかりは、右に行き左に揺れ、やいのやいの騒ぎ立てていたが、その一角が崩れたかと思うと、悲鳴とともにふたつに別れ、わっとばかり逃げ出した。
後には道の真ん中に老人が倒れ伏し、覆いかぶさるように若い娘が寄り添っていた。そばにはひっくり返った籠がふたつと天秤棒。中に入っていたらしい果物が周辺に散らかり、無残に踏みつぶされている。
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